荻谷
2025-08-29 20:14:30
3869文字
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誰も知らない

今日は旧暦の七夕らしいので七夕のお話をうpしました!!

 本部に着いた大吾をまず出迎えたのは、大きな笹だった。
 重厚な扉のそばに立て掛けられたそれは、かなり大きく、素人目に見ても見事なものであった。
 立派な幹は上にいくに連れ先細り、青々とした葉が生い茂っている。首を垂れてもなお、大吾より少し背が高い。そよぐ浅緑の葉は涼しげで、照り付ける日差しを忘れさせてくれた。随所にぶら下げられた色とりどりの短冊も、忘れていた童心を思い出させてくれる。なんとも夏らしく、見ているだけで気分が上がる。
 問題は設置されている場所だ。
 一体誰が無断で置いたのか。なんとなく予想はついている。
「おはようさん、今日も暑そうな格好してんなあ。大吾ちゃんは」
 独特の訛りが混じった軽い声で名前を呼ばれ、大吾は返事の代わりに鋭い視線を返した。ひらひらと手を振る真島の手の中で、複数の色紙が同じように揺れている。想像通りの姿にため息を吐き、額に手を添えた。
「これ置いたの真島さんですよね?」
 げんなりとした表情を隠しもしない大吾が確認を取ると、真島はへらへらと首を振った。
「ワシちゃうで」
「嘘つかないでください!あんた以外に誰が置くっていうんだ」
 きつく詰め寄るも、真島は怯むことなく戯けながら肩を竦めた。
「ホンマにちゃうって、冴島の兄弟が置いたんや」
 今ここにはいない男の名に、大吾はぴたりと動きを止める。
「兄弟が、近所の祭りを手伝ったらしくてな、そのお礼で貰ったんやって。んで、そろそろ七夕やし~ってことで昨日の夜置いてってたっちゅうわけや」
「冴島さんが……
 少しだけ悩む素振りを見せてから、もう一度笹に目を向け、納得したように頷いた。
「なら、このままにしておきましょうか」
 冴島への甘い対応に、今度は真島から冷ややかな視線が飛んでくる。
 大吾は真島の視線を気にすることなく、笹に手を伸ばした。さらさらとした触り心地のいい葉と緑の匂いを楽しむ。
 それから、近くに括られている短冊に手を伸ばそうとして止めた。人の願いを勝手に見るのも無粋だろう。
 しばらくの間、大吾の様子を大人しく観察していた真島が徐に口を開いた。
「大吾ちゃんも書くか?」
 手にしていた短冊の中から一枚大吾に差し出す。断ろうと開いた口を一度噤み、差し出された紙を受け取る。
「せっかくなんで、いただいておきます」
 たまには、こうした行事を楽しむのも悪くない。掌に収まる紙を見詰め、大吾は上機嫌に目を細めた。
 
 ♢
 
 会長室に設置された大きな窓からは、真夏の陽射しが燦燦と降り注ぎ、目に痛いほど眩しい。
 空調を効かせてもやや暑さを感じさせる部屋の中で、大吾は今日も今日とて書類の山と向き合っていた。ネクタイをキッチリと締めた見るからに暑そうな装いにも関わらず、涼しげな表情を浮かべている。
 しかし、見た目とは裏腹に、心の中では鬱屈した思いを抱えていた。
 捌いた枚数と同数だけ次々に舞い込んでくる書類を前に、腰を逸らし、息を詰める。ふと視界の隅に、白黒の書類の傍で居心地悪そうに佇む薄青の紙が映った。厳格な室内において場違いとも思えるそれは、今朝真島に手渡された短冊である。
 大吾は、仕事の手を止め、短冊を引き寄せた。ペンを片手に、願い事を考える。
 いくら頭を悩ませど、浅葱色の紙の上に黒い点が増えていくばかりで一向に願いは浮かばなかった。
 捻くれた子供であった自覚はあるが、昔は、もっとすんなり書けていたような気がする。
 夢を見るのを辞めたのはいつからだろうか。早く大人になりたいと願っていた過去が懐かしく、羨ましい。
 手持ち無沙汰にペンを指の上で回す。くるくると滑らかに回転する様を見つめていても妙案は浮かばない。
 そろそろ仕事に戻ろうか、とペンを掴んだ時、静かだった部屋にノック音が響いた。
「入ってもよろしいでしょうか」
 聞き馴染みのある男の声に、入室を許可する。続けて扉が開く音がして、苛立った顔をした峯が現れた。
「失礼します」
 茹だるような暑さの中でも澄ました顔を崩さない男のこめかみに珍しく汗が伝っている。普段は皺ひとつないスーツはややくたびれていて、大吾は、峯がここに来るまでに真島に絡まれたことをなんとなく察した。
「なんなんですか、あの笹は」
 峯の刺々しい口調に、ふふ、と小さく息を漏らし、それから件の笹について軽く説明をする。
「冴島さんが街の祭りの手伝いのお礼で貰ってきたんだってさ。それで、置き場も無いからここに」
 話を聞き終えた峯は、はぁ、とため息混じりに興味無さげな相槌を打った。
 そして、本来の要件を果たすべく、手にしていた鞄を開いた。同時に、ひらりと一枚の紙が落ちる。
 橙色の小さな長方形の紙を訝しげに拾い上げ、首を傾げる峯とは対照的に、それに見覚えがあった。
「真島さんからだろ?俺も同じのもらった」
 仕方なさそうに笑いながら、手元の短冊を峯に見せる。大吾が手にしている短冊と自身の手にあるものを交互に見てから、一層眉間の皺を深めた。忌々しげに鞄の奥底に仕舞おうとした峯に「なあ」と声を掛ける。
「一緒に書かないか?」
 
