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moooogur0
2025-08-25 21:09:11
19898文字
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デイドリーム
自主練で日々書いている転生パロ。①~㉓まで。
記憶あり(?)×記憶なし。小説家×小学生。
※後に空港の話題とか出る予定
1
顏にいくつもの傷跡を宿す少年が笑った。五条に何か言っている。
「
————
しゃい」
「
————
」
少年のその嬉しそうな顔が本当に幸せそうで五条は
————
***
ブーブーブーブーとバイブを繰り返すスマホに手を伸ばして五条は画面を見た。見覚えのある担当編集の名前に五条は無言でスマホの電源を落として、そのまま二度寝を決め込んだ。
「ん
……
何時だ」
手元にあったスマホで時間を確認しようとしたら電源が落ちていた。誰だよ電源落とした奴なんて思いながらスマホの起動を待っていると画面に時刻が表示された。十四時。
「
……
寝すぎたかも」
自分で笑ってしまいながらベッドから起き上った。元々五条はショートスリーパーで普段から睡眠時間を通常の人より必要としない方であったが、徹夜が何日か続くと偶に睡眠時間を取り戻すようにひたすらに寝てしまう時がある。それが今日だ。
電話履歴に大量にある番号に折り返す。
「もしもし伊地知? うーん、今起きた。おはよう。原稿できてるよ。うん、送っておく。何かあったら連絡して。そうそう明日から京都に行くから、パソコンは持っていくから直しがあったらそっちでやるよ。じゃあ」
五条悟は、小説を書くことを生業にしていた。大学就活時に就活をしたくないと思い、たまたま見かけた小説のコンテストに応募することを言い訳に就活をサボり、時間を持て余していたので、ライフワークにしていた研究を題材にした小説を書きあげて応募したところ見事大賞を獲りそのままとんとん拍子で人気小説家となっていた。
今日は原稿の締め切りで三日ほど徹夜をして書きあがったので、先程まで思い存分睡眠を堪能していたのだ。明日は、実家がある京都に帰らなくてはならない。五条は面倒だなと思いながら目を覚ますためにシャワーを浴びようと風呂場に向かった。
実家のある京都に着いてからは、久々に訪れる甘味店をいくつも巡って実家から強制的に迎えの連絡が来たところでタイムアップとなった。面倒事が確定しているので、五条は出来る限り帰る時間を遅らせようとしたが限界だったようだ。
実家に帰れば、広い敷地の中にある大きな日本屋敷の玄関から一族の使用人が何人も出てきて五条を出迎える。相変わらずだなと思いながら五条は、「あーはいはい。ただいま」と頭を下げる使用人たちをあしらって中へ入った。すぐに応接間に呼ばれて向かう。五条はこの広い屋敷を持つ一族の当主という役割に据えられている。今時、時代遅れな〝当主〟なんて面倒な存在になりたくなかったのだが、生まれた時から五条だけにある特別な蒼い瞳を持って生まれてきてしまった五条はその瞬間から当主になる未来が確定していたという。全く持って厄介な話だ。
応接間について襖を開けると、一族の中でも要職に就く年寄りたちが数人集まっている。ろくでもない話の気配に五条は顔を歪めた。
「悟様、おかえりなさいませ」
老人たちが年若い五条に頭を下げる姿は、なんと滑稽か。五条はため息を吐いて座った。
「それで、何をこんな集まってるわけ?」
老人の一人が顔を上げた。
「それが悟様
……
——
」
「はぁ? 禪院のじいさんと会食って聞いてないんだけど? 会合に出ればいいって話だったじゃん!」
「禪院の当主が悟様を御指名で
……
」
「嫌だよあのじいさん酒臭いんだもん」
「そこをなんとか悟様
……
」
老人たちの必死な説得により五条は明日午前中の会合に出るだけの予定が、昼に会食まで予定を組まれてしまった。何が愉しくて酒好きの老人と飯など食べねばならないのか。会食が終わったらそのまま東京へ帰ろうと五条は心に決めた。
古くから歴史がある一族の長たちが定期的に集まって現状確認や、何か議題があればそれを話し合う京都で執り行われる会合。五条は、五条家の当主としてわざわざ京都まで帰省して会合に出席した。出席してもやる気のない五条はただ出された茶菓子を食べながら話を聞いているだけで、この為にわざわざ新幹線に乗ってきたのかと思うと毎回虚しくなる。今日はさらにこの後にこの会合に参加している禪院家の当主と会食がある。憂欝だ。相手は五条より五十近く上の爺さんなのだ。話すこともないし、食事を楽しめると思えなかった。何より早くこの着物を脱いで東京に帰りたかった。
会合が無事に終了して五条が指定された料亭に向かえば、案内された部屋の閉じた襖の向こうが何やら騒がしい。当主同士の会食と聞いてたが、明らかに他に何人か人がいる。何か揉めている声が聞こえて五条はげんなりした。五条を案内した料亭の女将は笑顔を崩さずに去っていった。五条は帰りたいのを耐えて「五条です。入りますよー」と声を掛けて襖を開けた。
「
……
」
襖の向こうには、禪院家の当主である爺さんと金髪の若い男。他に特徴のない男たちが数名。あと
……
——
「
……
」
「
……
」
顏に包帯をぐるぐるに巻いたまだ小さい子供が部屋の端で正座していた。何もかも聞いていない状況に五条は今すぐ襖を閉めようかと本気で思った。
五条はため息を吐いて仕方なく尋ねた。
「どういう状況?」
