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果南(カナン)
2025-03-21 23:16:54
4404文字
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さめしし
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追憶
さめしし。ワンドロのお題「写真」「太陽」で書きました。まだ片想いのさめ→ししが、二人で菜の花を見に行ったお話。
今だけのあなたを、留めておきたくて。
広い河川敷は、一面の黄色だった。
川沿いに沿って延々と、数多の菜の花が咲き誇っている。今を盛りと開いた黄色い花は、細い茎の先に丸く珠のように集まっていて、わずかな風にもゆらゆらと揺れていた。
何万本、何十万本もの菜の花が、春先の輝かしい太陽の下、それぞれの固有振動数で好きに揺れている。時折強めの風が吹けば一斉に同じ向きに倒れていって、その後はまた、てんでに動いているのだった。
「すげぇな。壮観だな」
私の隣で獅子神が、感嘆の声を漏らした。
「ああ。見事だ」
頷いて、私も言葉を返す。あたたかな風が運ぶ獅子神の香りが、心地良く鼻腔を刺激した。
最近、時々こうして二人で出かけることがある。
出かけるのは、いつも昼。主に私の休日に、たまたま時間が空いた時だった。
大抵はまず食事をして、それから何処に向かうとでもなく歩く。食事の店は私が選ぶこともあったが、殆どの場合は獅子神が決めていた。趣味の(といっても彼の腕前はプロ並みだが)料理の範疇なのか、はたまた仕事絡みなのか、獅子神が提案してくる店はバラエティに富んでいて、しかも美味い。なので私もとやかく言わずに、彼の選択に任せていた。
今日もそのようにして、午前中は病棟で術後の患者を診て回り、昼から獅子神と合流した。程よく落ち着いた雰囲気の明るいカフェで、創作イタリアン風の料理に舌鼓を打った後に、獅子神に合わせて歩いていたら、この河川敷に辿り着いたのだった。
今のところ、私たちは友人だ。だから、これはデートではない。
だが、私は既に自分の感情に気がついていた。わけのわからない力で惹きつけられ、どうしても眼が獅子神を追ってしまう。誰に対しても優しく寛大な彼が、私以外の誰かを特別に扱い、頬を朱に染めて睦言を囁く日が来るのかもしれないと思うと、それだけで体中の血液が沸騰しそうな心地がするのだった。
誰にも、渡したくない。私だけの特別にしてしまいたい。
だが、今そんなことを告げたところで、困らせるだけなのは目に見えている。
獅子神は、必要も無いのに、積極的に友人の心中を探るような性格ではない。
私が抱える、どうしようもないこの想いにも気づいていないだろう。
だから私は、ことさら慎重になっていた。
何かと五人で集い、こうして二人でも出かけているのだから、獅子神だって私のことを好いてくれてはいるのだろう。ただ、彼の好意はあくまで友人の範疇であって、どのポイントでそれを転化させるべきか分からないのが、目下の私の悩みのタネなのだった。
ふぅ、と聞こえるようにため息をついてみる。
「どうした、先生? 歩き疲れたか?」
よもや自分が原因とは思ってもみない男が、からかうような笑顔で振り向いた。
軽く揺れた金髪が、春の陽光に淡く輝く。
「
……
何でもない。が、ここを離れたら、帰る前にデザートは食べに行きたい」
「オメー結局、食い気かよ」
「花より団子というだろう。あなたの家で、何か作ってくれてもいい」
さりげなく主張してみたが、獅子神が私の真意を読み取るはずもなかった。
「んー
……
今日はこの後、仕事で顔出さなきゃいけないトコがあるんだよな。悪ィな、村雨」
「いや、仕事なら仕方がない。こちらこそすまなかった」
それで会話は途切れて、私たちは黙って菜の花を眺めながら歩いた。
次第に落ち着かなくなったのか、獅子神が少し大股になって、歩調を速める。私は敢えてそのままのペースで歩き、先に進んだ獅子神の背中を眺めた。
今日の獅子神はクリーム色の薄いシャツに、少しくすんだ薄緑色の春物のジャケットを羽織っている。彼の金髪と相まって、その姿は一面の菜の花が広がる景色に、この上なくよく溶け込んでいた。
つくづく絵になる男だ、と思う。
春の午後の、うららかな太陽の光。
風に揺れる菜の花を見渡して、微笑む獅子神。
私は何も考えずに、スマートフォンを取り出していた。片手でカメラを起動させ、目の前に掲げる。
きらきらと光る河面と、澄んだ青空。遠くまで広がる、菜の花の黄色と緑。
その中に佇む獅子神に焦点を合わせ、シャッターを切った。
カシャッ、と小さな音を立てて、画面に静止画が浮かぶ。特に編集などはせず、そのまま写真のフォルダに保存する。
気配を悟ったらしく、獅子神が振り向いた。
「お前、いま写真撮った?」
「あぁ」
隠すことでもないので、私は頷いた。
「オレの?」
「そうだな。あなたと、菜の花の」
獅子神はちょっと虚を突かれたように、目を瞬かせる。それから微かに眉根を寄せて、窺うように私を見てきた。
「珍しいな。オメーが写真撮るなんて」
「そうか?」
「だってオメー、普段は何でも『見る』だろ。そのまま頭ン中に焼き付けて、写真なんか要らねぇぞってタイプだと」
そこで獅子神は、言葉を切った。
思い込みで私の性格を断じるのに、抵抗を感じたのかもしれない。或いは、そうして私のことを『見て』いる自分を披露するのが、恥ずかしくなったのか。