 二人で向かい合って座り、各々短冊と向き合う。
 場所を変えたところで、願い事は浮かばない。どれだけ眺めていても文字が浮かんでくることもなく、大吾は退屈すら感じ始めていた。
 峯の方を盗み見ると、迷うことなくペンを走らせていた。意外なその姿を思わず凝視する。視線に気がついた男が顔を上げた。ばち、と視線が絡み、一瞬見つめ合う。
 大吾は峯の方へ身を乗り出し、ふわりと微笑みかけた。
「なんて書いたんだ?」
 峯は、自身に向けられる好奇心から逃げるように目を逸らし、短冊を手で覆った。
「内緒です」
「いいじゃん、俺らの間に隠し事は無しだろ」
 駄々を捏ねる大吾に、峯は困ったように視線を彷徨わせる。それから、おずおずと口を開いた。
……大吾さんの短冊も見せてくださるなら」
「ああ、もちろん」
 二つ返事で了承し、峯の前に自身の短冊を翳した。ぱっと顔を輝かせた峯だったが、その表情は瞬時に曇っていった。
「まだ書いてないじゃないですか」
「俺は願うより叶える方が得意なんだ」
 軽口を叩く大吾にじっとりとした視線を向ける。それからむっと拗ねたように唇を尖らせ、顔を背けた。
「大吾さんが見せてくださるまで絶対見せません」
「えー、なんだよ。参考にしようと思ったのに」
 ぶつぶつと文句をぼやく大吾を峯は、まるで教師かのような口ぶりで嗜めた。
「短冊に書いた願い事は人に見せると叶わなくなるそうですよ」
 峯の一言に、それまで暗く沈んでいた大吾の思考にぴん、と光が差した。
 机の上に雑に放置していたペンを取り、願い事を書き込んでいく。滑るように筆を走らせ、あれだけ悩んでいたのが嘘のように書き上げた。
 完成した短冊を掲げ、全体を確認する。
『峯の願いが叶いますように』
 思いついた時は、名案だと思ったが、見返してみると少し恥ずかしいような気もする。得意げだった表情に照れが混ざる。
 短冊を書き終えるのを待っていた峯が、大吾の様子に気づき、弄っていた携帯を卓上に置いた。
「書けましたか」
 覗き込もうとした峯から逃げるように短冊を隠す。
「やっぱ見せない」
「どうしてですか。見せてくださるって約束しましたよね」
「恥ずかしいから嫌だ」
「何を書いてても笑いません」
 素直な思いを伝えても引き下がる気配を見せない。頑固な男を前に、ぐっと奥歯を噛み締める。先ほどまで同じように強請っていた身として、強く拒むことも出来なかった。
「叶わなくなったら、嫌だし」
 罰が悪そうな顔で、ぽつりと呟く。峯は愉快そうに口角を歪めると、さらに身を寄せた。
「あなたの願いは、なんでも俺が叶えます。だから安心して見せてください」
 息遣いを感じるほどに近づいた顔にたじろぎながらも、目が逸らせない。視界いっぱいに広がる端正な顔にじわじわと頬が熱くなっていくのを感じた。見開いた瞼の中で瞳が揺れる。いつの間にか峯の手が握りしめた短冊に伸ばされているのに気がついて、大吾は慌てて立ち上がった。
「見せねぇって言ってんだろ!」
 手にした短冊を抱きしめるように胸の前に運ぶ。
「早く括りに行くぞ」
 身を翻し、背を向けたまま照れ混じりの強い口調で命令する。
 颯爽と立ち上がり、大吾より先に扉に着いた峯は「どうぞ」と戸を押さえた。口角を片側だけあげたような表情でこちらを見据える。じっと見つめれば、不思議そうにあごを上げた。いつもなら気にならない余裕な態度が鼻につく。
……ありがとう」
 自分でもわかるほど拗ねた声で短く礼を告げる。そのまま彼を待つことなく、大吾は階段を下った。
 
 笹の前に着くと、朝よりも沢山の短冊で飾られていた。
 所狭しと色紙が並ぶ中、スペースを見つけた二人は特に会話を交わすこともなく、短冊を括り付ける。上部に通された細い針金を捩りながら、大吾が話を切り出した。
「お前はこういうの書くの苦手だと思ってた」
 ちらりと大吾の顔を見てから、平坦な声で呟く。
「俺の願いは一つですから」
 平然とした態度を保っているが、僅かに口元が緩んでいる。そんな峯に釣られて大吾も柔らかく笑った。
 風が吹き、笹の葉が小さく揺れる。誰かの願いが、ひとつ、またひとつと、空に昇っていく音がした。