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果南(カナン)
2024-10-18 18:24:57
3927文字
Public
さめしし
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水平線の向こうまで
さめしし。ワンドロのお題「境界線」「我儘」で書きました。ししさんの我儘を、さめ先生が叶えてあげたいと思ったお話。DCL後しばらく経ってからの話になりました。
泣いてるけど、この後はまた一緒に進んでいく。
空と海との、境界線。
その向こうに、行ってみたかった。
「
……
憧れてたんだよなぁ」
呟くと同時に、ひときわ高い波が打ち寄せた。でもきっと、村雨には聞こえていたと思う。
ざああぁっ、と足元の砂を、泡立つ波がさらっていく。その音がひと通り収まったところで、村雨が声をかけてきた。
「何がだ?」
相変わらずの、簡潔な物言い。これで会話が成り立ってるのを信じて疑っていない。
オレはズボンを捲り上げた素足を海水に浸したまま、顔だけで振り返って答えた。
「水平線のさ、向こう側だよ。行ってみてえなって思ったこと、無かったか?」
村雨はちょっと考えてから、慎重に口を開いた。
「水平線を追って進んでいけば、いつかは海の向こうの陸地に着く。だから水平線の先にあるものは、平たく言えば何処かの外国ということになるが」
革靴のままでさくさくと砂を踏んで、オレに近づいてくる。波で濡れないぎりぎりの位置まで来ると、深紅の瞳でじっとオレを見つめた。
「あなたが言っているのは、そういう事では無いのだろう?」
「
……
そーだな」
「それくらいは、私にもわかる」
静かに、村雨が笑う。少し寂しそうな微笑みだと思った。
沈みかけている夕陽が、オレたちを照らす。いつも通りのスーツ姿の村雨の、細い影が長く砂の上に伸びていた。
『今度、あなたの我儘を聞く日を作りたい。私にしてほしいことを、何でもいいから言ってみろ』
あの解任戦の、死闘の後。オレの体も、ようやく回復してきた頃に。
唐突に村雨がそう言い出して、オレは随分と悩んだ。
何でもいいから、と言われても、全く実現しそうにない無茶を言うわけにもいかない。かといって、そんなの別にいいぜと遠慮すれば、村雨が不機嫌になるのは目に見えている。
嘘をついてひねり出すのではなく、本当に自分の望むことで、少し頑張れば実現可能で、それを叶えたことで聞き入れた側も満足感を得られる。そんな適切な我儘を提示するのは、思ったよりも難しい。普段のように村雨が何かを要求して、オレがそれを叶えてやる。その方がよほど、オレにとっては簡単なのだった。
『わかったか、マヌケ』
いつまでもオレが望みを伝えきれず、頭を抱えているのを見て、村雨は諭すようにそう言った。
『あなたはもっと、我儘の言い方を覚えたほうがいい。これは、その練習だと思え』
『我儘に、練習とかあんのかよ』
『ある。現にあなたは出来ていないだろう?』
その先を村雨は口にしなかったが、言いたいことはわかった。
村雨は、我儘を言い慣れている。ただ嫌われるだけの無茶な要求と、叶えたくなる可愛い望みの境界線を心得ている。
それは、そうやって育ったからだ。
愛されて成長してきた中で繰り返すことのできた、数えきれないほどの試行錯誤。その結果として、今の線引きを身につけている。ごく自然に。
黙りこんだオレに向かって、村雨は全く臆することなく言い放った。
『
……
誤解の無いように言っておくが、責めたり貶したりしたいわけではない。あなたの我儘を叶えてみたいという、いわばこれも私の我儘だ』
『ははっ
……
』
オレは、笑った。それこそ、ごく自然に。
『お前、ほんっとそーゆーの上手いよなぁ』
『そう思うなら、参考にしろ』
『あぁ、そーするわ。んで、今思いついたんだけどさ
……
』
手招きすると、村雨が顔を近づけてきた。
右側に流している髪を梳いて、指先でそっと払う。いつもは隠れているほうの耳に、唇をつけて囁いた。
『お前の車で、ドライブに行くってのはどうよ? 海を
……
見に連れて行ってほしい』
夕陽はいよいよ水平線に差しかかっていた。海面にオレンジ色の帯が伸び、空の低いところが燃えるように輝く。
それでもオレは、水平線の向こうを見続けていた。
ずっといろいろなものに、憧れてきた。手に入らないものに、怒り続けてきた。
あの戦いでオレは、たくさんのことにケリをつけたけれど。だからといって、全てが終わったわけじゃない。
きっとこれからも、似たようなことはある。オレが生きている限り。
もう得ることができないものを羨み、手にしているヤツとの差に苦しむ。村雨相手にだって、それは起こり得ることなんだ。いくら村雨のことが好きでたまらなくても、それはどうしようもない。
でも
——
「獅子神。そろそろ上がれ」
背後から村雨の声がした。
「足先だけとはいえ、そう長いこと海に入ったままでは体が冷える。あれだけの戦いの後だ。無茶を、するな」
