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史加
2025-08-29 08:17:43
11264文字
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zzz(アキ悠)
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君という鏡に映る恐怖は僕のかたちをしている
アキ悠/怖がりなアキラと強がりな悠真の話
ミイラ取りがミイラになるとはよく言ったものだ。
辺りをぐるりと見回して、アキラは深くため息をついた。偏光する瓦礫の山々と冷えた空気は馴染み深いホロウ特有のものであると一目見て判断出来るが、先程までいた場所とは一変している。だって記憶にある限りでは、人々が去って久しい、しんと静まり返った廃屋の中を歩き回っていたはずなのだから。
事の発端は邪兎屋のニコが持ってきた依頼だ。なんでもニコのお得意様の友人たちが郊外のホロウに隣接する廃屋で肝試しをしていたところ、ひとりが行方不明となってしまったのだという。外部から観察した結果、建物の一角がホロウに呑み込まれていることが判明し、行方不明者はホロウに迷い込んでしまったのではないかという推測が立てられた。そのため、捜索にあたりプロキシの力を貸してほしいと頼まれて、邪兎屋の面々とともに件の廃屋へ足を踏み入れたのである。
廃屋に関しては、様々な噂がインターノット上で広がっていた。元々はある名家の所有する邸宅のひとつで、郊外に暮らす孤児たちの受け入れ口として使われていた。しかし所有者がホロウ災害に巻き込まれて亡くなった際に諍いが起こったようで、詳細は不明だが孤児院の経営は破綻してしまったらしい。残された子どもたちは皆餓死した、あるいは孤児院を出てよそに助けを求めるも野垂れ死んだ、あるいはホロウに迷い込みそのまま行方不明になった、などと憶測が飛び交っている。
いずれにせよ旧孤児院は無人の廃墟となったのだが、あるとき深夜に屋敷の近くを通りかかった傭兵が、子どもたちの声や、何かを求めて這いずり回るような音を耳にした。幻聴かと疑い日を改めて仲間とともに訪れたところ、仲間もその声や音を聞いた。不審に思った彼らは屋敷に足を踏み入れて調べるも、中は荒れ果てた状態で、人が暮らしている痕跡などもない。一通り調べ終え、お互いに疲れていたのかもしれないと結論付けて屋敷を出たが、それ以降同じ声や物音を聞いたという噂がインターノット上で囁かれるようになり、噂の真偽に興味をひかれた若者たちの肝試しスポットと化したのだった。
行方不明となったそのひとは、元々怪談やオカルトに興味を持っていて、今までにもバレエツインズの怪談の真偽を確かめようとしたり、新エリー都各地にある心霊スポットを訪れたりと、なかなか危険な橋を渡ってきた人物だという。五体満足で毎回帰還し続けていた彼の幸運もついに途絶えて、今回の事件が起こってしまったようだ。
自業自得だと言わざるを得ないものの、人命が関わっている以上アキラに協力しないという選択肢もない。それにインターノット上の噂話は正直おそろしいものばかりだが、ホロウが関わるのであれば話は別である。ホロウの外では怪談と扱われる摩訶不思議な事象も、ホロウに入ればエーテリアスやエーテルの影響で引き起こされる現象として説明がつく
――
すなわち幽霊のような怪奇ではなくなる。
