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果南(カナン)
2024-12-20 21:12:41
3807文字
Public
さめしし
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素直じゃなくても
さめしし。ワンドロのお題「年の瀬」「ぬくもり」で書きました。つきあっている二人が、DCL後の冬至の前夜に仲良く寛ぐお話です。
浴室の扉を開けると、温められた空気はいつもと違う匂いだった。
つんと鼻をくすぐるのは、独特の芳香。皮の苦み、果実の酸味を明確に思わせながら、皮裏のふかりと白いわたの柔らかさも同時に感じられる。柑橘類の中でも殊に分かりやすい、和の趣きを湛えた上品な香り。
浴槽のふたを、開けてみる。やはりテニスボールほどの大きさの黄色い実が、ぷかぷかと三つ、浮かんでいた。浴室に放たれる香りが、いっそう強くなる。
私は手早く髪と体を洗って、浴槽に身を沈めた。やや熱めの湯に肩まで浸かりながら、果実のひとつを引き寄せて掴む。軽く力を籠めつつ鼻先に近づけると、滲んだ果皮の油分が強く立ち昇った。
彼の心遣いに感謝しながら、目を瞑る。
人を惹きつける香気も、冬の最中の太陽のような明るい黄色も、彼そのもののようだと思って、微笑んだ。
髪を乾かし、いつものパジャマを着て、借り物のカーディガンを羽織る。リビングに戻ると、獅子神は食事の後片付けを終えてソファで寛いでいた。テレビの画面が外国のニュース番組を映し出している。
「お、上がったのな。ちゃんとあったまったか?」
私が近づいていくと、振り返って笑顔を見せてくれる。珍しく大ぶりの湯呑みを手にしていた。
「あぁ。ありがとう」
「今日やたらと寒いもンな。ま、もう年の瀬だし仕方ねぇんだろうけど
……
何か飲むか?」
言いながら、私が視線を湯呑みに送っているのに気づいたらしい。自分の手元と私を一度見比べてから、教えてくれた。
「コレは緑茶。なかなか飲む機会がなくて、開けたままになってたからさ。年が変わる前に、使い切っちまおうと思って」
「では、私もそれを頂こう」
「りょーかい」
獅子神は湯呑みを置いて、立ち上がる。すぐにキッチンからは湯の沸く音がしてきた。
私はソファに腰を下ろして、見るともなしにテレビ画面を眺めながら待った。程なくして獅子神が、湯呑みを運んできてくれる。
「お待たせ、村雨」
「ありがとう、獅子神」
ことん、と置かれた茶托から、厚手の丸い形の湯呑みを持ち上げた。明るい赤茶色の、ざらりと土の風合いが残る地に、なめらかな白い釉薬が掛けられている。手作りのぬくもりと熟達した技術が感じられる、上等そうな湯呑みだった。
獅子神はテレビの音だけを消すと、自分の湯呑みを持って私の隣に座った。ソファの背もたれに体重を預け、軽く息を吐く。
私たちはしばらくそのまま、静かに茶を啜った。
普段は飲まない緑茶の、微かな渋みが美味しかった。両手で湯呑みを包んで、熱い液体を少しずつ胃に収めていく。湯上がりの体に、無理なくすぅっと染み渡っていくようだった。
先に獅子神が、空になった湯呑みをローテーブルに置いた。
「
……
ごちそうさま」
少し遅れて私も、茶托に湯呑みを戻す。獅子神に体を寄せてソファに座り直し、肩に頭を乗せた。
大きな手が動いて、私を抱き寄せてくれる。
「なんか、やっぱ違う気がする」
ぼそりと獅子神が呟いた。
「何がだ」
「お前の匂い。風呂だけで、こんな変わるモンかな?」
「柚子の香りは、かなり特徴的だからな。あなたにも分かりやすいだろう」
「
……
ひょっとして、匂いキツ過ぎたか? オメー、すげぇ鼻が効くもンな」
獅子神がすまなさそうな顔になったので、私は首を横に振った。
「いや、不快ということはない。良い香りだ」
「なら良かったけどさ」
「私が明日当直だから、今日のうちに柚子湯にしてくれたのだろう? ありがとう、獅子神」
私は首を伸ばして、そっと彼の頬に口づけた。
「や、大したことじゃねーし。風呂に柚子入れただけだから」
「しかし今日の夕食も、冬至を意識してくれたのだろう」
先ほど食べた物を、頭の中で思い返す。メインのおかずは豚の生姜焼きだったが、副菜はひき肉たっぷりのかぼちゃの煮物で、鯛のあら汁には香り付けに千切りにした柚子の皮が載せられていた。
私の指摘で、獅子神は苦笑する。
「なんだ。やっぱバレてたのか」
「当然だろう。私を誰だと思っている」
「ったく、かなわねぇなあ、オメーにはよ」
「ふふ」
両腕を廻して、逞しい体を抱きしめた。胸に耳をつけると、とくとくと健やかな心音が聴こえる。
獅子神が、生きている証。
あたたかい体。
それが自分の手の内にあることに、改めて私は感謝の念を抱いた。
