ちゆき
2025-08-28 22:00:29
1968文字
Public ワンドロ
 

恋じゃなくなる日

セバスチャン×女牧場主(ネームレス•容姿設定なし)
2025.8.28 非公式ワンドロ「ゲッコウクラゲのダンス」をお題に書きました

「おまたせ!」
 鈴虫の鳴き声が響く少し肌寒い夜、玄関の扉を開ければそこにはいつものように白煙を燻らせる男がいた。こちらを振り向いたその人の名前はセバスチャン、私の恋人だ。彼は蛍のように明るく灯る煙草を携帯灰皿に押しつけながら微笑んだ。
「あんまり出て来ないから日にちを間違えたのかと思ったよ」
「またそんなこと言って、あんなに約束したでしょ? 一緒にゲッコウクラゲを見にいこうって」
 玄関前の浅い階段を降りセバスチャンの手を握る。夜は更けもう二十一時三十三分、待ち合わせの時間を僅かに過ぎた。いつもならもう家に戻ってゆっくりとしているこの時間、私達はこの町に寄港する珍しいクラゲを見に行く約束をしていた。

 ゲッコウクラゲ、それはこの静かな町の海岸に夏の終わりのたった一日だけ訪れる生き物だ。まるで月の明かりのように青白く美しい光を放つそのクラゲを見るのは今年が四度目で、セバスチャンと見るのも毎年恒例のこととなっていた。
 けれど今年はなぜか彼が珍しく一緒に行かないかと誘ってくれて、これまでこんなことのなかったはずなのにと驚きに驚いた私は柄にもなくお洒落をしてみたりもした。手を繋ぎ牧場を南へ下る道すがら、可愛いよとどこか照れ臭そうにそう言ったセバスチャンに私はなにも返すことができず、ただその大きな手を少しだけ強く握り返した。

 南の森は街灯なんてもちろんないから薄寒さを覚えるほどに暗く、星明かりを頼りに二人で歩いた。鬱蒼とした暗闇の中、私が木の枝や石に躓きそうになるたびセバスチャンが支えてくれて、今もまた彼の腕が私の肩を掴まえた。
「なんでセバスチャンは躓かないの?」
……お前が躓くからじゃないか?」
「なにそれ」
「さぁね」
 鼻で笑うセバスチャンに私は頬を膨らませる。きっとずっと山で暮らしているからこんな真っ暗がりなどどうでもないというのだろうか。けれどそんな暗闇もいつまでは続かず、やがて規則的に寄せては返す波の音とともに微かな灯りを反射してきらきらと光る濃紺の海が現れた。
「もうみんな来てるかな」
「母さんは俺と同じくらいに出たからもういるだろうな」
「いい場所取れるといいね、どこがいいかな」
……なぁ、今日はサム達とは別のところに行かないか?」
 草木の茂った道から砂浜へと降り立った頃、セバスチャンがふとそんな思いもよらないことを言った。てっきり毎年と同じく友人達と合流するのだとばかり、けれどセバスチャンはどうかなと私を覗き込む。ただ私もどうせなら彼の好きだと言うこの祭りをたまには二人で過ごしたかったのでもちろんだと頷いた。

 南側の森を抜けてビーチに着くとまず最初に目に入ったのは露店だった。町の商店の店主が開くその小さな出張所は記念品のようなものや飲食物が並んでおり、商魂逞しいものだと毎度ながらに感心してしまう。それでも足を止めて見てしまうのは性なのだろうか、商品をまじまじと眺めていると隣でセバスチャンが冷たいデザートをひとつ買ってそれをそのまま私へと寄越した。
「いいの? セバスチャンの分は?」
「あぁ、あとで少しだけ分けてくれればいいよ」
「でも桟橋に行くまでになくなっちゃうかも……
……お前はいつも豪快に一口で食べるもんな」
「いつもじゃないし!」
 そうだったかなんて笑うセバスチャンはこれっぽっちも悪びれる様子はなく、行こうかともう一度この手を取る。その指先は少しひんやりとしていて、その冷たさはそっくりそのまま私に分け与えてくれた彼の優しさだ。桟橋へと向かう途中で私が少しの間のあとにありがとうと呟くと、彼は暗闇に紛れて私の髪にキスをした。

 キャンドルボートの穏やかな灯りと引き換えに遠くに青白い光が浮かび始め、夜の闇にも水平線があることを教えてくれる。帯状だったそれはこちらへ近づくにつれ炎を灯したランタンのようなまるい灯りへと姿を変え、岸辺まで来たときには月の光を模したクラゲがその輪郭を露わにした。ぷかぷかと意思もなさそうに波間を漂うそれはまさに奇跡としか言いようがなく、私とセバスチャンはなるべく人の少ない場所を陣取りふたりきりで見入っていた。
 ふとした瞬間に綺麗だねと隣のセバスチャンを見上げた。彼もきっと水面を見つめていて、私がそんなありきたりな声をかけてもこちらを向かないほど夢中になっていると思っていたのだ。けれどセバスチャンは私よりも早く、いつからかわからないほど前から私を見つめている。驚いた私がセバスチャン、とその名を呼ぶと、彼はその体ごとこちらへ向き直り静かに私の名を呼んだ。
「ねぇ、こんな夜だからさ……たまには少しだけ真面目な話を聞いてくれないか?」

 四度目の夏の終わり、これは私達が恋人じゃなくなる数秒前のお話。