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果南(カナン)
2024-10-02 05:54:46
6608文字
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さめしし
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On Lazy Day
さめしし。つき合い始めたばかりの頃の二人です。
何も予定の無い日に適当なごはんを食べるししさん、というお友達のアイデアをお借りして書きました。自信たっぷりのさめ先生の愛に、ししさんも少しずつ慣れていってほしい。
休日、だった。
世間一般的にそうとされる日だし、今日はオレにとってもそうだった。
メールの返事だとか株価のチェックだとか、最低限やらなきゃいけない事は朝のうちに済ませてしまった。連休の最終日で、雑用係の二人には一昨日から暇をやっている。ジムは改修工事で閉鎖中だし、賭場での試合も組まれていない。叶は配信で真経津とゲーム対決をすると言っていたし、村雨は学会で出張だ。天堂の予定は知らないが、アイツが単独で予告無しに来ることはまずあり得なかった。
本当に、ひとりっきりの休日。久しぶりといえば、久しぶりだった。
アイツらが来て騒いだり、メシを食わせたりするのは嫌いじゃない。むしろ楽しいし、生活の張り合いになっている。連絡もせずに急に来られるとさすがに困るが、怒りながら迎え入れるのにも慣れてしまった。それに、オレが村雨とつき合い始めてからはそんなことも随分減っている。
その村雨も、今日は出張だ。だから、来る予定は無い。
そう思うと奇妙に身軽というか、腹の中を風が吹き抜けていくような気持ちになった。
ついこないだまで、これが普通だったのに。
今は、村雨の存在が当たり前になっている。
来ないと分かっていると、物足りないだなんて。なんか変だ。
「
……
自分ひとりで、過ごせばいいだけじゃねえか。普通に」
オレは読んでいた本から目を上げて、ため息をついた。書斎の椅子の背に頭を預けて、こめかみを揉む。無意識にスマートフォンを手に取ったが、結局画面を見ずに、机の奥のほうへ放った。
ぐきぐきと首を何度か回してから、読みかけの本にもう一度視線を戻す。でも、内容に集中しようとしても全然頭に入ってこなかった。
「あー、クソっ
……
何なんだよ、もう」
その時、廊下のほうから音が聞こえてきた。洗濯機が止まったことを知らせるアラーム音だ。
これ幸いとばかりに、本を閉じて立ち上がる。洗面所に向かい、洗濯機を開けて、淡々と洗濯物を干した。
慣れている家事、いつもの動作。何も考えずに、ただこなしていける。
でも、自分のぶんだけで少ないから、さほど時間もかからずに終わってしまう。書斎に戻る気にはなれなかったので、キッチンへ向かった。そろそろ昼メシにしてもいい頃合いだ。
なのに冷蔵庫を開けたら、どうにもやる気が出なかった。今から手順を踏んで煮たり焼いたりするのかと考えると、億劫に思えてたまらない。
もういいか、という気分になった。
どうせ食事を作っても、今日食べるのは自分ひとりなのだ。
だったら、もう適当でいいじゃないか。
そう、適当で。
野菜室を開けると、半分だけ残っている大きなレタスが目についた。雑に葉をちぎって、サラダボウルに放り込む。カマンベールチーズとハムの半端な欠片を刻んで散らして、少しだけドレッシングをかけた。
炊飯器には、昨日炊いた白米が残っている。真経津が思ったほど食わなかったので余ったのだ。冷凍したところで、たぶん持て余すだけでどうしようもない。少し糖質オーバーになるけれど、生卵でもかけて食えばタンパク質の補充にもなるだろう。
卵を器に割り入れて、少し醤油を足して、混ぜる。黄身が破れて広がって、透明な白身と渦を巻く。焦茶色の醤油を細く糸のように引き伸ばしながら、くるくる、くるくると。混じり合って、濃い橙色の、ひとつの栄養のカタマリになる。
ふと、幼い頃の視界が重なった。
