有栖川
2025-08-28 22:20:22
11439文字
Public 10月吸血鬼パロ本
 

ダンス・イン・ザ・ヴァンパイアホーム/01

吸血鬼パロのkiis。原作沿いifパラレルで、サッカーしてるし監獄もあるけど、異種が普通に人間と混じっている世界観。
吸血鬼のkis×吸血鬼の眷属になっちゃう41の話です。捏造と特殊設定もりもり。
10月に出す本の一部になります。サンプルになる部分を更新しきったらpixivにまとめる予定です。

01 こんなに月が昏い夜は




 ハァッ、ハァッ、ハァッ。カイザーは荒い息を吐きながら、必死になってその真白い首筋へと牙を突き立てていた。つぷり、と鋭いソレが肉を破り食い千切る。そして人間の柔肌に、鮮血をこぼして己の欲望が埋まっていく……
 のみたい。
 瞬間、カイザーの頭の中を、そのまっさらな衝動だけが支配していた。
 のみたい。のみたい、のみたい、飲みたい、この人間の血を飲み干してカラカラになるまで吸い尽くしてやりたい、そして、そして、それから……
——ッ、ウゥ゛ッ!!」
 しっかりしろ、ミヒャエル・カイザー!
 首を振る。酩酊しかけていた思考をどうにかこうにか持ち直す。こんなもの飲みたいハズないだろうが、イカれてんのか。いやこの状況に陥ってしまった時点でイカれてはいるのだろうが。分かってる。何も分からないがこれだけは理解してる。こんなこと、本当ならやりたいわけもないんだ。それを忘れるな。忘れるな。忘れるな……
 ミヒャエル・カイザーは本当は、血なんか吸いたくなかったのに。
 だけどこのときだけは、やらなければいけないと思った。必要なのはこの結末オチだけだ。
 腕の中で、掻き抱いた世一・・の身体がどんどんと冷え渡っていく。世一がどうして死にかけているのかはわからない。わかりようもない。ただ、この死にゆく人間からはとてもいい匂いが、美味しそうで涎が止まらなくなるような極上の匂いがしていたものだから、カイザーはなんとなく……きっと理性を喪った自分が吸い殺してしまったのだろうと、そう思う。
 自分が世一の血を吸い尽くす様は、いやになるぐらい、ありありと想像が付いた。それほどまでにこの人間からは美味そうな匂いがしているし、それは放っておけば他の異種共に何をされてもおかしくないというぐらいの、至上にして最低最悪の、まるでドラッグのように蠱惑的で中毒的ジャンキーな匂いだった。この誇りあるミヒャエル・カイザーとあろうものが理性を手放し社会的地位をお釈迦にしてまで、欲望の赴くままに啜り続けたいと願うほどの!
 だけどその一方で、カイザーはどうしても、世一に死なれたくはなかった。
 理由はそのときうまく言葉に出来なかったが、とにかく、コイツに死なれるのは気分が悪かった。だから……大嫌い人間の生き血だろうと、飲むしかなかった。
 吸血鬼の吸血には大別してふたつの種類がある。ひとつは、獲物を吸い殺し、栄養源としてあまねくすべてを奪う吸血。そしてもうひとつは……人間としての血を全て飲み干し、空っぽになった肉の器に捕食した吸血鬼の血を注ぎ込むことで眷属として蘇らせる隷属の吸血。
 カイザーは世一のすべてを飲み、啜り、そして代わりに自分の血をその冷たくなっていく身体へ注ぎ、飲ませた。
 潔世一を吸血鬼として蘇らせる、そのために——


◇ ◇ ◇


 ミヒャエル・カイザーは吸血鬼だ。
 そして人間の血が大嫌い。だってアレ、匂いから錆臭くて明らかに不味そうだし。あんなもんを好んで口にするなんて気が触れてるとしか思えないしクソ有り得ない。
 それがカイザーのもっぱらの主張であり、ゆえにカイザーはいつも血液から精製された吸血鬼用栄養タブレットを人間と同じ食事に添えるだけで済ませていた。その方がまだ食えるという話だ。なお生理的に血が駄目なので、豚の血を使った世界の珍味的な料理も勿論受け付けない。
 さておきそんなカイザーは、自分が吸血鬼であることをことさら喧伝もしないが、別に隠してもいない。バスタード・ミュンヘンに所属する際出生証明を出す関係で素直に吸血鬼だと申請もしている。なのでWikipediaのミヒャエル・カイザーの項目には冒頭にいきなりこう書いてある。
