桜霞
2025-08-24 14:35:16
11230文字
Public 【RKRN】しのぶれど【雑夢】
 

【RKRN】しのぶれど【ZAT夢】13

※つどい設定があります。
※捏造がたくさんあります。
※なんでも許せるひと向けです。
誤字脱字がありましたら、該当箇所のみ教えて頂けると、大変助かります。
よろしくお願いします。


 
 
 タソガレドキ城内忍軍の詰所で、雑渡に情報を連携してくれたのは朔之丞だった。彼はどこか疲労を滲ませ、目元に険を宿らせて、香り立つ茶を啜っていた。
「かたじけない。おかげで目が醒め申した」
「いえ……、」
 朔之丞から茶飲みを受け取った高坂が部屋を後にする。雑渡に向き直って、朔之丞はあくまでもいつも通りに言った。
「昨夜、殿のご発案で、宴席が催されたのは」
「存じております」
「その宴席にて、長宅基康が毒殺された」
 長宅と言えば、タソガレドキ領内でも有力とされていた武将である。甚兵衛の覚えも目出度く、戦の時分にも何かと頼りにされており、祖父母の代で婚姻により親戚同士にもなった家であった。
「毒と言うのは、確かなのですか」
「うむ。その場でお館様が、ご自分のために用意された銀の箸を用いて調べをするように仰せられ……
結果、箸は変色した。太古より銀の箸は毒に反応して色を変えるとされていることから、すぐさま料理人が疑われ、御前に呼び出された。黄昏甚兵衛直々の調べに、成正という名の料理人は頑として嫌疑を否定した。「誇りに懸けて、絶対にやってない」とまで言い張ったが、長宅と以前から軋轢が生じていたことは否定しなかった。長宅基康はたびたび、我ら町民を人とも思わぬ発言をしており、ひとの道に悖る行いは数知れず、よって死んで当然、これは天罰だと、死人に対して随分な口の利きようだったため、無礼千万としてその場で斬り捨てられたのである。
……
 雑渡の嘆息が地を這った。朔之丞も難しい顔をしている。
 おそらく、彼は甚兵衛の決定を止めたのだろうなと雑渡は察した。雑渡の推察はあながちその通りで、しかし実際は甚兵衛を止められなかった朔之丞は、何も言わなかった。この一晩で、彼は一気に老け込んだように見えた。口元は引き結ばれて、目元にはうっすら隈がある。おそらく寝ていないのだろう、と朔之丞を観察していた雑渡が、ふと瞬いた。
 そう言えば。
「朔之丞殿を始め、他の参加者の方々もご無事であらせられたのか」
「はい。殿を始め、皆、特に異常はありませぬ」
「だからすぐに料理人が疑われたんですね」
「仰せの通りで……長宅殿と成正─今回下手人とされた料理人ですが─二人は以前から、いがみ合っていたようでしたから」
「そうなのですか」
「長宅殿には、その……ご存じであるかどうかは知れませぬが……若い女と見るや粉をかける悪癖がござりまして……給仕の侍女を、成正が庇い立て、騒ぎになったことがございます。以来、長宅殿は成正を目の敵にしており、成正も負けん気の強い男でしたから、何かと反発して……
「ほお。なるほど」
 随分詳しいんだな、と雑渡は感嘆した。殿中に上がって働いている男が、料理人の名前なぞどうして知っているのか、雑渡は気になったが、それよりも気に掛けるべきことがある。