親の手で温かい食事が並べられることなんて、ほとんど無かった。かといって、まだ自分で料理もできなくて。
でも、たまたま家に米があれば、オレでも何とかごはんは炊けた。さらに運良く賞味期限内の卵まで冷蔵庫にあれば、割って混ぜてかけることができた。炊きたての温かいごはんに、冷たさの残る卵をかけて、どろりと濃い味のメシをがつがつとかき込む。小学生の頃のオレにとって、それは立派なご馳走だった。
口の中に生唾を湧き上がらせながら、力が入りすぎて震える手で、勢いよく卵を混ぜた。間もなく自分が口にする味を思うと、もどかしくて、待ちきれなくて、笑いながら叫びだしてしまいそうだった。
そうして混ぜた、幾つもの卵。
今も、また。同じように。
「
……
何思い出してんだ、馬鹿野郎!」
我に返って、自分を罵った。
炊飯器を開けて、残っているごはんを投げるように茶碗に移す。混ぜたばかりの卵をぶっかけて、がばっと口に入れた。
久しぶりに食べたら、思っていた以上に美味い。勢い余ってほとんど噛まずに、ひと口めを飲み込んでしまった。続けてサラダのレタスをわしわしと噛み砕いて、また卵かけごはんをかき込んでいく。どろりとした口触りと濃厚な味、それを喉の奥に落とし込む時の幸福感。懐かしくなんかないのに懐かしくて、そう思う自分が悔しくて、泣きそうになった。
もう、あの頃とは違うのに。
今のオレは何だって食べられるし、自分でも作れる。今日はオレひとりだから、ただ適当にこれを食ってるだけだ。
やむにやまれずじゃない。自分で選んだ結果として、適当に。
「
……
やっぱ、料理すりゃよかったかな。ハムとレタス入れて炒飯にして、ちょっと中華スープでも作れば、ちゃんとした昼メシになったよなぁ」
手を止めると、自然と口から言葉が出てきた。
料理ができるようになった、今のオレの言葉。
「まあ、分かってるなら作りゃよかったんだろうけどさ
……
」
例えば、今ここに村雨がいたなら。そうでなくても、アイツらの誰か一人でも来ていたなら。
オレは材料が少なかったとしても、それなりにメシを作っただろう。当然のこととして。
それを自分のために出来ないっていうのは、何か、オレの限界なんじゃないだろうか?
オレは、オレ自身のために、出来ることをちゃんとしてやれているんだろうか?
茶碗に残った卵かけごはんと、まだひと口しか食べていないレタスサラダ。両方を交互に、じっと眺めた。
オレが自分のために作ったメシ。
こんな、適当な。
——
その時、外の門のインターホンが鳴った。
間をおいて、二度。確かにオレを呼ぶ音がする。
でも、今日は誰も来るはずのない日だ。どうせ宅配かなんかだろう、と決めつけて、のろのろと立ち上がる。壁際まで歩いて、モニターを覗いて。
「
……
っ!」
あり得ない結果に、思わず声を上げかけた。
映っているのは、村雨だった。いつもの、表情の読めない顔つきで。
慌てて門扉のカギを解除して、玄関に向かう。ドアを開けると、小さなスーツケースを携えた村雨が立っていた。
「どうしたんだよ、急に。オメー確か、今日まで学会で出張だって言ってなかったか」
「早く帰れそうだったので帰ってきた。それに急に、ではない。連絡を入れたが、あなたが応答しなかったので心配した。見たところ体調に問題は無いようだな」
「あ
……
」
そういえば洗濯機が止まった時に、スマートフォンを机に放ったまま、洗濯物を干しに行って。そのままキッチンに向かってしまったから、ずっと書斎に置きっぱなしだ。
「
……
すまねぇ、スマホ見てなかったわ」
「何事もなかったのなら、それでいい。勝手に予定を変更したのは私のほうだ。気にするな」
そう言って村雨は、そのまま踵を返そうとする。
慌てて肩を掴んで、引きとめた。
「いや、何で帰るんだよ。せっかく来てくれたんだから上がってけばいいだろ」
「
……
いいのか」
「今日は何も予定ねぇし、その
……
オメーに会えたの嬉しいから、勿体ねぇな、って
……
あっでも、もしかしてこれから仕事なのか? だったら別に」
「いや、今日は仕事ではない」
口元にわずかに微笑みを浮かべて、村雨は首を横に振った。
