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てま
2025-08-23 23:21:52
2769文字
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「雨」「タバコ」
23/5/27お題
今朝、数日ぶりの青空を拝めたことで傘を持たずに出掛けた独歩が自身の判断を悔いたのは出社してほんの数時間後のことだった。朝方の青空は昼前に掻き曇り一面の鈍色となって、夕刻に営業先の医院を出た独歩が庇の下から天を仰ぎ見ると今まさに大粒の雨が落ち始めたところだった。
「俺はどうして今朝に限って折畳み傘を鞄から抜いたんだ
……
」
重いビジネスバッグを傘替わりに、頭の上へ掲げて独歩は舗道を駆け出す。途中のコンビニで傘を買ってもいいけれど、確かこの少し先に喫煙コンテナがあったはずだ。一旦そこまで走って一服しながら考えよう──そんなふうに思いながら走る独歩をまるで追い立てるかのように雨足はまたたく間に激しくなって、どうにかコンテナへ滑り込むころには独歩の体は頭から爪先までずぶ濡れだった。
「ひ、ひどい雨だ
……
」
バッグから取り出したタオルで雨雫を拭う。医院を出た直後はまだ濡れ始め程度だったアスファルトが今は池のようになっていた。コンテナの引き戸をきちんと閉めてガラス越しに外の様子を改めて窺うと、雨のしぶきで景色すらよく確認できない状態だった。
簡易的な造りのコンテナの天井をごうごうと雨の打つ音が聞こえる。これではコンビニで傘を買ったところで役に立つとさえ思えなかった。寧ろ、そんなものを今更買うまでもないほどに自身はとうに濡れ鼠だった。
「どうしよう、もうこのまま雨に流れて家に帰りたい」
先ほどの営業先での釣果も芳しくなかったことを思い出し独歩はため息を吐く。薄明るい蛍光灯の下、自分の他に誰も居ない喫煙所はまるで自分と世界とを隔絶するようで独歩は二度目の溜め息とともにバッグを足元へと下ろした。
(まあいいか、一服しよう)
さいわい煙草の入った胸ポケットはさほど濡れずに済んでいる。タオルで丁寧に手を拭い直して独歩が胸ポケットへ手を突っ込んだと同時、コンテナの引き戸が勢いよく開かれた。
「ひっでぇ雨だぜ!」
駆け込み一番、騒がしく登場した男はコンテナの先客に気付くなり大仰に眉を上げた。
「まさかこんなトコでてめぇに会うとはな」
奇遇じゃねぇか。
雨避けに被っていたフードを取って男が言う。雨ざらしの公園から這う這うの体で逃げてきた帝統だった。薄汚れたモッズコートを濡らした雨粒を手のひらで乱暴にはたき落としながら、帝統は独歩へと視線を向けた。
いっぽう、今ちょうど胸ポケットから煙草のケースを取り出したばかりの独歩は帝統を見るなりあからさまに肩を落とした。無自覚に洩れたらしい幾度目かのため息が狭いコンテナ内に落ちる。まるで疫病神でも見るような目で独歩が帝統から一歩距離を取った。
「
……
奇遇、ですね」
「んだよ、そんな避けるコトねぇじゃねぇか」
「
……
避けてる訳じゃ」
「避けてンだろ」
帝統が一歩近付けば独歩は一歩下がる。帝統が指摘するとおり、独歩が帝統から故意に距離を取っているのは明白だった。
「誰も来ねぇし、誰も見てねぇよ」
「そういうんじゃなくて」
「だったら何だってんだよ?」独歩が退く一歩を、その倍の歩幅で詰めて帝統が言った。「何か理由でもあんのかよ」
「理由も何も、別に避けてなんか」
「
……
そーかよ」
途端に興味を失ったように帝統は独歩から視線を逸らす。ついでに大股に一歩、今度は帝統の方が独歩から距離を取った。
「こないだのコトなら俺は全然気になんてしてねぇけどな」
「
……
」
無言のまま、それでも手に持った煙草をケースから取り出す独歩の動作に一瞬ぎこちなさを感じて帝統は肩を竦めた。
「別に今夜も、とか誘ったりしねぇよ。今日は腹も減ってねぇしな」
「
……
そう」
つい二週間ほど前、成り行きで独歩は帝統とホテルに入りそのまま事に及んだのだったが、帝統はその言葉どおり、さほど気に留めていないようだった。対して独歩は気まずさを隠せず帝統を見ようともしない。と、独歩の手にある真っ黒な紙煙草とそのパッケージを見て帝統がまたたいた。
「お前、妙なの吸ってんじゃねえか」
ミントグリーンのパッケージは確か海外の銘柄だった。どう見ても目の前のサラリーマンとは不似合いなそれを指摘すると、独歩は愛想なく呟いた。
「貰い物だよ」
フィルタを軽く噛みながら目を伏せた独歩が、銜えた煙草の先へとライターの火を近付ける。わずかに眉根を寄せフィルタを吸い、煙を吐いた。「けど、案外悪くなくて」
煙草の銘柄に対して、独歩はさほどの興味も持っていない。そもそも一部の顧客や上司と情報交換するために喫煙所へ足を向けるだけで、喫煙所を利用するのに煙草が必要なだけだ。それでも、ただそれだけのために嗜むことを覚えたはずの煙草が独歩にとって少なからず安寧をもたらすアイテムになったのも確かだった。
「もうすぐ無くなるから大事に吸ってるんだ」
「
……
チェッ」
一本恵んでもらおうと思った矢先にそう釘を刺され帝統が舌打した。
「一本くらいいいじゃねぇか、俺にも吸わせてくれよ」
「多分君の好きな味じゃないよ」
「ヤニならとりあえず何でもいーんだよ!」
なあ、と食い下がる帝統へ、ここで初めて独歩が視線を向けた。
「そりゃあ、そうだよな」不自然なほど無表情に独歩が言う。コンテナを打つ雨音がノイズのように走る空間で、なのに独歩の声は静かだった。「飯を食わせてもらえるなら誰とだってセックス出来るんだもんな」
「は?」
不意打ちのような発言へ、返す言葉を探す帝統の目の前で独歩の携帯電話が着信音を響かせる。苛つきを顕にした顔で独歩が煙草を指に挟み電話に応答する。はい、と電話越しに応えながら帝統の方へと近づき、噛み跡の付いたフィルタをその口へと突っ込んだ。
「んにゃっ!?」
「はい、今雨で足止めされていまして
……
申し訳ございません、はい。ええ、分かりました。これから向かいます」
通話を終えた独歩は携帯を折り畳むとポケットへ捻じ込み、足元からバッグを拾い上げるなり入り口の扉を開く。途端、外界の雑音と湿気とがコンテナへと流れ込んだ。
「じゃ、お先に」
「おい、
煙草
コレ
」
「あげる。大事に吸って」
それだけ言い置いて独歩がぴしゃりと扉を閉める。天井を打つ轟音は変わらず続いているはずなのに、どういうわけかまるで耳を塞がれたように何の音も感じなかった。
「
……
別に誰にでもヤラせてるワケじゃねぇよ」
真っ黒な煙草は唇に甘く、なのに吸い込んだ煙は重い。灰を満たした煙を悪態とともに吐き出せば、かすかなミントが舌を刺した。
コンテナにひとり残された帝統に雨粒の匂いと煙とがふわりと纏わりつく。しとど打ち続ける滝のような雨は未だ止む気配もなく、帝統はフィルタを銜えると目を閉じた。
おわり
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