果南(カナン)
2025-01-31 23:02:01
5462文字
Public さめしし
 

温かな未明

さめしし。ワンドロのお題「早起き」「おちる」で書きました。
悪夢を見て飛び起きるさめ先生のお話。早すぎる朝も、二人でなら楽しいさめししです。


 石畳の街を、私は走っていた。
 知らない街だ。

 左右に緩く曲がる道はどこまでも続き、両側には尽きることなく家々が立ち並んでいる。明かりがついている窓もあったが、多くは暗く、鎧戸を閉ざしている家も少なからずあった。
 彼を追いかけて走っているのは、わかっていた。頭上には、暗い夜空が広がっている。
 時々、空から小さな星が降ってきて、透きとおった薔薇色の石になって転がっていた。視界のあちこちにそんな星の石が散らばっていて、私はそれを拾い集めながら進んでいた。
 彼のほうが、足が速い。だから、急いで駆け続けなければ、追いつけない。
 それでも私は、薔薇色の石を見つけるたびに足を止め、拾ってポケットに入れた。少しでもたくさん集めたかった。彼に、届けるために。
 天から降ってくる、限りないピカピカの輝きの欠片。私には不要のモノだが、きっと彼なら喜んでくれるはずだった。

 やがて行く手の石畳の先に、揺れる金髪が見えてきた。見紛うことなき、彼の後ろ姿だ。
 もう少しで、追いつく。
 私は彼に気づいてもらおうと、声を張り上げた。
——!」
 ギョッとした。
 名前を、呼んだはずだった。しかし、全く声になっていない。
 焦っているうちに、彼の金髪はまた遠ざかっていく。
 私は慌てて駆け出した。

「待て……待ってくれ!」
 足を動かしながら、叫ぶ。今度は声が出たが、彼は振り返らなかった。
 聞こえていないのか。それとも、聞こえていても止まる気がないのか。
「止まってくれ……頼む! 私は、ここまで来たのに……!」
 必死に足を前に出し、腕を振る。しかし、彼はさらにスピードを上げたかのようで、全然追いつけない。石畳の道の向こう側へ、見慣れた背中がどんどん小さくなっていった。
「どうしてだ! 私は、あなたのために……
 かっと喉元が熱くなった。あっという間に熱がせり上がってきて、脳が沸騰する。
「あなたに、届けたいのだ!……獅子神‼︎」
 名前を、呼んだ瞬間。
 ぶわっと、体が持ち上げられる感覚に襲われた。焦って手足をばたつかせたが、空を切るばかりでどうしようもない。
 そして、いつの間にか目の前の道は、全て消え失せていた。
「ひっ……⁉︎」
 声にならない息で、喉が鳴る。
 ——おちる。
 そう思った瞬間、私の体は凄まじい勢いで落下を始めていた。
「獅子神……っ!」
 思わず呼んだが、彼の姿は何処にも無い。あの道の先へ、行ってしまったのだ。
 私も早く、追いつかなければならないのに。体が落ち続けて止まらない。石畳の街の家並みも、星が降る夜空も、頭上でみるみるうちに小さくなっていく。
 獅子神は、あの先にいるのに。
「あぁ……!」
 ポケットの中に入れていた薔薇色の石も、次々に飛び出していった。獅子神に届けるはずだったのに、なくなってしまう。全部。すべて。
「クソっ……何故だ! なぜ、どうして!」
 私は落下しながら、闇雲に四肢を振り回した。どこか、少しでも引っかかって、止まれるところがないかと望みをかけて。
 しかし、何も見つからない。
 どこまでも、落ち続けていく。
 叫んで、左手を伸ばした。思いっきり。
「獅子神——‼︎」



