果南(カナン)
2025-01-10 23:11:50
4891文字
Public さめしし
 

待ち合わせの後は

さめしし。ワンドロのお題「旅行」「ごほうび」で書きました。さめ先生の学会に合わせて、ししさんも一緒に小旅行に出かけるお話です。この後は美味しいもの食べて夜デートしていちゃいちゃして、翌日観光して一緒に帰るはず。



 ゆっくりと車体が止まり、細い扉が開く。手にした鞄を握り直して、オレは新幹線からホームへと降り立った。
 続けて降りてくる乗客達を避けながら、ホームの中央まで移動する。案内板で改札への下り口を確認したが、どの階段で降りても一緒のようだった。そんなにデカくない駅は、初めて来る身にはありがたい。
 人波の過ぎた階段を下って、一箇所しかない改札口を出る。スマートフォンのメッセージアプリを開き、村雨が送ってきたホテルの位置を確認して、北側の出口へと歩き出した。
「うわっ、寒ぃ……
 すぐに冷たい風が吹きつけてきて、思わず口に出してしまった。旅行会社の出張店とコンビニの横を通り過ぎ、幅の広い階段を十段ほど降りたら、もう外だったのだ。思わず立ち止まってしまったオレの脇を、大きなトランクを引っぱって団体客が通り過ぎていった。
 三連休の中日とあって、やはり旅行客は多いらしい。学会だからという理由で村雨が前々から予約していなかったら、きっとホテルの部屋も取れなかっただろう。
「それで最初っから二人分予約するところが、まぁアイツらしいよな」
 学会に参加するのであなたも一緒に行こう、と言われたのは、つい先週のことだった。何でもっと早く言わねぇんだ、と勿論オレは抗議したが、そんなことでめげる村雨ではない。
『賭場の予定が不明だったし、私の方も自分が参加できるか不明確な状況だった。懸念していた患者の状態が落ち着き、これなら私が行っても良いだろうということになったので、あなたに知らせたまでだ』
『だとしても、ホテルとか予約した時点で先に伝えとけよ。オレにも予定ってモンがあるんだぞ』
 そもそも自分が発表する予定なのにそんな不確定でいいのか、という疑問もあったのだが、村雨の回答はあっさりしたものだった。何でも、発表者には代表以外に数人の名前を連ねて申請するのが普通なので、その中の誰かが代わりに発表するのは別に問題ないらしい。
『発表の内容自体は大したものではないし、後は必須の講習を数個受ければ用事は済む。せっかくの連休に堂々と遠出ができる機会だ、あなたと共にちょっとした旅行気分を味わいたいと思うのは自然なことだろう』
 だったらもっと早く、と再度思ったが、言っても堂々巡りになるだけなので、オレはそれ以上の抗議を諦めた。この手のことで、村雨に勝てる気はしない。
 それに、オレだって村雨と旅行できるのは嬉しい。
 村雨の多忙さはよくわかっているから、なかなかオレから誘うわけにはいかない。オレが言えば、更に無理をしてでも予定を空けてくれようとするのは明白だからだ。でも、そういう機会があったらいいな、とはずっと漠然と思っていた。
 ただ、オレは既に今日の午前中に、会合の予定を一つ入れてしまっていた。なので、村雨がオレの分まで予約していた昨日の飛行機の便はキャンセルしてもらい、今日の仕事を済ませてから、新幹線に飛び乗ってやって来たというわけなのだった。
「これ、このまま二階を歩いていきゃいーのかな……たぶん繋がってるんだよな」
 村雨が予約したホテルの位置は、先ほどの団体客が向かっていったのと同じ方向だった。今立っている位置は駅の二階の出口にあたり、屋根付きの広いペデストリアンデッキがずっと先まで伸びている。駅のロータリーと駐車場の上を通って、複数のビルや商業施設に向かって枝が出ており、その一つが目的のホテルということのようだった。
……よし、行くか」
 着替えとノートパソコンを詰めた鞄を持ち直して、オレは歩き出した。