「学会参加だからな。今日までは代医を立ててある」
「じゃあ
……
」
「あなたの言うとおり、上がらせて頂くとしよう。私もあなたに会えて嬉しい、獅子神」
村雨は靴を脱ぐと、スーツケースは玄関に置いたままで、すたすたと洗面所へ向かっていった。こうと決めたら遠慮はしないのが実に村雨らしい。
「おい、荷物どーすんだよ。置きっぱなしかよ」
「後でいい」
水を出して手を洗う音に被せて、簡潔な答えが返ってくる。やれやれと思ったが、勝手に触って怒られても嫌なので、そのままにしてリビングへ戻ろうとした。
そこで、気づいた。メシを食ってる途中だったことに。
しかも、適当に作ったメシとも言えないようなメシだ。とても人に見せられるようなもんじゃない。
——
村雨に、見られたくない。
大股で廊下を突っ切って、急いでリビングへ入った。テーブルの上の皿と茶碗を掴んで、キッチンへ向かう。
とりあえず冷蔵庫に入れればいいだろうか。でも村雨がおやつを漁ろうとして開けたら、食べかけの皿を見ただけでたぶん全部バレる。やっぱりもう捨ててしまって、ゴミ袋も変えれば。いや、そんな余裕あんのか。
「
……
何をしている、獅子神」
ぎくっとして、振り返る。村雨がもう、リビングの入口に立っていた。
両手に皿と茶碗を持ったまま立ちつくしているオレを見て、呆れたような眼をしている。
食べかけの、どうしようもないメシを持ってるオレを。
「村雨
……
いや、その」
「食事中だったのなら、続ければいい。なぜ慌てて隠そうとする? 突然邪魔をしたのは、私のほうだ。あなたが遠慮する必要は全くない」
だったら何でそんな眼で見るんだよ、と思ったが、どうやらそれはきっちり伝わったらしく、村雨はため息をつきながら補足してきた。
「私が呆れているのは、あなたが不要な気遣いに労力を割いているからだ。食事は、大切だ。いいから私にかまわず食べろ」
言い方は相変わらずだったが、声には諭すような優しさがあった。
「でもよ
……
別にそんな、立派な食事とかじゃねーんだよ。だから、その」
「そんなことを気にしているのか、マヌケ」
村雨はつかつかと歩み寄ってくると、ひょいとオレの手元を覗き込んだ。
「わっ⁉」
「
……
ふむ。何が問題なのだ?」
卵かけごはんとレタスサラダを交互に眺めてから、じっとオレの顔を見上げてくる。いたたまれなくなって、オレは目を逸らした。
「だってよ
……
食うのは自分だけだからと思って、スゲー適当に準備したんだよ。オメーやアイツらが居る時と、全然違ってさ
……
そーゆーとこ見られるの、やっぱ恥ずかしいじゃねーか」
「ひとりで自宅に居る時に気が弛むのは、当然のことだろう。むしろ正しくリラックスしていると言っていい。何も恥ずかしいことではない」
すっと村雨の手が伸びてきて、オレの頬に触れた。軽く力がかかって、村雨のほうを向かせられる。
「だから、ちゃんと私を見ろ、獅子神。私は何もあなたを馬鹿になどしていない」
深紅の双眸が、まっすぐにオレを射抜いてくる。畏れずに確かめろ、と言い聞かせてくる。
その視線に、オレを見下すようなところは微塵も無かった。
強くて、揺るがない。そして、あたたかい。
「村雨
……
」
「わかったか、マヌケ」
いつもの調子で言い放つと、村雨はちょっと笑った。
「それに、冷蔵庫から食材を出してきちんと皿に盛りつけている時点で、私から見れば十分に立派だ。私ひとりでは、家でそんなことはしないからな」
「
……
何だよ、それ。自慢することじゃねーだろ」
「仕事中だと、更に壊滅的だぞ。そもそも食事を摂れないこともザラにあるからな。食堂でゆっくり昼食などそうそう有り得ないし、空いた時間に売店で何か買えれば御の字だ」
「お前、食事は大切だ、ってさっき言ってなかったっけか」
「理論は完璧に把握していても、実践は必ずしも容易ではない」
村雨が真面目な顔で言い募るので、オレは笑ってしまった。
ずっと持ったままだった皿と茶碗を、キッチンのカウンターに置く。両腕を伸ばして、そっと村雨を抱きしめた。
「先生
……
自分の体は大切にしろよ。いやマジで」
「そうだな。わかってはいるのだが」
