果南(カナン)
2025-02-14 23:06:06
5484文字
Public さめしし
 

幾重にも、優しさに

さめしし。ワンドロのお題「バレンタインデー」「包む」で書きました。
つき合っているさめししの、甘いバレンタインデー。あなたも、あなたの家も、すべてがあなたの優しさ。
フレンズが作っていたお菓子は「ラムボール」。古い子供用の料理本に載っているレシピです。


 今年のバレンタインデーは、平日だ。
 とは言っても、金曜日。これから週末だと浮き足立ち、退勤後に意気揚々と恋人と待ち合わせるか、あるいは家族の待つ家に急ぎ足で帰る、そんな者たちが大半だろう。午後の時間が進むにつれて、病棟にも医局にもどこか華やいだ、そして弛んだ空気が漂っていく。浮ついて、分かりやすくソワソワする者が増えてくる。
 そう。平日ということは、これ幸いと義理チョコが飛び交うということでもあるのだ。
 病棟の看護師、手術場の看護師。内視鏡室や透視室のスタッフに、外来の事務員、同じ医局の女性達。この辺りはまだ合点がいくが、こちらの範疇では到底理解不能な相手からも、時としてチョコレートは舞い込んでくる。それらを誰かが渡してくれた紙袋に詰め込み、これ以上溢れる前にと急いで病棟での指示出しを終えて、私は医局の自分の机まで何とか帰ってきた。ここなら医者以外は殆ど——掃除やリネンの係、用事のある事務員などは別として——入ってこない。
 どさりと紙袋を机に置き、共用の湯沸かしポットでコーヒーを淹れていると、部屋にいた先輩達があれこれと話しているのが聞こえてきた。何処そこの誰から貰った、今年はあの子がくれなかった、と実にくだらない話ばかりだ。村雨すげえなチョコの数、さすが独身は違うな、と声をかけられたが、失礼のない程度に適当にあしらって自分の机に戻る。コーヒーで満たしたマグカップを前に、深くため息をついた。
 所詮は、義理チョコ。日頃の感謝をマヌケ同士でも分かりやすく表現し、職場の人間関係を円滑にする。ただそれだけのことが、何故斯くも大騒ぎになるのか。何とも理解しがたく、嘆かわしい。
 そもそも貰えば貰うほど、ひと月後には何らかのお返しをしなくてはならないのだ。こちらは世に広く高収入と認識されている職種の医者であり、ある程度値の張るお返しを期待してチョコを渡してくる者も多い。幸いにして金には困ってないとはいえ、職場の平和の為にそのような欲求に応えねばならないのは、少なからず面倒な事だった。
 つまり、手元に集まる義理チョコがいくら増えたところで、嬉しいことなどひとつも無い。
 愛しい恋人から貰う以外のチョコレートに、いったい何の意味があるというのだろう。
 また口から出かけたため息を呑み込んで、白衣のポケットからスマートフォンを引っぱり出す。今日は獅子神は、彼らの相手をしているはずだった。が、こちらが多忙すぎて全然様子を窺えていない。
 画面を見ると、メッセージアプリの通知が凄い数になっていた。右手でコーヒーのマグカップを持ち上げながら、左手で元凶になっているグループを開く。
 まず眼に飛び込んできたのは、山盛りになった菓子の写真だった。トリュフのようなひと口大の丸い菓子で、表面にはココアの粉やシュガーパウダー、或いはチョコレートスプレー、刻みアーモンドといったものがてんでにまぶされている。それなりに美味しそうに見えたが、獅子神が作ったにしては稚拙だと思えた。
 画面をスクロールさせて、メッセージの流れを追う。
『見て、村雨さん! なかなかうまく出来たでしょ?』
『神は常に進歩している。生地を丸め、馥郁たる白き粉を振りまいたぞ』
『オメーは粉砂糖ぶちまけただけだろーが! 丸めるのも超でっかくしやがって!』
『敬一君おススメの、初心者向けの簡単バレンタインレシピらしいぞ! おかげで何とかカタチになって、明日のオレの動画も安泰ってワケだ。流石は敬一君だな!』
 それで経緯は掴めたので、あとは他愛ない会話を適当に流し見ていく。相変わらず獅子神の寛容さにつけ込んで、遠慮なく騒いで遊んだらしい。尤も、当の獅子神がそうして彼らの世話を焼くのを良しとしている以上、私が強く口を出せることでもない。忸怩たる点があるとすれば、自分がその場に居られず、いきいきと立ち回る楽しそうな獅子神を見られないことだった。
 私は、医者なのだから。それも仕方のないことで。
 にも関わらず、時々こうしてもどかしい思いが、私を包む。
 本当に恋というのは、ままならないものだ。
 ぐいとマグカップの中のコーヒーを飲み込んで、さらに画面をスクロールしていく。最後のメッセージは、数分前だった。
『安心していいぞ礼二君! オレ達ちゃんともうすぐ帰るからな!』
『獅子神さんの努力を無にしちゃ可哀想だしね』
『神は万能だ。当然、気遣いもできる』
『あっコラ! テメェらオレが片付けてる間に好き勝手言ってんじゃねーよ!』
 わずかに口元が緩むのを感じながら、グループの画面を閉じる。一覧に戻ると獅子神個人の名前の横に、先ほどは無かった新着のマークが付いていた。
『てなわけで、待ってるから。でも無理はすんなよ』
「獅子神」
 恋人の優しい言葉に、心拍数が跳ね上がりかける。が、返事を打ち始める前にピリリリリ、と呼び出し音が鳴った。
……やれやれ、だな」
 スマートフォンの画面を消し、マグカップを机に置く。今度こそもう一度ため息をついて、院内用のPHSの受話ボタンを押した。



