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千代里
2025-08-24 14:32:33
11011文字
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リーブラ15話
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リーブラの針は問う・15話・その21
発端は、リンクパールの通信音だった。
ルーシャンとサルヒが言葉を交わし、彼の激情にサルヒが気圧された、まさにその時。
通知音が耳に響き、ノエはすかさずそれに応じた。
「ヤルマルさんですか?」
『ノエ、彼が来ている! 今すぐサルヒたちの戦いを止めさせろ!』
突拍子もない発言だったが、彼女の声音が驚く時間すらないのだとノエに伝えていた。
『早く!! もし、そんな姿をあいつらに見つかれば、狙い撃ちにされる!!』
急げ急げとせき立てるような警告。狙い撃ちという単語に反応して、ノエは反射的に背後
――
自分の最も死角となる場所へと視線を向けた。
かつては別荘として使われ、今は廃墟も同然と化した屋敷。夕日が差し込むその場所に、くっきりと黒い人影が浮かび上がっている。
「
――――
!」
自分たち以外の来訪者。その存在を視界におさめた、刹那。
――
空気を割る甲高い音が、ノエの耳を打った。
銃声。
以前も耳にしたことがある、その音の出所がどこかを悩む必要はない。
すぐさまノエは剣を抜き、
「ミラベルさん、伏せてください!!」
警告を発すると同時に、盾を前に突き出す。
ありったけの魔力を総動員して、盾から鳥が翼を広げたかのようのな魔法障壁が生まれる。光の羽が壁となって一同を包んだのを確認したと同時に、
「ノエさん!!」
ミラベルの警告は、一同目掛けて投げ込まれた何かに対するものだ。
斜面上にいた人影が投擲したそれは、緩やかな放物線を描いて、ノエたちから少し離れた地面に落下する。落ちたと同時に生まれた熱と光と衝撃波。後を追って生まれた爆風の全ての勢いまでは殺しきれず、ノエの髪が乱暴に嬲られていく。
だが、ノエがの盾におかげで、傍らにいるミラベルだけでなく、彼らの背後にいるサルヒやルーシャンを爆弾のダメージから護ることはできた。
とはいえ、被害はゼロだったわけではない。
視線をちらと背後に向け、ノエは歯噛みする。最初に放たれた不意打ちの弾丸は、ルーシャンとの決闘で疲労困憊だったサルヒを撃ち抜いていた。
「
……
っ」
最初の一発。あれは、本来ならばルーシャンを狙ったものだったのだろう。どちらが狙われたところで、ノエにとっては大事な仲間が撃たれたという事実は変わらないが、敵の狙いを知ることは、そのまま敵の正体を暴くことになる。
ルーシャンには、戦う力も十分に残っていなかったはずだ。なのに、なぜわざわざ彼を狙ったのか。その理由は、銃撃の命令を下した者の正体が原因だ。
「
――
オーバンさん。なぜ、あなたがここにいるのですか」
爆弾の光と風がひとまずの収束を見せたのを確かめてから、ノエはゆっくりと盾を下す。
間髪入れず、ノエたちの周囲を薄く光る障壁が包んだ。
決闘のときは、礼拝堂から顔を見せていただけだったオデットだったが、皆が襲われる様子を目にして、矢も盾もたまらず、外へと出てきたのだ。そして、ノエの障壁を引き継ぐように、皆を守る壁を魔法で生み出したのである。
ノエが見上げた先には、数日前に一同が脱出した屋敷の主人
――
オーバンが佇んでいた。
まるでこの地の本来の主人であるかのような、堂々とした風格。ノエの質問に一切動じることもなく、
「知れたこと。お前たちがあの男を追うだろうことは、火を見るよりも明らかだった。そして、ミラベル。お前が、あの娘に何やら特別な感情を抱いているようだということもな」
オーバンの発言からも、ミラベルがオーバンにノエたちを売ったという可能性はこれで無くなった。
これまで、ミラベルは単独でオデットたちを追跡しているかのように装い、正確な所在地はオーバンに伝えていなかった。ノエたちの脱走についても、知らぬ存ぜぬを貫いていた。