 ——ミヒャエル・カイザー(一九九九年十二月二十五日-)は、ドイツ・ベルリン出身のサッカー選手。ドイツU-20代表。ブンデスリーガ・FCバスタード・ミュンヘン所属。異種であり、吸血鬼と公表。ポジションはフォワード。身長一八六センチ、体重八十五キロ。
 ちなみにこの身長と体重は公表数値であり、直近の実情より一センチ低く二キロ軽いが訂正する理由もないので放置している(最近また筋肉が増えてきた)。
 こんなプロフィールがまかり通っているのだからお気づきの通り、この世界において異種というのはさほど珍しいものではなく、クラスに三十人いたら一人ぐらいは異種が混ざっているかもね、という程度の、比較的メジャーな存在である。
 異種の中でまた色々と種族の違いはあるのだが、この世の大半を占める人間さまたちからは「なんかみんな、人間と違って強い」程度にしか認識されていないため、法律上は一緒くたに扱われる。吸血鬼なんて、ブラム・ストーカーが筆を執っていた時代は恐怖の対象として畏怖され時に大規模迫害キャンペーンを展開されてきたような類の筆頭なのだが——二十一世紀の、それも欧州圏で言えば、「まあたまにいるよな」程度の友好的でさほど害のない隣人としてみなまさに広く受け入れられている。
 もちろんそうなるまでには先人達の多大な努力があった。現代吸血鬼が純血人間種の友人として受け入れられているのは、吸血鬼の生命維持に必要な人間の血液成分が、そのへんの人間を襲って噛むとかいう野蛮極まりない前時代的行為をせずとも摂取できるようになったから……というところが大きい。具体的に言うと歴史的に富裕層が多い吸血鬼種が金と人脈と努力とを用いて社会に働きかけた結果、献血によって合意のもと採取された血液パックがふつうに販売されるようになったり——血液に類似した成分から、カイザーが幼少のみぎりより世話になっている栄養タブレットが作れるようになった——などの事情により、全世界の文明的吸血鬼の皆さんは銀の弾丸や十字架の杭で退治されるリスクを負ってまで人間を襲う必要がなくなったのだ。
 そういういきさつがあり、カイザーもレイ・ダークに拾われて以降は特に不自由なくサッカー選手として生きている。ちなみにレイ・ダークは人狼で、これもまた欧州においてはポピュラーな異種のひとつだ。あとノアも人狼。クソどうでもいいが。
 だが、そんな前提があってなお、カイザーは己が吸血鬼であることを決して好意的に受け止めたことはない。
 そしてどちらかといえば自分が吸血鬼として生まれてしまったことを忌むべき事実だと受け止めており、その理由はこの血が父親から流れているものだから、という一言に尽きる。
 カイザーの父親はクズで酒浸りのクソ物で、とてもそうは見えないほど異種能力の低いデブだったが、それでも一応吸血鬼だった。いつも吸血衝動を持て余していて、手掛けた小さな舞台の主演女優と人間だと偽って交際し、子供まで孕ませたが、生まれた子供とその父が吸血鬼だと知った母はふたりを見限り棄てて家を出ていった。「吸血鬼なんて気持ち悪い」。それが母の最後の言葉だったという話だ。
 本当に、つくづく、己の人生はろくでもないものだと思う。生まれた瞬間からケチがついていて、しょうもないことこのうえない。クソ最悪。
 それがカイザーの嘘偽りのない本音である。人間の血を例えパック販売されているものだとしても頑なに飲まないのだって、九割は不味いが理由だが、残り一割は、本当はそこにある。……化物として父親と同じように迫害されるなんて真っ平ご免だ。だからカイザーは、人間とは必要以上に関わりを持たない人生を選んだ。
 サッカー選手として、ピッチ上ではどんな種族の相手ともやりあうが、馴れ合いはしない。スポンサーや広報の仕事も最低限はこなすが愛想は振りまかない。練習は基本的にひとりかネスとだけやる。言い寄ってくる女も、男も、全部すげなく振ってかわす。そのくせカメラの前ではよそ行きのいい顔をする。
 我ながらなんてつまらない人生で、つまらないいきものなんだろうか?
