さめしし。ワンドロのお題「スポーツ」「内緒」で書きました。両片想いのさめ→→→←ししが、野球場にお出かけすることになったお話です。さめ先生が、いろいろ我慢できなかったらしい。
前に書いた「計略」(ワンドロお題「お土産」「キッチン」)の、その後のようなお話になっています。
すり鉢状の観客席を埋める、ほぼ満員の客。外野から鳴り響く、応援の歌や楽器の音。大きな画面に映し出されている、両チームのスコアと選手の名前。
オレは今夜、村雨に誘われて、あろうことか野球場に来ていた。
内野の良い席に並んで座って、明るい人工芝の上の選手たちを一緒に眺めている。互いに野球に詳しいわけでもないのにこうなっているのは、昨夜の電話で村雨が唐突に言い出したからだった。あなたは、私と野球を見に行く気はあるか、と。
『なんで野球なんだよ。オメー、スポーツ観戦ってガラじゃねーだろ』
驚きと勢いでそう言い返してしまったが、村雨は特に気分を害した様子もなく、言葉を返してきた。
『それは承知している。が、兄から貰った券があるので』
『お兄さん?』
『そうだ。本当は兄と行く予定だったのだが、急用が出来たらしくてな。無駄にするよりは、誰かと行けば良いと』
『へぇー……』
オメーお兄さんの言うことなら素直に聞くのな、とか、それで一緒に行くのがオレでいいのかよ、とか。
いろいろ思いつく言葉はあったが、とりあえず言わないでおくことにした。
最近、村雨は何かにつけてオレの家にやって来る。出張の土産を持ってきたり、単に肉やら菓子やらを抱えてきたりして。その度にオレは料理をして、村雨はそれを食って、ほとんどの場合は泊まっていく。おかげで、臨時にと思って準備したはずのパジャマは洗濯し慣れてしまったし、ゲストルームはほとんどアイツ専用になっている始末だ。
それが嫌だというワケじゃない。
むしろオレは、村雨がオレの料理を食ってくれるのが好きだった。箸もカトラリーも綺麗に使って、用意したものを美味そうに平らげる。あれこれ我儘を言ってくるのも、裏表が無いので分かりやすく、最早慣れてしまって可愛く思える。そして、要望が叶えられた村雨は実に嬉しそうな様子を見せるので、それでオレもつい楽しくなってしまうのだった。
要するにオレは、村雨のことが好きになってしまっている。たぶん、そういうことなんだろう。
村雨が、このままオレの生活にいてくれればいいと思っている。
だから昨日誘われた時も、わりと嬉しかったりした。買い出し以外で一緒に出かけるなんて初めてだったし、村雨と野球場というミスマッチはめちゃくちゃ気になったからだ。
が、実際のところ村雨は、野球場でも平然としていた。聞けば、学生時代にお兄さんに連れられて、何度か来たことがあるらしい。
『……まあ、兄以外と来たのは、あなたが初めてだが』
さらりとそう言って、オレが硬直した隙に、さっと売店の列に並んで唐揚げとポテトフライを買い込んでいた。そうして試合開始から少し遅れて席につき、村雨は順調に唐揚げの容器を空にして、今に至っている。
試合は五回の裏が始まったところだった。投手戦が続いていて、スコアボードにはずらりとゼロが並んでいる。先発が好調なのは良いことなのだろうが、見に来ている身としては、やや退屈なのも事実だった。
こいつは平気なのか、と横目で村雨を見やれば、細長いポテトフライをさくさくと消費し続けている。こういうところの売店とか、縁日の屋台でしか見かけなさそうな、ひたすら長いタイプのポテトフライ。それが、真顔でもぐもぐと食べている村雨の口の中へ一定のペースで消えていくのは、何となく可愛らしさがあって、微笑ましかった。ウサギとかハムスターとかが餌食ってる動画で、こういうのがあった気がする。
「……何だ」
思わず口元を緩めてしまったのが、伝わったらしい。ポテトフライを飲み込んだ村雨が、横目でじろりとこちらを見てきた。
「いや、お前よく食うよな、と思って」
「日直で、仕事が立て込んでな。昼食がとれなかった」
「じゃあもっと、ちゃんとしたメシっぽいもの食えよ。そんなジャンクなのじゃなくて」
「後でな。今は、これでいい」
村雨はそう言うと、ドリンクホルダーに置かれていた大きな紙コップに手を伸ばした。さっき売り子が通りかかった時に、オレに買わせたやつだ。
すいと重さを感じさせない動作で持ち上げて、口をつける。コップが傾き、こくりと白い喉が動くのが目に焼きついた。