だが、オーバンはそれすらも全て織り込み済みで、ノエたちを追跡し続けていたようだ。
「お前たちの説得でその男が初心を翻すなら、また別の策を考えねばと思っていたがな。もし最後まで抗うならば、程よく両者が消耗したところに割って入り、必要なものだけを掠めとればいい。それが、私にとっては最も効率の良い勝ち方だ」
オーバンが最も恐れていたのは、ルーシャンが目的地に向かう道中で己の意見を翻し、旅を止めることだった。魔法の隠し場所さえわかれば、オーバンにとって、ノエもルーシャンも不要な駒に過ぎない。
そして今、すでにオーバンは魔法のありかを知ってしまった。オデットという鍵もそこにある。鍵にいうことを聞かせる必要はあるとはいえ、ノエたち一行はオーバンにとってはむしろ目障りな障害の一つに過ぎなかった。
オーバンの背後には、彼が連れてきた完全武装の騎兵が並んでいる。一部は軽装であるものの、その手に握る銃が別の意味の脅威を持つと示している。彼らはオーバンの意思を受けて、躊躇いなくノエたちに武器を向けていた。
オーバンはノエから視線を外し、サルヒが撃たれた衝撃から漸く立ち直ったルーシャンへと、皮肉げな冷笑を送る。
ノエが片目に見やった先、ルーシャンが満身創痍の体で、片手で血に濡れたサルヒを抱えていた。視線で人を殺せるなら百回はオーバンを殺しているのではないかと思うほどの怒りを向けているのにも拘らず、オーバンはつゆほども動じずに、
「面倒なことになったな。そのまま、相打ちでくたばっていればよかったものを」
そう言ったものの、オーバンの言う「面倒」がルーシャンがサルヒと共倒れにならなかったことではないと、部外者に近いノエにもすぐに分かった。
彼は最初の一撃でルーシャンを仕留められなかったことを、面倒だと言ったのだ。
だが、ルーシャンを煽るためか、彼は嘲笑を隠さずに言い捨てる。
「そうすれば、目の前で父親の成果を掠め取られる様を見ずに済んだだろうに」
「てめえか、オーバン
――――――
……
!!」
ルーシャンがオーバンに対して躊躇なく向ける殺意。それこそが、オーバンが真っ先にルーシャンを狙った理由だ。いみじくも、今のルーシャンの咆哮が、オーバンの危惧が正しかったと示している。
「好きなだけ吼えていろ、ルーシャン。私の行動を読みきれなかった貴様の負けだ」
オーバンの目は、すでに戦う力が残っていないルーシャンの方を向いていなかった。彼の目は、眼下にいるノエへと向けられている。
「ここまで弱っていれば、後はどうとでもなる。さあ、お前たち。ニヴェールに捧げた剣を以って、あの者たちを排除しろ。最悪、一人二人なら殺してもかまわん。森に潜んでいた連中を捕まえれば、駆け引きの材料には使えるだろう」
「それは、ヤルマルさんたちのことか
……
っ」
ノエは、剣を握る手に思わず力を込める。付近の様子を確認しに行った彼らは、運悪くオーバンたちの奇襲部隊と会敵してしまったのだろう。
「どうせなら、あの負け犬の男を娘への人質に使うのも一興か。やつならば、さしたる抵抗もできまい。それに
――
セレスタンへの、いい土産話になりそうだ」
ついでのように放たれた、独り言めいた言葉。一触即発の空気のため、その他愛ない一言は随分と大きく聞こえた。
(オーバン卿は、ルーシャンさんをオデットの交渉に使うつもりなのか。だが
……
なんだろう、この違和感は)
オーバンと個人的な関わりがなく、敵の一挙一動を見逃すまいとしていたノエだからこそわかる。
合理を重んじる貴族らしい貴族。一刻も早い故国の救済と、一人の犠牲も大地の損失を天秤にかけ、躊躇うことなく故国を選べる男。
そのはずなのに。
(今の発言。まるで、ひどく個人的な感情が混じっているような
……
)
だが、ノエが思索できたはのそこまでだった。
「礼拝堂の入り口にいる子供だけは、決して傷つけてはならぬ。さあ行け、イシュガルドの悲願まで、後少しだ!!」
彼がそう命じると同時に、騎兵たちは一斉に武器を構え、斜面を降りる。ノエたち目掛けて武器を向ける姿に、躊躇は見られない。