 昨夜からずいぶん冷え込んだが、それはこちらでも同じらしい。デッキの通路の端、屋根からはみ出ている部分には、吹き溜まった雪がまだ溶けずに残っていた。夕暮れを迎える空は灰色の雲に覆われ、名残のような粉雪をちらちらと舞わせている。
 団体客を追いかける形で歩いていくと、目論見どおりにホテルの入口に着いた。コートの両肩に乗った雪のかけらを払って、足を踏み入れる。
 冷たい風が途絶え、ふわりと暖かい空気が体を包んだ。
 ほっと息をついて、ホテルのフロアを見渡す。村雨はラウンジで待っているとメッセージに書いてきていたから、その辺りにいるはずだった。
 ——いた。フロントの向こう、壁が大きなガラスになっている一角がラウンジになっている。思わず足を早めて、見慣れた黒髪の頭に向かってずんずん近づいていった。
……獅子神」
 辿り着くより先に、村雨が気づいて顔を上げた。艶のある唇が、はっきりとオレを呼ぶ形に動く。
「よぉ、村雨。お待たせ」
 少し早口で答えて、オレは笑った。村雨も微笑んで、オレを見上げてくる。
「顔が赤いぞ。そんなに外は寒かったか?」
「わざわざ訊くなって。わかってるクセに」
 苦笑しながら、村雨の正面の席に腰を下ろす。鞄を隣の椅子に置き、やって来たボーイに紅茶を注文した。
 村雨は眼を細めてオレの動作を見守りながら、ホテルのロゴが入ったカップを持ち上げ、静かにコーヒーを啜った。昨日の朝に村雨がオレの家を出てから、ほんの一日半ぶりの再会。なのに、普段とは遠く離れた場所で逢うせいか、ずいぶんと新鮮に見える。村雨もことさら嬉しそうにしているのが、ゆるやかな雰囲気と動作の端々から伝わってきた。
「新幹線が動いていて、良かった」
 カップを置いた村雨が、脚を組みながらそう言ってきた。
「雪の心配、してたのか?」
「こちらでは殆ど止んでいたが、途中の山沿いはまだ降っているということだったのでな。今日あなたに逢えなかったら、自分がどうなってしまうかと心配だった」
……ん、オレも」
 相変わらずさらりと怖いことを言ってくるが、その思いは同じだったので頷いた。村雨が、満足そうに笑みを大きくする。
 オレはますます照れてしまって、村雨から視線を逸らしてガラス張りの壁の向こうを眺めた。
 小さな庭のようになっているそこは、正面に大きな人工の滝が作られていて、滔々と水が流れ落ちている。既に外は薄暗くなりかけていたが、設置されたライトに照らされて、滝の水がきらきらと輝いていた。両側に植えられた木の多くは冬とあって葉を落としているが、幾つかの常緑樹が力強い緑を見せている。来る時に舞っていた粉雪は既に見えなくなっていたが、あちこちの葉にうっすらと残る白さが良い風情だった。
 ボーイが紅茶を運んできてくれたので、軽く会釈をしてカップを手に取った。口元に運び、熱い液体を体内に入れる。既に外の寒さは忘れていたが、それでも体が温まるのはやはり心地良かった。
「学会、今日は発表だったんだろ? 大丈夫だったのか?」
 気持ちも落ち着いてきたので、村雨に向かって尋ねてみた。オレの視線を受け止めた村雨が、軽く頷く。
「ああ、問題ない。口演で数分程度の発表だからな。楽なものだ」
「でも準備とか、大変だったんだろ? 一昨日の晩も、オレん家でパソコン弄ってたじゃねぇか」
「あれは最後の微調整だけだ。今日は、座長も聴衆もマヌケばかりだったからな。大した質問も来なかった」
 本当につまらなさそうな口調でそう言うと、村雨はため息をついた。
「面倒なのは、明日の朝のほうだ。専門医の更新に必須の要件で、講習に出席して単位を得る必要がある……煩わしいことだが」
「お医者サマになっても、そんなのあるんだな」
「むしろ年々、面倒な手続きが増えるばかりだぞ。それよりも外科医には手術をさせ研鑽を積ませ、更なる発展のための論文を書かせろと言いたい」
 眉間にあからさまに皺を寄せ、村雨はぶつぶつと文句を言う。きっと常日頃から抱えている不満だけど、他の場では言えないようなこと。オレはその全部をわかってやれるわけではないけれど、でも村雨がオレの前でなら愚痴を言えるなら嬉しいし、不満を減らせるなら減らしてやりたいと思う。だから、こういう時は相槌を打ちながら、村雨の気が済むまで聞いてやることにしていた。 