「……それも、珍しいよな」
何がだ、と言いたげな視線が飛んできた。
「ビールだよ。普段集まった時とかには、飲まねぇだろ?」
「それは、そうだが。『やっぱ野球場ではビールだよな』と、兄がいつも言っていたので」
「……なるほど」
オレは深く納得して頷いた。兄たる人物への村雨の懐きっぷりは、どうやら相当なものらしい。正直オレにはぴんと来なかったが、そういう村雨の一面を見られるのは嬉しいことだった。
たぶん、オレだけが知っている村雨だ。これは。
そう思えるのは、ちょっと気分がいい。
こくこくと村雨はビールを飲み、オレはその様子を眺めた。
試合は続いており、場内には応援の音や歌が鳴り響いている。わぁっと周囲がどよめきかけたが、すぐに収まった。ファールかゴロだったんだろう。回が終わり、攻守の交代と次の打者を告げるアナウンスが流れた。
その間に村雨は、順調にポテトを食べ終えていた。残っていたビールをゆっくりと飲みながら、視線を遠くに彷徨わせている。オレも自分のペットボトルを取って、冷たいお茶で喉を潤した。
打者が現れ、応援歌が始まった。ホームチームの攻撃とあって、オレ達の周りでも多くの客が応援グッズを振っている。村雨だけが、静かで、いつも通りの村雨だった。
「そういえば、獅子神」
とん、と紙コップをドリンクホルダーに戻して。
村雨が真面目な顔で、オレを見つめてきた。
「言い忘れていたが、頼みがある」
「な、何だよ」
「今日ここに来たことは、彼らには内緒にしてほしい」
「……え?」
オレは緑茶のペットボトルを持ったままで、固まってしまった。
あまりにも、村雨が言いそうにないことだったので。
「ら、らしくねぇじゃねーか、村雨先生。何でだよ?」
「あれこれ詮索されるのも、面倒なのでな。私にも……大切にしたいものはある」
「お兄さんのこと、か?」
「それもある。が、それだけではない」
村雨の視線が、ひたりとオレに据えられている。いつになく圧をかけられている気がして、顎を引いて身構えた。
目を逸らせば、それで済んだことかもしれない。でも、できなかった。
濡れたように輝く、深紅の瞳。何もかもを見透かす、村雨の炯眼。
その眼が、今は全てでオレを見ている。
「何だよ……それ」
「わからないか、マヌケ」
呆れたように、でも楽しそうに、村雨が言った。
空いている左手に、すっと村雨の手が触れた。細い指先が、オレの手の甲を筋に沿って撫でる。
「……っ!」
動けなかった。右手に開いたペットボトルを持ったままだとか、野球場の詰まった座席で隣の客の迷惑になるからとか、それだけじゃなくて。
ただ、村雨の気配に射すくめられて。
「む、村さ……」
「獅子神」
呼びかけたのを遮って、村雨が手に力を込めてくる。顔が近づいてきて、耳元で囁かれた。
「もう、見えないフリはしなくていい。私が、大切にしたいのは——」
「——だ、獅子神」
わあぁ、っと場内を歓声が満たす。スコアボードに、初めてゼロ以外の数字が輝いた。
そのせいで、村雨の低い声がかき消されて。
でも、わかってしまった。
囁きに続いて、耳にあたたかく柔らかいものが触れて。
それが、村雨の唇だったから。
「なっ何だよ、いきなり……っ! オメー、こんなとこでっ」
「気にすることはない。誰も、他の客のことなど注視してはいないだろう」
「いや気にするだろ!」
熱くなった顔で、それでも何とか音量は抑えて怒鳴ると、村雨はニヤリと笑った。
「では、場所を変えるか。あなたの、お望み通りに」
「え……」
「得点も動いたことだし、もう良いだろう。行くぞ、獅子神」
言うやいなや、迷わずに立ち上がる。オレも慌てて腰を浮かせて、空いた紙コップやら容器やらをまとめて持つと、座席から通路に出た。
すいすいと人を避けて、先の尖った黒髪の後ろ姿が、野球場の出口へと向かっていく。手近なゴミ箱にゴミを捨て、大股で追いついて隣に並ぶと、村雨は嬉しそうに唇の端を持ち上げてみせた。
この後、何が起こるのかと思うと、期待と不安の両方で心臓がばくばくしすぎて、胸が痛い。
ただ一つ、はっきりしているのは。
今日のお出かけに関しては、絶対にアイツらには内緒にしなきゃいけなくなった、てことだった。
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