「でも何か、スゲーよな。そういう、出来ないことでも堂々としてられるのって」
「あなた相手に取り繕っても仕方がないだろう。私たちは晴れて恋人同士となった。これからずっと、一緒にいるのだからな」
村雨の手が、背中を撫でる。そのまま包むようにオレを抱きしめてきた。
「だから、あなたもありのままの姿を見せてほしい。気が抜けていようが、情けなかろうが、かまわない。どんなあなたでも、私には等しく愛おしい
……
今日は、初めて見るあなたを見られて嬉しかった」
「
……
おう」
オレは顔が熱くなるのを感じながら、やっとのことで返事をした。村雨の遠慮のない物言いは今に始まったことじゃないが、それがこういう形で自分に向けられるとなると、何とも恥ずかしい。この先ある程度慣れたとしても、自分が同じようなことを村雨に囁けるようになるとは到底思えなかった。
きっとオレは、一生コイツにはかなわなくて。
でも、一生こうして大事にしていくんだろうな、と。
火照った頭の奥でぼんやりと、すごく自然にそう思って、腕の中の細い体を改めてしっかりと抱きしめたのだった。
「
……
ところで、獅子神」
ひとしきり、そうして触れあったあとで。
村雨が、おもむろに顔を上げた。
「ん?」
「私も腹が空いた。あなたと同じものが食べたい」
「え⁉」
「あなたと同じものが食べたい」
「だから録音はやめろって!
……
あのな、これマジで残りもの片付けようと思って食ってたンだよ。だから、レタスと白米がもうねぇんだ。今から炊いたら、時間かかっちまうだろ?」
「
…………
」
村雨は実にじっとりした、無念そうな目つきでオレを見上げてきた。
「んな顔すんなって。ホットケーキでもパスタでも、すぐできそうなもん作ってやっから。何がいい?」
「
……
ミートソースがいい」
「了解。でもイチから煮込むわけにいかねーから、半分既製品になるぞ」
「かまわない」
「わかった。んじゃ、座って待ってろ」
オレは村雨から体を離すと、料理に取りかかった。
パスタ用の寸胴鍋に水を満たして、火にかける。ミートソースの缶を開けながら、冷凍していたひき肉を解凍する。缶のソースそのままでは、肉が足りないと文句を言われるのは明らかだからだ。ついでにトマトとほうれん草とマッシュルームも刻んで、具の足しにする。コイツは絶対にもっと野菜を食ったほうがいい。
ソファにでも座ってゆっくり待っていればいいのに、村雨はカウンターの向こうにじっと立っている。見てても面白くないだろうに何してんだ、と思って顔を上げたら、オレの食べかけの皿からレタスを摘まんで、ぱくりと口に放り込んだ。
「あっコラ! それ、食べかけだぞ⁉」
「普通に、美味いが」
「いやそうじゃなくて! 気になんねーのかよ⁉」
「兄からも、よく好きなおかずを貰っていた。同じようなものだと思うが」
「同じか? それ
……
」
聞けば聞くほど、村雨の兄という人物は寛大で偉大すぎる。兄とはいえこの村雨に懐かれ、甘やかしまくる度量を持ち合わせているなんて、いったいどんな奴なのか。
でも、その大好きな家族にするのと同じような振舞いをされている、てことは。
オレも信頼されて、甘えられてるってことなのだろう。
村雨と恋人同士だなんて、まだちょっと実感が湧かなかったりするけれど。
きっと少しずつ慣れて、当然になっていくのだろう。こうして一緒にいるうちに。
「ほら、もうそれ食っちまっていいから。ちゃんとあっちで座って食べろ。んで、パスタ茹で上がるまでおとなしく待てよ」
「わかった」
新しい箸を出してやると、村雨はサラダの皿と箸を持って素直にテーブルへ移動した。
鍋の湯が沸いたので、パスタの乾麺を投入する。フライパンでひき肉と野菜を炒め、缶のソースを合わせて温めながら、残されていた卵かけごはんの茶碗を手に取った。全部持っていかなかったのは、村雨なりに気を遣ってくれたのだろう、たぶん。
スプーンを持って、深呼吸をひとつして、茶碗の中身をかき込んでいく。
もう、昔と同じ味はしなかった。
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