果南(カナン)
2025-03-07 23:02:34
4560文字
Public さめしし
 

恋する料理教室

さめしし。ワンドロのお題「花」「卒業」で書きました。
つき合っているさめししで、ししさんに少しずつ料理を習っているさめ先生のお話。
あなたに、祝ってもらいたくて。あなたに、喜んでもらいたくて。
さめ先生は左手ベースの両利きだと信じています^^



 借りているエプロンの紐を結び、シャツの袖を捲る。
 手を洗って、玉葱の皮を剥いていく。端に残った分と伸びかけている根も取り去ってから、間に隠れていた泥を再度洗い落とした。
 キッチンの台の上に据えられた、しみ一つない綺麗なまな板の上に、そっと玉葱を横たえる。左手で慎重に押さえ、右手に握った包丁の刃を、見定めた中央に当てがった。
 軽く力を込める。すっと刃が沈む。
 次の瞬間にはとん、と刃がまな板に当たり、縦に真っ二つに切られた玉葱は、じわりと水気の滲み出す断面を見せて転がった。
……ふふっ」
 私は包丁を握り直して、思わず微笑んだ。獅子神の道具はモノが良く、手入れも素晴らしい。このような厚みのある野菜を切るのにも余計な力が要らず、実に気持ちよく扱うことができる。消毒した皮膚に新品のメスの刃を当てて引く、あの瞬間——本当に何の抵抗もなく切れ目が開き、さっと白い真皮の線維と黄色い脂肪が覗く——ほどではないが、十分に楽に力を伝えることができるし、手に返ってくる感触も軽やかだった。握った時の重さのバランスも申し分ない。
 半分になった玉葱を伏せて置き、両端を落とす。まずは横向きに細く、均等に切れ目を入れていって、それから90[#「90」は縦中横]度回転させて押さえ直す。軽く息を吐いて整えてから、ざくざくと刃を落としていくと、細かい四角になった玉葱が反対側からこぼれ出して、まな板の上に広がっていった。
「どうだ、獅子神」
 残りの半分も同様に刻み終えたところで、私は顔を上げた。 
 カウンター越しに見ていた獅子神が、パチパチと拍手をしてくれる。
「いいんじゃね? いや、綺麗に切れてると思うぜ、ホント」
「それはよかった」
「ついでだから、もう一個いってみるか? そしたら夕食、それ使ってハンバーグになるけど」
「ふむ。悪くないな。やってみよう」
 私は獅子神の冷蔵庫から新たに玉葱を取り出して、皮を剥いた。先ほどと同じ手順で半分に割り、みじん切りにしていく。ほどなくまな板の上には細かく刻まれた玉葱が、薄く透き通る白い小山を作り上げた。
「おぉ、いいじゃねえか。切るのがだいぶ速くなってるし、粒も揃ってる。やっぱ器用だよなぁ」
 まな板の上を覗き込んだ獅子神が、感嘆の声を上げる。
「では、みじん切りに関しては、もう完璧ということでかまわないだろうか」
「おーいいぞ。野菜の基本コースその一、卒業だな」
 狙ったとおりの言葉を聞けて、思わずにまりと口の端が吊り上がる。が、獅子神は私の表情の変化には気づかず、みじん切りの玉葱と私の手をしげしげと見比べていた。
「ていうかオメー、さっき右手で包丁握ってたよな? どっちの手でも刃物扱えるって凄ぇな。練習、大変じゃなかったか?」
「元々、右手で扱うモノも多いからな。大して苦にはならん。内視鏡などでも同じだが、一から習得するとなれば、最初からそちらに合わせて修練を積むだけのことだ」
「へぇ……
 獅子神は感心しながらも、首を傾げている。まあ、この辺りの感覚は個人差が大きいだろうから、仕方がないだろう。
「それに、今後私が料理をするとしたら、あなたの家でするのだからな。あなたの道具に合わせて、右手で使うことに慣れる方が効率的だ」
「じゃオレが、オメーの家で料理作ってほしいなぁって言ったら? 左利き用の調理道具、一式プレゼントするぜ?」
「その時は、なるべく前向きに善処することを検討してみてもいい」
「オイ、やる気あんのかよ」
「ふふ」
 私は笑って、エプロンの紐の結び目をほどいた。体から外して軽く畳み、獅子神に差し出す。
「おう、お疲れさん」
 受け取った獅子神の眼を、じっと見つめた。
 薄青色の、快活な光を宿す、綺麗な瞳。
……な、何だよ」
 少し怯んだふうに、獅子神がこちらを見返してくる。私の意図を探ろうとして揺れる視線を、絡め取るように捉えて、口を開いた。
「卒業というからには、お祝いをしてほしいものだが」
「お、おぅ」
「花は、無いのか」
……ほぇ⁉︎」
 思った以上に素っ頓狂な声を出して、獅子神は後ずさった。口元を引き攣らせ、眉間に寄せた皺をぴくぴくと震わせながら、得体の知れないものでも見るような目つきを私に向けてくる。
「心外だな。そこまで驚かなくても」
 私がため息をつくと、獅子神は我に返ったように軽く首を振った。
「いや、だってよ……オメー、ストレスの塊だの呪物だの、言いたい放題だったじゃねーか」
「あれは好意を伝える手段としての話だっただろう。祝い事としての花の役割まで否定したつもりは無い。卒業といえば当然、花があって然るべきだろう」
「そーゆーもんか……?」
「そうだ」
 多少強引かもしれない、という思いも無いではなかったが、私は胸を張って、堂々と言い切った。素直な獅子神が、頭を抱えて長考に入る。
 あの思いやりクイズとやらで私が述べた解答は、よほど全員にとって印象深かったらしく、いまだに時々こういうことを言われる。嘘や強がりで言ったわけではないし、仕方がないといえばそうなのだが、こうして曲解や拡大解釈まで入ってきてしまうのは少々煩わしい事だった。
 他のマヌケ共はともかく、獅子神にまでそう思われているのは、困る。

