果南(カナン)
2025-03-05 07:19:43
2705文字
Public さめしし
 

二人まで、秒読み

さめしし。ししさんの秘密の記念日が、ふたりのものになる小話です。3月4日はさしの日!て当日の朝に聞いて、思いついたのを急いで書きました。(初出:2025/03/04)



 大きなヒレ肉のステーキに、付け合わせはグリルでじっくり焼いた野菜。じゃがいもと林檎をざくざくに入れたポテトサラダ、朝食の分までたっぷり作ったコーンスープ。厚めに切ってトーストしたバゲットもしっかりおかわりをして、村雨の食事は終盤に差しかかっていた。
 今日は遅くなってもいいからウチに来てほしい、と今朝オレが言った時、村雨はちょっとだけ怪訝そうな顔をしていた。そして、仕事を終えて夜になってやって来て、オレが並べた夕食を見てから、もう一度同じ顔になっていた。それでも食欲には勝てなかったのか、とりあえず食事を始めて、今に至っている。
 相変わらず、気持ちのいい食べっぷりだ。この細い体のどこに収まっているんだろうと毎回思うが、見るからに美味そうにすいすいと食ってくれるのには、いつでも嬉しくなる。
 ——最初から、そうだった。
「プリンもあるけど。食うか?」
「無論、いただこう」
 硬めに蒸して冷やしておいたプリンを型から出し、一緒に準備しておいたホイップクリームをのせる。大粒のイチゴも併せて盛りつけて、テーブルに運んでいった。
 またもや村雨が、怪訝そうな顔をする。
……獅子神」
「ん? どーした?」
「いや、美味そうだ。ありがとう」
 どうやら、疑問をぶつけてくるのは食べ終えた後にするらしい。軽く頷いて、気持ちを切り替えたらしい村雨は、嬉しそうにデザートを満喫していく。あっという間に空になった皿を下げるために立ち上がりながら、オレはできるだけ何気ない風を装って尋ねてみた。
「お前、この後まだ、勉強とか仕事とかしたりする?」
 村雨は最後のイチゴを飲み込んでから、小さく首を横に振った。
「いや、今日はもう疲れた。あなたと一緒に、ゆっくり休みたい」
「んじゃ、これ飲もうぜ」
 下げた皿を流しに置き、冷蔵庫の扉を開けた。小さめの緑色の瓶とグラス二つを取り出して、テーブルに向かう。
 ラベルを村雨に向けて瓶を置くと、今度こそ村雨は怪訝そうな顔を通り越して、眼をみはった。
「どうしたのだ、獅子神」
 深紅の瞳が、ひたりとオレを見据えてくる。
 オレは素知らぬ風情で、肩をすくめてみせた。
「どうした、って……別に」
「あなたが自分からアルコール類を出すのは、極めて珍しいだろう。今日は、私は急かした覚えはないぞ」
「わかってるって。美味そうだったからたまには、って思って買ったんだよ。飲むなら、お前と一緒がいいだろ?」
 スクリューキャップだったので難なく開けて、冷やしておいたグラスに注いでいく。村雨の視線が、グラスの中で踊る薄黄色の液体と、オレの顔とを行き来した。
 低い声が、慎重に言葉を紡いでくる。
「あなたの今日の振舞いを見ていると、どうも何かの記念日でも祝っているかのように感じられる。あなたから口に出して家に来てくれというのがそもそも稀だし、表情筋の弛緩や足取りの軽さが終始目立っている。料理もいつもにも増して美味しく、手間をかけて作られていると思えた」
「さすがだな、村雨先生」
 記念日、とすっぱり言われて、素直に感心した声が出た。そう、そこは大正解なのだ。
 でも村雨は、用心深い口調を崩そうとはしなかった。軽く眉根を寄せて、言葉を続けてくる。
「だが残念なことに、何の記念日なのかが、私にはわからない。互いの誕生日でもないし、私とあなたが出逢った日でもない。タッグマッチの日、恋人としてつき合い始めた日、初めて深く結ばれた日……いずれも該当しないな。第三者が関連する事なら、あなたはその者をちゃんと同席させるだろうから、これも可能性から除外される。となると……
「あまり考えすぎんなって。まぁ、オレにとってはけっこう大切な日なんだよ」
 滅多に飲まない白ワインの、小さなグラスを持ち上げた。軽く掲げると、村雨もグラスを持った腕を伸ばしてくる。
「お疲れ、村雨。ありがとな」
……あぁ。あなたもな」
 テーブル越しに、グラスを触れ合わせる。こん、と可愛らしく澄んだ音が響いた。
 つめたいグラスに口をつけて、傾ける。国内産の生ワインという触れ込みの液体は、剥いたばかりの巨峰のような香りがした。少し青さがあって、みずみずしい。とろりと甘い感触で、なめらかに喉をすべり落ちていく。
 オレは同じようにワインを飲んだ村雨を見つめて、微笑んだ。
「どうした、獅子神」
 村雨がオレを、見つめ返してくる。視線に軽い驚きを込めて。
「本当に今日は、随分と上機嫌なのだな」
「そーだな。嬉しいんだ」
「ほう」
「だってさ……
 言いかけて、やっぱり照れくさくなって、言葉を止めた。置きかけたグラスを持ち直して、白ワインをもうひと口飲み込む。
 村雨が呆れたように笑って、目を細めた。
「どうしても、私には教えてくれないのか」
「うーん……ま、いいだろ。たまには、こーゆーのも」
「良くはない。が、後ほどベッドの上で、とろとろに蕩けさせたあなたに訊けば済むことだからな。楽しみが増えたと思って、今は大目に見よう」
「何だよ、それ。怖ぇなあ」
 オレも笑って応じながら、小さなグラスを揺らした。淡く黄色を帯びた液面が動いて、電灯の光を跳ね返す。
 きらきら光って、ゆらゆら揺れて。
 今の、オレの心みたいだった。

 別に、村雨に教えたって構わないんだ。どうせコイツが本気になったら、オレが隠しておけることなんか無い。この白ワインと同じで、あっという間に全部飲み込まれてしまう。
 それでもいいか、共有してみたいな、て思ったから、こんなコトしてるわけだし。

 でも、他愛のない秘密があるっていうのも、なんか楽しい。
 知ったら村雨がどんな顔するんだろう、て考えると、悪いけどちょっと面白い。

……村雨」
「ん?」
「好きだよ。ありがとな」

 ——その気持ちを、初めてあの時に、自覚した。
 どきどきして、みっともなく狼狽えて。まるで途方もない迷路に突き落とされてしまったみたいに、右を見ても左を見ても、どうしたらいいか分からなかったあの日。
 今ではもう、遠い昔のコトみたいな気がする。懐かしくて、我が事ながら初心すぎて、微笑ましい。
 もう二度と、あんな気持ちは味わえないんだろう。

 そう。今日は、オレが恋に落ちた記念日。
 小っ恥ずかしいし、今さら何をって思われるかもしれないけれど、オレにとっては凄ぇコトが起こった日だから。

 あと少しだけ——このまま秘密にして、オレだけの記念日で楽しませてほしい。
 その後はずっと、二人の記念日になるからさ。