売られたケンカはテニスなら買う/海乾
「なあ、海堂。一度、行ってみたいアミューズメント施設があるんだ。一緒にどうだ?」
ふわり、やわらかさをはらんだ乾先輩のくちもとが、いつもながら感情だだもれで、オレは心配になることすら多々ある。その声のトーンは、どの程度高いのか、オレが先輩と違ってデータだの数値だので明示出来るでもないのに明らかに浮ついていて、その口端の、ふわっとまるで花の薫りでもけぶりそうなくらいのあまさは、オレの胸を明確にくすぐったくさせる。
…と、同時に、いますぐにでも抱きまくりたくて仕方なくなる。抱き潰したくなる。部活に障るといけないからと、一度だって、潰せるほどには抱けたことなんざねぇけど。この先輩のことだから、自覚があって意図的に誘ってやがるのか、それとも無自覚なのかは、今のところまだ、オレには底を掴めてないってのが実情だ。そこがまた年上ぶられてるみてぇで、悔しい。こんなに読みやすい空気で、大丈夫なんスか? そうききたいのをこらえるのは、ああ、どーせ、このあまさのあじを覚えちまったからなんだろう。付き合ってることを公言してるでもないのに、と、誰に見られてるでもない部活後のトレーニング後のひとけなしなのに、それでも一応、思わずにはおれなかった。
先輩が、行きたいところについて説明を足す。今回誘われたのは、なんでも、数学をテーマにした施設だそうだ。誘いは、当然うれしい。嬉しいに決まってる。だが、果たしてオレとで、先輩は納得の行くまで楽しみ切れるのか? そこが気がかりで、即座には快い返事はできなかった。
「
……、
…オレは、アンタと行けるならどこでももちろん嬉しいですし、面白そうだとは思いますけど
…オレで、ほんとにいーんスか?」
問えば、先輩は心底不思議そうに、少しだけ小首をかしげた。
「? どうしてだい?」
ほんとうに皆目見当のつかないといったふうなそれは、疑問符にぴこぴこと間の抜けた音さえ背負うようだった。それがまるでシロツメクサの花冠でも似合いに思わせるほどの無垢ぶって、くらりとまぶしくなるのは、決して街灯を背負ってるせいじゃあねぇ。身長差のぶん、見上げてる月夜のせいじゃあねぇ。ああ、だからそーゆーところがあざといっつってんだろーが! 思い、こぶしを地面にがつんとつきたくなるのをこらえる。オレは、先輩の問いに、返す。
「いや、だって
…アンタ、オレとじゃ少しつまんねーんじゃねぇかとか、もうちょっとほかのヤツとのほうが、アンタも、楽しみ切れるんじゃねぇかとか、思ったんスけど
…」
言えば、先輩はやはり、あどけなく見えるようなからっとした笑みで、ふわりと白い可憐な小花のようにほほえんで、こんなことを言ってきたのだった!
「
…くっ、
…ははは
…っっ!
…相変わらず、生真面目でやさしいな、お前は」
「
……やさしいは余計だ。悪いかよ」
むすり、ガキじみて声の調子が下がる自分も、たいがい幼いのだろう。
「おや、そういうところも好きだと言ってるつもりだが?
…なあ、海堂。オレは、お前だから誘ってるんだぞ? だって、お前とじゃなかったら、デートにならないだろ」
にこり、くちもとにないしょごとのひとさしゆびそえるその様は、まとう空気は、一転、急にオトナのそれだった。いつだか同級生が言ってたような言葉を借りるなら、"えっちなおねーさん"
…ならぬ、"えっちなおにーさん"、とでも言ったところか。内容なんざまるきり興味ねぇし聞いてもいないし覚えちゃいないが、その単語だけが教室のなかやけに不意に、耳に入って印象に残ってたんだ。オレの横に居る"えっちなおにーさん"とやらは、どうも、まだオレには底が読み切れねぇ。緩急をつけて露骨に挑発してるようにも思えるし、それがまるきり天然の様子にも見える。とにかく言える揺るがねぇ真実は、どきんと、跳ねるオレの心臓が、その疼きをただのくすぐったさだけじゃねぇ厄介モノだと知ってやがるっていうことだ。ああ、オレはこののどにその蜜を、渇望するほど飢えている。そのあまさに余計渇くのがわかってて、それでも、その蜜を欲してる。味を、しめさせたこの
"ひとつ上の先輩"のせいで。
「
…っっ
…!!
…………アンタ、
…誘ってんの、ぜってぇ、デートだけじゃねぇだろ
…」
「やっと確証が持てたかい?」
「ぜってぇ、今日こそ抱きつぶす」
「はは、お手柔らかに頼むよ」
ああ、最高の相手と組めるってのは、いいもんだな。テニスにしろ、
…恋愛だとかいうしろものやらにしろ。自分にそんなモンが関係してくるなんざ、この先輩と会わなきゃ、下手すりゃ知りもしなかっただろーに。責任は、取らせよう。海堂薫の粘りを誰よりナメない相手に、そのしつこさを、今日こそ思い知らせてやる。
…部活に、差し障らぬ程度で。
売られたケンカはテニスなら買う。ずっと、そう思ってきた。
――そこに、もう一つ、但し書きを追加したほうがよさそうだ。この先輩は、オレに、未知のことを幾らでも手ほどきする賢者にすら見えた。
終
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