……っ!」
 ばっと瞼が開いて、飛び起きた——つもりだった。
 が、実際には私の体は横向きのままだった。前に伸ばしたはずの左手も、体の横に落ちている。ひどく体が重くて、あらゆる関節が固まってしまったかのような気がするのに、心臓だけは夢の中で走っていた時と同じように、ばくばくと速い脈を打ち続けていた。
 ゆっくりと息を吸って、少しこらえてから吐いてみる。胸郭が動き、酸素と二酸化炭素が肺の中で入れ替わる。数回そうしていると心拍数が下がってきので、病的な頻脈発作の類ではないと判断できた。落ち着いて呼吸を整えれば、治まってくるはずだ。
 深呼吸を繰り返すうちに、意識もはっきりしてきた。視覚からの情報を、脳が処理し始める。
 それで、ようやく気づいた。
「なっ……⁉︎」
 天井の見え方が、窓のカーテンの場所と傾きが、いつもと違う。自分の家と同じほどに馴染んだ、獅子神の寝室。見間違えることなど、あり得ないのに。
 つまり、異なっているのは私の位置と姿勢。
 ——そう。
 私はものの見事にベッドから落ちて、斜めに傾いたまま呆然としていたのだった。
「何ということだ……
 おそらく、あの夢のせいなのだろう。焦る心のまま、無意識に体が動いたのだ。隣で寝ている獅子神にぶつかっていくよりはマシだったが、それにしても寝ぼけてベッドから落ちるとは、まるで幼い子供のようではないか。
 早く、戻らねば。獅子神に気づかれないうちに。
 ずり落ちて、体に絡まってしまった羽根布団を押しのける。まだ重たく感じられる上体を起こし、ベッドの上が見えたところで、気がついた。
 獅子神が、いない。
「まさか、もう起きているのか?」
 カーテンから透ける光はまだ見えず、窓の外は明らかに真っ暗だ。早起きというにはいささか度が過ぎていると思えたが、あり得ない話ではない。
 むしろこの現場を見られていなかったのは好都合だったと、ほっと胸を撫で下ろした、その時。
 バタバタと部屋の外を走ってくる足音がした。どきりと心臓が跳ね上がる。
 一気に焦りが押し寄せてきたが、気持ちに動きがついていかない。何とか腕を伸ばしてベッドの縁を掴み、体を引き上げようとしたところで、あえなく部屋のドアがばん、と開いた。
「村雨! 大丈夫か⁉︎」
 叫んだ獅子神が、一直線に私に駆け寄ってくる。
「鈍くてデケェ音がしたから、何事かと……って、え? お前……
「見てのとおりだ、マヌケ」
 私はできるだけ淡々と言って、そっぽを向いた。
 落ちたままの布団とともに床に座り込んでいる状態で、眼鏡もかけていない。確固たる意志でこの状況になったわけではない事が明白すぎて、いくら獅子神でも読み違えるとは思えなかった。
「えーと……落っこちたのか? ベッドから」
「わざわざ言葉にするな。笑いたければさっさと笑うがいい」
 こんな姿の自分を獅子神の視線に晒しているのがいたたまれなくなって、私は羽根布団を引き寄せた。頭から被って、体を丸めて布団ごとベッドに顔を伏せる。
「おい、村雨⁈ 何してんだよ?」
 布団越しに戸惑ったような獅子神の声が聞こえた。
「このまま休む。怪我などはしていないから、問題ない。いいからあっちへ行け」
「いや問題あるだろ……そもそも、ここオレのベッドだぞ」
「あなた、早起きしたのではなかったのか」
「目が覚めちまって、トイレ行ってたんだよ。んで、ふと思い出したから、夕食用の肉の浸かり具合を見にキッチンに行ってさ。漬け汁の中でひっくり返し終わったところで、すげぇ音がしたから慌てて戻ってきた」
……そうか」
 さてどうしたものかと、私は布団を被ったままで嘆息した。
 獅子神の口ぶりから察するに、やはり起きるにはまだ早すぎる時間帯なのだろう。彼がもう一度眠るつもりなら、私がこの状態で寝具を独占しているのは流石に申し訳ない。かといって、今さら何事もなかったように顔を出すには、まだ踏ん切りがつかなかった。
 何とも情けない状態になってしまったものだ。
 そもそも、夢の中の獅子神がいけないのだ。私があれほど待てと言ったのに、どんどん先へ駆けていくばかりで。私が大切に拾い集めているものにも、全く気づかない様子で。
 私は、あなたのために。少しでもたくさん届けたいと思っただけなのに。
 それを——
「むーらさめ」
 思ったよりも傍で、低い声が私を呼んだ。
 続けて後ろから、布団ごとぎゅっと抱きしめられる。
「なぁ、機嫌直して出てこいって。オレ、笑ったりしねーよ。むしろ可愛いなって思ってるよ」
……
「ずっと床に座り込んだままじゃ体が冷えちまうし、足も痛くなるだろ。お前、手術の間とか何時間も立ちっぱなしなんだろ、自分からカラダ痛めるような真似してどーすんだよ。オレがケガしたり風邪ひいたりした時には、あんなに怒るじゃねぇか」
…………そうだな」
 獅子神の言い分は至極尤もだったので、私は布団の中で頷いた。
 すり、と頬を擦り寄せられる動きが、伝わってくる。
「オメーが出て来にくいんなら、オレが開けるから。いいか? これ取っても」
 後頭部付近の布団が、ぽんぽんと軽く叩かれる。獅子神の大きな手は、そのまま布団越しにゆっくりと私の頭を撫でた。優しく、何度もいたわるように。
 この辺りが、潮時だろうと思えた。これ以上意地を張っても、おそらく拗れるだけだ。
 私は覚悟を決めて、小さく首を縦に振った。
——サンキュ。村雨」
 獅子神の手が動き、ふわりと羽根布団が取り除かれた。
 火照っていた両の頬を、寝室の空気が撫でる。
「獅子神」
 振り返ると、獅子神はほっとしたように微笑んで、また私を抱きしめてきた。
「どうした。私は、もう」
「んー、よかったなぁと思って。あとお前、ほっぺた赤くなっててかわいい」
「あなたの羽根布団が上質で、保温性に優れているからだ。あのままでは暑すぎて、どのみちずっと被っているのは無理だったな」
 ため息をつくと、獅子神はくすくすと笑った。
「そりゃ良かったぜ……機嫌、直ったか?」
「おかげさまで」
「珍しいよな、お前がうなされるなんて。そんなにイヤな夢だったのか?」
 獅子神に問われて、私は顔を上げた。
 美しい薄青色の瞳を、じっと覗き込む。手を伸ばし、落ちかかっている金髪をかき上げて、額の真ん中にそっと唇をつけた。
……村雨?」
「よかった……あなたが、ここにいて」
……
「夢の中のあなたは、ずっと先の方へ走っていってしまった。あなたが本気で走り出せば、私は追いつけない。それで……
「村雨」
 獅子神が、強く私を呼ぶ。そのまま言葉を遮るように、唇を重ねてきた。
「大丈夫だろ。オレは、ここにいるから」
「しかし」
「夢だろ忘れろ、って言っても、見ちまったモンも嫌な感じも消えないンだろ。それはオレもわかるよ。でも、大丈夫って言うしかねーだろ。こっちが現実だから、ってさ」
 両手で私の上腕をそれぞれ掴んで、正面からまっすぐに私を見つめて。
 ゆっくりと、幼い子供に言い聞かせるかのように、獅子神は言葉を紡いだ。