「長宅殿だけが害されたのであれば、長宅殿が使われていた椀などは、お調べになりましたか」
「はい。ですが、それらしき毒物などは見つかりませんでした」
「箸は」
「箸にも、勿論。何かが塗りたくられていたようなこともござらん」
……
 雑渡は、少しだけ思案する素振りを見せた。
「その箸、ちょっと見せてもらえますか」
「は? はあ、まあ、はい」
 きょとんとする朔之丞に頼み、雑渡は天井裏を移動して城の勝手場に辿り着いた。ほとんど時を同じくして、朔之丞が勝手場に顔を覗かせ、顔馴染みらしい女中に声をかけた。女中は嬉しそうに返事をして、いそいそと朔之丞に傍寄る。
「えっ? 長宅殿が使われていた御膳の、お箸ですか?」
「うむ。少々調べをしておってな。今、渡して頂くことはできるか」
「それは、はい。もちろん」
 女中は二つ返事で取って返し、すぐに箸を小さな手拭に包んで、朔之丞に手渡した。
「これが、長宅殿が使われていたもので相違ないか」
「はい。一緒に配膳しましたから、間違えようがございませぬ」
「そうか。ありがとう。また後程、話を聞かせてくれ」
「はい!」
 朔之丞が、女中から受け取った包みを懐にしまう。朔之丞が人気のないところに移動すると、雑渡が音も無く傍に降り立った。
 箸を受け取って、雑渡は試す眇めつ、じっくりとそれを検分した後、口元の覆いを降ろして、ぺろりと箸を舐めた。朔之丞の片眉が持ち上がる。口元の覆いを元に戻して、雑渡は確信を持った声で言った。
……夾竹桃だな」
「きょうちくとう」
「枝葉だけでなく、それが植わっている土にまで毒を含む植物です」
毒素が汁物にまで滲み出し、そのせいで銀箸の色が変色したのだろう。雑渡の分析に、朔之丞は「なんと」独りごちて、険しい顔をした。
…………では、某は、その箸を仕入れたものを探ろう」
「私共の方で、混在の可能性を探ってまいります」
 よしなに、と頷き、箸を雑渡から受け取って、朔之丞は踵を返した。雑渡の姿も瞬きひとつで掻き消える。
 朔之丞が勝手場の物品を管理する担当者に話を聞いて、雑渡が城内の物流を浚って調べるよう指示を出してから数刻後、結果はすぐに判然とした。
「えっ?」
 高坂から話を聞いた尊奈門は、思わず素っ頓狂な声を上げて驚いた。
「小間物屋の、弥太郎がですか」
「そうだ」
 高坂が首肯する。
 京でも人気の職人が手掛けた商品だと喧伝して、他の食器と共に城内に品物を納めたのは、小間物屋の弥太郎だった。該当の箸を弥太郎属する小間物屋から買ったと記録が残っており、その記録に相対する日時に城を訪れたのは、商人では弥太郎しかいなかったのだ。
尊奈門は眉を潜めた。口を噤んで俯く尊奈門に、高坂が「どうした?」と訝る。てっきり、実はそんな本性を隠していながら奥方さまに擦り寄るような真似をしたなんて許せぬといきり立つと思っていたから、黙してしまった尊奈門の反応は意外だった。
「いえ……なんでもありません」
「お前のそれがなんでもなかったためしがあるか?」
「本当に、なんでもないんです」
……
 高坂は嘆息した。こうなってしまった尊奈門が口を割ったためしも、今までなかった。
「これから、私達は、弥太郎の背後を探る」
「分かりました」
 尊奈門が首肯する。半瞬後、二人の姿は消えていた。
 