 幸いなことに、その後の仕事は比較的順調に片付いた。
 今日という日をあと数時間残して、私は獅子神の家の前に立っていた。インターホンを押すと、門扉の鍵が外れる。
「おかえり、村雨」
 玄関を開けた獅子神が、微笑みと共に出迎えてくれた。
「ただいま、獅子神」
 私も微笑み返すと、視線が絡んだ。一瞬見つめ合うと、獅子神が玄関の扉を閉めながらそっと頬に口づけてくれる。
「あなたは随分と察しが良くなった」
「オメーが、素直になったんだろ」
 苦笑する獅子神に続いて、家に上がる。リビングに鞄を置き、手を洗って、ソファーの定位置に落ち着いた。
「夕飯、食うよな?」
「できればお願いしたい」
「もちろん、いいぜ。ちょっと待ってろよ」
 獅子神は機嫌よく応えると、キッチンに入っていった。
 私はリビングを見渡すと、ソファーの上で脚を伸ばした。上着を脱ぎ、背もたれに体重を預けて、眼を閉じる。
 何時間か前まで彼らが居たはずだが、その痕跡は微塵も無かった。匂いも残っていない。いつもの、獅子神の家だ。
 きっと彼らが帰った後で綺麗に片付けて、空気も入れ換えてくれたのだろう。事もなげにそれらをこなし、特に恩着せがましい様子も見せずに自然に振舞っていることを考えると、やはり獅子神の寛容さ、拘らなさには舌を巻かざるを得なかった。
 心地よく整えられたこの家は、獅子神そのもの。
 私は今、そこに迎え入れられ、こうして包まれている。
「ふふ……
 我知らず笑いが漏れるほどには、良い気分だった。瞼を下ろしたままで、キッチンで動く獅子神の気配に耳をすませる。
 そうしているうちに、うとうとと微睡んだらしかった。
「起きられるか? 村雨」
 すぐ傍で声をかけられて、ぱっと目を開けた。隣に腰を下ろした獅子神が、私を覗き込んでいる。
……大丈夫だ」
「んじゃ、来いよ。メシできたぜ」
 促されるままに、ダイニングテーブルに移動する。既に食事の支度が整えられ、美味しそうな香りを漂わせていた。
 いただきます、と手を合わせ、早速ナイフとフォークを握った。
 鶏もも肉のマスタードチーズ焼きに、コーンのソテーと、甘くやわらかく煮られた人参のグラッセ。緑の冴えたブロッコリーに、新鮮な葉野菜のサラダ。スープの旨みもパンの香ばしさも申し分ない。
 獅子神は正面の席に腰掛けて、私が食べる様子を見守りながら、さりげなく今日の話をしてくれた。内容は主にどんな菓子を作ったかで、各人の様子にはあまり触れてこない。その場にいなかった私に気を遣ってくれているのがよくわかった。
 いつもこうだっただろうか、とふと思う。
 今日の獅子神は、殊更に心を砕いてくれているように思える。勿論、優しくよく気のつくのは元からだがそれでも、だ。
 私は何か、そんな気遣いを強いる態度を示していただろうか。
 それとも、獅子神はいつもと同じで。私が今まで気づけなかっただけなのだろうか。
「獅子神」
 いつもどおりの美味しい料理を食べ終えて、私は獅子神に向き直った。
「ん?」
「今日のあなたは、一段と私に気を遣ってくれているように思える。私は、あなたに……何か不機嫌を現すような言動をしてしまっていただろうか?」
「えっ⁈ いや、それは」
 獅子神は心外といった様子で驚き、何かを言いかけたが、私は視線でそれを制して話を続けた。
「私としてはいつもと同様に振舞っていたつもりだが、洞察力の向上したあなたが、思わぬ徴候を私から読み取っていた可能性もある。だとしたら、私にもそれを踏まえての修正が必要だ」
「う、うーん……
「私はあなたの優しさ、寛容さに敬意を抱いている。大切なあなたを、不用意に怯えさせたり傷つけたりはしたくない。だから獅子神、私の疑問に答えてくれないだろうか」
 一気にそこまでを言って、私はグラスに注がれていた水を飲んだ。正面で腕組みをして眉根を寄せ、首を傾げている獅子神をじっと見つめる。
 何を言われたとしても、冷静でいなければと思った。
 私は、獅子神を愛している。

