望月 鏡翠
2025-08-24 21:01:07
835文字
Public 日課
 

#1821 「家見舞い」「田鞍」「味煎」

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 家の側には、根気の仕事を一通り終えて手入れされるのを待つ田鞍が置いてあった。犬小屋の側に置いてあるので黒く蟠って見える蔵は、犬が丸まっている様と見間違えてしまいそうになる。犬小屋の本来の家主は、見えない。日差しが眩しいから縁の下に潜って眠っているのだろうか。
 もう成犬となって久しく、ようやく動きにも落ち着きが出てきて、獣の匂いが染みついた鞍に悪戯をするようなこともなくなった。
 鞍を出したままだから尋人も中にいるだろうと思っていたが、玄関から声をかけても返事がなかった。もう一度大声を出して読んでみる。
 縁の下から、迷惑そうな顔で犬が出てきて、顔見知りの来訪であることを確かめてからのそのそとまた涼しくて暗い場所に引き上げていった。
 番犬には、ならなさそうだ。
 温和すぎる。
 畑に出ているのかもしれないと、裏手に回って声をかけてみる。田には水が引かれて、泥が空の色を反射している。長閑で心安らぐ光景だが、探し人はいない。
 探し回っていると、近所の人が行方を教えてくれた。
「家見舞いに行ったよ。薬師のところにね」
「薬師?」
 確か、家を新しくしたという話は聞いていた。今までの家では棚が少なくて手狭になったから思い切って新しく土地を買って建て直したらしい。それは知っていたが、だからと言って、引越しそうそう家見舞いに行くような仲だっただろうか。
 病になるような男ではない。薬師と懇意にするような縁があったとは思えない。
 近所の人は首を振り、苦笑いをしながら教えてくれた。
「今いくとね、味煎を振る舞ってもらえるって噂になってるんだ」
 味煎とは。
 私も生唾を飲み込んだ。砂糖には到底及ばないが、貴重な甘味だ。振る舞うほどに手に入るのはさすが薬師というところだろうか、家見舞いといえば、もてなされる側であるだろうに、甘いものを振る舞ってもらえるというのであれば、なるほど対して親しくない間柄でも少しばかり顔を見せてみようと思うものだ。