金髪の若者が振り返り目を丸くした後に慣れ慣れしく話しかけてきた。
「悟君やん」
五条の名前を呼ぶ金髪男は五条のことを知っているらしいが、五条には相手の名前の記憶がない。だが、何となく感じる男への嫌悪感に思い出さなくてもいいかと思った。金髪男が何か言っているのを聞きながして質問の答えを求めるように五条を呼び出した張本人を見た。
五条を会食に誘って来た男
——
禪院家の当主は、金髪男たちに部屋を出ていく様に言い、それに男たちは反発したが、少しして諦めたように男たちは部屋を出ていく。金髪男は部屋を出る時に部屋の隅にいる子供に向かって「精々媚びて気に入ってもらうんやで」なんて言い捨てて言った。五条はあの男に話しかけられても今後一切無視しようと思った。
「で、僕を呼び出した理由は? その子は、いたままでいいですか?」
「こいつが、今日呼び出した理由だからな」
五条が禪院家当主の正面に座れば間もなく料理が運ばれてきた。二人分だけ運ばれた料理を見るに子供の分はないらしい。
「食事の前に本題に入ってくれますか?」
とても子供の目の前で大人だけ食事をする気になれなくて五条が切り出せば、当主は子供の方を振り返る。
「恵、包帯をとれ」
子供は黙って頭の後ろに手を回して包帯を解いていく。
「
…………
!」
包帯が取れた子供の顔には、いつくもの火傷にもみえるような傷跡があった。小さい顔はいくつも痛々しい傷跡を宿している。
「その反応、流石知っているようだな」
「それは
……
——
」
「呪いの王
——
両面宿儺の呪いの爪痕だ」
顔にいくつも傷跡のある少年は、包帯を取って顔を見られても無表情でスンとしていた。
五条は不躾に少年の顔をまじまじと見た。
「
……
」
「どうした? お前でも両面宿儺の傷跡を見るのは初めてか?」
「流石の僕も実物を見るのは初めてですよ。実在したんですね」
「面白いことを言うな。お前は実在しないと思ってあんなに研究していたのか? だとしたら、五条家の奴らが当主の気狂いを心配するのも仕方ないな」
「
……
両面宿儺なんて大物、お目にかかれるなんて思いませんよ」
「ふん。それで何か見えるのか?」
「何か?」
「その目は本当に飾りなのか?」
「この眼は、ただの蒼いだけの眼ですよ。この眼にこの子を見せたかったんですか? だとしたら、わざわざすみませんね。ご期待には応えられませんよ」
五条は生まれつき蒼い特別な眼を持っていた。これは五条家の人間のみに現れる特別な瞳らしく、この瞳を持って生まれた故に五条は生まれた時から五条家の当主が定められていたという。五条には、厄介なだけの蒼い瞳だ。
「お前にこいつを会わせたのは、こいつの面倒をお前にみさせる為だ」
「は?」
禪院家の当主の突飛な話に五条はポカンと口を開けていた。
「禪院の人間を五条にみさせるって、禪院家の御当主様の方が気狂いなのでは?」
「恵は、正確には禪院ではない。姓は伏黒だ」
「でも、禪院の血筋なんでしょう? 伏黒なんて聞いたことないけど」
「正確にはな。だが、ウチに置いておく訳にもいかん。さっきいたウチの若いのを見ただろう。恵をウチに置くことに反対している。ウチにいれば何をされるかわからん」
「子供に優しいんだね、意外だったな」
「こいつは、〝呪い〟を身に纏う人間だ。現代では貴重な数少ないな。もう呪いの存在しないこの現代で、わざわざ呪いを、しかも両面宿儺の呪いを引き受ける必要もなかろう」
「殺してしまっても呪われるかもって、だからって、わざわざ僕のところに寄越さなくてもいろいろあるでしょう」
子供の目の前で話すことではないと五条の頭の片隅ではわかっていたが、恵と呼ばれる少年は相変わらず顔色一つ変えずにどこを見ているのかわからない眼で大人二人の話を黙って聞いていた。
「お前だからだ。呪いの研究に打ち込む五条家当主
——
五条悟。お前以上の適任はいないだろう」
「それにしたってねぇ」
「一時的に預かるだけでいい」
「預かるっていつまで?」
「そいつの父親が見つかるまで」
「この子の父親は何処にいっちゃったの?」
「恵を置いて何処かへ消えた。あいつのことはウチの人間が探している。だから、見つかるまで預かっていて欲しい」
「
……
ウチの爺さんたちは五月蠅いよ」
「構わん。むしろ、これを契機に禪院と五条の仲を回復させたいと思っている」
「はー、そんなことに僕とこの子を巻き込むなよ
……
」
五条はため息を吐いてテーブルに肘をついた。手に顎を乗せて恵と呼ばれる子供を見つめる。両面宿儺の傷跡を持って生まれた子供。それもだが、どこか既視感がある子供の顔を見つめる。
禪院家と五条家は大昔から仲が悪く、何度かその仲を改善させようとしたこともあったらしいが、むしろ片方が潰れかけたりして実現されたことはない。禪院家は一度滅びかけたが、図太く生き延びて今もなお名が世に残っている。五条の手腕でもあるが、安定して企業としても成功している五条家と仲を回復させて家名を安定させたいのだろう。そんなことの為に幼い子供も利用している。縋っているのかもしれない。かつて自分たちを滅ぼしかけた〝呪い〟の存在にすら縋らないといけないような家名の存続にどんな意味があるのか、五条にはわからない。気持ち的には断りたい。この子供を連れ帰って家の人間の阿鼻叫喚が目に見えている。子供を面倒みたことなどない。五条は一人っ子であったし、実家の人間に甘やかされて育てられてきたのだ。小説家の肩書に自由に生きている五条が幼い子供の面倒をみれる訳がない。断ろう。そう決めてもう一度子供の顔を見た。
「
…………
っ!
