ねむれない。オルカは何度目か分からない寝返りを打った。もうただ目をつむって、ごろごろとしているだけの時間がどれくらい過ぎただろう。ベッドに入る前まであったはずの眠気は、捕まえる前に飛んで行ってしまって帰ってこない。
寝なきゃ。寝て朝になったら、顔を洗って、ご飯を食べて。それから、オユちゃんに。そう考えるごとに、いつもなら気にならない時計の音がいやに大きくゆっくり聞こえて、余計に眠れなくなる。
オルカは諦めて目を開けた。それからごろりと寝返りを打つふりをして、薄目で隣のベッドを、とっくに寝ているはずのオユンを探す。
けれどそこは空っぽで、誰も眠ってはいなかった。
真夜中のお茶会
オルカは飛び出すようにベッドを出た。履き物も身につけず裸足のままで、慌てふためいてオユンの姿を探し求めた。トイレに廊下にクローゼットの中、けれどどこも暗く、人の気配はない。
リビングまで大急ぎで出ると、キッチンの方から光が漏れている。オルカは眩しさに目を細めながら、そこに飛び込む勢いで足を踏み入れた。
はたしてオユンはそこにいた。しゅんしゅんと湯気を吐くケトルの前で、寝間着のまま何か作業している。
「ん、なんだよオニギリ、起きたのか?」
探し人は少しばつが悪そうな顔で振り向いた。そしてオルカの足下を見て『おい、裸足じゃねえか』と驚いたように長いまつげを瞬く。
「お、オユちゃん、がいなくて……」
そこまで言えば段々と恥ずかしさが湧き上がってきて、オルカは下を向いた。何も履いていない、探し回るうちに埃や砂で汚れた足が目に入り、余計に顔に血が集まってくるのが分かった。親がいないと探し回る、小さな子どものようなことをしてしまった。
ふ、と柔らかくオユンが笑う気配がして、オルカは顔を上げる。
「……ま、いいか。ちょうどお茶を淹れたんだ。よかったら飲むか?」
勧められるまま椅子に座る。漂ってくる、ハーブにも似た豊かな香りと、少し甘いにおい。渡されたカップを傾けてゆっくり口に運ぶと、柔らかい味と暖かさにほうっと息が漏れた。野草と干しなつめ、クコの入ったお茶は、オルカにとってオユンの味だ。
「ミルクが入ったやつじゃなくて悪ぃな」
そういって淹れてくれた当人は毎回謙遜するけれど、ケスティル族の中では出たことのないそれはとても美味しく、たぶんドタール族の味なのだろうなとオルカは思う。ケスティル族は再会の市を運営している関係で、団茶とミルクと岩塩にあまり困らなかったから、こういった野草茶にはあまり縁がなかった。
同じアジムステップに住んでいたのに、飲むものさえも全く違う。きっと当たり前に、考え方も、文化も。
「……ゴメン、オユちゃん。おれ……」
オルカは暖かいカップを掌で包み込む。そのぬくもりに背を押されるように、昼間は言えなかった言葉が漏れた。
「シンパイで、ひどいコト、いった」
今日の討伐ターゲットは巨大なサソリの魔物だった。とはいえオルカとオユンの敵ではなく、オユンは軽快な動きで相手を翻弄し、オルカは自身に注意を引きつけて攻撃を誘い、順調に相手の体力を削っていった。
けれど、事はもう少しで倒しきれるという時に起きた。もう相手が倒れそうだという時に、オユンがオルカの前に飛び出し、静止する間もなく魔物の胴に斬りかかっていったのだ。魔物は尾に非常に強い毒を持っている。もう少し鎌を振り下ろすのが遅かったら、あるいはもう少し早く魔物が尾を振り下ろしていたら、倒れていたのはきっとオユンの方だった。
もちろん、無茶をしたオユンにも言い分があった。曰く、魔物の爪がオルカを狙っていたというのだ。きっと挟まれてしまえばただではすまなかった、だから先に始末したのだ、と。
けれど、命を危険に晒すようなことをしなくても、とオルカは思った。爪のことには気付いていなかったけれど、あのままでもきっと相手は先に倒れていた。
だからオルカは思わず言ってしまったのだ。
「……オユちゃんのバカ!!!」
「……はぁ?!」
そこからはもう売り言葉に買い言葉だった(とはいえ、オユンほど言葉を上手く操れないオルカは、『バカ!』『ダメ!』『ヨクない!』を繰り返し言い返していただけだったが、二人にとっては立派な喧嘩だった)。そうして息が切れるまで言い合いをし、依頼人の所に取って返してもそれは続いた。
依頼人からはいたく感謝され給金もはずんでもらったけれど、それもこじれた仲を戻すには至らない。普通なら喜んで少し豪華な夕食をしに街に繰り出したところ、喧嘩中の二人は結局むっつりと黙り込んだまま家に帰り、無言で食事を摂り、一言も話さないまま代わりばんこにシャワーを浴びた。
そしてオルカはぷんぷんと怒りを抱えたままベッドに入り、ふと、あの言い分はなかったのではないか、とその時初めて思ったのだった。
「……おれ……チョット、コワかった。オユちゃんがケガ、するかもッテ」
オルカにとってオユンは『大切なひと』だ。本当はケガひとつさえしてほしくはない。例えそれがドタールの戦い方だからだとしても、命を顧みず飛び出していくのを見ると、心臓がぎゅっと痛む。
けれどだからといって、自分の危ないところを助けてくれたオユンに対して、お礼もなく怒るのは間違っている。眠れなくて、オユンを探してベッドを飛び出して、お茶を淹れてもらって飲んで、オルカはようやくそれを認めることができた。
オユンもずず、と茶を飲んで、ぽつりと言った。
「……オレも、悪かったよ」
別に今日は…そういうつもりなかった、とドタールは言った。ただ魔物の爪がオルカを狙っていたのを見た時、どうにかしなければ、そう思って必死になったのだと。
「でもお前に言われて頭に血ぃのぼっちまって……さ。さっき寝ようって思ったときに急に、言い過ぎたって思ったんだ」
でそう思ったら寝れなくてさ、ときまり悪そうにオユンは手の中のカップを転がす。
「茶でも飲んだら寝れるかなって思ってたら、お前が来たんだよ」
その言葉を最後に、お互いしばらく黙ってカップを傾ける。そこに言葉はなかったが、昼間と違ってそれはとても心地の良い沈黙だった。
ふと衝動に任せてくわりとあくびをすると、オユンが笑う。お互い、さっきまでどこにも見当たらなかった眠気がゆっくりとやってきていた。
「……寝るか。オレも今なら寝れそうだ」
「ウン」
オルカは頷き、カップをシンクに置いた。片付けは明日でいいだろう。さすがに足だけは洗わなければいけないけれど。
まだ温かみの残るカップから、ふわりとお茶の香りと湯気が立ち上る。それにつられてもう一度大きなあくびをして、オルカとオユンは連れ立ってキッチンを出ていった。
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