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果南(カナン)
2024-09-10 18:56:49
3866文字
Public
さめしし
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小さな日常:退勤
さめしし。仕事上がりのさめ先生をししさんが迎えに来ている小話です。
こんな感じで仕事中にもししさんのことを想ってしまうさめ先生の日常をいっぱい妄想したい。
スクラブの上下を脱ぎ捨てて、使用済みと書かれた大きな籠に放り込む。続けてアンダーシャツも名前が消えていないことを確認して、同じ籠に突っ込んだ。医局と氏名さえ書いてあれば、洗濯が済んで翌週には自分の机まで返ってくる。
軽く汗を拭いて、手早く自分の服を着る。眼鏡をかけ直して鞄を持ち、ロッカーを閉めて更衣室を出た。
「おっ、村雨。今日はもう上がりか?」
医局に戻ると、奥のソファーに寝転がっていた先輩が起き上がりながら声をかけてきた。テーブルの上には、コンビニ弁当の空き容器と缶コーヒーが雑に置かれている。音を消したテレビが、くだらんバラエティ番組を映し出していた。
「ええ。先輩は、当直ですね」
もう上がり、という一言に早いな、とのニュアンスが込められているのは伝わってきたが、敢えて無視して言い返す。確かにいつもよりは早いが、それでも二十一時はゆうに回っているのだ。世間的には十分遅い退勤と言えるだろう。
最も、つい先日までの私なら、そんな感覚も忘れていたが。
オメーは働きすぎだよ、と愛しい恋人から事あるごとに言われるようになってしまっては、己の基準も改めざるを得ない。
「おう。あと十分弱で一台来るぞ。派手な吐血で、ウチのかかりつけだって救急のヤツが言ってきた。来たら、呼ばれる」
「予約済みってわけですか」
「そーゆーことだ」
大学病院なので、救急車の初期対応は基本的には救急科の仕事だ。が、各科の専門的な対応が必要だったり、通院中で主治医が定まっているような患者が夜間に訪れた場合には、それぞれの科の当直医が叩き起こされることになる。今回は外科で手術した患者だと救急隊からの情報で既に判明しているから、連絡を受けた救急科の医者が、救急車が来るより先に外科当直をつかまえておいた、という状況だ。
ちらりと先輩が投げてくる視線に気づかないフリをしながら、自分の机に向かう。ファイルから論文のコピーを幾つか選んで、鞄に移した。どれも彼の家での空き時間で読める程度の、軽いものだ。そういった論文を溜めておくのも、最近では楽しみのひとつになっている。
「なあ、村雨」
ぱちん、と鞄の留め金を閉める音と、先輩の声が重なった。
すかさず顔を上げて、はっきりと釘を刺しておく。
「今日は遠慮します」
「何だよ、俺まだ何も言ってねーぞ」
苦笑いされて、少し反応が早すぎたかと反省する。ここは賭場ではなく職場だし、相手はあの突拍子もない性格と実力の持ち主たちというわけでもないのだから。
が、今日は面倒な急患を引き受けるわけにはいかないのだ。この場で先輩が納得できて、後から他の上司や同僚にこの件を言いふらされても問題ないような理由を、さらりと繋げてみせる必要があった。
「直明けで、そのまま朝からトタールのオペに入っていたので。流石に帰って寝ますよ。明日は教授回診ですし」
「あーそうだったな。マーゲンにしちゃ長びいてたもんな、そっちのオペ
……
んじゃ仕方ねーわ」
人の良い先輩はあっさりと引き下がって、ひらひらと追い払うように手を振ってくれた。
「気をつけて帰れよ
……
って村雨、確か車通勤じゃなかったか? 運転、大丈夫か?」
「今日は置いて帰るので」
「そっか、それがいいな。んじゃ、また明日」
「お疲れさまです」
軽く頭を下げて、医局を出た。急ぎ足で、いつもとは違う出口から建物を出る。
目指すのは、外来用の駐車場だ。暗い構内の道を突っ切って最短距離で向かう。ゲートの脇を抜け、ほとんど空っぽの駐車場に入り、ぼんやりと明るい角燈の下を通り過ぎていく。光のあまり届かない一番奥の隅へ近づくと、既に見慣れた高級車が止まっていた。
私の姿を認めたらしく、扉のロックが外れる音がする。遠慮せずに助手席のドアを開けて、体を滑り込ませた。
「お疲れさん、村雨」
私が扉を閉めるのを待って、運転席の獅子神が微笑んだ。
「すまない、遅くなった。待たせたか」
「
……
いや、別に? さっき来たとこだぜ」
答えるまでに、不自然な一瞬の間。わずかに泳いだ視線。
私は鞄を足元に置きながら、ため息をついて首を振った。
「見え透いた嘘は不要だ。どうせこの後、出庫時にゲートに駐車券を通せば、入庫時間が表示される。そんなことにも気づかんのか、マヌケめ」
「いっ、いーだろ! 暇だったからつい何となく、早く来ちまったんだよっ!」
真っ赤になって獅子神は怒鳴り、ぷいとそっぽを向いた。
