桐子
2025-08-27 00:43:29
1782文字
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まわる世界④


最後の客を見送ると、すっかり雨は上がっていた。疲れはてたゲゲ郎は、畳の上にごろんと横になった。
「ああ、疲れたのう」
「お疲れさん。水木どのが出られたら、親父さんも湯に浸かってさっぱりしてきてはどうじゃ」
宴会の片付けをしていた砂かけ婆が、ゲゲ郎に声をかけた。
「そうさせてもらおうか」
風呂に入ってぐっすり眠れば疲れもとれるだろう。水木とは今日少しも話せなかったが、明日になればゆっくり話す時間もあるだろう。そうのんびり構えながら、ゲゲ郎は風呂場へと向かった。
ぬるめの湯につかり、洗いたての寝間着を身に着けて風呂場を出る。廊下に出ると素足に寒さが染みた。こういう時、鬼太郎と一緒に眠ると湯たんぽを抱いているようで暖かかったのに、「ごさいになったからひとりでねます」と断られてしまったのだ。そんなに早く自立しないでほしい、まだまだ可愛い幼子でいてほしいと思うのは親のエゴだろうか。一人で寝るにはあの大きな布団は寂しすぎる。ゲゲ郎はため息をついた。
「おや」
部屋の前で立ち止まり、ふと違和感に気づいた。部屋の明かりがつけっぱなしになっている。もしかして鬼太郎が寂しくなって、一緒に寝ようと待っているのかもしれないと期待して、障子戸を開けた。
だが、そこにいたのは鬼太郎ではなかった。
「水木どの」
ゲゲ郎の布団の上に正座して座っているのは、水木だった。風呂に入ったのだろう。まだ少し湿った髪がはらりと額に落ちて、昼間よりも幼げに見える。薄い浴衣一枚になると、胸元や腰まわりの肉付きのよさやしなやかな体つきがよくわかった。
ゲゲ郎と目が合うと、彼はさっと目を逸らした。膝の上で拳を握り、唇を引き結んで黙り込んでいる。よく見れば、握った拳が震えている。
「何故ここに……
そう言いかけて、ハッとした。

今夜は婚礼の夜で、自分たちは夫夫になったばかりだ。水木が何をしに来たのか、ようやく理解した。
彼は初夜の床入りをするためにゲゲ郎のことを待っていたのだ。

「水木どの、その……
ゲゲ郎は動揺していた。夫夫としてうまくやっていこうとは思っていたが、そういう対象として見ていたわけではない。そもそも男同士で、そういった行為をすることができるのか。ぎゅうと拳を握った水木は、頬を染めて目を潤ませ、視線をさまよわせながら、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「あの……俺は、その」
水木は意を決したように顔を上げ、まっすぐにこちらを見た。
「こういうことには不慣れで……
そう言って、恥ずかしそうに視線をそらす。その初々しさに、ゲゲ郎は思わず喉を鳴らした。これはまずい。その気がなかったはずなのに、なんだか妙な気分になってくる。
いや、駄目だ。こんなことは妻への裏切りだ。それに水木にだって、ほかに好いた人がいるのだ。ゲゲ郎はぶんぶんと頭を振って、よこしまな気持ちを頭から追い払った。
「あの、俺は」
「水木どの」
ゲゲ郎は水木の肩に手を置いた。薄い布の下で、彼の体が小さくはねる。

「安心しておくれ。わしは、おぬしを抱くつもりはない。指一本触れぬと約束する」

そう言って、ゲゲ郎は安心させるように笑ってみせた。時貞翁の手前、すぐに離婚することはできないが、ほとぼりが冷めた頃に別れればいいだろう。そして本当に愛する者と幸せになってほしかった。もう自分にはそれはできないが、水木にはそうしてほしい。
だが、緊張し頬を染めていた水木は、ゲゲ郎の言葉を聞くと、みるみるうちに表情を曇らせた。眉根を寄せ、唇を引き結んで、どう見ても怒っているとしか思えない表情を浮かべている。
「そうですか」
地の底から響くような低い声だった。ゲゲ郎は困惑した。自分はいいことをしたつもりだったのだ。それなのに水木を怒らせた。何がいけなかったのだろう。
「水木どの、あの」
ゲゲ郎が言いかけると、彼は立ち上がり、ずかずかと部屋を横切って障子戸を開け放った。
「では、俺はこれで」
「水木どの!」
ゲゲ郎が呼び止めるのも聞かず、彼はさっさと部屋を出て行ってしまった。ゲゲ郎は呆然と見送るしかなかった。
何がなんだかわからない。彼が怒った理由も、自分が何をしくじって彼の気分を害してしまったのかも。ただ、彼の幸せを願っただけなのに。釈然としないまま、ゲゲ郎は冷たい布団にもぐりこんだ。