幸い、今は銃を使うつもりはないようだが、それはあくまで同士討ちを避けるためだろう」
「ミラベル、お前はどうする」
一同を見下ろしたオーバンは、今一度ミラベルへと手を差し伸べる。
「大人しく私に従い、救国を求めるというのならば、武器を抜かずにこちらに来い。お前が魔法を解析してくれたからこそ、私はここまで駒を進めることができたのだ。その功績に、私もなるべくならば報いたい」
「
…………
」
すぐに答えないミラベルに、オーバンは冷たい笑みを浮かべる。
「それに、お前が懸命に私へと伝えていた偽りの情報も、それなりにお前たちの追跡に役立った」
「
……
っ!」
ノエたちの足取りを掴ませないため、ミラベルは敢えて虚偽の情報をオーバンに掴ませていた。それが、かえって裏目に出てしまったらしい。
悔しげに唇を噛んだあと、ミラベルは一呼吸置き
――
腰の剣を抜き放った。
「それが、お前の答えか」
「ええ。オーバン卿。あなたには大変世話になった。魔法の解読のために、惜しむことなく支援してくれたことは忘れていません」
「ならば、何故と問おう。お前が今選ばなかった答えにより、何人の命が天秤からこぼれ落ちたのか、分からぬほど愚かではあるまい」
かつて、ミラベルがノエに投げかけた問い。一人の命と幾ばくかの大地など、イシュガルドという国が背負った命運と比べれば、どれほどの価値があるのだろうか。
そう問われて、一人の命を選ぶ意味が分からないミラベルではない。
「残念ながら、よく分かっています。それでも、私は
……
いいえ、俺は
――
!」
迫り来る騎兵が振り下ろした剣を、己の得物で受け流し、彼は叫ぶ。
「あんたのように、何もかも自分が正しいって顔をして、全てを押し付けてくるような奴よりかは、そっちのノエみたいに、出来るかも分からない夢物語を、諦めずに追い求め続ける奴の方がよっぽどマシだって思ったんだよ!!」
ミラベルの放った風属性の魔法が、乱気流となり騎兵たちを押し留める。
間髪入れず、その気流に光の輪が飛び込む。こちらも渦巻く風を纏ったそれは、無数の刃の風となって、騎兵と一同の間に更に大きな距離を作った。
ここにあるはずのない、風を纏った円月輪。その持ち主は、
「オランロー!? 無事だったのか!!」
「悪い、遅くなった。偵察の途中で、奴らを見つけたんだが、オレたちにも気づかれてしまってな」
オーバンの立つ斜面からは、更に離れた茂み。斜面はなく、ほぼ崖となっているその場所にオランローがいるのが見えた。彼の背後では、ヤルマルもいる。
しかし、ノエはすぐに叫んだ。
「姿を見せてはだめだ、撃たれる!!」
その言葉と同時に、オーバンの傍に残っていた銃兵がヤルマルたちへと照準を向ける。
だが、それもオランローには織り込み済みだったのだろう。彼は、ヤルマルを抱えると、崖も同然の斜面を落ちるように走っていくのが見えた。それだけでなく、落下しながら放ったヤルマルの矢が、銃兵の足元に突き刺さるのが一瞬見えた。
「ノエ、オデットを下がらせてください!! 彼らは、オデットを捕まえて、何としてでも魔法を発動させる気だ!!」
ミラベルの声に、ノエは一瞬できた間隙を縫って、背後へと視線をやる。
最後に目にしたときは、礼拝堂の扉に半ば隠れるようにしていたオデットは、今やその姿を外へと曝け出している。
もし、万が一、ノエたちを狙った魔法がオデットへと当たったら。そうでなくとも、誰か一人でもノエたちを出し抜き、オデットを捕まえてしまったら。
その時点で、ノエたちの戦いは敗北したも同然となる。
だが、ノエとオデットの間には数ヤルムとはいえ距離がある。戦闘を放り出し、オデットの手を取って逃げ出すのは到底不可能だ。
「オデット、礼拝堂の中に入るんだ!」
故に、ノエが出した指示は簡潔。だが、それはオデットにとっては、戦いの最中にノエたちを置き去りにしていくことでもあった。
「でも、それなら兄さんたちが
……
!」
「君が捕まってしまったら、全てが終わってしまう! 少しでも安全なところにいてくれたら、僕たちも安心して戦える!!」