————
」
五条はバッと立ち上がった。スタスタと数歩で子供の目の前にいきしゃがむ。子供は五条の突然の行動に初めて目を見開いた。よく見ると翡翠色の瞳をしていることにこの時気づいた。五条は両手で子供の頬に触れた。それだけで子供の小さな顔は覆いつくされてしまいそうだったが、そんなことも意識せずに目の前でジッとその子供の顔を見つめた。
「思い出した」
「え?」
子供は初めて子供らしい顔で五条を見つめる。
五条はゆっくりと振り返る。禪院の当主は笑っていた。何かを確信するようなその顔はムカついたが、五条は男が望む言葉を言ってやった。
「この子を連れて帰るよ」
車の揺れが心地よくて瞼が落ちていた。五条は目を開けて一瞬落ちていたことに気づく。静かな車内で横を見れば小さな少年がちょこんと隣に座っていた。視線に気づいたのか少年がこちらを見た。
「
……
何ですか?」
「別に。それよりお腹空いたでしょ。ホテルついたらご飯にしよう」
「はい」
禪院家の当主に突然面倒を押し付けられた少年を実家に連れ帰った後は、予想通りの阿鼻叫喚だ。実家の人間たちは、そんな子供今すぐ返して来いと騒ぎ、禪院家に抗議にいくと騒ぎ出す始末。子供に見せる光景ではないと冷静な思考を持つものも存在しないことが一番憐れだったかもしれない。五条は、実家の人間たちを宥めて説得して一人子供を連れて実家を出た。そもそも禪院の当主と会食しろと言ってきたのは彼らの方なのにどうしてこんなに融通が利かないのか。
禪院家にあるという少年の荷物は後程五条の部屋に送るとのことだ。少年は手ぶらで五条に連れていかれることとなったが、少年は何も言わなかった。禪院の当主と別れる時も五条家の騒ぎ立てる大人たちを見ても少年の感情のない瞳は目の前の事象を映すのみ。そこに感情らしいものは何もなかった。
五条はまた無意識に少年を見る。少年の顔に感じていた既視感の正体
——
。
見たことがあるのだ。夢の中で。夢の中では少年はもう少し年齢を重ねていて、中高生ぐらいの年のようだった。夢の中の少年の顔には傷はなくて、最初は気づかなかった。けれど正面からじっくりと顔を見て間違いないと思った。五条の見る夢の中に出てくる少年と同じ顔をしている少年
——
伏黒恵。そのことに気づいてしまったら、この子供を連れ帰る以外の選択肢は、五条の中でなくなってしまった。
子供を連れて五条は東京へ戻ってきた。
京都で一泊したが、五条が生活している部屋へ戻る前に寄るところがあった。東京駅を出て拾ったタクシーの中で横に座る少年は長距離移動の疲労が見えなくもないが相変わらず静かだ。
会食の場を出る時に少年が顔に包帯を巻こうとしたのを五条が止めた。顔に包帯を巻いた子供を連れて歩ければ五条が職質でもされかねないと思ったからだ。帰りにドラックストアに寄って子供用のマスクを購入して少年に渡した。顔が小さい少年はマスクをつければ大半_傷痕は隠れた。多少は見えてしまうが、包帯よりはましだと思った。
大人びた様子の少年には子供用の動物の絵柄が描かれたマスクは嫌がられるかと思ったが、少年はマスクに描かれた動物をジッと見つめて小さな手でぎゅっと握りしめていた。五条の「つけれる?」の言葉にやっと反応するように少年はマスクをつけた。案外気に入ったのかもしれない。未だにあまり言葉を発しない表情を変えない少年に声を掛ける。
「僕の部屋に帰る前に会いたい人がいるからもう少し付き合ってくれる?」
少年は五条を見ずにコクンと頷いた。子供はこんなに静かな生き物だろうかと五条は思った。帰りの新幹線で恵より小さい子供が泣いて母親に抱きしめられているのを見た。意味もなく泣いて騒いで大人しくしていられないのが子供という印象だが、この子供は一般的な子供とは違うようだ。それが五条には都合がよかったが、何かが引っかかった。
「夜蛾先生お久しぶりです」
「悟
……
来るとは連絡があったが、その子は
……
」
都内にある一軒家にタクシーを停めてインタホーンを押す。中から出て来たのは、サングラスをかけたイカつい男だ。とても堅気には見えそうにない。少年も流石に驚いているのか男を見上げて目を見開いている。
「ちょっと訳があって預かることになって♡」
「はぁ
……
とりあえず上がれ」
「ありがとうございます」
五条が部屋に戻る前に寄ろうと連絡を入れていたのは、高校時代の担任教師だった夜蛾正道の家だ。彼は一担任教師を超えた五条の恩師でもあり、高校卒業後も縁が続いていた。
夜蛾は五条と少年に茶菓子とオレンジジュースを出してくれて、少年より五条の方が喜んでいることに夜蛾はため息をついた。
「それで、悟がその子を面倒みると
……
」
「そういうことになりますね」
五条の返事を聞いて夜蛾は額を押さえて大きなため息を吐いた。
「はぁ
…………
」
「ため息でかくないですか?」
「家の人たちには止められなかったのか?」
「止められるっていうか大騒ぎっていうか? すぐに捨てて来いって五月蠅くて捨て猫拾ったんじゃないんだから」
「
……
俺のところに愚痴を言いに来たのか?」
「違いますよ。実家の奴らが役に立たないんでね、先生に子供と暮らすのに必要なことを教えてもらおうと思って」
「
……
わかった。少し別室で話そう。君、名前は?」
部屋の中を見ていた少年が話を振られてビクッと小さく跳ねた。何にも動じなさそうな雰囲気を纏っているが、流石に夜蛾の見た目にはまだ慣れないらしい。
「
……
伏黒です」
「伏黒君、私は悟と話をしてくるから少し待っててくれ、よければ何か読むかい?」
「
……
」
夜蛾が通してくれた応接間のような部屋の壁には本棚がいくつもあって、児童向けから一般的な書籍までびっしりと詰められていた。少年は部屋の中を見ていると思っていたが、本棚を見ていたようだ。夜蛾に尋ねられた少年は、少し躊躇ってから本棚の一か所を指さした。
「これかな?」
夜蛾が少年が指さした場所にあった本を一冊取り出した。
「あの
……
これの五巻を
……
」
「五巻?」
「図書室に五巻だけなくて
……
読めてなかったから」
それを聞いた夜蛾が口元を緩めた。少年が所望した五巻を取り出す。
「どうぞ。もしも読み終わったらこの部屋の本は好きに読んでいい」