 私だって、獅子神からきちんと祝われてみたい。 
 彼の贈ってくれる花ならば、受け取って大切にしたい。

 この私がこんなことを考え、悩むようになるとは。まったく恋というのは、どうしてこんなにも、わけのわからないモノなのだろうか。
 でも、どうしようもないのだ。
 私はもう、獅子神を愛している。この想いを手放すことなどできないし、彼のいなかった頃には戻れない。
 ——もう二度と。

……村雨」
 獅子神が顔を上げた。
 少し困ったような、呆れも含まれているような表情。だが、まっすぐに私に向けられた眼差しには、いつもの獅子神らしい優しさがあふれていた。
 怒っている顔では、ない。
「ごめんな、オレ……そこまで考えつかなくってさ。お前が一緒に料理の練習したい、って言ってくれたのが嬉しくって、それで舞い上がっちまったっつーか」
「それはかまわない。私もあなたと一緒だからこそ、やり甲斐もあったし楽しかった」
「ん、オレも。だからさ、今からお前用の花、準備すっから。ちょっと待っててくれねぇ?」
「わかった」
 私は一も二もなく頷いた。獅子神がそう思ってくれるのなら、待つことなど何の苦にもならない。
 獅子神は、ほっとしたように顔を綻ばせた。
「ありがとな。じゃ、座っててくれよ」
「あぁ」
 私はキッチンを離れ、リビングのソファーへ向かおうとした。てっきり獅子神も、花屋へ出かけて行くのか庭の花を切りに行くかで、同じようにキッチンを出るのだと思って。
 しかし獅子神は、その場に留まると、私が返却したエプロンを自分で被った。
「獅子神?」
 慣れた動作で後ろ手に紐を結びながら、獅子神は冷蔵庫に歩み寄る。扉を開け、迷わずに何かを取り出した。
 私は慌ててキッチンに駆け寄った。カウンター越しに、獅子神の手元を見つめる。
 みじん切りの玉葱をボウルに移して、獅子神は手早くまな板を洗う。布巾を出して水気を拭き、もう一度台の上に置いた。
「これ、薄切りじゃないと出来ねぇヤツだから。パックのほう使うけど、勘弁な」
 言いながら包装を開けて、まな板の上に並べたのはハムだった。朝食に厚く切って焼いてくれる塊のほうではなく、機械で薄切りにされて、数枚ずつ詰められているハム。
 わけがわからないまま私が立ちつくしているうちに、獅子神は小さな包丁を持ち、ハムの中央に切れ目を入れていく。すっすっと細い間隔で幾本も線を走らせると、それを横切るようにハムを半分に折り、くるくると端から丸めた。
「ほら、村雨。これ」
……!」
 獅子神が差し出してくれたものを見て、私は目をみはった。
 輪になったハムの帯が重なりながら丸く開き、あたかも菊かバラの花のような形になっている。実際に作るところを見たので理屈としては理解できたが、その形の綺麗さ、獅子神の手際の良さには、やはり唸らざるを得なかった。