だから噂は噂に過ぎず、目的はホロウにあると言い聞かせて、廃墟に満ちるすえた臭いや、鬱屈とした暗闇、軋む床板の音ひとつに逐一肩が跳ね上がりそうになるのを耐えながら、アキラはホロウの入口を探していた。プロキシとして培った経験を活かしてそれを探り当てるまでは想定の範囲内だった。
ただ、その入口が部屋の扉を開けたすぐ先にあったこと、そしてそこは不安定な裂け目で、アキラひとりだけが呑み込まれてニコたちとはぐれてしまったのは、想定外だったが。
「
……
本当の意味で肝試し、というわけだ」
呟き、まずは身を隠せそうな場所を探す。エーテル適性が格段に上昇して長時間のホロウ内での活動にも耐えられるようになったとはいえ、武器も持たなければそもそも戦う術を知らない非戦闘員のアキラが開けた場所で突っ立っているのは自殺行為に等しい。ここがホロウの中であるならいつエーテリアスが現れてもおかしくなく、彼らとの交戦だけは避けなければならない状況だ。ひとまずは物陰に隠れながら慎重に進み、データ収集に使えそうなスタンドやホロウの出口を探すべきだろう。行方不明者の捜索は二の次で、まずは仲間との合流を目指さなければならない。
ニコたちはきっと他にホロウに通じている入口を見つけて、廃屋の外で待機しているリンと連絡を取り、アキラを探しに来るはずだ。それまでに無茶は控えつつ、出来ることをやろうと歩き出す。エーテルに侵食された瓦礫だらけのホロウの中は不気味だが、先程までいた廃墟に比べればおそろしくはない。
――
ホロウの中でエーテリアスと遭遇しても平気なのにホラー映画は苦手なんて、アキラくんにもかわいいところがあるんだねぇ。
瓦礫に身を潜めて歩きながらふと、そう言われたことを思い出す。
からかうような口振りで、けれどどちらかというとやわらかく受け止めるような、そんな声で言ったのは、対ホロウ六課所属の執行官であり、紆余曲折を経て深い仲となった青年、悠真だ。何かの任務に駆り出されているのか、ここのところはビデオ屋を訪ねてくることも、メッセージのやり取りをすることもなく、顔を見ていない日々が続いている。インターノットには六課の緊急出動を報じる投稿も上がっていないので体調を崩しているという可能性もあるが、その場合は他の六課の誰かしらがアキラに知らせてくれる。それもないので、おそらく表には出せない重要な任務を極秘裏に遂行しているのだろうと推測し、こちらから不要な連絡をするのも控えていた。
最後にやり取りをしたのはいつだったか。思い出すと途端に気になり始めてしまうもので、気を抜けない状況だというのにアキラの頭の片隅に悠真の存在が居座ってしまう。ざらりと肌を撫でるエーテルの混じった空気が、もしかすると少しだけアキラの精神状態に影響しているのかもしれない。だとすればこの辺り一帯のエーテル濃度は他よりも高い可能性があり、それはエーテリアスとの遭遇リスクへと繋がるものだ。プロキシとしての長年の経験が冷静に状況を俯瞰して分析する一方で、悠真の姿が脳裏を掠める。
彼の単独行動は珍しいものではない。表向きの六課の仕事として上層部や世間に知られては不都合が生じると判断した調査は、柳と口裏を合わせて悠真ひとりで遂行することもあれば、完全に独断で行われることもある。アキラが悠真の抱える秘密を知り、その生い立ちに触れることになった一件も、悠真の個人的な問題であるからと六課の誰も途中まで詳細を知ることはなく、彼女たちの耳に報せが届いたのは他ならぬアキラがそうしたからだった。
――
どうして悠真のことがこんなにも気になるんだ?
