果南(カナン)
2025-03-15 00:48:09
4036文字
Public さめしし
 

深紅は風のように

さめしし。ワンドロのお題「感謝」「ホワイトデー」で書きました。一緒に過ごせなさそうだったさめししのWDのお話です。VDの話と対になるように書き始めてみました。(初出:2025/03/14)



 今年のホワイトデーは、平日だ。
『バレンタインデーが平日なのだから、当然そうだろう。閏年ではないからな』
 二月は二十八日しかなくて七の倍数だから、必然的にバレンタインデーとホワイトデーは同じ曜日になる。つまり今年なら金曜日だ、と。
 蕩々と村雨に言われたものの、さすがにそれくらいはオレだって分かっている。ただ、二月と三月では同じ金曜日でも、ちょっと事情が違ってくるのだった。
 三月は、世間一般で言うところの年度の終わり。学校なら卒業、会社なら異動がつきもので、人々がそれぞれの形で別れを惜しむ儀式があちこちで発生する。
 そしてどうやら、病院でもそれは同じ——ということなのだった。


……すまない、獅子神」
 村雨が深いため息と共に、珍しくちゃんと頭を下げてそう言い出したのが、先々週のことだった。
「ホワイトデーの日が、医局の先輩の送別会になってしまった。これは、どうしても出席しなければならん」
「珍しいな、お前がそんな風に言うの」
 その時は本当にそう思って、オレは嫌味でも何でもなく、ただ感心と驚きで応えたつもりだった。
 が、人を見抜くことに関してオレより何倍も長けている村雨は、オレが自分でも気づいていない何かを敏感に嗅ぎ取ったらしい。額に寄せた皺を深くしながら、低い声で話を続けてきた。
「私が入局した時の、直接のオーベンだった先輩なのだが……いろいろあって市中病院に出ることになってな。他の先輩後輩なら欠席でいいだろうと思っていたのだが、オーベンの送別会となるとそうもいかん」
「なぁ、オーベンって何」
「あぁすまない。指導医のことだ」
「つまり、オメーの直接の上司って感じか?」
「どちらかと言えば、教育係だな。何もできないヒヨッ子だった頃の姿を知られている分、最も頭が上がらん相手だと思ってくれればいい」
「ふーん……
 村雨にもそういう新人の頃があったのか、想像つかねぇな、とか。
 そりゃお世話になった先輩の送別会なら出席すべきだよな、とか。
 この話の流れなら当然考えるようなことを考えて、オレは納得したつもりだった。
 バレンタインデーが終わった時には、ホワイトデーはぜひ私の家で過ごしてほしい、日頃の感謝の気持ちを込めてあなたに振る舞いたいものがある、と村雨は言ってくれていて、普段はオレの家で一緒にいることが多いから、久しぶりに村雨のところで過ごすのも何だか新鮮でいいな、と楽しみにしていたのはそうだけれど。
 ——仕方がない。
「獅子神」
 ひととおり考え終えるのを見ていたのかのように、村雨が絶妙なタイミングでオレを呼んだ。
「本当に申し訳ないと思っている。私から言い出したことなのに、このような」
 珍しく言葉を詰まらせた村雨は、オレでも簡単にわかるほど落ち込んだ風情を漂わせていて、とても恨み言なんか浴びせる気にはなれずに、オレは首を横に振った。
「いいって、別に。仕事みてぇなモンなんだろ」
「だが、あなたはとても残念そうにしている」
 即座に村雨が指摘してくる。
 オレは何も言い返せずに、黙り込むしかなかった。こういう状況でコイツの炯眼を逃れきるのは、不可能だ。
 村雨がそう言うってことは、オレが残念な気持ちを表に出してしまっていた、ってことで。
 隠したかったのに出てしまったのか、無意識のうちに気づけよと思って出していたのかは、もう問題じゃない。村雨がそう捉えている、それが全てだ。
 村雨だって、約束を果たせなくて凹んでる。
 だから、負担を与えたかったわけじゃないのに。
 今度はオレが、ため息をつく番だった。
「まぁ……うん、そりゃ楽しみにしてたからな。残念だなぁって思っちまうのは、当然っつーか……どうしようもねぇだろ」
……そうだな」
「でも、別にホワイトデー当日じゃねぇと、お前ん家で過ごせねぇってワケじゃねーだろ。また休みの日とかに、仕切り直しってことでいいんだろ」
 オレが言うと、村雨は大きく頷いた。
「勿論だ。今回の分の詫びも込めて、盛大にあなたを歓迎する。それに」
 すっと両手が伸びてくる。細い指先が横髪を梳き、手のひらが頬を包んだ。
「送別会に出るのはオーベンに感謝の意を表すためだが、私はそれ以上にあなたに、あふれる感謝を伝えたい。よって当日は、私が傍に居られなくても、必ずあなたに私の心が届くようにしてみせる」
 深紅の瞳が怖いくらいに真剣な光で、まっすぐにオレを射抜いてくる。口調はいつもの自信たっぷりな言い回しだったけれど、その眼には焦りというか、オレが思うよりも切羽詰まったものが滲み出ている気がした。
 苦手なんだろうか、と思う。
 自分の不手際で、相手を失望させる。普通に生きてりゃ誰だって、大なり小なりそういうことはあるだろうし、余程のコトじゃない限り何とかなると思うのだが、自信家の村雨はそういう事態に陥ること自体、慣れてないというか、我慢ならないのかもしれない。
 オレのことなら、そんなに気にしなくてもいいのに。
 確かに残念だと思ったけれど、仕方ないし。オレはそれで、慣れているし。
 そんなことで、お前がオレを蔑ろにしたなんて思わないから。
「村雨」
 オレも手を伸ばして、そっと村雨の頭に触れた。
 ぴくり、と一瞬体が震えたのが、指先に伝わって来る。
「お前の気持ちは、嬉しいけどさ。感謝がそれ以上とか以下とか、比べるモンじゃねーだろ、そういうのって」
……そうかもしれない」
「心配すんなって。信じてっから。送別会、ちゃんと頑張ってこいよ」
 言いながら、ゆっくりと髪を梳くようにして頭を撫でた。村雨がいつもオレにしてくれるのと同じように。
 本当にオレは、平気だから。
 どうか伝われ、と念じて。
……わかった」
 長いような、短い時間の後で。
 村雨はこくりと頷くと、ようやく口元の緊張を解いて微笑んだ。
「ありがとう、獅子神。あなたは本当に寛大だな」
「そうか? たまたまじゃねーかな」
「ふふ」
 いつもの余裕を取り戻した笑い方で、村雨が笑みを大きくする。実際の心中はどうにせよ、それは村雨らしい村雨で——だからオレも笑って、その晩は和やかに過ぎたのだった。