どちらにしても微笑ましく、私としては良い気分だった。
「
……
そうだな。確かに、普段はあまり撮らない方かもしれない。皆で集まった時の写真なら、叶が幾らでも送ってくれるしな」
「まあ、確かに」
「だが、今という時を残しておくのも、悪くないと思った。今しか、見られないものを」
——
今だけの、あなたを。
言葉の裏に、視線に、幾らそう匂わせてみたところで、きっと獅子神は読み取ろうとしない。だから、遠慮なくふんだんに熱を載せて、獅子神を見つめた。
流石に何かを感じたのか、獅子神がわずかに口元を歪める。言うべき言葉を探して、迷っているのが見てとれた。
「今しか、って
……
この菜の花とか?」
「花は来年も咲くだろう。おそらくな」
「じゃあ
……
」
相変わらずの自己評価の低さで、自分がその対象になり得るとは微塵も思い浮かばないらしい。もどかしくはあったが、いつもの事といえばまあそうなので、私は肩をすくめてから、にやりと唇の端を吊り上げてみせた。
「どちらかといえば、子供の成長記録を残すのに近いか。ようやく立ち上がったかと思えば、すぐに歩き、走り出す。這いずることしかできなかった頃のあどけない姿は、二度と戻って来ないからな」
「
……
は?」
「日々眺めて、脳に焼き付けていたとしても、日々眺めるからこそ上書きされていく部分も多い。だから皆、子供の写真を撮り、アルバムに残すのだろう?」
「オメーひょっとして、オレがガキも同然だって言ってんのかよ」
「ふふっ、さあな」
すいと視線を切って、先に歩き出す。満開の菜の花の黄色も、空の青も、目に眩しかった。
聴覚はしっかり背後に向けて、花の中を進む遊歩道を歩いていく。すぐに、後ろで彼の気配が動き、足音が近づいてきた。
「おい、村雨!」
ぐいと左肩に、力強い手がかかる。
驚いて、振り向いた。
「獅子神」
眼を見れば、彼も驚いていた。どうやら勢いで腕を伸ばし、私の肩を掴んでしまったらしい。
澄んだ薄青色の瞳が、戸惑いに揺れていた。自分の心すら測りかねて、混乱している。ましてや私の心中まで推し図る余裕は無いだろう。
「
……
獅子神」
囁くようにもう一度呼ぶと、ぽっと彼の頬に赤みが差した。脈拍が上昇し、私の肩にかけられた指がぴくりと震える。
——
悪くない兆候だった。
獅子神は、必要も無いのに、積極的に友人の心中を探るような性格ではない。
私が抱える、どうしようもないこの想いにも気づいていないだろう。
だが、無意識のうちに私に触れ、動揺している。それでいながら、手を引っ込めようとはしていない。
私に触れることを、忌避してはいないのだ。むしろ触れてもいいと思っている。
そして、それを私が受け止めたことに、驚いている。
何かが芽生え始めていることを、悟ったのだ。本能に近いレベルで。
——
今だけだ。
今ここにいるのは、まだ私の想いを知らないあなた。
遠からずこのあなたは消え、もう二度と会うことは叶わない。
だから、こうして写真に残しておこう。
私が初めて恋をしたあなたに、いつでも会えるように。
「
……
村雨?」
私の肩からそろそろと手を離し、軽く首を傾げて、獅子神が私を呼ぶ。そよ風が、ふわりと彼の前髪を揺らした。
半分隠れていた右眼が覗き、私は微笑む。
美しい、瞳だった。
「獅子神。もう一枚、あなたの写真を撮っても良いだろうか?」
私が問いかけると、彼は苦笑した。
「どーしたよ。さっきは勝手に撮ったクセに」
「だから、今回はちゃんと尋ねている」
「へーへー。どーぞ、先生」
「
……
では、こちらへ」
軽く辺りを見回して、私は獅子神を促す。よく開いた菜の花が密に集まる一画に、彼を導いた。
太陽の向きを確かめて、菜の花を背に獅子神が立つ。
光の中に。雄々しく、ゆったりと。
「眩しいか?」
「んにゃ、平気だぜ」
金糸の髪が、光を跳ね返してきらきらと輝く。まばゆいばかりの美しさに、私のほうが眼を細めた。
薄青色の二つの瞳は、まさに今日の空と同じ色だった。どこまでも優しく広がり、私を包んでくれる。
私を惹きつけたその眼が、私の想いを受け止めてくれることを願った。
「おい、村雨」
「何だ」
「撮るなら早く撮れって。なんか、照れちまうだろ」
「そうか?」
「そーだって。ほら」
「
……
わかった」
もう少し眺めていたい気分だったが、仕方がない。
私はスマートフォンのカメラを起動し直すと、目の前に掲げた。軽く息を吸って止め、腕を固定する。
「撮るぞ、獅子神」
「おう」
彼の瞳が、私を見つめる。迷いなく、まっすぐに。また風が吹いて、彼の髪を揺らした。
それが合図だったかのように、獅子神の雰囲気が綻んだ。頬筋のぎこちなさが消え、快活な表情が現れる。
太陽もかくやと思われる、まぶしい笑顔だった。屈託のない、嬉しそうな顔。これまで生きてきた苦難の道のりを経て、何故こうも明るく笑えるのかと、何度目にしても感嘆せずにはいられない。
私の大好きな、獅子神の笑顔。
「あぁ
……
美しいな」
彼に聞こえないように、小さく呟いた。
今は、そっと大切に味わっていよう。
春の太陽の光を浴びて、明るい菜の花の中に佇んだ、私しか知らないあなたの姿を。
いつか、共にこの日を思い返す時が来たら。
あなたがどれだけ素晴らしかったかを、飽きるほど語って聞かせられるように。
にっと口の端を大きく持ち上げた、最も彼らしい、輝く笑顔に向かって。
私は指先を画面に滑らせると、ぽんとシャッターの丸いボタンを押した。
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