ノエの思いがオデットにも届いたのだろう。ぎゅっと唇を噛み締め、踵を返して礼拝堂の扉を開き、中へと消えていくのが見えたが、確かめられたのはそこまでだった。
牽制となった風の魔法が破られ、騎兵の一人がノエへと切り掛かる。甲冑の隙間に見える瞳には、祖国を救うのだという決死の思いが込められていた。
彼らは、オーバンに脅されてこの場にいるのではない。決して操られているわけでもない。彼らはただ、邪竜ニーズヘッグを滅ぼすという希望を求めて、障害となるノエたちを無力化するためにやってきたのだ。
彼らにとって、ノエたちこそ、必要な犠牲に目を瞑ることすらできない愚か者に見えているのだろう。
(彼らと戦う理由は僕にはない。でも、譲るわけにはいかないんだ
……
!)
すでにサルヒは撃たれてしまった。ノエたちが抵抗をやめれば、彼らはノエたちを人質として使い、オデットの命を奪うだろう。それだけは、決して認められない結末だ。
「あなたの望みを、叶えさせるわけにはいかないんだ! この魔法は未完成だ。誰かを犠牲にしなければ成立しないやり方を、僕は正しいとは思えない!!」
己を奮い立たせるために、そしてできるならばオーバンに言葉が届けばと願い、ノエは吼える。
だが、予想通りというべきか。オーバンは、ノエの血の吐くような主張に共感する様子もなく、
「貴様とて、イシュガルドの貴族の血を引くなら、我々の悲願を知らないわけがなかろう。だというのに、その希望を拒否するというのか!」
戦闘の最中だというのに、オーバンの声はよく響いた。
迫り来る騎兵の一刀を盾で受け流し、一瞬生まれた隙をついて、相手の腹に蹴りを入れる。わずかに生まれた間隙を縫うようにして、ノエは叫び返す。
「竜によって奪われる命なら、僕もこの目で見てきました。あなたがイシュガルドで目にした数には及ばずとも、彼らが齎した悲劇がどれほど辛く悲しいものかは、僕の中にも強く焼き付いている!!」
「ならば、なぜ抗う!!」
剣を握る手に、いつも以上に力がこもる。その刃で傷つけた人を、奪った命を思い出す。
竜に命を奪われた人がいた。竜の存在に運命を狂わされた人がいた。全て、全て、覚えている。
オーバンではなく、彼らに答えるために、ノエは顔を上げた。
「でも
……
それは、誰かを犠牲にしていい理由にはならない! 少なくとも、僕にとっては!!」
ノエにとっては、決死の反駁。だが、オーバンにとっては、理解不能の戯言にしか聞こえなかったようだ。彼の軽蔑混じりの一瞥が、次の戦闘に巻き込まれる直前にノエが目にできた、最後の視線だった。
「さて、ノエ。ボクらは徹底抗戦ってことでいいかい」
代わりではないが、ノエの背後に頼もしい先輩冒険者の声がかけられる。どうやら、崖からの急降下を無事に終え、合流してくれたようだ。
「残念ながら、抗うしかないようです。もし僕たちが降参したら
……
あの人は間違いなく、オデットへの交渉材料に僕らを使うでしょう」
「違いない。か弱い乙女が命を手折られる理由に使われるなんて、ボクは絶対ごめんだね」
軽口を叩きながら、ヤルマルが放った魔力の矢。迫り来る一群へと命中したそれは、衝撃波を放って一団を吹き飛ばした。
いつ終わるかわからない。
自分たちに勝利の選択肢が残されているのかもわからない。
だが、ここで引けば、背後にいる仲間たちの命が間違いなく終わりを迎える。
それだけは許さないと、ノエは奥歯を強く噛み締めた。
***
オーバンとノエのやり取りも、周囲の騎兵と彼らが戦う様子も、何もかもがルーシャンの耳には届いていた。だが、彼はそれら全てを意識的に自分から切り離し、目の前のあることに集中していた。
ルーシャンを庇い、倒れた従者。ルーシャンを死なせまいと、本気で向き合った彼女。
サルヒの胸部から今も広がる血だまりに手を当て、ルーシャンはなけなしのエーテルを全て注ぎ込むような勢いで、癒しの魔法を発動させていた。
(冷静になれ。癒しの魔法はひとたび制御が乱れたら、それだけで命が途切れてしまうかもしれない。俺が、嬢ちゃんに説明したことだろうが
……
!)