 だから受け止めて、前に進まなければならない。
 獅子神を失うことなど、考えられないのだから。

 静かに呼吸をして、思考を落ち着かせようとした。心拍数を数え、暗算を繰り返して、待つ時間を無駄に長く感じないように脳内で数値化する。
 ほどなく獅子神が腕組みを解き、ふっと笑った。
「村雨」
……何だ」
「オメーは、何つーか……そういうトコ、やっぱ不器用だよなぁ」
 まぁそこが可愛いし好きなんだけどさ、と続けて、獅子神は立ち上がった。
「確かに、最初はちょっと思ったよ。オメーだけ仕事で来られなかったから、不機嫌なのかなって。メッセージにも全然返信しなかっただろ」
「それは、読んだ途端に仕事で呼ばれたからだが」
 私が答えると、獅子神は頷いた。
「だよなぁ。お前が来た時の顔見たらもう、それはわかったんだよな」
 言いながら手を伸ばして、空になった食器を重ねていく。片手でひょいと持ち上げて、キッチンに運んでいった。
 ざあっと水を出す音に重なって、獅子神の声は続いた。
「だからさ、村雨。別にお前が悪いわけじゃないってコトで」
「しかし、獅子神」
 それでは、あなたの態度は。
 一体どういうことなのか。
「うーん……つまり、さ」
 水の音が止まった。
 獅子神が手を拭いて、冷蔵庫を開ける。何かの皿を取り出して運んでくると、ことりと私の前に置いた。
「こういうコトだよ、村雨」
「え……
 目の前に置かれた物体を、私は凝視した。
 白い皿の上に置かれた、小さなホールのケーキ。つやつやと輝くなめらかなチョコレートで覆われ、可憐な花を象った砂糖菓子が載せられていた。
 花の傍らには大粒のいちごが幾つも並べられて、銀色のアラザンで飾られている。そして、ケーキの上面の空いたスペースには、やや歪なホワイトチョコの線で、グラスコードの付いた眼鏡が描かれていた。
「これは……あなたが?」
 私が問うと、獅子神は顔を赤らめた。
「そーだよ。チョコペンあんまり使ったコトなかったから、けっこう練習したぜ。まぁ、それでもまだ線がヨレてるけどさ」
「では、真経津の言っていた努力というのは、もしかして」
「そ。残ってたチョコペン、アイツらが見つけ出して使おうとしたからさ。その時にバレた」
 獅子神は半分眉をしかめたような顔で笑うと、私の隣の椅子に腰掛けた。
 大きな手で私の手を包み、まっすぐに私を見つめてくる。
「バレンタインデーだから、気合い入れて作ったんだけど。いざ出来上がったら、なーんか緊張しちまってさ。それでぎこちなくっていうか、構えちまって。余計な心配させたかもしれねぇけど」
「獅子神」
「これからも、お前のこと大好きだから。ハッピーバレンタイン、村雨」
 薄青色の瞳が、甘やかに輝く。美しい金髪が揺れ、きらきらと光を反射した。
 思わず見惚れて動けなかった私を、獅子神がぎゅっと抱きしめてくる。逞しい両腕が背中に廻り、厚い胸板がひたりと私にくっついた。
 彼のあたたかな熱が、薄い部屋着と私のシャツ越しに伝わってくる。触れ合った胸の奥から確かな拍動が届き、抑えられた吐息が耳元にかかった。
 獅子神が——獅子神の優しさが、私を包む。
 幾重にも、しっかりと。決して手放さないと、告げてくれているかのように。
「ありがとう、獅子神」
 私もそっと手を伸ばして、彼の背中に置いた。脊椎を辿り、しなやかな広背筋を撫でて、腰の両側まですべらせていく。
「あなたの気持ちが……とても、嬉しい。だが今は、少し腕を緩めてくれないか」
「え?」
「早くあなたにキスをしたいし、この大変美味しそうなケーキも食べたい。その後でまた、たっぷりと触れ合うとしよう」
「ふっ……ハハっ! ったく、オメーらしいよなぁ!」
 おかしそうに獅子神が吹きだして、腕の力が抜ける。赤くなったその頬を両手で包んで、こちらを向かせた。
「本当に、感謝している……獅子神。あなたは最高だ」
「オメーもだよ、村雨」
 嬉しそうに笑った獅子神が、目を細めながら、私を抱き寄せる。
 私も笑いながら彼を引き寄せて、濡れた唇を熱く重ね合わせた。