 でもカイザーとしてはまったくそれで構わなかった。そうすることで間違いなく平穏を享受できていたから。
 ——少し前までは!
「ハァ…………あんのクソの世一…………
 これ見よがしに溜息をついて首を捻った。煌びやかに着飾った男女がかしましくお喋りに興じる会場内はガヤガヤとして非常に五月蠅い。五感の発達した異種には半分ぐらい拷問のようなものだが、スポンサー主催のパーティなので耳栓をするわけにもいかない。そんなことをしてしまえばクラブオーナーの顔に泥を塗る。それに今は聴覚を発揮しなければならない理由もある。……早いところ世一を見つけ出さなければ!
 潔世一は、ミヒャエル・カイザー(二十二歳五月時点)にとって倒すべき宿敵であり、そして今のところのチームメイトでもある。
 数年前の青い監獄ブルーロックプロジェクトでカイザーを0の地点に立ち返らせ生まれ変わらせるという功績を打ち立てると同時に、カイザーを全世界一斉配信にガッチリ映る現場で煽り散らかし敗北者の烙印を押した、最低最悪の悪魔。誰が言ったか〝青い監獄ブルーロックが生んだ魔王〟。このクソクソ気に入らない双葉のおかげでカイザーのプライドは粉々にへし折られ、生き恥を全世界に晒すハメになり、しかし入札額は上がった。よほどこの世の人々は他人の恥辱を肴にするのが好きと見える。世の中クソだな。
 しかしもっとクソなのはこの男が何食わぬ顔でバスタードに加入してきて、破竹の勢いで成果を上げ、「このままだと逃げ出したみたいでダサすぎるな……」と思いレ・アールのオファーを蹴ったカイザーとまったく同じタイミングで、バスタードのトップに昇格したことだ。
 ただでさえ、BLTVの影響で、カイザーと世一は広報部からも世間様からもセットで扱われることが多かったのである。
 そのうえ同時昇格。これもう逆に仲いいのでは? という世論を勝手につくられ、それ以降今までの比ではないぐらいペアの仕事が増え、基本的にソロの仕事以外世一とやるハメになった。最早必然だったと言ってもいい。そのうえそのことにキレてるのはほぼカイザーだけで、世一はむしろ歓迎している節があるのでもう手に負えない。
 なんか、慣れない仕事をするときとか難しい話をされたときに隣に勝手知ったる仲の宿敵がいると安心するんだそうだ。
 悪いがドイツ語で言い直してくれないか? 何を言っているのかミリも理解出来ないんだが。
 あと練習終わりで同じ仕事に行くとき、わざわざあとを追いかけてきてハイタッチしようとしてくるの仲良しみたいで反吐がでるからマジで止めてくれないか? ピッチ降りた途端人格破綻のクソ害悪煽り野郎から素直で明るいけど制御不能の童顔キッズになるのをマジでマジでマジでやめろ。
 なおこれについては過去三回口頭で言ったはずなのだが一向に改善の兆しがない。人の言うことを聞くという機能が備わっていないのか? ネスに爪の垢煎じてもらえ。いやネスも青い監獄ブルーロックでの出来事以降はまあまあ反発してくるようになったんだが、世一よりは遙かにマシだ。まだもうちょっとは理解出来るから。
 本当に、潔世一という男はわけがわからない。
 世一を見ていると胸がざわつく。きっと、青い監獄ブルーロックでボコボコにのされた傷が、まだ完全には癒えていないのだと思う。あの日カイザーを見下し罵ってきた目で、指先で、今度はご機嫌にカイザーの名を呼び手を握ろうとしてくる。アイツは多分頭がおかしい。何かと世一に構われるたび、カイザーは無性にイライラして仕方が無くなる。
 まぁ、今一番イラついてるのは、あのクソバカヤパーニッシュが気がついたら視界のどこにもいなくなっていたことだがな……
「マジでどこほっつき歩いてやがる……
 ドスドスと怒り露わに靴音を鳴らして歩きたいのを一生懸命に我慢して、努めてにこやかな仮面を被り、焦燥を綺麗に押し隠しながら、カイザーは一生懸命に消えた世一を探していた。クラブオーナーからは「ドイツに不慣れな潔の補佐を宜しく頼むよ」と言われている。雇い主にそう言われてハイそーですか知ったこっちゃねーよと放り投げられるほどカイザーの心臓に生えた毛は太くなかった。悲しき雇われ人のサガである。この場にネスがいたら「そもそもカイザーはクソ世一と違って真面目だから……」とフォローしてくれたこと請け合いだが、残念なことにネスは不在。
 そういうわけでカイザーは隅から隅まで会場を練り歩き、吸血鬼の優れた五感を総動員して世一の姿、声、匂いを辿っていたのだが。
(何故見つからない……!?)