「ありがとうございます」
少年は両手で児童向けの本を受け取った。顏はマスクに覆われているが、心なしか目が輝いているように見えた。
「
…………
」
夜蛾の後をついて廊下を歩く五条が口を尖らせた。
「何で全巻持ってるんですか?」
「知らないのか? あれは児童向けで人気シリーズなんだ」
「知ってますよ。今でもたまに続編書かないかって依頼が来ますもん」
少年が所望した本は、五条が書いた本だ。作家としてデビューしたての頃、作風の幅を広げる意向を編集部から出されて児童向けの小説を書いた。ペンネームは変えているので、一見では気づかれないが、五条の本のファンにはバレているらしく有名なことらしい。
十巻まで刊行し、かなり人気もあったが、五条はメインにしている執筆の方が忙しくそちらを書いている余裕もなくなり、キリがいいので十巻で完結ということにしている。何も興味がなさそうだった少年が、あの本を手に目を輝かせていたことが五条を落ち着かなくさせる。
別室に夜蛾が案内してくれてそこで少年との暮らしについて話をした。学校は五条の部屋から通える私立へ禪院家が手配するらしい。生活費も一応禪院家が出すと言っていた。少年を厄介払いしているが、それでいてかなり慎重に扱っている。五条はそのことについて気にかかっていたが、流石にそんなことまで夜蛾には相談はできなかった。
「マスクをしていたが体調が悪いのか?」
「いえ、傷があるんですよ」
「傷?」
「顔にね。大きい傷痕がいくつもあって目立つんですよ。僕と会った時は顔中に包帯を巻いてて」
「
……
包帯よりはマスクの方がいいな」
「でしょう」
「その傷は何か事故か?」
「生まれつきらしいです」
「
……
そうか」
サングラスをかけたイカつい見た目で覆われているが、痛ましさが声ににじみ出ていた。
「学校に行ってもいろいろあるかもしれない。何かあれば俺も話を聞こう」
「また来ていいんですか?」
「お前とあの子を二人だけにする方が心配だ」
ため息を吐く恩師に五条は「言質取りましたよ」と笑った。
夜蛾との話を終えて少年がいた部屋に戻ると、少年は本を真剣に読んでいた。
「おまたせ」
五条が声を掛けると顔を上げた。邪魔だったのか外していたマスクを急いでつける。夜蛾はそれには触れずに少年が読んでる本を見た。
「五巻は読み終えたんだな」
「はい。面白かったです」
「
……
」
「そうか、続きは家で読むといい」
「?」
少年が夜蛾に本棚から取り出した二冊を手渡した。読み途中だったらしい六巻を少しだけ名残惜しそうに見ていた。
「そろそろ帰ろうか」
少年は五条を見上げてコクンと頷いた。
夜蛾の家を後にして再びタクシーに乗って、漸く五条の生活しているマンションまで辿り着いた。タワーマンションとまではいかないが、それなりの高層マンションなので少年は物珍しそうに見上げていた。
五条の部屋に上がってから部屋を案内する。
「ベッドは早めに買いに行こう。それまでは僕の寝室のベッドで一緒に寝よう。大丈夫大きいベッドだから二人で寝ても狭くないよ」
「
……
はぁ」
部屋の数は問題ないが、人を部屋に呼ぶことがなかったので、寝る場所が足りなかった。少年用の寝床が一番最初に必要なものかもしれないと五条は思った。
一通り部屋の中を案内して最後に少年の部屋になる場所のドアを開けた。
「此処は、物置きにしてた場所だから、今日から君の部屋にするよ」
「
……
」
本棚に覆われた部屋は、本と資料を保管しておくだけの場所だったので、此処にベッドを置くなら本棚の置き方も考えた方がいいかもしれないと思った。本棚に囲まれた部屋を見て言葉を失くしている少年に告げる。
「僕の本とか資料とか置いてあるんだけど、此処の本は好きに読んでいいよ」
「〝僕の本〟って?」
少年が五条を見上げた。五条は微笑んで本棚の中から少年が読んでいたシリーズの六巻を抜き取った。振り返って少年に差し出した。少年はその本を両手で受け取る。
「僕、こう見えて小説家なんだ。これは、ペンネームで出してたシリーズの一つ」
「
……
」
少年が目を見開いて本に書かれた名前と五条を見比べた。五条はその反応を微笑ましく見ながら、少年の目線に近くなるようにしゃがんだ。
「改めて自己紹介しよう。僕の名前は、五条悟。君の名前は?」
「伏黒、恵」
「恵、これからよろしくね」
2
珍しく約束の時間の前にいると思ったその人のテーブルにはパフェやパンケーキが並べられていて、先に食べ始めているのだなと察した。顔を上げた男はパフェ用の長いスプーンを咥えたまま声を掛けてきた。
「おつかれー」
「お疲れ様です。五条先生」
相変わらず顔色の悪い男は、五条の正面の席に座った。「何か頼む?」と聞けば「ホットコーヒーで」と言うので、すぐにテーブルに備え付けられているタブレットに入力する。
平日の昼過ぎの時間帯のファミレスは空いていて、配膳ロボットはすぐにコーヒーを持ってきた。五条の目の前でコーヒーを受け取っているのは、担当編集の伊地知潔高。長年五条を担当している。仕事のできる男だが、抱えている担当が多いのか、いつも多忙で窶れ気味であった。今日は打ち合わせの日で、五条のマンションの近くのファミレスを指定した。伊地知からの連絡事項を聞きながらパフェをつつき、話が落ち着いたところで五条は聞きたかったことを尋ねる。
「あのさ、あのシリーズ覚えてる? 児童向けの妖怪のやつ」
「覚えてますよ。あれ人気ですよね。今でも続編を希望する声を聞きますよ」
「そう。書くって言ったら出る?」
「え? 書かれますか!? 以前はもう書かないっておっしゃっていたので、もうそちら向けは書きたくないのかと
……
」
「そうだったんだけど、気持ちが変わってさぁ。また書いてもいいかなって」
ぽかんと話を聞いていた伊地知が表情を明るくする。
「そういうことなら是非! すぐにあちらの担当の方にも話をしますね。他の抱えてる連載もありますし、具体的な話は後日しましょう」
草臥れたサラリーマンのような風貌だった伊地知が楽しそうに話すのを見ながら、五条が思う以上に愛されていたシリーズだったのだと思った。
五条と生活を共にするようになった少年
——
