小学生時代、己の誕生日が夏休みの最中で良かったと思ったものだ。クラスメイトに祝いの言葉を掛けられないからと、落ち込む必要がないのが有り難かった。
家で祝ってもらおうなどと甘い考えは、義務教育も始まらない幼い頃に持たなくなった。オレにとって、夏はただひたすら暑く、眩しくて、冬と並んで嫌いな季節だった。
自由になる金が出来た頃、いつか見たポスターみたいな南の島に行った。景色には感動を覚えたが、それ以外の楽しみ方が生憎思い付かず、滞在中ずっと海を見ていた。贅沢な過ごし方だな、と今なら思える。
それから何度目かの夏。オレは――――
プールとプライベートビーチ付きのヴィラに来たオレは、真っ赤に熱された炭と格闘していた。
「テメエらっ!少しは手伝えっ!!」
オレの誕生日祝いだと連れてこられたはずなのに、道中の運転手に飯炊きだ――と、こき使われれば怒鳴りたくもなる。だが、誕生日のことを主張すれば、
「自分の誕生日の日付も覚えていないのか?マヌケ」
「誕生日は明日でしょ?」
「二日も祝われたいなど、図々しい愚か者だな」
「明日は盛大にお祝いするぞ!」
と、誕生日前日である今日は、全くもてなす気がないようだった。
そんな態度を甘んじて受けているわけではないが、心の何処かで明日を期待して浮かれてしまっているのかもしれない。
その日は、バーベーキューと花火という夏らしいイベントをこなし「明日は期待しててよ」と言う言葉を信じて、ゲストルームの一室で眠りに就いた。
***************
「…………くん…………君」
目覚ましのアラームの鳴る前、まだ夢現状態の耳に、自分のものではない声が聞こえた気がした。
「敬一君、起きてよ」
「…………ん?」
まだ暗い室内の中、今度ははっきりと名前を聞き取り、意識が覚醒させられる。
「……かのう?」
「おはよう、敬一君」
「おはようじゃねえだろ……何時だよ?」
叶は枕元に頬杖をついて、俺の顔を覗き込んでいた。
「5時前だな」
……まだ日も昇ってない時間じゃねえか。
「なんだよ……こんな時間に」
だんだんと意識ははっきりしてきているものの、出来ればもう一度寝たい。
しかし、そんなこちらの願いなどお構いなしに、叶はにんまりと口角を上げた。
「まずは、誕生日おめでとう。敬一君」
「あ……?あぁ……ありがとな」
そうか、日付が変わったということは、今日はオレの誕生日になるのか。
眠い中無理やり起こされたことに不満がないわけではないが、こうやって言祝ぎを受けると嬉しいものだ。それも、ダチと呼べる人間から……叶からその日一番にもらえるなど。
温かいじんわりとした気持ちが広がる余韻に浸りたいところだが、目の前の人間はそんなことは許してはくれない。
「それじゃ、敬一君。花火するぞ」
「は?」
何がどうして「それじゃ」なのか、全く分からねえ。
「花火って……今は、朝なんだよな?」
外の陽の光を感じ取れない部屋で、念の為に改めて問うと、
「そうだぞ。早くしないと日が出て明るくなるから、急ぐぞ」
軽い返事とともに、布団を剥がされた。抵抗するだけ無駄か、と諦めて上半身を起こした。
着替えるべきかと一瞬悩み、叶の方を見れば、Tシャツとハーフパンツというラフな格好だった。おそらくパジャマ代わりだろう。オレも似たような格好だ。
それならこのままでいいかと、髪だけを軽く撫でつけた。
「ここ、寝癖ついてるぞ」
頭頂部に近い箇所を、叶が指先で持ち上げ、それから丁寧に手櫛で梳く。
「よし、直ったな。それじゃ、行こう」
「あ、あぁ……」
日が昇ってなくて良かった。部屋の電気を付けてなくて良かった。こんな些細な事で、頬に血が集まる自分が情けない。
叶に対する気持ちが自分の中で変化し、形作られてきた。ゆっくりと時間を掛けて育った気持ちを隠して過ごすことは、案外と容易かった。ただし、それはいつものメンバーがいるときだけだ。
叶と二人きりは……ダメだ。言うことを聞かない感情が、オレの体温を、発汗を勝手に変化させてくる。こんな調子で、叶相手に隠し通せているのか、全く自信はない。ただ、叶が何も言ってこないことに甘えているのだ。
二人で物音を立てないように、ゲストルームからリビングへと向かう。ウッドデッキに繋がる掃き出し窓のカーテンを開けた。
日の出前だが、東の空はオレンジ色に色を変えてきている。
「ほらほら、早くしないと太陽出ちゃうぞ」
叶に急かされ、用意されたサンダルでウッドデッキに出る。
「っつても、花火は昨日あいつらとやっただろ?」
「ふふーん、コレだけ抜いておいたんだ」
ドヤ顔で叶が差し出してきたのは、紙縒りの束だった。
「線香花火、二人でしよう」
ほらほらと、しゃがむように促され、前髪が触れそうな至近距離に心臓が跳ねる。生娘でもあるまいし、こんなことに一々反応してどうする!と、己の鼓動を抑えつけようと試みる。村雨なら兎も角、叶には鼓動の速さまでは分からないと願って。
