果南(カナン)
2025-02-22 04:49:38
4387文字
Public さめしし
 

やわらかな青

さめしし。ワンドロのお題「空」「求める」で書きました。つき合ってるさめししで、DCL後のししさんが死者に祈りを捧げるお話。
あの時からもう、そう言ってくれていたことに、気がついた日。(初出:2025/02/21)


 ゆっくりと目を開けると、賽銭箱が見えた。
 合掌を解き、顔を上げる。大きな拝殿の奥は薄暗く、ひっそりと静かだった。
 一礼をして踵を返し、数段の石造りの階段を下りる。狛犬の傍らで待っていた村雨が、じっとこちらを見ていた。
「済んだのか」
「あぁ」
 短く答えたが、村雨はひたりとオレに視線を据えたままだった。すべてを見抜き、揺るぎない診断を下す眼が、油断なくオレを見つめている。
「ずいぶん長かったが、何を願っていた?」
「願い事じゃねーよ」
「だが、あなたはわざわざ車に乗って、このように大きな神社まで来た。何かそれなりの理由はあるのだろう?」
 淡々とした口調だったが、内にはしっかりと鋭さが潜んでいる。オレの回答を聞くまでは一歩も引かない、という風情だった。
 もっともオレだって、隠したいワケじゃない。
 それならわざわざ、村雨を連れて来たりはしない。平日の昼にでも、ひとりで来ればいいだけのことだ。
 だから、そんなに構えてくれなくたって大丈夫なのだが。
……何がおかしい」
 ちょっとムキになっている村雨がかわいいな、と思っていたら、しっかり表情に出ていたらしい。村雨が声のトーンを数段下げて、オレを睨んできた。
 苦笑しながら、言葉を返す。
「別に、笑ったワケじゃねえって。ちゃんと話すから」
「ほう」
「あっち行こうぜ。そのほうが静かだし」
 上等そうな紺色のコートを着込んだ、村雨の背中に手のひらを当てる。軽く押して促し、歩き出した。