恵は全巻を読み切り一度だけ控えめに聞いたのだ。「続きは書かないんですか?」と。五条は深く考えずに「書かないよ」と答えたら恵はムスッとした後に寂しそうな顔をしていた。その顔を見たら五条の中で何かが変わってしまった。そういえば未だにファンレターをもらうことを思い出したり、仕事で関わる人の中には、子供がファンでと声をかけられることも少なくなかったと気づいたり、些細なことが積み重なって長年五条の中で忘れられていた世界の扉が開くようなそんな感覚に一人で落ち着かなくなっていた。
嬉しそうな伊地知の顔を見ながら、続編が出ると知ったら恵は喜んでくれるだろうかとそんなことを思った。
***
いつからか同じ夢を見るようになった。夢には必ず一人の少年が出てくる。
少年が何か言って最後に笑うのだ。ただそれだけの夢。けれど何回も何年も同じ夢を見るようになって、それがただの夢でないと五条はどこかで理解していた。
今日も同じ夢を見る。夢の中の少年は、現実の少年に影響を受けるように顔にいくつもの傷痕があった。こんなことは初めてで五条は初めて夢の中で少年に手を伸ばした。
五条の伸ばす手は少年には届かない。少年は五条に向かって何か言っている。上手く聞き取れない。
「
——
さん。
————
しゃい」
「
————
」
少年が笑う。柔らかい笑みに何故だか胸が締め付けられて五条は少年の名を呼んだ。名前を知らないはずの、その少年の名を
……
————
「
…………
」
目を開ければ見慣れた天井で、五条はぼんやりとした思考のまま久々にいつもの夢を見たと思った。枕もとでバイブを繰り返すスマホを手に取ってアラームを止めた。ショートスリーパーであまり睡眠を必要としない体質だったが、それでも朝早く起きることはつらいものだった。
「おはよう、恵」
「おはようございます」
恵と暮らし始めて、五条は平日は恵が起きる時間に起床するようになった。恵はかなり自立した子供なので、朝の支度など大人の手を必要としないが、夜蛾からのアドバイスもあり五条もとりあえず起きて一緒に朝ご飯を食べるようにしている。
五条は小説家として日々その日その日の気分で気ままに生きていたので、学生の時以来に規則正しい生活をしていて、逆に時間の使い方がわからなくなっている。ハウスキーパーを雇っており、食事も用意してくれているのだが、最近は時間を持て余して料理なども始めてしまった。朝ご飯は、米派の恵の為に昨日の夜に鮭を焼いておいたのだ。恵は五条が焼いた鮭だと知らずに
——
ハウスキーパーさんの作り置きだと思っている
——
黙々とご飯を食べている。その様子が小動物の食事風景のようで、物珍しさと何となく癒される気がしてつい見入ってしまう。
「何ですか?」
「別に」
五条からの視線に気づいた恵に睨まれて五条はヘラリと笑った。恵は疑わし気な眼で五条を見つつ、食事を再開する。
「鮭美味しい?」
「美味しいです」
社交辞令にも聞こえるその言葉を素直に受け取っていいのだろうかと迷いつつも、恵の口元が緩んでいるのを見つけて五条は笑っていた。
「いってらっしゃーい。気を付けてね」
「いってきます」
玄関で恵を見送って五条が手を振れば、恵は小さく頭を下げて外に出て行った。
今時も小学生はランドセルを背負うものらしく、恵も禪院家から恵の荷物として送られてきた物の一つだった黒いランドセルを背負って学校へ向かった。
禪院家が手配した学校は、私立の小学校だった。どういう手を回したのか、恵の転校手続きは完了していて、恵は東京に来てすぐに学校に通い出した。
学校は五条のマンションからバスで20分程の場所にあって、一度だけ五条と一緒にバスに乗っただけで恵は一人で登校できると、五条は恵に一緒に行くことを拒否されてしまった。顔の傷は登下校中に変な人間に絡まられるのも心配なので、マスクをつけてもらうようにしている。学校では外しているらしい。学校にも事情を説明して一応マスクをつける許可も貰ったのだが、恵は特に気にしていないようだ。
恵曰く、こちらの学校は私立の偏差値の高い学校なので、顔の傷を揶揄ってくるような低レベルな子供はほとんどいないとのこと。むしろみんな恵を危険視して避けているらしい。
その話を聞いた五条が「それじゃあ恵友達できないじゃーん」と言えば、恵は冷めた目で「そっちの方が楽」と言った。転校する前の学校では苦労していたのを察してしまうが、それにしても小学一年生にして避けられる方が楽とは、この子供が生きてきた環境の過酷さを感じずにいられなかった。
「よし、やるか」
五条は恵の部屋となった一室に入って作業を始めた。数日前に恵用のベッドを購入して、空いている場所に設置したが、もう少し部屋のレイアウトを変えてあげたい。その為には本棚を動かす必要があるので、一度本棚の中身を出す作業をしていた。ついでに必要なくなった資料も整理したいのだが、それをやりだすと作業が進まなくて部屋を片付けるはずが結局昨日は一日かけて資料を広げるだけになり、帰宅した恵に白い目で見られて終わってしまったのだ。
五条には、生まれつき〝六眼〟と呼ばれるこの世界に一つだけの眼があった。大昔に特別力が宿っていたというこの瞳は、今はただの蒼いだけの眼でしかない。五条家は、この六眼が力が持っていた時代に〝呪い〟を祓う能力を持った一族であったらしい。そういう古い資料がたくさん実家にはあり、五条は己の眼の存在から好奇心でそれらを読み漁った。大量にあった資料を読みつくして、もっともっと知りたくなってかつて御三家と呼ばれた家に頼みに行ったこともある
——
門前払いされた
——
。大昔、呪いが現実に存在したい時代。その爪痕は、今も各所に残っている。五条はその存在に取り憑かれるように夢中になって、呪いの研究を独自に始めた。
呪いの研究を題材に小説を書き始めて、小説家として起動に乗ってからは、研究の方は正直進んでいない。今では、研究をする傍らに小説を書いているのか、小説を書くために研究をしているのか自分でもわからなくなっている。