私は笑いを噛み殺しながら、手を伸ばす。赤くなった頬をそっと撫でて、こちらを向かせた。
「ありがとう、獅子神。仕事終わりに、すぐにあなたに逢えて嬉しい」
「村さ
……
」
答えを待たずに身を乗り出して、やわらかい唇に口づける。感じやすい上唇を数度喰み、開いたところに舌を挿し入れて、温かい内側を堪能した。
「ん
……
ぁふ
……
っ」
口蓋を擦り、舌を絡ませあう。獅子神の喘ぐ息が喉の奥から漏れてきて、戸惑いも、感じ方も直に伝わってくる。それが何とも喜ばしくて心地良く、背筋がぞくぞくと震えた。もっと深く吸って、味わって。今すぐにでも、逢えなかった間の分を埋めてしまいたい。
しかしいくら人気の無い夜とはいえ、外来駐車場の片隅の車内では限度というものがある。溢れかけた唾液を舌で送り込み、こくりと獅子神が喉を動かしたところで、名残りを惜しみつつ唇を離した。
「っは
……
おい、村雨先生
……
」
シートに頭を預けたまま、潤んだ目で獅子神がこちらを睨んでくる。
「何だ」
「ちょーっとがっつき過ぎなんじゃねーの? ここって一応、職場の敷地内だろ」
「夜に外来駐車場を訪れる者は皆無ではないが、多くは病院の建物に近い入口付近か、もしくは明かりの傍に車を止める。こんな一番奥までわざわざ来るのは、それなりのやましい目的を有した者だけだ。あなたも、それでこの暗い隅を選んだのだろう?」
「だーっ! あぁそーだよ! おかえりってキスしてやりてぇなあって思ってたら、先を越されて悔しかっただけだよ‼ だから真顔で全部読み取ってんじゃねーよ全くもう!」
獅子神は顔をさらに赤くしてそう叫ぶと、両腕をハンドルに載せて突っ伏してしまった。
「たまにはオレにも、イイ格好させろよな
……
ほんっと、さぁ
……
あぁもう
……
」
かすれた小さな声でぶつぶつ言っているのが、逞しい腕の間から漏れ聞こえてくる。
私は、半ば呆気にとられながら、そんな獅子神を眺めていて。
本人にとっては不本意かもしれないが
——
なんと可愛らしいのだろう、と思ってしまった。
体の奥から、ふつふつとあたたかいものが湧き上がってくる。幾度も起こされた昨晩の当直の酷さも、朝からマヌケな執刀医の助手で長時間苦労させられた疲れも、あっという間に何処かへ飛んでいってしまったようだった。
あなたが、こうして隣にいてくれるだけで。
私はこんなにも、心豊かでいられる。
あなたを愛する幸せを、ひと時ごとに噛みしめていられる。そして、もっとあなたに愛されたいと願ってしまう。
「
……
獅子神」
私はそっと手を伸ばして、伏せられたままの獅子神の頭に触れた。
美しい金髪に指をくぐらせ、すべらせるように梳いていく。
「すまなかった。確かに、事を急ぎすぎたのは良くなかったな」
「
……
」
「あなたからキスしてもらえる絶好の機会を逃すとは、私もマヌケなことをしたものだ。あなたの家に着いたら、是非やり直しをお願いしたい」
ぴくっと獅子神の肩が揺れた。そのまま少し待つと、ゆっくりと顔が起こされる。
まだ赤みの残る頬は、先ほどの昂りを残して色艶にあふれ、明るい碧色の瞳は、暗い車内で星のように私の眼を捉えた。
「お前、意外と頼み事すんの、下手だよな
……
」
「何かまずかったか」
「
……
いや、もういい。いいけど、帰った時はキスだけだぞ。そのままなだれ込もうとすんなよ」
「私は、あなたの全てが欲しいが」
「それは風呂と食事を済ませてから! どっちも、ちゃんと準備してっから! まずはゆっくり温まってしっかり食って、人並みに疲れを癒してからにしろよ激務の村雨先生!」
言うやいなや、獅子神は腕を伸ばしてきた。ぐいと後頭部に力がかかって、引き寄せられる。
ちゅっと唇を重ねて、軽く舐めるだけのキスをして。
獅子神はすぐに、私を離した。
「とりあえず! それで家に着くまでおとなしくしてろよ!」
「
……
そうしよう」
「車、出すぞ」
「ああ、頼む」
シートベルトを締めた獅子神が、エンジンを始動させる。私もシートベルトをして、快適なシートに体を預けた。
ゆっくりと動き出した車が、駐車場のゲートに向かう。精算のために獅子神が駐車券を入れると、入庫時間が表示された。案の定の数字だったが、それについては何も言わないことにする。
「
……
また、迎えに来っから」
夜の道に車を滑り出させながら、獅子神が言った。
「無理はするな」
「無理じゃねぇよ。できることがあったら、してやりたいだろ」
「では、私の示した時間をちゃんと守れ。あなたの気持ちは嬉しいが、愛しいあなたを無駄に待たせるのは私の本意ではない」
「わかったよ」
言いながら獅子神がウィンカーを出し、ハンドルを回す。遠心力がかかって、体が少し傾いた。
戻らないうちに、腕を伸ばす。
獅子神の大腿にそっと手を置くと、大きな手が優しく包んでくれた。
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