果南(カナン)
2024-03-15 06:19:22
4944文字
Public グラシエ
 

旅路

夜明けに艇の甲板で語り合う、グランとシエテのお話です。
遅ればせながら、グラブル10周年おめでとうございます! これからも皆の旅路が、末長く楽しいものでありますように。(初出:2024/03/11)


 ひとつずつ、星が消えていく。
 漆黒だった空が、端から少しずつ白くなっていく。徐々に薄い黄色から橙色を帯びて、辺りがぼんやりと明るくなっていく。
 グランサイファーの甲板の最後尾、細くて急な階段を登った先の、小さな区画。そこで僕はひとり、夜明けの空を眺めていた。
 風は少し冷たいけれど、強すぎず、心地よい程度に吹いている。次の島に着くのは昼過ぎの予定だから、降りる仕度もまだゆっくりでいい。同じように考えている団員が多いのか、心なしか艇全体がいつもより静かな感じだった。
 澄みきった空気が、僕の頬を撫でていく。途切れとぎれに浮かぶ雲が、形を変えながら流れていく。
 目の前に広がるのは、いちめんの空。
 あの日、旅立った時と変わらない。
 でも——
「あ、団長ちゃんだー?」
 突然の聞き慣れた声で、僕は振り返った。
 跳ね放題の金髪がひょこりと揺れて、階段の上り口から覗く。続いて笑顔を見せたシエテは、最後の数段を身軽に跳んで、ひらりと僕と同じ床に降り立った。
「おはよう、シエテ。早いね」
「ん、おはよー。団長ちゃんこそ」
 まだ夜明けだよー?、と言いながら、シエテは僕の隣までやってくる。冬物の私服に風除けのマントを引っかけただけの、気楽な恰好だった。
「いつから此処にいたの? 昨晩は寒かったでしょ」
……そんな、夜中からとかじゃないよ。せいぜい半刻前くらい……
 言い終わる前に、シエテが手を伸ばしてくる。ぴた、と頬に指先を当てられて、顔をしかめられた。
「それでも、ずいぶん冷たいよ。無理しちゃ駄目でしょ」
……ごめん」
「わざわざ暗いうちから、独りでたそがれなくてもさー。悩みがあるなら、お兄さんに相談してくれればいーのに」
 はあぁ、と大げさにため息をついて、シエテは手すりに頬杖をつく。上体を屈めて、両手で顎を支え、視線を遠くの空へ向けた。
 毛先の跳ねた金髪とマントが、澄んだ風にはためく。
 翡翠の色の瞳が、夜明けの光で薄く輝く。
 僕はその横顔をしばらく眺めてから、答えのまとまらないままに口を開いた。
「別に……悩みとかじゃなくて」
 どこまでも、続いている空。
 ゆったりと、飛んでいく艇。
「ただ、思い出していたんだ。旅立った日のこととか……いろいろなことを」
 瘴流域を越えて、いくつもの空域を渡って。
 たくさんの人に、星晶獣に、それ以上の知らなかった存在に出会った。
「僕は、星の島に行きたくて……父さんに会いたくて。ルリアのこととか、他にもあるけれど」
 自分のために、始めた旅だった。
 そのはずだった。
「でも、今は」
 たくさんのひとが——主に、ヒトじゃないひとが。
 『特異点』と、僕を呼ぶ。
 いつの間にか、そうなっている。
「このままで、いいのかな」
……どういうこと?」
 シエテが頬杖をついたまま、軽く首を捻ってこっちを向いた。
 瞳が一瞬、きらりと輝く。翠玉の光が鋭く、僕を貫こうとする。
 予想外に緊張感のあるシエテの反応に、僕は気圧されかけた。軽く手すりに乗せていた自分の手が、冷たい木の表面を思わず握りしめてしまう。本能のままに足を一歩引きたくなるのを、何とかこらえる。
 少し迷ったけれど、思ったままの、正直な言葉を口にした。
「星の島に行くことは、諦めたくないよ。でも、僕は……いいのかな。このまま、旅を続けていいのかな」

 ざあぁっ、と。
 星が、いっせいに瞬いた気がした。
 辺りはもう明るくなりかけていて、星はあらかた薄くなってしまっているはずなのに。
 まるで満天の星空が、つかの間ここに現れたかのように。