「冬至の食べ物って、無病息災を祈るんだろ? んで柚子湯にも入ってあったまっとけば、オメーも風邪とかひかねぇんじゃないかなって思ってさ」
「そうだな。あなたの心遣いも料理も、大変嬉しい。だが」
「?」
「こうしてあなたの傍にいて、ぬくもりに触れていられる
……
それが一番大切なことだ。あなたが生きていて、よかった」
「村雨
……
」
「次の年も、こう在りたいものだな」
私はそこで会話を切って、獅子神の胸に顔を伏せた。それ以上喋ると、語尾が震えてしまいそうだったからだ。
事前に可能な限りヒントを与えたとしても、それを活かすかどうかは本人次第。隣で導くことも庇うこともできず、ただ画面越しに、平静を保って見守ることしかできない。それは想像していた以上にもどかしく、心身を疲弊する経験だった。
もう、あんな思いはしたくない。
地獄への道を歩む姿など、目にしなくて済むならその方が良い。
「
……
ごめんな、村雨」
何がどれだけ伝わったのか、獅子神が私を抱きしめてきた。
あたたかい手のひらが、ゆっくりと背中を撫でる。
「オレ
……
もっと、頑張るからさ」
「それはいい。が、決して私の前から勝手にいなくなったりするな。明日からあなたの料理を口にできなくなったりしたら、私がどれだけ嘆くと思う」
「オイ、料理だけかよ」
「違うに決まっているだろう。そんなことも分からんのか、マヌケ」
我ながら今のは酷かったかもしれないと思ったが、勢いでいつものように言い切った。
ぽんぽん、とあやすように、獅子神が軽く背中を叩いてくれる。
「お前、そーゆーとこ
……
何つーか、可愛いよな」
「
……
寛大だな、あなたは」
私が顔を上げると、にっと白い歯を見せて、獅子神は笑った。
「おぅ、感謝しろよ」
屈託のない笑顔が、ことさらに眩しい。何処にも嘘が無いとわかる素直さが、ありがたかった。
出逢うことができて、寄り添うことができて。本当によかった。
私はこんなにも、獅子神のことを愛している。
「そうだな、感謝する」
私が呟くと、獅子神はうんうんと頷いて言葉を続けた。
「ちなみに、明日の朝食は小豆粥な。冬至の朝だから、バッチリだろ?」
にやりと口の端を持ち上げて、得意そうな顔になる。私は反射的に眉根を寄せた。
「確かにそれも、冬至の食べ物だが。いささか精進が過ぎるとは思わないか」
「安心しろって。ちゃんと厚切りハムも焼いてやるから。鯛のあら汁も、まだたっぷり残ってるぜ」
「なら、いい」
頷いてみせると、獅子神は笑みを大きくして、くしゃくしゃと私の頭を撫でた。
風呂から上がって乾かしただけの髪を、獅子神の指が梳いていく。軽く風の通る感じと、地肌に触れる指先が心地良い。
目を細めて堪能していると、獅子神が窺うように私の顔を覗き込んできた。
「んでさ、オメー明日の当直って、夕方からだろ? よかったら昼から市場に行かねぇ?」
「市場?」
「おせちの材料とかしめ飾りとか、そーゆーモン売ってると思うんだよな。いろいろ買い込んで、正月の準備したくてさ。いかにも年の瀬、ってカンジだろ?」
「あなた、おせち料理も全て自分で作るつもりなのか? まったく律儀というか、真面目というか」
「そりゃオレ独りだったら、わざわざやらねぇよ。でも今度の正月は、きっとアイツら押しかけてくるだろうし
……
何よりもお前がいるだろ、村雨」
「
……
!」
「和風と洋風、両方たっぷり作るぞ? だから正月の間はそれ食いながら、一緒にのんびり過ごそうぜ。オメーの仕事が休みの時だけでも、さ」
きらきらと目を輝かせて、獅子神が私を見つめてくる。薄青の瞳が澄んだ冬の晴れ空と同じ色で、甘やかに私の視線を絡め取った。
「
……
あぁ、良いな」
つられて私も微笑んだ。誘われるままに、唇を重ねる。舌先が緑茶の渋みの名残りを一瞬感じたが、すぐに絡み合う唾液に溶けて、わからなくなった。
あなたとこうして、季節を過ごしてゆけること。
来年も隣にいて、ぬくもりを感じていられること。
それが、私には何よりも喜ばしい。
絶対に手放したりはしない。どんな未来が相手でも。
「
……
獅子神」
濡れた唇を触れ合わせたまま囁くと、薄く瞼を開いた獅子神が、とろりとした眼で私を見つめた。
「ン?」
「あなたも柚子湯に入って、体を温めて来い。続きは
……
それからだ」
「んー、もう少しだけ、こうしてからがいい
……
」
獅子神が逞しい腕で私を抱きしめて、仰向けにソファに倒れ込む。止まれるかどうかはわからんぞ、と言ってやると、へにゃりと嬉しそうな笑顔を見せた。
窓の外では冷たい北風が、残った木の葉を吹き散らしている。年の瀬の気忙しい風音は暫く耳に煩かったが、獅子神のぬくもりに埋もれていくうちに、あっさりと私の意識から飛び去っていった。
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