 どれだけ意識を研ぎ澄ませても、世一は見つからない。スポンサー主催の内輪向けのパーティだから、会場だってそこまで広くはないはずだ。異種の目をすり抜けてまで隠れられる場所などあるとは思えない。
 であるならば——
「外……か?」
 カイザーは嫌な予感がしてかかとをパーティ会場入り口に向けた。普通に考えてスポンサーへの挨拶をちょっとかわしたぐらいの段階で会場を抜けるなんぞ失礼千万なのだが、世一の常識セットの中にその〝普通〟はない。世一は社交慣れしてないのだ。祖国ではただの子供で、こういった場に出ることもなかったと聞く。だからこそオーナーには補佐を頼まれたわけで、カイザーの目の届かない場所で礼を失する行動に出ていてもおかしくはないし、そのままとんずらこかれた場合……尻ぬぐいをするハメになるのはカイザーだ。
「ふざけんなよあのクソガキ……!」
 その時思いつく限りの最悪を頭に思い浮かべてしまったカイザーは、貼り付けた笑顔の下を真っ青にしながら猛烈な勢いで入り口へ向かった。そしてドアマンに華麗な表情で「礼を失して申し訳ないが少し気分が悪く外の空気を吸ってきたい、すぐに戻る」とすらすら出てきた嘘八百を投げつけると、さながら逃げ出した子供を探す親のように必死の形相で廊下へ足を踏み出した。
 その先でそれよりもっと最悪・・な展開に出くわすとは思いも寄らぬまま。
 そうこうしているうちに豪奢なホテルの、何故かひとけのない廊下を慌てて小走りに駆ける先で妙に美味そうな匂いが鼻について——それから先の記憶は、残念なことに頭に残っていない。
 ぽっかりと抜け落ちて——場面は、誰もいないホテルの片隅、ひと気のない通路の行き当たりで、世一の首筋に真っ赤な血の薔薇を咲かせて荒い息を吐いているその現場に戻っていく。


「ハァッ……ハァッ…………。あ……?」
 すべて・・・が終わったことで極度の興奮状態を抜け、意識が、ゆっくりと現実へ回帰していく。カイザーは荒い息を吐き、目の前にある、己の腕に抱きかかえられているそこそこちゃんとした体格の生き物を眺め見た。プロアスリートらしくそれなりに鍛えられた身体はしかし。くったりと力を失ってカイザーの両腕にもたれかかっており、女子供よりはまあ分厚い胸板も、穏やかに規則正しく上下している。
 とても死んだ人間だとは思えないほどに。
 しかしながら実際に世一は一度死んだ。そのことは、世一の首を押さえる指先から漏れ伝わってくる匂い・・が、如実に伝えてきている。
 普通の人間が、こんな血にまみれて甘ったるい香りを漂わせているはずがない。
 だが潔世一は人間だった。確かに人間の匂いを纏っていた。であるならばやはりこれは、死んだ人間が吸血鬼として蘇生され、ふたたび起き上がってこようとしている、その瞬間に他ならないのではないか。
「やったのか……
 目の前に広がる光景があまりに常軌を逸しすぎていて、とてもじゃないがすぐに事態が飲み込めてこない。マジでやったのか。この自分が……ミヒャエル・カイザーが? 潔世一を死なせないためとはいえ、己の血を分け与えてまで…………
 二十一世紀において、吸血鬼が人間を吸血鬼化させる事例は、殆ど報告されなくなっている。