……許可が、欲しいの?」
 低く場を圧する声で、シエテが言った。
 いつの間にか手すりから身を起こして、僕の正面に立っている。すっと胸の前で開いた右手に翠玉の光が一筋現れて、剣の形を成した。
……!」
「それとも、後押し?……俺の?」
「違っ……!」
 反射的に、叫ぶ。
 どっ、と力が向かってきた。防護の青い光を展開するより速く、剣拓の鋭い切っ先が僕の喉元に迫る。
 ぎゅっと目を瞑った。
 耐え難い痛みに、少しでも耐えられるように。

——なーんちゃって!」
 うって変わって明るい、シエテの声が響いた。
 驚いて目を開くと、眼前の剣拓が無数の光の粒に変わる。ぱっと飛び散ったかと思うと、シエテの足元の甲板が強く輝いて、翠玉の光の粒たちはそこへ吸い込まれていった。
「シエテ……?」
 唖然としたままで、彼の名を呼ぶ。
 全身の筋肉が、緊張を解いてよいのかと迷って凝ったままになっている。まだ心臓も、ばくばくと早鐘を打っていた。
「びっくりした? ごめんね」
 シエテはにっこり笑って傍まで来ると、ぽんと僕の肩を叩いた。
「ま、座ろうよ。ほら、グランちゃんはこっち」
 手近な木箱に腰かけて、とんとんと自分の隣を差し示す。ようやく緊張がほどけてきて、僕はこわばっていた体をぎこちなく動かしてシエテの隣に腰を下ろした。
 二人で並んで座って、暁の空を眺める。いよいよ夜明けが近づいていて、東の空は滴るようなオレンジ色から澄んだ蒼色まで、低いところから高いところへと見事な移り変わりを見せていた。千切れながら浮かぶ雲が、薔薇色に染まって輝いている。
……意志を失った者は、力を揮うべきじゃない」
 視線は東の空へ向けたままで、ぽつりとシエテが言った。
「信念に支えられていない力は、ただ危険なだけだからね。まあ、世の中には危険な信念も山ほどあるわけだけど……それはそれとして」
 ゆっくりとシエテが振り向いた。
「団長ちゃんなら、わかるよね。俺の、言いたいこと」
……
「キミは、諦めていない。だったら、それでいいんじゃない?」
 シエテはそう言うと、口元をわずかに持ち上げて微笑んだ。
 
 空が、ひときわ明るくなった。
 太陽が、昇ってくる。雲の向こうから、輝かしい姿を見せてくる。
 眩しさに目を細めながら、僕はシエテに言われたことを考えた。

 確かに僕は、諦めてなんかいなかった。
 剣拓に喉を貫かれる、と思ったあの瞬間にさえ。
 どうやって耐えて、傷を癒すか。立ち向かい、生き延びるか。
 それしか考えていなかった。

「その諦めの悪さは、団長ちゃんの長所だよね」
 僕の心を読んだかのようにシエテが言った。思わずムッとして、口を尖らせてしまう。
「何、それ」
「意志が強いってことだよ。褒めてるんだよ」
 シエテは笑って、また手を伸ばしてきた。今度は、くしゃくしゃと頭を撫で回されてしまう。
「ほんっと、頼もしいよねぇ。グランちゃんてばさぁ……強く、なったね」
 その声色は、とても穏やかで、優し気で。
 僕はちょっとびっくりして、シエテを見つめた。
「シエテ……
 大きな手が髪をかき回しているから、落ちてきた前髪が邪魔で、シエテの表情がよくわからない。
 でも、笑っているように見えた。
 そうだといいな、と思った。
「キミが、旅を続けてきたから」
 シエテが静かに言葉を続けた。
「俺も、みんなもキミと出会った。そしてキミが旅を続けていく限り、共に行く仲間が……こんなにたくさんいる。それは、凄いことなんじゃない?」 
……うん」
 僕は頷いた。シエテが、僕の頭から手をはずす。
 ぐしゃぐしゃになった前髪をかき上げながら、シエテの顔を見た。
 ——笑っていた。
 ほっとした。

 ずっと旅を続けてきて、本当にいろいろなことがあった。
 辛いことにも、苦しいことにも、数えきれないほどぶつかってきた。
 でも、それ以上に多くの笑顔に出会って。信頼できる仲間、信頼してくれる仲間がたくさんいる。
 だから、僕はこれからも進んでいく。
 終わりの見えないその先まで、遥かな僕の旅路を。
 