「ほら、敬一君」
「……あぁ」
差し出された線香花火を素っ気なく取り、顔を背けた。
「火ぃ、着けるぞ」
ライターの炎が揺れ、火薬部分に火がつき、赤く丸くなっていく。それから、パチパチと赤いまさに花のような火花が散り、細い線のような火花に変わって、ポトリとその先端落ちた。
「思ってたより、短いんだな」
「儚い、夏の終わりだ」
「はっ、詩的だな」
確かにまだまだ猛暑が続いているが、夏のイベントの締めにはピッタリだ。ただ、野郎二人で楽しむ花火だろうか?と頭の中に疑問符が浮かぶ。
「みんなで賑やかにする花火でもないだろ?」
オレの考えなどお見通しだとでも言うように、叶が二本目の線香花火を渡してくる。確かに、賑やか……いや、喧しいあいつらと騒ぎながらやる花火ではないな。
二本目の線香花火が、小さな火花を散らす。その明かり叶の顔が照らされる。……腹立たしいほど整った顔だ。
オレの二本目の線香花火は、またすぐに落ちてしまった。
「大分明るくなってきたな。コレが最後だ」
三本目の線香花火を弄りながら、叶が笑みを浮かべてオレを見た。
「敬一君と線香花火をしたかった理由が、もう一つあるんだ」
「理由?」
「今日は敬一君の誕生日だろ?」
ウインクして、紙縒り部分にキスを落とす。まるでアイドルのような仕草に、悔しいが見惚れる。
「誕生日ケーキのさ、ロウソクを吹き消すとき、願い事を心の中で思い浮かべて、一気に火を消すことが出来たら、願いが叶う――なんての聞いたことあるか?」
「いや、ねえな。なんつーか、女子のおまじない?か?」
初めて聞く話に、率直な感想を告げると、
「あー、そんな感じもするけど、確かギリシア神話とかからきてる話じゃなかったかな?」
馬鹿にしたもんではない出処に少し驚いた。しかし、それと何の関係があるのかと首を捻る。
「線香花火が、その代わり」
そう微笑んで、さっき口付けた方の線香花火を差し出してくるものだから、受け取る手を一瞬躊躇う。だが、それを悟られるのは癪なので、乱暴に奪い取った。しかし、却ってヤツの琴線に触れたのかもしれない。スッと叶の瞳が半月へと形を変えた。
「線香花火もさ、似たような話があるんだ。」
「似た話?」
「そ。火の玉が最後まで落ちなければ、願い事が叶う、ってヤツ」
だから、と叶が続ける。
「二人でお願いしよう?」
願い事……そう言われて、胸の中に膨らむ欲望。『叶と……』思いかけて、すぐに打ち消す。それこそ、乙女のおまじないだ。そんな情けねえ願い事するヤツに、目の前の化け物は興味を持たないだろう。
「あー、何にすっかな。オマエらがちゃんとサラダ食いますように、とかか?」
茶化すようにくだらない(願ってもいない)願い事を口にすれば、
「イイな。線香花火の力がどんなものか試せるな。礼二君に勝てるかどうか見ものだ」
アメリカンホームコメディで見かけるように大袈裟に肩を竦めながら、同意された。
「じゃ、みんなの健康のために火を着けるか」
叶の手によって、オレの持つ線香花火の先端が色を変える。また距離が縮まり、今度こそ叶の前髪とオレのそれが触れ合った。上目遣いに叶の髪の毛を見ると、昇り始めた朝日に照らされ、綺麗にカラーリングされた紫が空に溶けていきそうだった。見惚れてしまいそうになる視線を、無理矢理他所へとやり、問う。
「オメエは、何を願うんだよ?」
ジジっと小さな音がして、叶の線香花火に火が着いた。コイツに願掛けのようなまじないは必要ないだろうが、それでも戯れ的に何か願うのだろうか。例えば『同接一万人超えますように』だとか『明日の夕飯はオレのリクエスト聞いてくれますように』くらいは言いそうな気がするな。少しわくわくとしながら、叶の言葉を待った。
「敬一君がオレのものになってくれますように」
「っ?!」
叶の言葉に反応したオレの線香花火の火がポトリと落ちた。動揺させた張本人の線香花火は、小さな火花を散らしながら静かに火の玉となって消えていく。
「オレの願いは叶うみたいだな」
カラコンもメイクもない、素の叶がオレをジッと見つめる。
「やっとオレを見たな」
そう言うと、叶は線香花火をウッドデッキに落とし、立ち上がった。つられるように、オレも慌てて膝を伸ばした。
「どうだ?敬一君、オレのものになってくれるのか?」
両手を広げて、叶がオレを自分の世界へと誘ってくる。この手を取れば、その両の腕に捕らわれれば……だが、身体は動かないし、喉から音も出せない。
「柄にもないことを言おうか?オレは、ずっとオマエが欲しかった」
続けられた言葉に、オレの中で何かが弾けた。
「……それはオレの台詞だろ?」
ようやく絞り出した声は、僅かに怒りが滲み出た。バカにしやがって。オレが?オマエのものに?逆だろうが?