 
 
 

◆     ◆     ◆
 
 
 
 
 
 戦から戻ってきたら、お前に言おうと思っていたことがあったんだ。
 一緒に暮らさないかって。 
 だってお前が、楽しそうに笑うのに、すぐどこかに行ってしまいそうな気配があったから。
 でも、口だけでは認められないだろうから、手柄を挙げたかったんだ。
 
 
 
 
 
◆     ◆     ◆
 
 
 
 
 
 捕り物は朔之丞達に、調査も配下達に任せて、雑渡は一度帰宅した。思ったよりも早かったのか、それとも帰宅するとは思っていなかったのか、彼女は驚いて雑渡を出迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま。と言っても、すぐに出るけど」
「左様で。夕餉は召し上がられますか」
「うん」
 承知しましたと、彼女はすぐに竈門に火を入れた。彼女が勝手場でくるくるぱたぱた動いていると、あっという間に膳の上の器が埋まっていく。
久しぶりに一緒に夕餉を食べながら、雑渡は彼女に、「しばらく町での買い物は控えるように」と申し渡した。
「あら……何かあったのですか?」
「うん、ちょっとね。危ないから、買い物は他の者にさせる。必要なものがあれば都度教えなさい」
「またぞろ落ち武者等が現れたのですか」
「そういうわけじゃないけど。いろいろと不穏なことが流行ってるし」
「天罰の噂ですか? 大袈裟な」
 彼女は呆れ果てたと言わんばかりの風情を隠しもしなかった。
「天罰がまことなら里に居ようが街に居ようが同じことでしょう。それに、過信するわけではありませんが、別に私が狙われているわけでもございますまい」
「そりゃそうだけど」
 反論の言葉を失う雑渡。
「そもそも、町にだってひとりで行けるのです」
「あれは陣左と尊が勝手にやってるだけだろ」
「嘘仰い。裏であなたが何か仰せなのでしょ」
「まさか。……まあ、お前がひとりでいると、いろいろと心配になるときはあるけど」
 そら見たことかと彼女が半眼になる。
「こどもでもあるまいし」
「でも現に襲われただろ。お前の生家の因縁で」
「そりゃそうですが」
 反論の言葉を失う彼女。
「ね。何かあるか分からないだろ。私を安心させると思って」
……はぁ。承知しました」
 不承不承、嘆息混じりに言って、彼女は味噌汁を啜った。機嫌を損ねたのか、雑渡の方を見向きもせずに食事を進めている。
申し訳なく思ったのか、できるだけ早く片付けて戻ってくるからと柔こく言い縋っていた雑渡を、彼女は「もう大丈夫ですから」と宥めすかして見送った。いつものように戸締りをしっかりして、侵入者に対する撃退用の絡繰り仕掛けが発動するように床下の仕掛けを弄って、やれやれと床に就く。
 きっと、また数日帰ってこないに違いない。
 彼女の予想を過たず、雑渡は帰ってこなかった。
五日明けて、顔を出したのは高坂だった。高坂は馬借達と一緒だった。慣れた風情で荷を運び込ませる様が懐かしく、同時に「高坂殿も、あの頃はまだ若かったのだな」と感慨が呼び起こされる。
 さらに五日経って、今度は尊奈門が荷物を背負って顔を出してくれた。
「組頭が戻ってこられず、お寂しいのではありませんか」
「おまえのくれた人形がありますから。なんてことはありません」
「そ、そうですか……
複雑そうな尊奈門に、彼女は「ところで」と話を変えた。
「諸々の不穏の下手人は判然としたのですか」
「いえ…………しかし、小間物屋の弥太郎が捕えられました」
「、……そうですか」
 小さく瞠目した彼女は、だが、それだけだった。特に狼狽える様子もなく、膝に飛び乗った猫を撫でてやっている。どこか遠くを見つめているような彼女は、得心がいったようにさえ見えた。
「いつ処罰されるのです」
「え。いや、まだ処罰されると決まったわけでは」
 そうですか、と彼女が変わらぬ調子で答える。依然、彼女は尊奈門の知らない場所を見つめている。