理性が思考にストップをかける。荒れ果てた道を進む足を止めて、アキラは周囲を見回した。相変わらずエーテルに侵食されて風化しつつある瓦礫の山と、郊外特有の赤茶けた岩や砂ばかりの光景が広がっている。あの廃屋の一角、ホロウに呑まれた部分は広大な迷宮への「入口」でしかなく、非常に不安定な裂け目となっていたらしい。
思考を分析に集中させる。
そもそも廃屋となる前の屋敷はホロウの近くにあったものの、当時はそれなりに距離があり、一角がホロウに呑み込まれてはいなかった。これはFairyに収集させた情報だからほぼ間違いない。だから何らかの理由でホロウが拡大し、建物の一角が呑み込まれた。
問題は屋敷が廃屋となり、噂が流れるようになったのがここ半年ほどの話だということだ。つまりこのホロウでは急激なエーテルの活性が起こったか、あるいは活性を促す何かが行われ、アキラが呑まれた裂け目の不安定さからもその原因は未だに解決していない可能性が考えられる。
今立っている場所にパンドラの箱が埋められている危険性に気付き、背筋を冷たい汗が滑り落ちていく。何がまだ大事な情報を見落としてはいないか。長年の経験から培われた勘がアキラに囁く。脳裡を掠める不自然な記憶は、見落とすべきではない違和感を示す警鐘なのだと。
「
――――
」
立ち尽くすアキラの耳に奇怪な音が届いた。
はっと顔を上げ、咄嗟に近くにあった岩陰に身を潜めて、音のした方向を覗く。
開けた一帯に白いマントのようなものが翻り、ゆらりと舞うのが見えた。弓の形をした刃を扱い遠距離からも近距離からも攻撃を仕掛けてくるエーテリアス
――
タナトスだ。姿を消し、瞬間移動してこちらの不意を突くことに長けているあの化物は厄介な相手で、特殊個体としても識別されている。
幸い相手はアキラに気付いていないようだが、この場を去る気配もなかった。まるでここ以外の居場所を知らないかのように、あるいは迷子のようにその場に佇み、時折辺りを索敵している。気付かれないうちにこの場を離れるべきではあるが、相手は手練のエージェントですら苦戦する強敵だ。ほんのわずかにでも気配を気取られるような真似をしてしまえば最後、その凶刃は間違いなくアキラへと向けられるだろう。
緊張と恐怖が心臓を駆り立てる。どっどっと忙しなく脈打つ音さえも相手に届いてしまう気がして、思わず胸の辺りを押さえた。こういうときこそ冷静さを欠いてはならない。だが今アキラはホロウの中でひとりきりだ。選択を間違えてはならない局面を前に、死の気配をはっきりと覚えた人間の脳は理知的な思考を破棄し、恐怖に侵食されていこうとする。
経験と知識、そしてまだ起こっていない事象に対する予想や推測。今は想像に過ぎないが現実となりうる可能性を持つそれは、人の心に恐怖心を植え付け、瞬く間に育て上げる。世に出回るホラー作品もそういった人の心の動きを利用して恐怖を増長させる手法を取っているものが一定あるが、そうだと分かっていても簡単に制御出来る感情ではない。
冷静になれ。考えろ。そう己に言い聞かせたところで、指先が冷えて、手のひらが脂汗で湿り、呼吸が浅くなるのは、戦う術を持たぬ人間なら当然のことだ。
タナトスはまだアキラに気付いていない。ただその場にひっそりと佇んでいる。なぜ動かないのか。相手が動かないというのならこの場を離れるチャンスであるし、相手との距離もそれなりにある。足音を立てずに静かに、ゆっくりと離れて、別の道を探せば生き延びられる。
けれどアキラの頭の中で引っかかる。どうしてこんな郊外の、あまりひとに知られている訳でも、調査対象となる訳でもないホロウにタナトスなんてものがいる?
急激なホロウの拡大。
……
タナトスといえばメリノエ。エーテリアス。傭兵たちの耳にした声や物音。廃墟と化した孤児院。
……
行方知れずの孤児たち。身寄りのない子どもたちの価値。
……
実験。
経験が、知識が、情報が頭の中で錯綜する。今すべきではない思考がアキラの両足を地面に縫い止める。心臓が激しく脈を打ち続ける。背筋を冷たい汗が伝い落ちていく。
真相を探るにも、とにかく仲間と合流するのが先決だ。拳を握り締めて思考が作り上げる恐怖を振り払い、アキラは顔を上げて相手の様子を見ようとした。見ようとして、その個体の足元に何かがあるのに気付いた。
薄汚れ、破れてるが、それは布のようだ。黄色く細い、布切れのようなもの。
「っ、」
そんなはずはない。
だけど、いつから連絡を取れていない?
ホロウに足を踏み入れてからどうして何度も脳裏を過ぎった?
どうしてアキラだけが裂け目からホロウに迷い込んだ?