 何故かというと、人間を吸血鬼に変えるという行為は、ただ単に相手を異種へ変生させるというのみならず、強力な洗脳効果により相手を隷属させるということでもあるからだ。
 これは主人となる吸血鬼が望むと望まざるとに関わらず、確定で発生する事象である。当然ながら、人権意識の著しく発達した現代社会では重犯罪だ。
 聞くところによると、二十世紀ごろ、「自分たちは真に愛し合っているからそんなことにはならない」と主張して恋人を吸血鬼化させる輩がそれなりにいたらしいのだが……結局相手が傀儡化して自由意志を失ってしまったことに絶望、ショックから自決する、という事件が相次いだ時期があったらしい。(あと当然隷属化を悪用した奴隷商人みたいなのも裏社会で頻発し国際異種共同連盟がガチ切れした)、とにかく諸々の経緯から、現代では人間の吸血鬼化そのものが原則タブーとされている。
「マジでクソありえねぇ……
 カイザーは吐きそうになる気持ちと唇を必死に押さえ、ふらふらと首を横へ振った。今後の身の振りをどうするかとか、どうやってこのバカが吸血鬼になったことを隠し通せばいいんだとか、そういう現実的な諸々もあるが、何よりカイザーの気を遠のかせているのは自分が世一を吸血鬼にしてしまった・・・・・・・・・・・・・という事実そのものだった。
 正直その話を初めて知ったとき、カイザーは「マジでバカの所業だな」と一笑に付したぐらいだったのだ。
 人間を愛した吸血鬼とやらはどいつもこいつも見る目のない大バカで、賢く人間に無関心の自分がそんなコトをしでかす日は未来永劫くる筈もない、と。だがそれはとんでもない驕りだった。カイザーは実際に人間を吸血鬼に変えてしまった。世一に死なれるなんて認められなかった。だって勝ち逃げされるなんてプライドに差し障る!
 ……だけど。
 主と眷属の契約が発動して世一が隷属し、意志もたぬ傀儡になってしまったら……それもやっぱり、勝ち逃げみたいなものではないのか?
「ハァ……おい、世一、起きろ。俺の目が見えるか?」
 かぶりを振り、現実から逃げるように投げやりな声で生まれたばかりのピヨピヨ吸血鬼に声を掛ける。とりあえず起きたらすぐ、隷属化を利用して「表向きは今まで通りを装え」とでも命令しておくか……。犯罪者になるのを避けようと吸血鬼犯罪そのものの思考を思い描きながらくちびるを動かすと、世一の、海のように底知れない青い瞳が、茫洋としたままその真ん中にご主人様カイザーの顔を映し出す。
 アー、この調子じゃやっぱ、第一声は「おはようございますご主人様」とか「はいご主人様」とかそのへんだろうな。
 半ば諦めるようにそんなことを思い描いて、カイザーは深く溜息を吐いた、のだが。
…………ん、んん? あれ? 何、なんか鉄くさ……エッ!?」
 実際に耳に飛び込んできたのは、想定の数十倍騒がしいガキの叫び声だった。
……は?」
「えってか血! 血めっちゃ出てんだけど!? 肩が殺人現場みたいになってる! なになに、なにが起きた!?」
 目を醒ました世一の、丸っこい海色の瞳の中に、見る見る間に光が戻ってくる。吸血鬼化の影響か、興奮に伴って若干瞳孔が縦に開くようになっているが、まぁ変化といえばそのぐらい。まるっきり、いつもの……ピッチを降りて何かと小うるさいガキの潔世一そのものの様子だ。
 ハ?