恵は本が好きな子供だった。この本だらけの部屋で本を喜んで読み漁っている。それ自体はとてもいいことだと思うが、恵は本なら何でも読んだ。何ならどこまで読めているのか新聞も興味深そうに読んでいる時がある。五条の中に一つ懸念があるのは、五条の呪いの研究資料に恵が興味を示すことだ。恵は、五条と同じく呪いのあった時代の遺物をその身に宿した人間だ。興味を持っても何ら不思議はない。だが、まだ小学生になったばかりの少年が触れるには、時期尚早と五条は判断している。だから、なるべくこの部屋から出したいのだが、とにかく量が多い。長らく放置してきた己の行いに五条はため息を吐いた。
「アンタ、今日もやってたんですか」
「あれ? もうこんな時間? 恵、おかえり」
「
……
ただいま」
掛けられた声に五条が振り返れば部屋のドアの前にランドセルを背負ったままの恵が立っていた。気づけば恵が下校してくる時間になっていたらしい。部屋の中は昨日同様に資料が散乱していてあまり片付いていない。恵は連日の様子に白い目を向けながらランドセルを下ろして手を洗いに行った。
五条は手早く散らばった資料だけでも拾って段ボールに放り込んだ。
部屋に戻ってきた恵は床がさっきより綺麗になっていて目をパチパチしている。
「あの」
「何?」
「俺も手伝いましょうか?」
「うーん、これは僕の仕事の関係でもあるから手伝いはいいよ。そうだ! プリン買ってあるんだおやつに食べよう!」
「
……
はい」
五条の様子を不審に感じている恵の視線をひしひしと感じたが、五条は小さな恵の背を押してリビングへ導いた。
コンビニで発売したばかりの期間限定のプリンを二人で食べる。労働
——
部屋の片付けだが
——
した体に甘い物が沁みる気がした。恵は物珍しそうにプリンの容器を眺めて、恐る恐る蓋を開けている。その様子を見て五条は尋ねる。
「プリンあんま食べない?」
「
……
給食に出る」
「ふーん。給食美味しい?」
「普通」
「そっか」
この子供のことを五条は何も知らない。何処まで知っていいのかもわからない。そもそもこの子供がいつまで此処にいるかも定かではないのだ。それでも、五条なりに日々この子供との距離を測っていた。
恵とプリンを食べているとテーブルの上に置いておいた五条のスマホがバイブを始めた。画面には『伊地知』の文字。五条はそれを見ながらスマホに手を伸ばさずにプリンを食べた。恵の方が見ていられずに声を掛ける。
「出ないんですか?」
「んー。仕事の話だからいいよ」
「よくないでしょ」
「いいよぉ。嫌な予感するし」
「五月蠅いから出てください」
「えー、仕方ないなぁ」
恵からの冷たい視線に押し負けて五条は諦めずにかけ続けられている電話に出た。
「もしもし~、何か用? あー、締切ねぇ。いつだっけ? 明日? へー、原稿? ううん。全然やってないよ」
伊地知から明日が締切りの仕事があることを知らされる。前回会った時にそんな話をしていたかもしれないが、あの日は正直伊地知の話をあまり聞いていなかった。伊地知もそんな気配を感じて電話をかけてきたのかもしれない。せめて手をつけているだろうと一縷の望みをかけて。
「ちなみにいつまで伸ばせる? 二日ー? はぁ、まぁ、いいよ。二日あればね。はいはい。明日くんの? わかったって。じゃあ、駅のコンビニでアイス買ってきて期間限定のやつ。僕と恵の分。食べたかったら伊地知の分も買っていいよ。はーい、じゃあね」
通話を終了して五条はでかいため息を吐いた。恵は相変わらず白い目を向けている。
「仕事になっちゃった」
「そうですか」
スマホに表示された時間を見て五条は恵に告げる。
「ハウスキーパーさんもそろそろ来る時間だし、今日の夕飯は一人で食べてくれる?」
「はい」
「僕ちょっと籠もるから、明日の朝ご飯には顔出すよ」
「朝も」
「何?」
「朝も仕事してくれてていい」
「
……
朝は顔出すよ。一緒に食べよう」
「
……
」
恵は微かに頭を動かした。それを返事と受け取って五条は気づけば恵の頭に手を伸ばしていた。
「
……
」
ぐりぐりとツンツン髪を押しつぶしながら撫でる。恵は黙って五条を不服そうな目で見つめていた。その表情が気に入って五条は笑った。
***
「アンタ、まだかけるんですか?」
「え? あっ、かけ過ぎた
……
」
恵の声でぼーっとしていたことに気づく。目の前のホットケーキに大量の蜂蜜をかけ続けてしまっていた。恵はやっぱりとため息を吐いた。
今日は土曜日で恵も学校がなかった。仕事を一旦切り上げて恵と朝ご飯を食べようとリビングに出て来た五条は、二徹中の頭で恵に提案した。「ホットケーキ食べない?」と。休日の朝の眠そうな恵も了承してホットケーキを五条が焼いた。
恵にはスクランブルエッグとベーコンを焼いたものも付けて、五条は焼けるだけ生地を焼いて積み重ねた。伊地知に締切を告げられてから原稿執筆を続けているが、脳が糖分を求めていて限界だったのだ。学校に行く日は米を食べたがる恵だが、休日だからホットケーキを食べてくれて助かった。
うっかりかけ過ぎた蜂蜜に浸りまくったホットケーキを口に運ぶ。糖分がダイレクトに脳に送られている感覚。もはや蜂蜜を食べているかもしれない。これはこれで美味しい。顔を上げると恵がドン引きした顔でこちらを見ていた。
「食べたい?」
「いらない」
恵は即答して、自分の皿だけにあるベーコンを口に運んだ。
今度は五条が目の前の恵を見つめていた。少年の顔にいくつもある傷痕。両面宿儺の爪痕。
「何ですか?」
五条からの視線に気づいた恵が迷惑そうな表情を隠さずに尋ねる。何を見ているのかわかっているのかもしれない。外でもこんな感じならすぐに喧嘩を売られそうだなと頭の片隅で思った。
「あのさぁ」
二徹の頭で自分をコントロールできていなかった。五条は自分でもそう思った。欲望が簡単に口に出る。ずっと気になっていた。
「恵の顔の傷触っていい?」
「
……
なんで?」
「触りたいから。それって触ると痛い?」
「痛くはない」
「ふーん。ねぇ、ダメ?」
少年のデリケートな部分のはずだから慎重にいこうと思っていたはずなのに、全部台無しだ。だが、触れたいと思ったらもうそのことしか考えられなかった。
「
……
一回だけなら」
「一回ね」