――
まるで、招かれているみたいじゃないか。
「はる、まさ、」
ふらり、と。
アキラの足は勝手に物陰から、エーテリアスの索敵範囲内へと踏み出していた。
明後日の方向を見ていたエーテリアスが、振り返る。白いマントがなびく。頭部に据えられた禍々しいコアが、アキラを、捉える。
脳が描いた「恐怖」を
――
「伏せろ!」
流星のごとく駆ける矢が、引き裂く。
耳に届いた声を頭が理解するよりも先に脊髄で反射して身体が動いた。屈んだ瞬間、青い稲妻を纏う鏃が白い悪魔の顔面に突き刺さり、音を立てて弾ける。
一体何事かと、困惑する暇もない。荒涼としたホロウの中で黄色のハチマキが鮮やかになびくのも、重たそうな深緑色の上着が腰元で大きく翻るのも、おそるべき脚力で地を蹴り飛ばし敵へと肉薄する戦士の繰り出す斬撃の鋭さも、幾度となく目にしたものだったから。
左右の手に握られた刃が交互に振るわれ、敵を斬り裂く。瞬間移動する隙も与えられぬエーテリアスだが一方的に攻め入られる気もないようで、抵抗を示してその手にある刃を振りかぶる。けれどそれが彼の身に届くことはない。敵との距離を測るのに長けた目はもう双剣を弓の形に引き戻して飛び退き、化物の放った一閃を華麗に避け、そのまま空中より鮮やかに羽を落とす。
まさしく猛攻だった。雷を纏い真っ直ぐとエーテリアスへ飛ぶ矢がその腕部を貫き、そのおぞましいエーテルの身体に十字の紋が青白く浮かぶ。ほんの一瞬怯んだ化物の懐には、またも弓を剣へと変えた彼が潜り込んでいた。電光石火と呼ぶにふさわしい、目にも止まらぬ動きに化物は圧倒されて膝をつく。切り刻まれた腕が落ち、胴部が崩れ、崩壊していく。一切無駄のない洗練された戦士の動きは、ここがホロウで、つい先ほどまで命の危機に瀕していたことすら忘れるほどに美しい。
恐怖の象徴は息を呑む間もなく消し去られた。怪しげな光を放っていたコアが消え、白いマントが綻びてエーテルの粒子へと変わり、辺り一帯へと散っていく。茫然と立ち尽くすアキラの目の前で、鮮やかな黄色のハチマキと濡羽色の髪が揺れる。
「要救助者発見、っと。遅くなってごめんね、相棒。怪我はない?」
息ひとつ乱さず軽やかな声で尋ねてくる青年
――
浅羽悠真は、いつも通りにその金糸雀色の目にアキラを捉えて微笑んだ。その足元には、彼に対する冒涜にもひとしい幻像をアキラの脳裏に描いた、薄汚れた布が踏み締められていた。
かつて郊外にあった孤児院の没落と、そこで行われていた「実験」の噂が悠真へと提供されたのは二週間ほど前のことだ。その情報提供者とは以前、個人的に仕事を頼んでいたし、その仕事はもう終わりだと伝えてビジネス上の関係に終止符を打っていた。相手にはもう、かつての依頼人が求めていた情報に関わりそうなものを知ったところで教える義理もない。だというのにわざわざ夜中に郊外からバイクを吹かせてやってきたその男は「あんたに知らせておいたほうがいいと思った。ただの勘だ」とだけ言って、ディニーも受け取らずに去っていった。
後日別の方法でその手にディニーを握らせる算段を立てながらも、悠真は柳に情報を共有した。彼女の許可を得て単独での任務にあたることにしたのは、情報を掴んだ時点で少なくとももうすべては手遅れで、救える命はないと判断したからだ。見つけ出せるとしたらこの世から葬るべき薬のサンプルか、その実験とやらの資料だけだろう。だが、郊外をうろつくホロウレイダーの手に渡っては困る代物でもあるのも確かである。実験の詳細も、そこから生み出されたものがあるのかも、すべては調べ上げなければわからない。もしかするとすべて失敗に終わっていて何もない可能性もあるが、それならそれで第二、第三の犠牲者が生まれていないことに胸を撫で下ろすだけのこと。いずれにせよ調べないという選択肢はなく、悠真は可能な限りすべての情報を拾い上げて、精査して、推測を立てて、このホロウにたどり着いた。
まさかそこでかのプロキシが要救助者になっているとは思いもしなかったことだが。