「獅子神、その」
 私が言葉に詰まりながら視線を上げると、獅子神は微笑んだ。
「今からもっと数作って、ちゃんと盛りつけるけどさ。とりあえず、最初の一輪な。野菜の基本コースその一、卒業おめでとう、村雨」
 指先で掲げた小さなハムの花を、言祝ぎと共に獅子神が差し出してくれる。
 私はカウンター越しに上体を乗り出して、その手からぱくりと花を咥え取った。
 ハムに切れ目を入れて巻いたのだから、当然ハムの味だ。が、私の無茶振りに応えて獅子神が作ってくれたのだと思うと、ぐっと体の奥から熱いものが沸き上がってくる気がした。

 私の恋人は、こんなにも優しく、機転にあふれ、愛情深い。
 自分に出来る限りのことをして、私を喜ばせようとしてくれる。
 それで、十分すぎるほどではないだろうか。

……獅子神」
 私は左手を伸ばして、獅子神の手を取った。ハムの花を支えていた指先に、改めて口づける。
「ありがとう。あなたの寛大さと優しさに感謝する」
「いや、別にこれくらい」
「ハムの花も、悪くないな。創意工夫が感じられて、可愛らしい」
「ははっ、まあ弁当とかに詰めるやつとしては、有名なんだけどさ。ちぎれずに細く切って開かせようと思ったら、ちょっとした工夫は要るんだぜ」
「ほう、弁当か。では、次に私に作ってくれる時にも、是非これを入れてみてほしい」
「おぅ、いいぜ」
 獅子神が、笑う。大輪の花が開くように、ふわりと明るく。
 屈託のない素直な笑顔は、本当に太陽のように眩しくて。
 見ていると嬉しくなって、自然に私も微笑んでしまう。
「んじゃ、残りも作っちまうから。そこで見とくか?」
「あぁ。そうさせてもらおう」
 私はダイニングテーブルから椅子を運んでくると、カウンターの傍に置いて腰掛けた。リズミカルに動き始めた獅子神の手と、いきいきとして真剣な瞳を交互に眺める。
 野菜の基本コースその一は卒業、と言っていたのだから、同じコースのその二や、他のコースも考えてくれているのだろう。そうして獅子神から料理を教わっていけば、いつか私も料理が作れるようになる。
 彼のように、煩い面々の誰もを唸らせるような料理人になれるとは思わない。そのレベルに達するほどの練習時間も、料理に対する情熱も、私は持ち合わせていない。

 でも、獅子神を喜ばせるための料理なら、作れるようになってみたいと思う。
 その為に彼が設定してくれるコースなら、学んで、卒業していきたいと思う。

……まったく、私はあなたに夢中だな」
「どーしたよ、今さら」
 おかしそうに笑った獅子神が、頬を薔薇色に染めながら、ほら出来たぜ、と皿を突き出してくる。照れ隠しゆえに少々荒く置かれた皿には鮮やかな緑色のレタスが敷かれ、美しく開いたハムの花が溢れんばかりに、いかにも春らしい、あたたかい桃色で咲き誇っていた。