「元気、出た?」
 僕の顔を覗きこむようにして、シエテが言う。
「うん。ありがとう、シエテ。でもね……
 頷き返しながら、これだけは釘を刺しておかないと、と思ってシエテを軽く睨んだ。
「だからって、あんなことしなくても良くない⁉︎ いきなり至近距離で、剣拓飛ばしてくるとかさ……僕、本っ当にびっくりしたんだからね!」
「あははー……ごめんってば」
「笑い事じゃないよ! 僕が死んだらどうするつもりだったの!」
「ちゃんと直前で止めるつもりだったよー。それに、あれが一番手っ取り早かったでしょ?」
「はぁ⁉︎ 何、それ!」
 僕が詰め寄ると、シエテはひらりと飛び下がって僕との間合いを大きくあけた。いつ木箱から立ち上がったのかも分からないほどの素早さで。
 思わず頬を膨らませた僕を見て、くすくすと笑う。
「気が済まないなら、手合わせでもする? まだ朝食には間があるでしょ」
……剣、持ってきてないよ」
 ひとりで空を見るだけのつもりだったから、さすがに剣は部屋に置いてきていた。普段着で防具は何も身につけていないし、腰には最低限の小さなナイフだけだ。
 でも、僕の返答を聞いて、シエテは大げさに肩をすくめてみせた。
「グランちゃーん……俺を、誰だと思ってるのさ」
 シエテの足元が、強く輝く。
 手の内に、翠玉の光が現れる。あっという間に長く伸びて、見慣れた剣の形になった。
「はい、グランちゃんのぶん」
 ぱっと投げて寄越された剣拓を、慌てて受け止める。その間にシエテはもう一本の剣拓を手に出して、下の甲板に飛び降りていた。風除けのマントを脱ぎ捨てて隅のほうへ放り、準備運動よろしく肩を回しながら振り返る。
「ほら、おいでよ。魔法でも技でも、何でもアリでいーよ」

 ひらひらと剣拓を振って、跳ね放題の金髪を朝の光に輝かせて。
 この上なく楽しそうに、シエテが笑う。
 強くて、大人で。物騒なことも言ってるのに。
 無邪気な子供みたいに。

「まったく、もう……!」
 かなわないな、と思いながら天を仰いだ。
 太陽が昇るにつれて、空の色が濃さを増していく。すっきりした深い蒼が、高いところに広がっていた。
 空は、こんなにも広くて。知らないことが、まだいっぱいあって。
 僕は、楽しいから旅を続けている。
 それを、改めて思い出させてくれた。
 誰よりも強い、シエテらしいやり方で。

 目を閉じて、深呼吸をひとつ。
 まぶたに光を受けて、澄んだ風をいっぱいに吸い込んだ。
 渡された剣拓の柄をしっかり握って、目を開ける。助走をつけて、思いっきり床を蹴って、下の甲板に飛び降りた。
「手加減、しないからね。僕が勝ったら、ちゃんと謝ってよ」
 間合いをとって剣拓を構えると、シエテがにっと笑った。
「いいねぇ。じゃあ俺が勝ったら、明日の夕食はオムライスね!」
「え?」
「団長権限でどうにかしてよ。できるでしょー?」
 そりゃローアイン達にお願いすれば、何とかなるだろうけれど。でもそれには、事の成り行きを説明して、自分が負けたことも話さないといけなくなるわけで。
「なんか悔しいなぁ……それ……
「大丈夫だって。グランちゃんが勝てばいーんだからさ」
 ——まあ、負けないけどね。俺は。
……っ⁉︎」
 最後の言葉が聞こえた、と思った時にはもうシエテが突っ込んできていた。もの凄い勢いで剣拓と剣拓がぶつかり、キィン、と高い音が鳴り響く。
 慌てて跳び下がったところに、シエテが別の剣拓を立て続けに飛ばしてくる。火の壁を張り巡らしてそれを弾いて、打ち返しながら続けて魔法を撃った。
「おっ、やるねぇ。さっすが団長ちゃん!」
……負けないから!」
 体勢を低くして、甲板の床を蹴る。幾度も剣を振り、技を放っては防ぎながら、いつしかシエテも僕も笑っていた。
 旅を続けてきたから、今、この時間がある。
 それは、これからも変わらない。
 剣戟と魔法の炸裂音で目を覚ました団員たちが次々に甲板に出てきて、驚いたり呆れたりしながらも協力して、ついに僕たちの間に割って入って止めるまで。
 僕とシエテは輝く朝の光の中で、美しい剣拓を打ち合わせていた。