「そういうわけで、最近ずっとここのことを調べてたんだ」
『だったら最初に私たちに声をかけてくれたらよかったのに』
掻い摘んで経緯を話しながら歩く悠真は、イアスと同期しているリンの言葉に内心反省した。最初からパエトーンと手を組んでいれば今回のような事態は避けられたからだ。
インターノット上でかの孤児院が肝試しスポットとして噂になっているのは知っていた。だから悠真は廃屋に立ち入ろうとする者を見かけ次第声をかけ、身分を明かし、対ホロウ六課が極秘裏に調査に当たっている危険な場所なのだと伝え、情報の拡散を止めるよう頼んで対応していた。対処療法的なやり方ではあったが、話題になっているとはいえわざわざ郊外まで足を運ぶ人間もそう多くはないし、この新エリー都では日々様々な噂が新しく出回り飛び交っているからすぐにこの廃墟のことも忘れ去られるだろうと、安易に判断してしまったのがいけなかった。舌の根に苦いものが広がっていくのを感じながら、アキラの様子を見る。
長時間ホロウ内で活動出来るようになったと聞いていたが、どうやら本当のようだ。アキラの足取りはしっかりしていて、顔色も悪くない。あの化物の前に自ら一歩踏み出してその身を晒したときには肝が冷えたものの、エーテル侵食により幻覚を見ていた訳でもなく、碧のひとみには確かな光が宿っている。
『でも、悠真がいて本当によかったよ。お兄ちゃんがひとりだけ裂け目に呑まれたあとすぐに他の入口を見つけたんだけど、なんとそこから行方不明になってた人が出てきたの。その人を病院に連れていくのに人手が必要だったから、誰がお兄ちゃんを助けに行くかで悩んでたんだ』
「僕としてはあんたらがあの廃墟の中にいたことにびっくりしたけどね。簡単に事情を聞いて、イアスと同期したリンちゃんと一緒にホロウに入ったらあんたはエーテリアスに襲われかけてるし」
「それは
……
心配をかけてすまなかったね。けど、助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
情報共有の片手間にアキラを観察するが、リンと悠真の話をきちんと理解出来ているし、返ってくる言葉もはっきりしている。意識レベルに問題が生じている様子はない。これなら病院に連れていく必要はないだろうと判断する。
なら、どうしてあんな真似をしたのか
――
リンがいる手前、悠真の目に映った真実は伏せておいてあげたほうがいい気がして言葉をすり替えたが、アキラの不自然な行動については言及しなければならない。ホロウを出たら適当な理由をつけてアキラとふたりきりになれないかと考えているうちに、安定した空間の裂け目が三人の目の前に現れる。
先導するように歩いていたイアスがぴたりと足を止めて、振り返った。
『この先が出口だよ。私は感覚共有を切ってニコたちにお兄ちゃんのことを知らせに行くから、お兄ちゃんはイアスを連れて帰ってきて。悠真、車あるよね?』
「え? あるけど
……
」
『じゃあお兄ちゃんのことよろしく!』
ぴょんと跳ねて愛らしく手を振ったイアスが、そのままぴたりと大人しくなる。どうやら本当にリンは感覚同期を切ったらしい。
気を遣われたと捉えるべきか。否、きっと彼女のことだ。これが最適解であると判断して、悠真に託したのだろう。
「
……
だって。それじゃあ行こうか、アキラくん。安心してよ、安全運転で六分街まで送っていってあげるからさ」
片腕でイアスを抱え、空いた手でアキラの手を握り、悠真は歩き出す。
しかと握り返された手は温かいが、ほんの少しだけ震えている気がした。
ホロウを出ると、すでに世界は夜の帳に覆われていた。郊外の夜は都会と比べると生きものの気配がはるかに少なく、静かで、ひっそりとしているが、ネオンの光がない分星が明るい。
充電切れの近いイアスをスリープモードにしてH.A.N.D.の公用車の後部座席に乗せたあと、悠真は運転席に乗り込むでもなくボンネットに体重を預けて空を見上げていた。隣には同じようにアキラが並び、無言で星を見つめている。