五条は恵の頬の傷痕に手を伸ばす。片手で顔の半分を簡単に覆えてしまいそうな小さな顔に図々しく居座るその傷痕に触れた。痛くはないというその傷痕にできる限り優しく触れる。その感触をどう表現すればいいのだろう。親指の腹で傷痕をなぞる。叶うなら今日はずっとこうしていたいと思った。一回はどこまでが一回になるのだろうと五条が考えていると、黙って五条の好きにさせていた恵が口を開いた。
「俺も一つ聞いていいですか?」
「うん。何?」
「両面宿儺について」
疲労に犯されていた思考が一気に覚醒した気がした。五条は目の前の恵を見る。恵も五条を真っすぐに見つめている。
恵が両面宿儺に興味を持ってもなんら不思議はない。禪院家で散々その名を聞いただろうし、五条も禪院家の当主とその話をした。何処まで何をこの子供の為に伝えられるだろう。
「
……
いいよ。けど、締切がね」
「終わってないんですか?」
恵が目を見開いて驚いた顔をしているのが、五条に目に見えぬダメージを与える。伊地知がどんなに嘆いて困っている姿を見てもなんともないのに、無垢な子供の言葉は刃だ。
「終わってません
……
。けど伊地知が来るまでには終わる計算だから」
「はぁ
……
」
信用を一気に失ったような恵のため息がやたらと疲れた体にダメージを食らわす。
「うん、そういうことだから、その話は原稿終わったら話そう」
「はい、それなら原稿終わらせてアンタが休んでからでいいんで」
「え?」
「アンタ全然休んでないでしょ? いつもこうなんですか?」
「うん、まぁ、だいたいこんな感じ」
「そんなんじゃ身体壊しますよ」
「大丈夫だよ。僕最強だし」
「
…………
」
五条の言うことに白い目を向けて、恵はこれ以上言っても無駄と悟ったように、もういいでしょっと傷痕に触れる五条の手を離した。離された手は行き場を失くしてしまって、五条は先程まで呪いの傷痕に触れていた手の平を見つめる。
「
……
移ったりしませんよ」
「え?」
「この傷、触っても移ったりしません」
「
……
そういうつもりで見た訳じゃないよ」
「なら、いい」
誰かに言われたのだろう。子供が言いそうなことだ。それでも、いつも冷静に返す恵に五条の方が言葉を失くしてしまう。
「学校楽しい?」
「別に」
「そっか」
「楽しい」と返してくれたらいいなと思うこれは、願いだろうか、それとも祈りなのか。せめて恵が言っていた〝そっちの方が楽〟という言葉のまま、この子供の平穏があることを五条はひっそりと思うのだった。
「何それ」
五条が原稿を終わらせてふらふらとした足取りでリビングに入ればソファで恵がはふはふと何かに齧りついている。
「五条先生、お疲れ様です。これ行きで見つけたたい焼きです。伏黒君へのお土産で
……
」
「たい焼きー! 中身はあんこ? こし餡? 粒あん?」
五条はたい焼きと聞こえた瞬間にソファの前にあるローテーブルに齧りつく勢いで駆け寄った。たい焼きの入った箱を覗き込む。流石伊地知というだけあって二人分のお土産のはずだが、かなりの量が用意されていた。五条の食いつきっぷりに引いた顔をした恵はたい焼きを持ったまま固まっている。
「恵のは何?」
「
……
クリーム」
「クリームもいいなぁ。けど口があんこになっちゃったんだよ。これこし餡?」
「粒あんのはずです」
「粒もいいよね!」
「どっちでもいいのかよ」と恵が小さく呟いた。五条は粒あんのたい焼きを二個手に取って恵の隣に腰掛けた。
「五条先生原稿は?」
「できたよぉ。データ送った。っていうかさぁ、データで送れるんだからわざわざ来なくていいじゃん」
「それはそうなんですけど、直接会って圧力をかけてこいっていう上からの指示で」
「それ普通言わなくない?」
「今更でしょう」
「まぁ、お土産買ってきてくれるから僕はいいけど」
伊地知はすぐにノートパソコンを開いて届いたデータを確認し始めた。恵はそれが気になるようでチラチラとパソコン画面を見ている。
「こーらっ、こちらはR18でーす」
五条は目隠しのように恵の目元の辺りに手のひらをかざした。五条の手のサイズならそれで十分恵の視界を隠せた。
「
……
嘘」
「恵にはまだ早いよーだ」
明らかにムスっとした恵の声に五条は笑いを耐えながら視界を隠し続ける。
「邪魔。もう見ない」
「大きくなったら読んでいいよ」
「読まない」
「えー、読んでよぉ」
「アンタ、テンション高い」
五条のテンションが鬱陶しいようでたい焼きを持っていない手でこれ以上近づくなと五条の身体を押してくる。締切から解放されて気分が上がっている五条は残りのたい焼きを口の中に詰め込んで恵に抱き着いた。
「そりゃ~締切倒したし、三人でご飯いくか~伊地知の奢りだよ~」
「え!?」
伊地知がパソコンから顔を上げて冷や汗をかく横で、恵は五条の腕の中で離れろと藻掻いていた。
「五条さんって甘い物好きですよね」
「うん。大好き。何で?」
「事あるごとに甘い物買いがたるから」
伊地知も入れて三人で焼肉を食べに行った帰りにシュークリームが食べたいと五条が言い出し、シュークリームを買って帰った。恵はまだ食べるのかと信じられないという顔で五条を見上げていた。
帰宅してさっそくシュークリームの箱を開けだす五条を見て恵は呆れていた。
「恵は食べないの?」
「お腹空いてないんで」
「じゃあ、明日のおやつにしな。恵は何味がいい?」
「ふつうの」
「普通ねぇ、カスタードかな」
「それで」
「僕はチョコレートから食べようっと」
ソファに座ってシュークリームを食べだす五条を見て恵が手持ち無沙汰で声を掛ける。
「何か飲みます?」
「いいの? それならペットボトルのお茶貰おうかな」
「わかった」
恵は自分の分も入れて二つのコップを両手で持ってきた。五条の分をローテーブルに置いて、自分は五条の隣に座った。ごくごくと喉を潤す恵の後頭部を見ながら五条はいい加減話してあげないとこの子供は風呂にも入らないなと悟った。
「両面宿儺の話さ」
恵が顔を上げる。翡翠の瞳がジッと五条を見つめる。その瞳の無垢で真摯な眼差しに思わず苦笑する。この子供の望む話ができるだろうか。
「話すよ、約束だからね。ただねぇ、どこから話そうかなぁ。そうだ」
五条は食べかけのシュークリームを口に詰め込んでソファから立ち上がる。リビングを出て自室の本棚からある物を取り出す。それを手にしてリビングに戻れば恵がお茶のコップを握りしめたままソファで待っていた。