 カイザーは思いっきり首を傾げた。なんだその反応は? お前仮にも吸血鬼に変えられたんだから、もっとしおらしい反応見せろよ。普通にクソうるせぇ、誰かに見られたらどうするんだ。この犯罪現場(?)を……
「は、おま、よいち……
 しかし気が動転しきっているせいでそんな流暢な罵り文句はおろか、満足に言葉すら繋がらない。
 腕の中でガタガタ暴れる元気いっぱいの世一に反し、世一の背に回されているカイザーの手はどんどんと力を失って垂れ下がっていき、最後には、世一の身体から離れた。その反動でカイザーの腕に体重を預ける格好になっていた世一が「うわっ」と色気の無い声を上げてよろけ、しかしアスリートの体幹ですかさず体勢を整え直し、それからようやく目の前で呆然としているご主人様の姿を認め、あまつさえケラケラと笑い始める。
「あれっ、カイザー? どーしたんだよこんなトコで、ってか、その口どーしたの? 牙までつけちゃってさ〜、吸血鬼みたいで超ウケる。もしかして今日のパーティー、コスプレの余興とかあった?」
 世一は楽しそうに笑っていた。
 丸っきり、飲み会で酔いまくって陽気になり過ぎたときと同じ挙動をしていて、アッコイツ飲まされてんなぁ……とカイザーは遠い目をしてそう思った。
 つーかこんな反応するやつが隷属化してるワケなくないか? さっきからカイザーにとって不快な反応しかしないんだが。エッ嘘だろ、こんなにハッキリ吸血鬼に転化してるはずなのにそんなことあるかよ!?
「なぁ、世一。ひとつ聞きたいんだが」
 遅効性の毒のようにまわっていく混乱に苛まれながらも、やっとのことで、それっきりをひねり出す。「ん、どーした?」世一はこてんと小首を傾げて心配そうな顔をカイザーへ向けた。「俺に答えられることならどーぞ」そして考えられうる限りもっとも誠実な回答を述べ、カイザーの二の句を待つ。
「お前……その……俺の命令を無性に聞きたくなってたりとかは……しないか?」
「アッハハハハハハハ!」
 しかし実際に二の句を告げてやると世一は目をまんまるに見ひらいて爆笑した。
 爆笑しやがった。明らかに動揺して不安そうな挙動をしているチームメイトを。やはりコイツは血も涙もない魔王だ。いや血、さっきたらふく吸い取ったから全然流れていたはずなんだが……
「俺が? カイザーの? 命令を? 聞きたくなる? んっふ、ないない、ぜってーない、それだけはマジで有り得ないって! なんだよカイザー、お前お笑い芸人にでも転向するつもり?」
「俺はコメディアンにはならない。どうだ? 本当にか? 強がっているとかではなく? 俺にお座り、お手、ハイハイを仕込まれたいとかそーゆー欲求は?」
「あるわけないだろっ! なんだよ〜お前も相当酔ってる!? いや最後のを言い換えただけ理性残ってんのか……?」
「ハァ…………クソ、酔いなんか全部吹っ飛んだぞ、お前のせいでな……世一」
 尚も「俺のこと犬だと思ってんのカイザー!? 犬種なに? 俺柴犬希望ね」などと意味不明なことをまくし立ててくる世一を見おろし、カイザーはこの世の終わりみたいな顔をしてゆっくりと目を瞑った。全身から血の気が引いていくのを確かに感じる。吸血鬼が血の気を失うなんてお笑い草にもならないが、正真正銘ほんとうのことだ。もう何もかも放り投げて忘れたい。
「クソ……オーナーに頭下げるしかねぇ……
 しかしこのミヒャエル・カイザーという吸血鬼、見た目はどこまでも派手で浮ついた雰囲気を醸しているくせ、その内実はどこまでも真面目で繊細で苦労人気質だった。
 カイザーは無心でポケットに突っ込んでいたスマートフォンを取り出し、顔認証でロックを解除すると、まずマネージャーに「世一が飲み過ぎで会場外へ抜け出し、放置できない状態で倒れていた。俺も気分が悪い。悪いが周辺連絡を頼む、オーナーには俺が直接電話する」とメッセージを送信。そして送るや否や電話帳を起動し、クラブオーナーへの直通番号をダイレクトコールする。なおこの番号を教えられている選手は一握りで、有り体に言うとノアとカイザーだけだ。カイザーはクラブオーナーのお気に入りなのである。なので大抵のワガママは実は通る。だからカイザーは本当はこんなところに来るべきではなかったのだ。