 尊奈門の次に彼女を訪ったのは山本だった。連れ立って遊びに来た子供達が屋敷じゅうを走り回っている。
「それで、下手人のお裁きはどのようになっているのですか」
「尊奈門ですか」
 彼女は思わず閉口した。
 視線だけで彼女を見遣る山本のそれは、いつもの柔和に欠けていた。山本は視線を子供達に戻した。
「戻ったら、あれを叱らねばなりませぬな」
……
 声音ばかりがいつものよう穏やかだ。彼女は半眼になった。
「事件が起こり、目付が本格的に調べ始めたら、下手人が捕まってお裁きが下るまでは大体十日前後でございましょう」
 山本の視線が再び彼女を見遣る。凪いだ水面のようなそれに、彼女は内心奥歯を噛み締めた。
……私がかつていろいろなところに首を突っ込んでいたのはご存じでしょう。それくらい知っています」
「あなたの若い頃の所業は寡聞にして存じ上げませんが、まあ、いいでしょう。そういうことにしておきましょう」
 彼女はなんだかどっと疲れたような気がした。昔、商家の狸爺や目付配下の堅物役人とやり合ったときを思い出す。小娘故に慇懃無礼に扱われたことが、まざまざと蘇った。
 他方、山本の忍らしいところを初めて見たような気がする。おそらく、雑渡の真の恐ろしさも、彼女はきっと知らないのだろう。
 山本は穏やかな声音で言葉を選んだ。
「弥太郎が下手人となったのは、城の帳簿にその名があったからですが、弥太郎が騙されていただけの可能性も否定できぬのです」
「? それはどうして……
「証拠が他にございませぬ。これまでの様々な武家による奉公人の手打ちも、証拠と言えるものは、実はほとんどございませぬ。弥太郎が下手人であるという決定的な証拠がなければ、後に障りが生じます」
「障り」
「怨恨です。こちらの大義名分が失せまする」
…………
 彼女は口を噤んだ。どこか遠くを見る彼女を、山本が覗き込む。
「奥方さまにおかれましては、随分とあの若者を気にかけておられる御様子。お気に召される由など、何かございましたのか」
……
今度は彼女が視線だけで山本を見遣る番だった。ちょっと思案する素振りを見せた彼女は「そうね」と呟くようにして言った。
……別に、大したことではないのです」
 ぽつりと、彼女が独り言ちる。
「昔、まだ十を越えたばかりの頃……私は、城下に沢山の仲間を持っていました。いろんなところに潜り込みましたし、他所からの間者を追い詰めたり、脱税を摘発したりしたものです」
「は、はあ」
 言われて、山本は脳内のこれまでの記録をさらったが、まったくの初耳だった。生返事に慣れているのか、彼女は気にした風もない。
「年を経るごとに、仲間は減って行きました。婿に行ったり、チャミダレアミタケに出稼ぎに行ったり、養子に出されたり……戦に取られたり」
……
「戦に取られた仲間は誰一人として帰ってきませんでした。いずれ私も戦に出て、足軽だのなんだのして死ぬるものと思っていました。皆と同じように」
「まさか……御父君の目付殿がお許しになるはずがございませぬ」
「はは」
 山本は思わず彼女を凝視した。終ぞ聞き覚えの無い、低い声音だった。
……何故、かように申されるのです」
…………
 彼女の音がふつりと途絶える。彼女は口元だけで笑って、どこか遠くを見つめていた。その瞳の色に、山本は見覚えがあった。
……奥方さま」
 彼女が瞬いて顔を上げる。にこりと微笑む彼女は、いつも通りの彼女である。
「以上が理由です」
「は?」
「つまらぬ話をしてしまいました」
 彼女が立ち上がる。先ほどまでの昏い雰囲気など、何事もなかったかのように霧散している。
「そろそろコメも蒸し上がった頃でございましょ。すぐに団子などにしますから、少々お待ちになってくださいね」
 言いつつ、彼女は踵を返して勝手場へ向かった。山本は、見送ることしかできなかった。
 また五日が経った。今回、彼女を訪ったのは馬借だけだった。忍達はちょっとだけ顔を出す素振りさえ見せない。二人分作った夕餉を、晩と次の日の朝か昼に片付ける日々が続いた。