「合ってるよ。オレはとっくに敬一君のものだ」
線香花火をサンダルの踵で踏み潰して、叶は嗤う。
「オレはとっくに入国許可を出した。それなのに足踏みして、土足で殴り込んできてないのが、オマエだよ」
手入れされた綺麗な指先が、オレへと向けられる。笑顔のはずなのに、その視線は獲物を狙う猛禽類のものだ。オレの周りに、逃げ場など存在しない。
「ほら、敬一君」
名前を呼ばれ、ダランと垂れたオレの腕が引っ張り上げられる。
「新しい朝だ。それも、オマエの誕生日の」
眩しいくらいの朝日の中で、オレの好きなヤツはピカピカに輝いていた。朝より夜の方が似合うヤツなのに、なんて腹立たしい。
「オレと二人で、新しい関係になればイイだけだ」
掴んだ腕を体ごと引き寄せられ『コイツにオレが支えられるのかよ』なんて思っている間に、叶の腕の中にスッポリと収まった。
「コレで、もう逃げ……」
「逃げねえよ」
ここまでされて、まだ足踏みするわけねえだろ。そうだ、入国許可が出てるってんなら、
「言われた通り、ぶん殴って押し入ってやるよ」
「それじゃ、強盗…………ん、確かにぶんどられたな」
叶の言葉を遮って、続けようとする唇を奪ってやった。唇の端を舐めるその舌も、絡み取ってやろうと再び顔を寄せれば、
「魅せてくれるね」
熱を帯びた視線を交じ合わせて、逆に深く口付けられた。唾液と熱い呼気が十分に混ざり合った後、いつの間にか頭を抑え込むように抱えられていた大きな手が離され、オレの身体に自由が戻った。
「はぁー、まだまだ足りないけど。この辺にしとかないと礼二君とユミピコに怒られるな」
その言葉に、オレは一気に現実に引き戻された。そうだ、ここには別に二人で来たわけではなかった。こんな早朝にあいつらが起きているとは思えないが、面白そうなことを嗅ぎつける嗅覚がどれだけのものか身を持って知っているのだ。
「だいじょーぶだって……今は、まだ」
なんとも安心出来ない叶の言葉に、
「よし、部屋に戻るぞ」
サッとリビングへと体を向けた。
「ちぇー、もう少し余韻に浸ってもヨクない?」
唇を尖らせて不満を漏らす叶
「余韻なんていらねえだろ、これから死ぬまで見続けるんだからよ」
そうだな、とうっそりと笑う叶に「死ぬまで魅せ続けろよ」と言い渡された。
コーヒを煎れて、リビングのソファに二人並んで座った。
「来年は派手に祝おうな」
一年後を思い描く気が早い叶に、フッと目を細めて頷いた。
「花火大会行くのもイイよな!」
いつものメンツで夏祭りは行ったが、そう言えば花火大会はまだだったか。
「でもよぉ、オレらみてえのが二人並んでたら、後ろのヤツが花火見れねえんじゃねえか?」
ふと思いついたことを呟くと、叶がデカい瞳をパチクリと瞬かせた。
「あー、敬一君の優しさに浄化しそう」
「なに、お前悪魔かなんかなの?」
なんか朝日で塵になりそうな気もするが。
「わー、付き合いたてホヤホヤのカレシに言う言葉とは思えない」
付き合いたて……か、そんな言葉で縛られる関係になりそうにない気もするが。わざわざ訂正するのは野暮だろう。どんな関係だって構わねえんだし。
「敬一君」と名前を呼ばれて顔を向ければ、蕩けるような笑顔があった。
「誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう」
胸が詰まる。本当に、そんな言葉で祝福されることがこの世に、オレの人生にあったのか。
「ほら、敬一君。誕生日に泣いてちゃいけないぞ」
「……泣いてねえよ」
ホントだぞ。
「王冠いる?」
聞かれると同時に、頭に重みを感じた。
「いらねえよっ!!」
「誕生日なんだ、今日くらい王様でいたらイイぞ」
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