「お待たせ。これがね、両面宿儺って言われているんだ」
「
…………
妖怪?」
「見た目は似たようなものかな」
五条が所有する両面宿儺の肖像が書かれた資料の一つである用紙をローテーブルに広げる。恵はそれを食い入るように見つめて首を傾げた。広げた用紙には恐ろしい怪物のような生き物が描かれている。いくつもの目、多くの腕。恵が妖怪というのも仕方ないだろう。
「恵は〝呪い〟が何か知っている?」
「
……
幽霊とか妖怪?」
「正確にはどちらも違うんだ。〝呪い〟っていうのは、大昔に存在した人の負の感情が凝り固まってできたもの。それが集まると人を襲う存在になる。呪いは、呪力と呼ばれるこの呪いが見えたり、使えたりする能力があるものだけ感知することができる。正確には魂である幽霊とは違うらしいから、霊感がある人間が呪いを見る才能があるとは限らないし、逆もしかり。呪力を操る能力に秀でた人間を多く輩出した一族である五条、加茂、禪院が当時御三家って呼ばれて大きな力を持っていたとされる」
「禪院
……
」
「両面宿儺っていうのは、呪いの中でもかつて「呪いの王」と呼ばれた存在だ」
「のろいの王
……
」
五条は恵を真っすぐに見つめる。無垢な翡翠の瞳は五条から目を逸らさない。
「恵、君の顔にある傷痕は、おそらく両面宿儺の呪いの遺物だ」
五条が告げる言葉にも恵は表情を変えない。だが、視線を落として「いぶつ」とだけ呟いた。
「呪いの王が残した呪いの痕ってこと。僕の眼も同じだよ」
「?」
恵が再び視線を上げた。五条はサングラスを外した。蒼い銀河が姿を現す。恵はその蒼に視線を吸い込まれるようにジッと見つめていた。
「僕も五条家の人間に数百年に一度生まれるという〝六眼〟って呼ばれる眼を持って生まれて来た。六眼は、呪いをより見ることができる特殊な眼で、この世に一つだけ存在したらしい」
「
……
今は違うんですか?」
「僕の眼はただの蒼いだけの眼だよ。呪いすらも見ることができない」
五条は恵の頬に手を伸ばして傷痕に触れた。
「恵、君もおそらく禪院家の末裔で、とある人物の生まれ変わりだ」
「禪院
……
?」
「かつて禪院家の血を引いた人間で両面宿儺に身体を乗っ取られた人がいたとされる。その人は両面宿儺から引きはがされたとされているけど、代わりに傷痕が残った」
「傷痕
……
」
「資料に残っている情報だとたぶん恵のこの傷痕と酷似していると思う。恵も僕のように御三家のその人間の末裔か生まれ変わりなんだよ」
「生まれ変わりとか
……
」
「急にフィクション染みて感じる? けど、恵のこの傷痕は知る人が見るとフィクションの世界のことでなくなる」
「あの
……
」
「何?」
「その両面宿儺に身体を乗っ取られた人はどうなったんですか?」
「
……
わからない」
「わからない?」
「両面宿儺と引きはがされた事実と傷痕のことは記録されているんだけど、その後のことは不明なんだ。その人物についても禪院の血を引くとしか残っていない。情報を抹消されているのかな。隠蔽されている気がする。まぁ、機密情報だったのかもしれない」
「そうですか
……
」
これについては五条も当時かなり資料を漁り探し歩いた記憶がある。この人物については綺麗に情報が消されていた。おそらく当時の人間によって隠蔽されたのだろう。そこに誰のどんな意図があったのか五条にはわからない。恵も自分と同じ傷痕を持っていた人物のことは気になるらしい。五条は恵の頬から手を離す。痛々しい傷痕を受け継いだ子供。五条は意味もなく恵の頭を撫でた。
「何?」
「別に」
意味はない。ただそうしたかっただけ。この眼の存在を知った日の自分を思い出す。それでもこの子供の心をわかることはできないのだろう。不安も恐怖も怒りも悲しみも何も理解してやることなんてできない。それでも、一つだけ。五条にだけ、この子供と共有できることがあった。
「恵。僕と君は、この現代で呪いを身に宿した人間だ。世界にたった二人だけのね。君の傷痕を治してあげることも、それがいつか消えるのかもわからないけど。これだけは言える」
「何?」
「君は一人じゃないよ」
恵が翡翠の瞳を見開いた。数回瞬きして恵は視線を逸らす。
「あの、何で五条さんそんなに呪いに詳しいんですか?」
「あー、この眼についてウチの人間に聞いてから家にある資料とか漁ってたらハマっちゃって感じかな」
「呪いにハマるって」
「引くなよぉ」
恵は、引いた表情を隠さない。その様子に五条は内心安心していた。五条なりにどこまで話していいのか考えていた。伝えたことが恵の負担になっては、よくないし夜蛾にも叱られると思ったのだ。自分のように呪いに夢中になって、それが生活の一部になるぐらいになればいいかもしれないが、恵がそうなるとは限らない。
「呪いについて調べまって呪い関係のこと題材に小説書いたら当たって~って感じだから、僕には合ってたんだろうね」
「そういうこともあるんですね
……
」
「あるある」
恵は「ないだろ」と呟くのを五条は笑って見つめる。区切りにしていいだろうと判断して告げた。
「今日、話せるのは、このぐらいかな」
「はい。話してくれて、ありがとう」
不器用な少年の言葉が、五条には何度でも頭を撫でてやりたくなるような構いたくなる衝動を与えてくる。恵がローテーブルに広げたままの両面宿儺の肖像を見つめる。それが何だか気に食わなくって五条はまだ黙っているつもりだったことをポロっと漏らしていた。
「あのシリーズ」
「?」
「恵が夜蛾さんの家で読んでたやつ」
「あれがどうかしましたか?」
「時期とか決まってないけど、続き書くよ。たぶん。絶対」
だから読んでねと五条が言う前に言葉を紡げなくなっていた。恵が目の前で翡翠の瞳を見開いている。さっきと同じなのに、全然違う。喜色のオーラでキラキラと輝く瞳で五条を見つめる。恵は小さく「ほんとに?」と呟いた。五条はそんな恵に目を細めて頷いた。
「本当だよ」
五条の言葉に、この日、恵は、出会ってから初めて笑った。
㉔へ続く
※ぽいぴくで更新中
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