 山本によれば、弥太郎が下手人であるという証拠が出揃っていないという話だったが、ここまでお裁きが引き延ばされるのも、彼女にとってはおかしな話だった。黄昏甚兵衛は、一見、内政に篤く領民を大事にするような政策を実施しているが、その実、他者に対し非情な部分があることを彼女は知っていた。彼女たちの力が及ばず、犠牲になった町民がいることを、彼女は忘れていない。もし黄昏甚兵衛に情があって懐が深いのであれば、こんなに戦を繰り返せまい。
 町民たちが、弥太郎のために粘っているのだろうか。黄昏甚兵衛が困るのはいい気味だが、夫までそうなって欲しいかと言われると別である。彼女は複雑だった。嘆息する彼女の腕に、にゃあんとしなやかで柔らかい体躯が擦り寄る。黒猫である。
 この黒猫は、最近よくこの辺りに姿を見せるようになった猫だ。彼女はたまに餌をやっていた。水や煮干しなどを与えている内にすっかり懐いて、雨の日は必ず彼女の側で雨宿りしたし、時折腹を仰向けにして無防備に寝転がるときもあった。
 黒猫は雑渡の人形にじゃれるときもあった。人形を取り上げて、猫の手の届かないところに置いた方が良いだろうか悩んでも、猫は器用に壁や柱を跳躍して梁に上ったり、隠しいても見つけたりする。
 ま、ボロボロになったら繕えばいいわ、と好きにさせていると、ある日を境に、ぱったりと猫の往来までもが途絶えてしまった。
 嘆息が堪えきれない。案外、誰にも何にも構うものがないと、どうしようもなく気分が塞がってしまう。何かしなければならない雑事が無いか、頭の中を総浚いして、人形に何か悪戯されていないか確認しよう、と彼女は腰を浮かせた。雑渡の姿を模した人形を手に取って、ほつれなどが無いか、試す眇めつして確認する。
 そう言えば、雑渡本人が帰ってこなくなってもう、……途中で数えるのも阿呆らしくなるくらい、日数が経っている。雑渡の帰宅がないことは、嫁いですぐの頃は当たり前だった。確か、時折ふらりと帰ってきては、……
 彼女は思わず唇をしまいこんだ。手慰みに人形の布地を伸ばす。覆いで隠されている口元をなぞったのだと気付いてからは、親指が気になってしょうがない。
…………
 ぎこちなく、指を持ち上げる。雑渡の人形の、くちびるに触れていた指が、彼女の唇に伸びる。
「ただいま」
「ッわァ‼」
 飛び上がって驚いた彼女の手から、人形がぽーんと跳ねて宙を舞った。ぐわし、と人形の顔に、大きな指がめり込んで影を生む。
「お! おかえり、なさい……
「うん。何してたの」
「えっ?」
 な、なにも……と彼女は何とか言葉を絞り出した。雑渡は、ふーん、と人形を眺める。その隙に、彼女は、全身から脱力した。ほんとうに、雑渡が帰ってきている。しかも、まだ日のある内に。
「お帰りになられていたとは気が付かず……申し訳ありません」
「うん。それはいいけど」
 とん、と肩を押されて、彼女は後ろに倒れ込んだ。かと思えば、雑渡に覆い被さられる。
「何してたの?」
 放り投げられた人形が宙を舞ってどこぞに行った。後ずさりしようとした彼女の腕が畳を這う。瞬間、彼女は息を呑んだ。
「雨!」
「えっ」
「やだ、洗濯物が……! それに薪だって。ちょっとあなたどいてください」
「えっ?」
 雑渡が目を白黒させている内に、彼女は雑渡を押しのけて起き上がった。急いで部屋を出て、障子を開け放ち、何事か忙しそうにぱたぱたとあっちこっちを行ったり来たりする。
「あなたも手伝ってください!」
……はーい」
 遠くから響いてきた声に、雑渡は大人しく従った。
 家事がひと段落したのは、もうすぐ日が沈もうかという夕暮れだった。彼女の言った通り、本当に雨が降り出した。日が沈んでいないため、辺りはまだ明るい。雑渡は彼女の膝を枕に、時雨を聞くともなしに聞いていた。彼女は彼女で、雑渡の耳を掃除しているようだった。