ふたりの間にある沈黙は穏やかだ。人前では何かとよく喋る悠真も、アキラの前では必要以上に口を開かない。そうする必要性を感じない。たとえば今、アキラがあのエーテリアスに襲われた衝撃から抜け出せずに震えているのなら、悠真は言葉を尽くして安心させるのに努めただろうが、星を映す花緑青のひとみは凪いでいる。恐怖に陥り錯乱した人間の姿は影も形も見当たらず、ただあと少しだけ、待つ必要があることだけが明らかだった。
アキラも賢い男だ。それにリンの兄である。だから妹がなぜ気を遣ってくれたのかなど、言うまでもなくわかっているだろう。
「
……
悠真。聞いてもいいかい」
やわらかくも芯のある声が、夜のしじまを打つ。
「もちろん」
悠真は頷いた。少しだけ固い声になってしまったのは、嘘をつく気がないからだった。
「君の任務は、終わったのか?」
ひゅう、と乾いた郊外の風が吹き抜けて、埃っぽい大地をタンブルウィードが転がっていく。都会では嗅ぎ慣れない土の匂いをこの虚弱な肺に満たすのはあまり良くないかもしれないと思いつつ、悠真は口を開いた。
「終わったよ。結論から言うと、他人に見つかったら困るものは何ひとつ残ってなかった。研究資料も、いかにも怪しげな薬も、何もね。ここでどういう実験が行われていたのかは、推測でしかわからない。ただ、少なくともここのことについては全部片付いたから安心してよ」
他には? と、自らアキラに促す。空を映していた碧のひとみが悠真へ向けられるのは、なんだかゆっくりと首を絞められているようだった。
「どうして
……
、」
開かれた唇が四音を紡いだあと、迷うように閉ざされる。責めるような言い方になってしまうのではとおそれたのか、それとも己に踏み込む権利があるのだろうかと迷ったのか。口ごもるアキラはやはり、優しい男だ。
ふ、と口元を緩めて、悠真は小さく笑った。
「僕もね、迷ったんだ。あんたの手を借りるか、ひとりで調べるか。別にこれ以上知られて困ることもないし、事情を知っているあんたの手を借りていればこんなことにもならなかった。正直、エーテリアスに襲われかけているあんたを見て、僕は後悔したよ。リンちゃんの言う通り、最初から声をかけておけばよかったって。そしたらあんたをあんな危ない目に遭わせることもなかったのに、ってね」
間に合ったからよかったけど、とあえて明るい声で付け足して、星空を見上げた。ちかちかと瞬く星の光が針のように胸に刺さる。時が経つほどに込み上げてくる苦味と、頭の中で繰り返される反省によって生まれる痛みはいつだって飲み込むのに時間を要するものだ。だけど今慰められるべきは悠真ではない。
アキラを助けることだけは出来た。調査の結果も、悠真の想像する「最悪」には遠いものだった。ただ、研究資料も、おそらく作られていただろう薬のサンプルも「見つからない」ほどの何かが、ここでは起こった。ホロウが急速に拡大するほどの、何かが。
「僕たちに声をかけなかったのは、巻き込みたくなかったからなのかい?」
尋ねられて、悠真は目を伏せる。アキラの声には案じる色が滲んでいて、こちらを責めているわけではないとわかるものだというのに、心臓を握り込まれているような感覚がした。
「うーん
……
巻き込みたくなかったっていうより、そうする必要はないと思った、かな」
開いた唇は重たいが、言葉を紡ぐのにもつれることはない。
「今回みたいにお互い別々で行動してたって、たまたま同じ場所に行き着く可能性はあるけど、あんたたちが追っているものと僕が精算したいものは違うでしょ。僕の事情に付き合わせたばかりにあんたたちが目標の手がかりを見失う、なんてことになるのは本意じゃないんだよね。あれだけ迷惑かけておいて言うのもどうなんだ、って話だけど」