 拝殿前の門をくぐり、メインの参道からはずれて、今は茶色い蔓だけが絡みついている藤棚の前を抜ける。売店と茶屋の前も通り過ぎて、奥の池のほうへ向かった。
「すまなかったな、休みの日につき合わせて」
 歩きながら声をかけると、村雨はふるふると首を横に振った。
「問題ない。このような天気の良い日に、あなたとドライブができて楽しかった」
「ンなら、よかったけど」
「帰りもサービスエリアに寄ってもらっていいだろうか。兄の家への土産を買いたい」
「一希さんの?」
「ちょうど明日の晩、訪れる約束になっている。実家の事で相談があるとかで。あなたも来るか?」
……悪ィ、明日は仕事の会食だわ。ごめんな」
「ならばいい。気にするな……オレなんかが行くのは、と変な遠慮をしなくなっただけ随分マシだ」
「へーへー」
 実はちょっとそう言いかけて止めたところだったので、相変わらずの村雨の炯眼ぶりに舌を巻きながら、オレは肩をすくめた。
 そんな他愛無い話をしていたら、池が見えてきた。今歩いている小道よりも低い位置にあって、斜面に木を組んだ階段で近くまで降りていくようになっている。
 あまり深刻な雰囲気にしたくなかったので、歩いているうちにと話を切り出した。
「今日、ここに来たのはさ」
 村雨が無言で、意識をそば立ててきた。
 少し歩調を落として、階段を降りていく。幅の広い段で、村雨と並んで下って行けた。
「ちゃんと、一度は謝って……祈っておかなきゃって思ったんだ。オレが殺してしまったヤツに」
……時雨か」
 村雨の眼が、鋭く光る。何があった、と問う目つきだったので、答えを返した。
「出てきた。叶との、試合中に」
「何?」
「けっこう痛ェこと言われたよ。仕方ねぇけど。ま、もう終わったことだけどさ」
……
「それで思ったんだよ。賭場で殺し合ったからって、相手の葬式に出たりするワケじゃねえだろ。だから、大変だったな、どうか安らかに眠ってくれ、ってちゃんと祈ったりしてなかったなぁってさ」
「成仏を祈るなら、寺か墓前ではないのか」
「アイツの菩提寺とか、どこに墓があるのかとか分かんねぇだろ。だったら、自分がゆっくり祈れる場所にしようと思って。でも天堂の教会だと、なんか落ち着かねえし。知ってる中でこの神社が一番凄ぇから、ここに来た」
「なるほど」
 村雨はいちおう合点がいった様子で頷いた。
 ちょうど池のほとりに着いたので、オレは足を止めた。大きな池で、向こう側は鬱蒼とした森になっている。参拝客が来るたびに餌を貰っているのだろう、デカく図太く育った鯉が、何匹も岸の近くで群れていた。
 オレはコートのポケットに両手を突っ込んで、池と空を眺めた。風が吹くと流石に寒いが、太陽の光はあたたかい。さざ波の立つ池の水面が、反射できらきらと輝いていた。
 広がる空は、青色が薄くてやわらかい。透きとおるような美しさだったが、真冬の冷たさを感じる晴れの日と違って、どこか優しい印象があった。途切れながら浮かぶ白い雲に、淡い藍色の陰が落ちている。
「こんな綺麗で澄んだ空の日なら、ちゃんと天国に昇っていけるんじゃねえかなって。別れを告げるには、ふさわしい日なのかもなって」
 思ったままに口にすると、隣から鋭く村雨の視線が飛んできた。
 何か言われる前に振り向いて、口元だけで笑う。
「わかってる。全部、オレの勝手だよ。オレが自分でそう思いたいだけ、勝手にケジメをつけた気になって、安心したいだけなんだ」
……獅子神」
「でも、オレは止められないからさ……今の、オレの生き方を」

 強さを求めることを。
 憧れ続けた、ピカピカの輝きを。
 オレは、諦めることができない。コイツらに負けたままで、立ち止まることなんかできない。
 だから、何とかケリをつけて、前に進まなきゃいけない。

 ポケットから出して、右手を見つめた。傷痕を握りしめ、ぱん、と左の手のひらに打ちつける。
 隣で村雨がオレに視線を向けたまま、かすかに眉をひそめるのがわかった。
 たぶん伝わっている。だから、待った。
 小言でも、説教でも。村雨がオレに言いたいことを組み立てるのを。

「獅子神」
 ややあって、村雨はゆっくりと口を開いた。
「あなたが私に求めるなら、私があなたを許してもいい」
「え?」
 一瞬、何を言われたのかわからなくて混乱する。
 許す、だなんて村雨らしくない言い方だと思った。どちらかというと、天堂の領分だろう。口調も固い。 
「でもお前、それ本意じゃねぇだろ」
「そうだな」
 ためしに言ってみると、村雨はあっさりと頷いた。
「あのなぁ、村雨」
 じゃあ何でそんなこと言ったんだよ、と思ったが、オレがそれを口に出すより早く、村雨は言葉を続けてきた。
「不本意なのは、私ならもっと他に、あなたにしてやれることがあるからだ。私にしかできないことが」
「お前にしか、できないこと?」
「そうだ」
 村雨は真面目な顔で、首を縦に動かした。
 深紅の双眸が放つ強い視線が、ぴたりとオレに据えられている。心の底まで、まっすぐに射抜くかのようだった。
……キスとかハグとか、そういうことじゃねえよな」
「表現の一端として含まれはするが、この場合は本筋ではない」
 わからないかマヌケ、と顔にでかでかと書いて、村雨はじっとオレを見つめていた。