だが、冷静になれと思えば思うほど、己の不甲斐なさに、腹の底が焼けるようだった。自分が一番何を忌避しているのか。最も最悪な形で突きつけられた気分だった。
どうして気がつかなかったのかと、今になって自身への怒りが次から次へと湧き上がる。
サルヒとの戦闘は、確かにルーシャンの本気を引き出していた。彼女に拒絶されたことに、少なからず自分は動揺していたらしい。柄にもなく本気を出して、本気で押し負けた。そこで一瞬、何もかもが終わった気になってしまっていた。
だから、オーバンに不意を討たれた。
銃弾を防ぐならば、魔法の障壁を作るのが最も最適であったにも拘らず。
(あの時、撃たれるのは俺だったはずだ。あいつにとって、俺こそが一番排除したい相手だったはずだ。なのに
……
!)
代わりに、サルヒが凶弾に斃れた。彼女は、その身を挺してルーシャンを庇った。
結果、度重なる先頭で傷んだ甲冑を貫通した銃弾は、サルヒを血の海に沈めた。
もし、ルーシャンがむきになって本気を出していなければ、サルヒの鎧は彼女を守っていたかもしれない。そう思うとなおのこと、自分が許せなくなる。
ルーシャン自身、サルヒとの一戦で胸の骨の何本かはヒビが入ったか、最悪折れている。だが、自分の治療など二の次だ。
「こんなところで、お前を死なせてたまるか
……
!」
それぐらいなら、自分が死ねばよかったのに
――
などと言ったら、サルヒに引っ叩かれそうだ。しかし、もし彼女が目を覚まして引っ叩いてくれるなら、いくらでもルーシャンは弱音を吐いただろう。
だが、その願いは無意味に終わる。血の気を失い、力の入らない四肢をルーシャンに預けているサルヒは、かすかに呼吸こそ続けているものの、意識があるようには見えなかった。
周囲では戦闘が続いている。オーバンの煽りすら、今のルーシャンにとってはどうでもよかった。サルヒの命が繋がること以外の何もかもが、男にとっては無意味で無価値な現象に思えていた。
(大丈夫だ。治癒魔法は効いている。生命力が残っていなければ、魔法は傷を塞げない。裏を返せば、傷が塞がるなら
……
まだ可能性は、ある!)