 悪夢を見た時の気持ちを、よく分かっている声だと思った。きっと私よりもずっと、何度も嫌な夢を見ては飛び起きてきたのだろう。
 そのたびに、今のように自分に言い聞かせて。
 ひとりで、乗り越えてきた。

 そういったことが、今の獅子神を支えているのだろう。 
 私を惹きつけた彼の、強さや優しさを。

……そうだな。あなたの言うとおりだ」
 私は微笑むと、獅子神の胸に頭を寄せた。
「圧倒的に、ここが現実だ。あなたがいるのだからな」
「そーだよ。お前もいるんだからな」
 獅子神も笑って、私の頭を撫でてくれた。飛び起きたままで乱れっぱなしの髪を、長い指が優しく梳いていく。 
「お前、もう一度眠れそう? まだ結構夜中なんだけど」
「どうだろうな。今のところ、眠気は吹き飛んだ状態だが」
 厚い胸筋に寄りかかり、髪を梳く指の動きを心地よく味わいながら、私は答えた。こうしていればいずれ眠くなるのかもしれないが、現時点ではかなり明瞭に脳が覚醒している。不規則な時間に起きてしまうのは仕事で慣れているし、この状態では眠気が来るまでにだいぶ時間がかかるだろうということは容易に予測がついた。
「んー、そっか……どーすっかな……
 獅子神はしばらく唸っていたが、やがて頷いて、私を見つめてきた。
「じゃあいっそ、このまま起きとこうぜ。早起きには早すぎるけど。んで、後で眠くなったら昼寝したらいいだろ」
「あなたは、それでいいのか」
「オレの仕事は、どうとでもなるし。オメーも明日は代休なんだろ。だったら、たまにはそういうのもイイんじゃね?」
 新しい遊びを思いついた子供のように、獅子神はきらきらと眼を輝かせて言ってくる。無邪気で美しいその瞳を見ていると、自然と私も笑顔になった。
「悪くないな。では、そうしよう」
「よっしゃ」
 獅子神がポンと手を打ち、私は体を起こした。ベッドのサイドテーブルに手を伸ばし、置きっぱなしだった眼鏡を取って掛ける。
「じゃあ、まずは何する? トランプとかオセロとか? それとも映画見たりするか?」
「何を言う、まずは食事だ」
「うえぇっ⁉︎ この時間から食うのかよ⁉︎」
 獅子神はギョッとした顔で怯んだが、私は譲るつもりはなかった。
「今から起きて活動するのだから、当然食事は必要だろう。早すぎるとはいえ、立派な早起きなのだからな。それに相応しい朝食を摂るべきだ」
「わーったよ、作るよ。でも、あまり手の込んだのとか重たいのはダメだかんな! ほどほどにしろよ!」
「了解だ。よろしく頼む、獅子神。あなたの作ってくれる食事は、いつでも素晴らしい」
 しゃーねぇなあ、とぼやきながら獅子神が立ちあがる。しかしその口元は、嬉しそうに優しく微笑んでいた。
 後を追って、私も立ち上がる。獅子神の手を引き、指を絡めて、深夜の廊下を一緒にリビングへ向かった。