果南(カナン)
2025-02-10 18:33:35
2414文字
Public さめしし
 

キャッチボールの泡

さめしし。ワンドロのお題「夜更かし」「笑顔」で書きました。
つき合っているさめししで、夜遅くなったさめ先生をししさんが出迎える日常。不得手なことが減って、好きなものが増えていく。 (初出:2025/02/07)



 夜更かしは、得意じゃない。

 深夜にひとりで起きていると、いつの間にか嫌なことを考えているからだ。
 特に冬は、寒さで眠れなかった記憶なんかも蘇ってきて、もう最悪だ。暖房も何もない部屋で、着られるだけの服を着込んで、薄い布団に潜り込んで震えた。その服だってボロくてどうしようもなくて、ただ小さな体を丸めて、朝日が昇るのをひたすら待った。そんな幼い日の記憶。

 だから夜は、さっさと寝てしまうに限る。

 ちゃんと運動をして健全に疲れて、適度に食事を摂れば、体は眠りを求めてくれる。そうして早く寝れば、そのぶん早く起きられる。
 まだ誰も目覚めていない世界で、自分だけの時間が使えて。運動でも読書でも、料理でも仕事でも、好きなことができて。

 それは、オレだけの時間だ。
 オレが、オレのために使う、大切で前向きな時間。少しでも早く高いところへ登り、ピカピカに輝くための。真っ当で、充実してる。誰に見せても恥ずかしくない。

 だから、夜更かしに楽しみがないとは言わないが、早起きのほうがずっといい。オレには、その方が向いている。
 ずっとそう思ってきたし、今でも基本的にはそう思っている。

 でも——



 インターホンが鳴って、門扉のカギを解除する。
 玄関のドアを開けて、出迎える。
「おかえり、村雨」
 自然にそう言うと、村雨がかすかに目を見開いて、微笑んだ。
「あぁ。ただいま、獅子神」
 色白の頬が、夜の冷たい風で赤くなっている。急いで招き入れて、ドアをしっかりと閉めた。
「今日も遅かったんだな。大丈夫か?」
「平気だ。私は、医者だからな」
「お医者サマでも人間だろ」
……そうだな」
 答えるまでのわずかな間と、自嘲を含んだその声色で十分だった。オレが心配していることは、村雨もわかっているのだ。
「先に風呂入って、あったまれよ。もう沸いてるからな」
「ありがとう。助かる」
 村雨はオレの頬に軽く唇をつけると、脱いだコートと鞄をリビングに置いて、そのまま風呂場へ向かった。
 オレはキッチンへ入り、鍋を乗せたコンロに火をつけた。煮物と汁を温め、追加で肉野菜炒めを作っていく。
 時刻はもうすぐ日付が変わろうかというところで、この時間から大いに食うのは正直どうなのかとも思う。でも、そもそも村雨は夕食どころか昼食もとっていない、なんて状況がザラにある。オレの基準で決めつけるべきじゃないし、それが村雨の望みならできることはしてやりたかった。
 せめて胃の負担が少なそうな、それでいて食べごたえのある味になるように、油を減らして香辛料を工夫する。そうしていたら、風呂から上がった村雨がリビングに入ってきた。
「おー、ちゃんとあったまったか?」
「あぁ。そのつもりだ」
 頷いた村雨は、パジャマにカーディガンを羽織った格好でダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。オレはちょうど出来上がった肉野菜炒めを皿に盛り、煮物や汁をよそって、一緒に運んだ。
 食事の皿を見た村雨が、嬉しそうに目を細めてから、こっちを見てくる。期待されている気配だと思ったので、尋ねてみた。
「何か、飲む?」
「あなたも飲むなら」
「ビールちょこっとくらいなら、いいぜ」
「ではそれで」
 短い返答の中に、弾んだ抑揚が覗く。オレも何となく嬉しくなって、冷蔵庫からビールの缶と、いつも冷やしてあるグラスを持ち出した。
 正面の席に座って、缶を開けたビールを二つのグラスに分けて注ぐ。
「いただきます」
「お疲れさま、村雨」
 こん、と軽くグラスを合わせて、乾杯した。
 オレはビールのグラスを少しずつ傾けながら、メシを食う村雨を眺めた。自分の作った料理がきれいに体内に消えていく様子は、いつ見ても気持ちがいい。村雨は際限ないほどよく食べるが、箸やカトラリーの扱いが上品で流れるように自然に動き、食べ方のマナーもしっかりしているので、不快感が全く無いのだ。本当にいつの間にか、皿の上が空になっている。
「すまない、獅子神。いつも夜遅くに」
 料理をひと通り平らげて、おかわりの煮物と白飯も食べ終えようという頃になって、ぽつりと村雨がそう言った。 
「え?」
「本当は、あなたは得意ではないのだろう? このような夜更かしは」
「うーん……
 軽く唸って、何と答えたものかを考えた。
 手にしたグラスの中で、しゅわしゅわと小さな泡が弾けていく。
……まぁ確かに、ひとりだと起きてねぇけど。ジョギングとかも、早朝のほうがしやすいし」
「そうだろうな」
「でもな、村雨」
 オレは残っていたビールを飲み干し、グラスをテーブルに置いた。
 冷たさがなくなりかけているビールは、それでも心地よく喉をすべり落ちていった。しゅわりと炭酸の感覚が口の中に残り、コクのある苦味を漂わせて消えていく。
 普通に、美味いと思った。

 真冬の深夜に、明かりと暖房をつけて。こうしてビールなんか飲んで、それが美味しくて。
 オレひとりじゃ、こんなことはしない。
 村雨と一緒だからだ。
 コイツといられるのが、嬉しいから。

 ——テーブル越しに、腕を伸ばした。
 同じくグラスを置いた、村雨の左手を掴まえる。オレより少し低い体温を、両手でそっと包み込んだ。
「獅子神」
「お前が疲れてんのに、ウチに来てくれるだろ。こうしてメシ食って、泊まって、一緒にいられるだろ。だから」

 二人で、時間を重ねて。何気ないことでも同じように見て、聞いて。
 お前も嬉しいのが、伝わってくるから。
 お前の笑顔が、見られるから。

「今では、結構好きなんだぜ。夜更かしも」
……そうか」
 唇の端を綺麗に持ち上げて、村雨が表情を綻ばせる。細めた両眼をきらきらと輝かせ、満足そうにオレを見つめると、空いている右手を小さく動かして、あでやかな笑顔でオレを招いた。