「それで、下手人はどうなったのですか?」
 雑渡にあれこれと指示を出していた先程とは打って変わって、優しく、穏やかな声音が耳朶に触れる。ああ、と雑渡は息を吐きながら言った。
「また人死にが出たよ」
「あら」
 今回の被害者は後山保忠。タソガレドキにおいて、先手大将を務めるほど、武芸に明るい家柄である。先手大将は、戦で先方隊を取りまとめる役職であり、息子がいるが、この時齢五歳であった。
「後山が死んだ時、弥太郎は、牢から一歩も出ていなかった。小間物屋だけじゃなく、城下の商家に散々強請られたみたいでね。殿が帰してやれって言ったから、今頃は店に戻ってると思うよ」
「あらまあ」
「対応した役人が、いつぞやに目付の鞆絵に詰められたことを思い出したとかなんとか、ぼやいてたなあ」
「左様でございますか」
 飄々と言う彼女に、雑渡は喉奥をくつりと震わせた。
「そういうわけで、また振り出しに戻っちゃった」
 もうしばらく町には行かせられない。不自由させてごめんねと雑渡に言われて、彼女は静かに微笑んだ。
「それでなくとも、天罰とかなんとか、いろいろ流行ってるしね」
「まだ言いますか」
呆れた風情を隠しもしない彼女に、雑渡は神妙な顔で「忍は信心深いから」と宣った。
「町の馴染みに、何か言付かっておこうか。弥太郎とも、仲が良かったんだって?」
「ええ、まあ」
「気に入るところでもあったの」
「そうね。ちょっと初恋の人に似てるかしら」
「えっ?」
「冗談です」
「初恋?」
「もうずいぶん昔の話ですよ。貴方に引き合わされるより、もっと前。与一って言うんですけど、戦に取られてね。帰ってこなかったの」
 彼女が、雑渡の知れぬ、どこか遠くを見遣る。
「母御が哀れでした。泣き暮れて、そのまま亡くなられて……
……
 瞬いて、彼女は微笑んだ。雑渡を見つめる眼差しは優しい。
「たまにはこうして里に引きこもるのも悪くありません。可愛い黒猫が構ってくれるんです」
……ふうん」
「とっても人懐こいんですよ。しかも賢くて、仕事ができるの。この間、煮干しをあげたら鼠を獲ってくれました。雨が降ったら必ず雨宿りに来ていたんだけど。大丈夫かしら……
…………
不意に、手元から、ごろごろと音がして、彼女は「えっ」と口元を手で押さえた。
 雑渡は、しん、としている。彼女がおそるおそる手を伸ばし、そっと頬などを撫でると、再びごろごろと気持ちよさそうな音がする。
……!」
 彼女の瞳が丸くなり、純にきらめいた。
「これも忍術というものですか」
「かもね」
「─今までの猫ちゃんの正体ってもしかして」
「いや、人間以外には化けられないかな」
 なんだ、と彼女が半眼になって肩を落とす。雑渡は頬を緩ませた。
「にゃあ」
 手が止まっているとせがまれて、彼女は仕方なしに雑渡を撫でてやるのを再開した。耳の裏をかいてやると、心地よいのか、今度はぐるぐると喉が鳴る。
「まったく。大きい猫ちゃんだこと。抱えるのも一苦労ね」
……
 揶揄うように言われて、雑渡は隻眼を瞬かせた。
 そうか。抱いてやったのか。どこぞの馬の骨とも知れぬ猫を。ふうん。
 雑渡が体を起こす。もう良いのか、と彼女が瞬いていると、大きな体がのしかかってきた。
「え、あ、」
 支えきれず、彼女が頽れる。
 影が彼女を覆う。首筋にくちびるが当たったと思えば、ひやりとした感触に肌が粟立った。数拍遅れて、舐められていることを理解した。吐息が耳朶を打って、震える背筋に、彼女は身を竦ませた。刺激から逃れようとしても追いかけてきて、執拗に舐られる。何度も身を捩った彼女の襟が乱れて、白い肩が露わになった。いつもならとっくに帯が解かれている頃なのに、雑渡の手は彼女の横にある。
 がち、と歯が鳴った。襟が噛まれている。冷たく湿った空気が胴を撫でた。露になった肌を、音を立てて啄まれ、丹念に毛繕いをするように舐められる。
「、ん……
 肉厚な舌が、しろい肌を這った。