それは本心であり、どれほど悠真がアキラに心を許しても譲れないと思っていることのひとつだ。もっと正確に言うと、アキラを大切に想っているからこそ譲りたくないことでもある。
アキラは悠真の生い立ちを知り、目的を果たすところを見届けてくれた。今まで誰にも打ち明けたことのない秘密を受け入れてくれたそのひとに、今更隠す必要のあるものはない。けれどだからと言って何でもかんでも自分の事情に彼を巻き込むのは違うとも思っている。彼は悠真と違ってまだ目的を追う途上にあり、また、目的を同じくする最愛の妹がいるからだ。
彼らの進む道は険しい。今回悠真が彼らにわざわざ見せる必要もないと判断したものは、この世界の醜悪の一部を切り取ったものにほかならない。これよりももっと醜い世界の側面を彼らはいずれ直視することになるのかもしれないけれど、だからと言ってそういったものとの対面に慣れておく必要だってないはずだ。そんなもの、人間が簡単に慣れていいものではないし、慣れていなくても彼らを支えてくれる人々は大勢いる。だから今回のことに関しては、ひとりで確かめて片付けたかった。
沈黙がまた訪れる。アキラは悠真の言葉を反芻するのに時間をかけているようだった。銀の髪が夜風にさらさらとなびき、月の光を反射して輝くのを他人事のように眺めながら、再び彼が口を開くのを待つ。砂混じりの風よりも海辺の風のほうが好きだが、ふたりでこうして風に吹かれながら過ごす時間はやっぱり悪くない。
「
……
そうだとしても、君の事情に関わりたいと言ったら?」
やがてアキラは控えめに尋ねてきた。基本的に温厚で、物事に対する距離の置き方を正確に計ることの出来る男だが、たまにそうやって私情を出してくるのが人間くさくてどうにもずるい。
細く息を吐き出して、悠真は肩を竦めてみせる。
「アキラくんの力がどうしても必要なときはちゃんと呼ぶよ」
我儘を言われても譲れないのだと言外に示すと、アキラは少しだけ寂しそうな顔をした。心臓をぎゅうと締め上げられるような痛みに苛まれても、発作で慣れっこの悠真は平気だった。
今はもうこれ以上追求したとて悠真を強請れないと判断したのだろう。わかった、と聞き分けのある大人のふりをして頷いたアキラが居住まいを正す。悠真もボンネットに預けていた身体を離して、公用車に乗り込むことにした。
アキラが運転するビデオ屋の社用車に乗せてもらうのが常だから、こうして悠真が運転席に、アキラが助手席に乗るのは不思議な感じだ。しっかりシートベルトを閉めて、車通りのほとんどない郊外の道路を走り始める。公道ではないので飛ばしてもよかったけれど、安全運転で送ると言った以上、アクセルをガンガンに踏むような真似は出来ない。法定速度を守って走る公用車は、ふたりを日常へと連れ帰る。
寂れた郊外の景色はゆっくりと去っていき、寝静まった六分街のものに変わった。まだ夜は深いが。もう数時間も経てば空は白み出して朝を迎える。
すっかり通い慣れたビデオ屋の前で悠真は車を停めた。シートベルトを外して降りようとするアキラに、そういえば、と敢えて今思い出したように取り繕って声をかける。
「前にも言ったと思うけど、目の前に化物が現れたら近寄ったりしたらダメだよ。危ないから」
あのときのアキラの不自然さを見逃すつもりはない。元々そのためにふたりきりになれないかと思っていたし、すっかり気の抜けたところであれば彼も口を開くだろうと、そう思ってここまで喉元に留めておいた言葉だった。
助手席のドアを開けようとしたアキラがぴたりと動きを止める。
「
……
君がそれを言うのは、ずるいな」
引っ掻き傷を自分の手で撫でておきながら痛がるような声に、ごめんね、とは口が裂けても言えない。
「あんたが怖がりすぎなんだって。まあ安心しなよ、僕の目が黄色いうちはお化けくらい追い払ってあげるからさ」
せいぜい悠真に出来るのは、虚像を射抜き、現実を照らすことだけだ。
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