 そして、ホワイトデー当日の今日。
 太陽はまだ中天にも達していないというのに、オレは既に五回目くらいの宅配便に受取のサインをしていた。
 元々、夜からは(おそらく次の日も、下手したらさらに次の日も)村雨の家にいる予定だったから、ついでにと思って雑用係の二人にも休みをやっていて、家にいるのはオレだけだ。なので、全てのインターホンに自分で応答し、荷物を受け取ることになる。送り主を確かめるたびに頭を抱え、中身を開けて見るたびに思わず吹きだし、結局は愉快な気分になって一人で笑う、ということを繰り返していた。
 荷物の差し出し人は、当然すべて村雨。
 中身はその度に違って、おからクッキーだったり、青汁の詰め合わせだったり、高級な鶏ササミだったり、おまけのようにテンダーロインまでついてきていたりした。
 一応ホワイトデーの形態を踏まえつつ、オレの好きなものを考えてくれたのはいいとして、どうしても自分が食いたかったらしいテンダーロインが紛れているのが、いかに村雨らしい。開けてみてそれが出てきた時はさすがに爆笑してしまって、園田たちがいなくてよかった、とオレは本気で胸を撫で下ろした。あと、青汁はどれもウチにない銘柄ばかりが送られてきていて、いつの間に在庫を把握していたのかと思うと、ちょっと怖いような、背筋がぞわっとする気分にもなったりした。オレが飲むところを見ていたり、一緒に飲んだこともないわけじゃ無いが、それにしたってどういう眼をしてやがるのか、と思わずにはいられない。
「やっぱ、敵わねぇよなぁ」
 一人で口に出してそう言った時、またインターホンが鳴った。はいはい、ともはやモニターも覗かずに惰性で廊下を歩き、玄関の扉を開けて。
……獅子神」
 目の前に立つ姿に、唖然と口を開けた。
「むっ……村雨!? え? 何でだ!?」
「幽霊でも見たような顔をするな、マヌケ」
 村雨は呆れたように——でも嬉しそうに——肩をすくめると、にやりと笑った。
「午前の外来が運良く早く終われたので、口実を作って少しだけ抜けてきた。すぐに戻らねばならんが、これを」
 そう言って、左手に持っていたものをずいと差し出してくる。
 綺麗な細身の、深い紅色をした一本のバラの花だった。
「村雨……これ……
「急に花屋に飛び込んでという状況では、百本を束ねてというのは難しかったのでな。これで勘弁してほしい。だが一本の意味も、なかなか悪くないぞ」
 そうしてオレの手にバラを握らせて、そっと唇を重ねてきた。
「愛している、獅子神。いつもありがとう」
 囁くようにそう言って、唇を離す。
 そしてオレが何か言う間もなく、風のように玄関を出ていった。
「今の……
 後に残ったオレは、しばらく茫然としていた。
 まるで夢みたいだったけれど、手にしている紅いバラが、夢じゃなかったと教えてくれている。
「ふ……
 じわじわと、体の奥から何かが湧き上がってきて。
 あたたかくて、嬉しくて。
「ふふっ……は、はっ……あははっ!」
 オレは泣きそうになりながら、ひとりで笑い出していた。
 まったく、なんて無茶をするんだか。多忙極まるお医者サマだっていうのに。
 ホワイトデーだからって、ただそれだけで。
 バラの花なんか買って。
「あーほんと……もう……お前さぁ……

 大好きだよ、村雨。
 感謝してるのは、オレのほうだよ。

 手にした深紅のバラの花をくるくると回しながら、オレは笑顔で、涙の浮かんでくる眼を交互に何度も擦りながら、繰り返しそう呟き続けたのだった。