幸い、銃弾は致命的な臓器からは少しばかり外れてくれたらしい。とはいえ、それでも重傷なのは間違いない。
せめて、意識さえ戻ってくれれば。サルヒは己の生命力を活性化させる技を体得している。彼女自身も己の命を繋ぐための技を使ってくれれば。縋るような気持ちで、一際強く魔法を発動させた時だった。
「
……
な、さま」
周囲の物音にかき消えそうな、細く小さな声。
だが、ルーシャンの聴覚は、かき消えそうな音をしっかり拾い上げていた。
「サルヒ、意識が戻ったのか!」
「
……
っ、にげ、て」
今の状況を、正確に把握しているわけではないのだろう。
それでも、サルヒはオーバンがルーシャンに迫らんとしているのは悟ったようだ。
負傷した自分が足手纏いになることを理解し、その上で、ルーシャンに逃げろと言う。
冷静であると同時に、痛々しさすら覚える決死の一言に、
「ごめんだね。
……
俺が、従者を置いて逃げるような、薄情な主人に見えるか」
もの言いたげな視線は、こんな時だけ主人の顔を出すのはずるいと言ったところか。
だが、知ったことかとルーシャンは嘯く。
「お前は、俺を止めるんだろ。俺の選択を否定するって、あんなに息巻いてたじゃないか。
……
だったら、こんなところで勝手に諦めるな」
サルヒの瞳が、ゆっくりと瞬く。小さく頷いてから、再び瞼が彼女の黄金色の瞳を隠していった。
(だが、そうは言うものの
……
これは、かなりまずいぞ)
サルヒを抱えてじっとしていたところで、事態は進展しない。
だが、この場から動いたところで、四方八方に敵がいる状態ではすぐに捕まるのが目に見えている。ノエたちを隠れ蓑にするのも限界がある。
オデットは礼拝堂に隠れたようだが、自分たちもそこに隠れるべきか。そんな計算を素早く走らせていると、
「なんだ
……
?」
瞳に差し込む光に、ルーシャンは一度目を瞬かせる。正面に見えたのは、薄い天幕のような光。何度か目にしてきた、オデットの障壁魔法だ。
これまで、流れ弾として飛んできた魔法の数々のせいで、最初に張ってくれた障壁は解けてしまったのだろう。
振り返っても、オデットの姿は見当たらない。一同にとって最重要人物であるオデットは、どうやら礼拝堂に逃げ込んだようだ。それでいて、ノエたちに届くように魔法を発動するとは、彼女も随分と腕を上げたものである。
(せめて、俺たちを守りたい
……
ってことか。泣かせるな)
彼女の健気な献身に、罪悪感を覚える。姿は見せられずとも、皆を自分の魔法で守ろうとするひたむきな心に、一瞬感傷的な気持ちに浸りかけ
――
「待てよ。今、あいつは礼拝堂に隠れているんだよな
……
?」
父親が遺した魔法の資料。何度も父と使った礼拝堂の仕掛け。その時、父に言われた言葉。
それら全てがつながり、ルーシャンに最悪の可能性を示唆する。
「まずい、今そこで魔法を使ったらお前は
……
!」
サルヒを抱え、駆け出そうとした矢先。
静かな紫紺色に染まった世界にて、一瞬強く礼拝堂から光が漏れる。
ほんの一瞬の光のひらめき。その後には、何事もなかったかのように黄昏時の闇が戻る。
だが、その一瞬が何を示すのか、ルーシャンにはすぐにわかった。
「オデット。今すぐそこから戻ってくるんだ
……
!!」
***
時の針を少し前に戻そう。ノエに言われ、礼拝堂へと避難したオデットは、重たい扉を閉じ、漸く束の間の静寂を手に入れていた。
ルーシャンからもらった鍵を使うまでもなく、内鍵を閉めれば、一時的な密室が完成だ。
「オーバンさんは、兄さんたちを殺すつもりなのでしょうか
……
」
本当なら、今すぐ皆の元に駆け寄って、戦いに加わりたかった。癒しの魔法は、必ずや皆の役に立つはずだと、今のオデットなら胸を張って主張できた。
けれども、オデットが万が一捕まれば、全てが終わりになってしまう。そう言われたら、オデットは避難する以外の道を選べなくなってしまう。
オーバンの手下に撃たれたサルヒは、ルーシャンを庇い、ひどい怪我を負ったようだった。傷が深いのならば、消耗したルーシャンだけでは治療は難しいだろう。彼がサルヒに向けて放った魔法の数々も、彼女の消耗と油断に一役買ってしまったはずだ。彼はきっとそれを後悔する。その末に、無茶なことをしないかと心配が募る。