 オレはちょっと迷って、考え込んだ。
 いろいろ探って、問答しながら正解に近づくのが、まあ妥当なんだろう。
 でも村雨の雰囲気はわりと柔らかいし、甘えてみてもいいんじゃないかという気がした。
 せっかく一緒に来てもらったんだし。
 無理せず、見栄も張らず。気持ちをリラックスさせて。

「わかんねぇわ。降参」
 オレは両手を顔の高さまで上げて、軽く振ってみせた。
 ムッとした表情になった村雨を視線で宥めて、鋭く光る瞳をしっかりと見つめ返す。
「ていうかさ、お前の言葉で聴いてみたいんだよな。ダメかなぁ」
……
「マヌケでも何でも、その後で言ってくれていいからさ。教えてくれよ、村雨」

……わかった」
 村雨は頷くと、一度視線を外して、空を見上げた。
 早春の、明るい水色の空。透きとおったその光が、村雨の眼鏡と深い紅の瞳を撫でる。冬の冷たさの残る風が吹き、硬い黒髪を揺らして奥の桜色を閃かせた。
 同じように隣に立っているんだから、オレのほうが目線は高い。でもその瞬間、村雨の姿がとても大きく見えた。
 まるでずっと下から見上げているみたいだと思った。そう、オレは椅子に座ったままで、村雨はオレを見下ろしていて——

 あの時だ。
 ゲームが終わって、あとは帰るばかりで。
 なのに、オレは立ち上がれなかった。
 あの時に見上げた、村雨の姿。それが今の村雨に、重なっている。

 村雨はマヌケ、とオレを罵り、容赦なく正論を叩きつけて、自分とお兄さんのことを語ってくれた。
 でも、それだけじゃなかった。
 あの時、村雨はとても大事なことを言ってくれていたんだ。

「獅子神」
 村雨がこちらを向いて、微笑んだ。オレが気づいたことを、知っている顔で。
 そうして、言葉を続けた。
 ——オレが思い出したのと、同じ言葉を。
「言っただろう、獅子神。二人で拷問にかけたのだ、と。私たちは二人で、あれを成したのだ。そして、勝った」
……あぁ」
「私は、罪悪感は抱かない。私たちはルールの中で戦ったのだからな。だが、あなたが彼の死を、そしてそれを悼む自分を、背負い続けると言うのなら」
 村雨の左手が、すっとオレの手を取った。
 少しつめたい指先が、手のひらの傷を撫でる。それから包み込むように右手を握ってきた。
「私もそれを共に背負おう……獅子神。あなたを、ひとりにはしない。これは私にしかできないことだ」
「村雨……
「わかったか、マヌケ」
 つややかな唇の端が、にやりと持ち上げられた。
 空いていた右手の指先が、とんと額を突いてくる。そのまま手のひらが、そっとオレの頬に添えられた。
「だからあなたは、存分に悩めばいい。その優しさも、割り切れなさも、あなたの強さだ」
 低く、あたたかな声がオレの鼓膜を震わせる。早春の風に乗って、やわらかな薄青の空に溶けていく。
 オレは腕を伸ばして、村雨を抱きしめた。
「獅子神」
「ありがとう、村雨」
 少し、声が震えた。カッコ悪いけど、まあ仕方がない。
「オレ……大好きだから」
……ん」
「感謝してるから。愛してるから」
「わかっている」
 笑みを含んだ、でも確かな声で言って、村雨もオレを抱きしめてくれた。
 その幸せに、泣きそうになる。

 どんなに苦しくても、オレが求める答えは、オレが探すしかない。
 でも、隣には村雨がいてくれるんだ。
 ずっと、一緒に。

 唇を重ね、額をこつんとぶつけて、笑い合った。見上げる村雨の視線を追って、もう一度空に眼を向ける。
 早春の青空は淡くやわらかい色で、どこまでも優しく広がっている。切れぎれに浮かぶ白い雲を結ぶようにして、大きな鳥が一羽、ゆっくりと円を描いて飛んでいった。