 腰が抜けて立てなくなった彼女の代わりに、雑渡は竈門で米を炊き、その間に野菜などを切って、囲炉裏で味噌汁を作り、魚を焼いた。襷がけをして、竈門に息を吹き込んだり、囲炉裏の鍋の様子や魚の様子を見たりしている雑渡を訪った押都は、「組頭が家事ですか」少しだけ揶揄う素振りで言った。
「ちょっと無理させちゃったからね」
「お盛んなことで」
 雑面の下で口端を吊り上げながら、押都は書状を取り出した。宛名に彼女の名が書かれているそれを、雑渡は躊躇いなく広げた。視線を走らせた雑渡が「義兄上からか」と独り言ちるようにして言う。はい、と押都は顎を引いた。
「スッポンダケの姫をタソガレドキにて預かる話ですが、初日の歓迎会に、奥方さまのご同席を頼みたいとの由にて」
「なんで」
「その姫が、大の男嫌いなのだとか」
「ふうん」
 雑渡の眉間に皺が寄る。一通り内容を検めて、雑渡は嘆息しながら「仕方ないか」と書状を元通りにした。
「明日、私が義兄上のところに行こう。ご苦労だった」
「は」
 音も無く、押都が消える。雑渡は食事の支度に戻った。米は炊きあがって少し焦げ、味噌汁は味噌がふつふつと沸いていた。
 匂いがしたのか、褥の上で、彼女は起き上がっていた。まだ力が上手く入らないのか、ぽやんとしている。
「夕餉は食べられそう?」
「はい……、」
 いつもなら申し訳なさそうにする素振りがあるはずなのに、そんな余裕もなさそうだった。雑渡はにやける頬を堪えながら彼女の傍に脇息を用意し、膳を置いた。
「ごめんね、ちょっと辛いかも」
「そう……ですか? 美味しいです」
「コメも焦がしちゃったし」
「お焦げ好きです」
 ふにゃ、と彼女がわらう。私もよくやります、とホワホワしながら言う彼女に、雑渡はなんだか胸の引き絞られるような気がする。
 洗い物をしようとする彼女をいいからいいからと押し切って褥に寝かせ、夜の家事の一切を片付けて、雑渡は彼女と共に眠りに就いた。
 翌朝、押都に届けられた書状を彼女に見せると、彼女はすぐに眦をきりりとさせて、きちりと座し、了承の返事をしたためた。
 雑渡が彼女の手紙を朔之丞に届けたり、黄昏甚兵衛や目付とちょっと話をしている間、忍軍の詰所では、これまでの事件の整理が行われていた。
 毒薬で死んだと思われるもの。岩室の後継、そのほか二名。
 毒を持つ植物を加工したもの。長宅基康。そのほか三名。
 突然死。後山保忠。そのほか五名。
 下手人は三人いるのか、それともすべての事件を一人が行ったのか、弥太郎以外の容疑者が数名挙げられ、小頭を含む何人かが議論を交わしていた。
「やはり一番怪しいのはこの占い師ですかね……
「ああ、弥太郎の他に、唯一全ての被害者または被害者の家と関わりがあるのはこいつしかいない」
「あ、組頭、」
 雑渡に気付いた尊奈門が声を上げる。すぐに低頭する部下たちを片手で制しながら、雑渡は自分の文机の前に座った。
「何か新しいことは分かった?」
「はい。先の占い師ですが、先だっての調べで述べたタソガレドキ領内出身であるというのは、おそらく嘘であろうかと……社の辺りから来たと申しておりましたが、社にそのような者はおりませんでした」
「そうか。外からの間者かもしれんな。ちょっと手荒にしていいよ」
月輪隊と黒鷲隊が、は、と首肯する。
「突然死の方は?」
「はい、後山の侍女から新たな話を聞けました」
五条が手を上げる。
「後山保忠がおそらく死んでいただろう時間帯に部屋の前を通りがかった時、蚊の音がしたとか」
「蚊?」
「はい。ぶうん、と」
…………
ふむ、と雑渡が腕を組む。もしや、まさか、と小頭たちが顔を見合わせるが、雑渡が口を噤んでいるのでそれに倣っている。ところで、と沈黙を破ったのは押都だった。
「目付殿や御館様からは、何かございましたか」
 押都に言われて、雑渡は、ああそうだと膝に手を置いた。
「今日からしばらくの間、主要な家臣の護衛を務めることになったよ。殿のご命令だ」
……
 皆何も言わなかったが、どこかやれやれとした雰囲気が漂った。有無を言わせず、雑渡は占い師の捕縛に動くのは月輪と狼の誰それ、他の誰それはどこそこにと差配を進めていく。五条達は雑渡の指示を聞き漏らさないよう、できる限り集中していたが、小頭たちはむっつりと口を噤んだままだった。
 雑渡の差配を受け、小頭たちがそれぞれ自分の隊の者に更に詳しい指示を加える。隼、月輪と続いて黒鷲も部屋を後にして、雑渡の前には狼だけが残った。
「畏れながら、組頭」
「ン」
「東脇の家への差配が抜けておるように見受けられますが」
「私が行くよ。それに、侍女にはくノ一たちを使うように、目付殿が上手くやってくれるらしいしね」
……左様で」
「うん」
……それで、よろしいのですか」
「うん。……あれは、私のものだからね」
 山本は、音もなく嘆息した。