 でも今となっては何を言っても後の祭りだし、目の前で世一は楽しそうにはしゃぎ続けてるし、いつここに人が来るかもわからないしで、カイザーはそんなことを考えられる精神状態にはなかった。
……ミスタ・レイナー、夜分遅くに申し訳ない。本日のシャトー・ハーパー主催のパーティーなんだが、やむを得ない事情で世一共々帰宅させていただきたい。……あぁ、そうなんだ、彼はまだ成人したばかりだからね、酒を飲まされすぎてしまったようなんだよ。……いやそれは申し訳なさすぎるな、飲んでしまったのは世一の責任で、それを止められなかったのは俺の監督不行き届きだ。先方に抗議する必要は無いよ。……うん、それで宜しくお願いしたい。先方には本当に申し訳ないことをした。世一は責任を持って俺の家に連れて帰るさ。…………いやミスタ、後始末をしてもらえるのは大変ありがたいんだが、何度も言っている通りおじいちゃんとは呼ばない。あなたは俺の祖父ではない。だが、俺はあなたにとって最高の選手であるつもりだ。それでは、Gute Nachtおやすみなさい
 こういう時ばかり流れるように動く舌をぺらぺらと器用に使い終えると、息を吐いてスマホをポケットに戻す。そして「誰と電話してんの? オーナー? つか今俺のこと何か言ってた?」などと間の抜けたことを抜かしている世一の首根っこを引っ掴むと、脅しを掛けるように低く、低く、こう囁きかける。
「いいから黙って俺についてこい世一。いいか? 俺はお前の尻ぬぐいをしてやってるんだ。感謝しろ。頭を地べたに擦りつけてクソ感謝しろ。詳しい話は俺の家に着いてからする。さぁ、三回まわってワンと言う代わりに俺とここからずらかるんだ」
「えっ、カイザーお前何言って」
「いいから!」
「あっ、はい」
 すると世一は何かを言いかけて、しかし、言葉を返す代わりにこくりと頷いた。どうやら今までに見たことがないレベルのカイザーの剣幕に、さしもの世一も、これ以上くだを巻いている場合ではないということは察したらしい。「ほら来い」カイザーがん、と手を差し出すと、世一は慌てて手を握り返し、ぱたぱたと小走りで動き始める。
「なぁカイザー、マジでちゃんと説明してくれよ、俺も気がついたらココいてよくわかんないんだよ。なんか知ってる人に会ったような気するんだけど……
「あぁ、たっぷりと説明はしてやるさ。推測できる範疇でにはなるが。……お前もそのうちイヤでもわかるはずだ。どれだけ水を飲んでも治まらない耐え難い喉の渇きに襲われてな」
「はぁ……? あ、でも言われてみたら確かに、ちょっと喉渇いてきたかも……?」
 しばらく駆けて裏口からホテルを抜け出し、ややあってから、そのへんを通りがかったタクシーを拾う。なんとなくホテルに常駐しているハイヤーを使う気にはなれなかった。嫌な予感がしたのだ。そしてカイザーの嫌な予感というものは非常によく当たる。後々カイザーは極限状態で行われた自分のこの判断と、その決断に導いた幼少期のろくでもない生活にらしくもなく感謝することになるのだが、それはさておき。
「あ〜、なんかカイザーいい匂いする〜。なんで?」
 ミュンヘンの若き英雄ふたりを一瞥するなりあまり興味なさそうに「行き先は」とだけ聞いてきた運転手に多めにチップを握らせながら、後部座席へ世一と共に座り込む。世一はくすぐったい声を漏らしながら、どこか眠たげな様子でカイザーの肩に頭を乗せもたれかかってきた。
 世一の首筋にはまだ馨しい血の香りがほんの僅か残っていて、カイザーの鼻腔を擽る。甘く……とても甘い、美味しい血のにおい。
……俺もヤキが回ったな)
 ぼやきは、唇の外に出すことなく胸のうちへ留め、カイザーは走り出したタクシーの窓からぼんやりと空を仰ぎ見た。
 逃げ出した夜の真ん中に月の輝きはない。新月だ。吸血鬼にとっては最悪の、いちばん力が出なくてただの人間とそう変わらなくなる日。
 だというのに世一を吸血鬼に変えおおせた自分は、なんだか普通じゃなかったような気がする。だけどその理由は分からない。きっと世一も知らない。ただ、世一の血は——今までやむを得ず口にしては吐いてきたどんないきものの血よりも美味しかった。
 それだけは最低で最悪で確かなことだった。