 村雨はそのままひとしきり文句を言い続けていたが、ある時点で我に返ったように、ぴたりと止まった。ちらりと横に視線を流してから、カップを手に取り、コーヒーの残りを飲み干す。
 それが照れ隠しと、自分の切り換えのための動作なのは分かったので、オレは何も言わずに見ていないフリをした。自分もティーカップを持ち上げて、残っていた紅茶を空にする。
 やがて村雨はカップを置くと、おもむろに口を開いた。
「夕食は、此処の鉄板焼きの店を予約したのだが」
 細い指が、すっと天井を差し示す。ホテルの上階にあるということだろう。
「それまでには、まだ二時間ほどある。少し街でも見て回るか?」
「あー、そうだな……
 事前に一緒に調べたところによると、駅から繁華街を抜けて少し歩いていけば、大きな川と複合商業施設、そして城跡があるらしい。城内や庭園の見学時間はもう終わる頃合いだろうが、その辺り一帯は凝ったライトアップもされているということで、日没を迎える今から向かえば、いいムードのデートにはなりそうだった。
「雪も止んだみたいだし、それもいいかもな。歩いて戻ってくれば、いい具合に腹も減るだろ」
「では、行くか」
「あ、その前に部屋寄っていいか? 荷物、置いてから行きてぇ」
「そうだな」
 軽く頷いて、村雨は立ち上がった。オレも鞄を持って、後ろに続く。
 会計をサインで済ませ、エレベーターホールへ向かう。夕食にはまだ早い中途半端な時間だからなのか、付近には人がいなかった。動いているエレベーターも一機だけだ。
 村雨が上向きのボタンを押すと、すぐに端のエレベーターがやって来た。扉が開き、誰もいない箱に乗り込む。
 最上階のすぐ下の階の数字を、村雨の手が点灯させる。しなやかな手の甲と、長い指。綺麗な爪の先。
 ——まだ、あの手に触れられていない。
 とっさに、どうしてそう思ってしまったのか。
 でもとにかく、扉が閉まるまでの間に、オレは無意識に鞄を左手に持ち換えて、右手を伸ばしていた。
 下ろされかけた村雨の手を、掴まえる。
 指を絡めて、ぎゅっと握った。
「獅子神」
 半分だけ驚いた声で、村雨がオレの名を呼んだ。
 丸い眼鏡の奥から、深紅の瞳がオレを見つめてくる。何か言いたげな光がよぎったが、視線でそれを制して口を開いた。
……やっぱ、散歩は後でいーや。ライトアップなら夜の間はずっとやってるだろ」
「それはそうだが……急に、どうした?」
「ちょっと考え直した。だってお前、昨日はオレん家から病院行って仕事してからこっち来て、今日は学会に出て発表もして、とにかく頑張ったんだろ。だったら少しくらい、ゆっくりしたほうがいいんじゃねーの」
……
 村雨が無言で、眼の光を強めてきた。
 オレは微笑みで応じて、繋いだ手を引き寄せた。絡めた指を少しずらして、村雨の手のひらから指の又へ、すべらせるようにして擦ってやる。
 ぴくっと村雨の指が、反応した。
「オレがさ、お前にごほうびあげたいンだよな。ダメかなぁ?」
……あなたがこうして来てくれたこと自体、私にとっては十分なごほうびだが」
「じゃ、ヤメとくか?」
「そんなわけが無いだろう、マヌケ」
 低い声が、嬉しそうな艶を帯びる。形の良い唇の端が、にやりと吊り上げられた。
「ごほうびが自ら、更に魅力的な提案をしてくれている。これに乗らんマヌケが何処にいる」
「まー、そうだよな。でも、店の予約まで二時間しかねぇんだろ。無茶すンなよ?」
「それも当然だ。美味い肉をあなたと共に食すのも、同じくらい大切だからな」
 チン、と小さな音が鳴り、エレベーターが止まった。静かに扉が開く。
 繋いだままのオレの手を引いて、村雨が箱からフロアに出る。厚いカーペットの廊下を早足で歩き、部屋の扉をカードキーで開けて、足を踏み入れるなり貪るように唇を重ねてくるまで、たぶん十秒もかからなかった。