オレは振り向かないまま、背中でそれを聴いた。
極限まで大きくなった夕陽が、燃え尽きるように落ちていく。最後の輝きで、オレを魅せる。
明日また昇るのだとしても。
これが、終わりの光。
「聞こえているか、獅子神?」
村雨が少し早口になった。ざん、と大きな波が来て、その音が被る。捲り上げているズボンの裾が、しぶきを浴びて濡れた。
「潮が満ちてきている。分かっているのか? だから、戻ってくれ」
その声がひどく遠くに聞こえることに、ようやく気がついた。
振り返ってみれば、いつの間にか村雨との距離がずいぶん離れていた。潮が満ちてきて、村雨が濡れないように波打ち際から下がっていって、こうなったんだろう。あるいはオレもじっとしているつもりでいながら、だんだんと水平線のほうへ踏み出してしまっていたのかもしれない。
確かに、これでは心配されるはずだ。だけど、まだ動けなかった。
オレが振り向いたことで、村雨は安堵したらしい。声音がやや優しげなものになった。
「それに
……
これでは、私があなたに触れられない。だから」
「だったら、オメーが来ればいいだろ!」
自分でもわからないうちに、オレはそう叫んでいた。
びくりと村雨の肩が揺れる。
「獅子神
……
」
「今日はオレの我儘を叶えてくれるんだろ? じゃあ、お前がこっちに来いよ! 村雨!」
「
……
!」
村雨がぎらりと、深紅の瞳を光らせる。形の良い唇をきゅっと引き結んだのが、黄昏の遠目にも何故かはっきりと見てとれた。
打ち寄せる波を脚に受け、沈んでしまった夕陽の残照を背に浴びて、オレは睨むように村雨を見つめていた。ここが何かの分かれ目だと、漠然と感じながら。
きっと村雨は、来られない。次に発する言葉でオレを宥め、心を翻させようとしてくる。そうしたらオレは文句を言いながらも聞き入れて、海から上がって一緒に帰る。何だかんだ言っても、それがオレ達だからだ。
——
だけど、違った。
「
……
わかった」
村雨は頷くと、革靴を脱ぎ捨てた。靴下も脱いで、靴の上に放り投げる。スーツのジャケットのボタンを外し、もどかしげに腕を抜いて砂の上に落とすと、スラックスの裾を適当に捲って、まっすぐにオレの方へ歩き出した。
冷たい水の打ち寄せる境界線、弾ける泡が残る波打ち際を越えて。
白い、細い足首が、ちゃぷりと水の中に隠れた。
「ばっ
……
!」
オレは慌てて、浜辺の方へ動いた。入ってみるとよく分かるが、この時期の海水は既になかなか冷たいし、波の力は思ったより強い。少し強い波が来て不意を突かれたら、村雨なら転倒しかねなかった。
そんなことを、させたかったワケじゃない。
「村雨っ」
ざぶざぶと波を足で分けて、近づいていく。そうして名前を呼んだ瞬間、ざあぁっと大きな音がした。
村雨の体が、ぐらりと傾ぐ。
「
……
っ‼︎」
両腕を伸ばして、ばしゃりと大きく踏み出して。
間一髪のところで、細い体を受け止めた。
「
……
獅子神」
「馬鹿野郎! 何やってんだよ!」
ぎゅっと精一杯抱きしめながら、怒鳴っていた。薄いシャツの布越しに、村雨の体温が伝わってくる。
「オメー筋力ねぇんだから! オレと同じようにいくわけないだろ!」
「すまない。だが、あなたの我儘を叶えたかった。私が言い出したことだからな」
「だからって、らしくねーことすンなよ」
「
……
そうだな。心配させて悪かった。でも、あなたの言葉で気づいてしまったので」
「え?」
村雨の両手が動き、オレの背中を撫でていく。背筋を辿る細い指先が、感触だけでわかるほどに震えていた。
次第に強くオレを抱きしめながら、村雨が肩口に顔を伏せる。
鎖骨の上に唇をつけて、絞り出すように言葉を続けた。
「あなたは、見違えるほどに成長を遂げた。だから
……
私も、変わらなくては。私は常に、あなたが誇れる私でいたい。あなたに、置いていかれたくはないからな」
「!」
かっ、と胃の辺りが熱く燃えた。
あっという間に頭に上って、何もうまく考えられなくなる。喉も目の奥も熱くなって、膨れて弾けてしまいそうで。
気がつけばオレは、ぼろぼろと涙をこぼして泣いていた。
「獅子神」
「何言ってんだよ、マヌケやろー
……
オレが、ンなことできるわけねーだろ
……
」
「
……
すまない、獅子神。私は」
「今までだって、オメーがいなければ、オレは
……
いつだってお前は、オレの、いちばんの
……
っ」
それ以上は、言葉にならなかった。
ただ涙を流し、村雨を抱きしめながら聴いていた。すまない、好きだ、愛している、と村雨が繰り返し言ってくれるのを。
オレが頷くたびに村雨が小さく息を吐き、鎖骨の辺りがしっとりと湿る。いつしかそこにも熱い雫が伝い、とめどなく流れて服を濡らしていった。
水平線に残っていた光が消え、防波堤の輪郭が薄闇に沈んでしまうまで。
オレ達はそうして抱き合ったまま、ひたすら一緒に泣いていた。
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