「オーバンさんは、兄さんみたいに、一番良い答えのために魔法の発動を待つなんてことはしてくれないでしょうから。オーバンさんがわたしを捕まえたら、きっとわたしは
……
死ぬ」
ノエたちの命を人質に、オデットに死ねと迫られる。それは、自分の意思で選ぶよりも、ルーシャンに迫られるよりも何倍も認め難いことだ。少なくとも、ゲルダが望んでいた『幸せ』には程遠い。
エーテル発動が魔法発動の鍵ならば、オデットの意思を奪い、無理矢理魔法を使わせる方法も取れるだろう。以前と同じように、記憶を奪う薬を飲まされるかもしれない。それは、ノエを人質にとられるよりも尚認め難い結末だ。
オデットは、素早く周囲を見渡す。何か事態の打破に繋がるものはないかと焦っていると、一際強く風が吹き、礼拝堂がぎしぎしと嫌な軋みをあげた。
「建物が揺れるほど、この外では激しい戦いが
……
」
そう思えば思うほど、最悪の結末ばかり頭によぎる。
敵の銃弾が、運悪くノエの鎧の手薄な部分を射抜いたら。一瞬の隙をつかれて、ヤルマルが、オランローが、ミラベルが致命傷を負ったなら。
あるいは、皆の攻防の隙をついて、ルーシャンたちの元に騎兵らが近づいたら。彼らはオーバンに敵対するルーシャンを、決して見逃しはしないだろう。
「そんなのだめです。絶対、だめ
……
!」
嫌な予想を振り解くように、天球儀を手にとり、意識を集中させる。
いつものように体内のエーテルを魔法の形へと整え、天に広がる星々から力を借りるため、意識を空へと向ける。
「お願いです。皆を守って
……
!」
外に出てはいけないというのなら、ここでも届くほど広範囲に魔法を発動させればいい。
少しでも彼らの手伝いをしたいと、オデットは意識を建物の外へと薄く伸ばしていく。
以前なら手探りで発動するしかなかった魔法も、今なら呼吸をするようにあっさりと発動できる。必要なのは、冷静であれと己に命じることだ。
気持ちを整え、魔法を発動させるための引き金を引く。視界に広がった薄青の天幕だけでなく、指先から感じ取った不可視の感覚がノエたちを取り込めたと教えてくれた。
「これで、少しは安全に戦えるでしょうか
……
――
?!」
魔法を維持するために、エーテルを少しずつ外へと放出していたオデット。その彼女の手元から、魔法とは異なる白い光が急速に湧き上がり、視界を埋め尽くす。
光を抑えようと咄嗟に手を伸ばして、オデットは光の源が何かを知った。
「鍵が、光っている
……
?」
ルーシャンがオデットに預けた鍵。オデットのエーテルに反応した箱より見つかった鍵が、今や溢れんばかりの光を放っている。
それだけではない。建物全体まで、鍵に呼応するように淡く発光しているではないか。
壁や柱に浮かび上がった複雑な魔紋は、礼拝堂の奥へと魔力を送るように走っている。
「でも、転送魔紋は奥にあるっていう話では
――
」
そこまで呟いて、遅まきながらオデットは思い出す。
ルーシャンと共に入ったとき、彼は言った。転送魔紋は建物全体にも作用する、と。
魔法に繋がる鍵を取り出すとき、オデットは自身のエーテルを放出して箱を開いた。放たれたエーテルこそ、使用者を識別するための鍵でもあったからだ。
ならば、今はどうか。
魔法を発動させるとは、即ち自身のエーテルを魔法という形に変換して外部へ送り出すこと。ノエたちを護るための魔法であろうと、それは変わらない。魔法を使うとは、自身のエーテルを放出していると同義である。
「待ってください! わたしは、ニーズヘッグを討つための魔法を使うつもりは
……
!」
オデットが言葉にできたのは、そこまでだった。
目を焼くような白い光が彼女の眼裏(まなうら)にまで突き刺さる。己の体が魔法によって遠く運ばれる感覚と共に、彼女の意識はそこで一度途切れた。
***
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