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てま
2025-08-23 23:13:34
2024文字
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「映画」「社員証」
3/1お題
今夜は映画でもどうかなと、恋人が珍しくそんなことを言うから帝統はほんの一瞬ほど躊躇して、それから何でもないことのようにそっけなく、いいぜ、と答えた。
シンジュク駅からほど近い映画館の、百席にも満たないちいさなスクリーンに観客は自分たちのほか誰もいなかった。午後八時過ぎ、ミニシアターのレイトショー。映画のタイトルにさえさほども興味がなかったから、帝統はただ促されるまま手を引かれるままに指定の座席へと収まった。
「毎回ホテルじゃあまりにも芸がないだろ、せっかく付き合い始めたんだし」隣の恋人は座席に腰を下ろすなりそう言って、苦笑のような曖昧な笑みを帝統へ向けた。「それにちょっと気になってたんだ、これ」
へえ、と帝統が曖昧に返した相槌を恋人は特に気にするふうもなく、ちょうど暗くなり始めた館内をいちどくるりと見渡してから改めて背凭れへと体を預けた。
多少なり恋人の興味を買っていたらしいその映画はどうやら海外のアニメーションのようだった。単調な線で描かれた犬のような生き物がスクリーンいっぱいに映っている。
(マンガかよ)
すっかり毒気を抜かれて帝統がため息をつく。年上の恋人──趣味も気も合わない九つも上の男──がいったいどんな映画に興味を持っているのか、試すような気持ちで見てやろうと思っていたのに画面は思いのほか平和で安穏としていて、自分の知る男とはまるで結びつかなかった。
(
……
つまんねぇの)
自分が興味を持った恋人は陰気で悲観主義でいつもどこかくたびれていて、そのくせひとたびラップバトルのステージへ上がればいっそ誰よりもぎらつくものを見せていた。
背中を丸く窄めたサラリーマン。気弱でおどおどして、こっちが少し凄みを利かせてやっただけで薄っぺらい謝罪を念仏のように口走る頼りなさ。初対面の印象はこれ以上ないほどに最悪だった。だから当然、よもや自分がこんな男と付き合うことになろうだなんて当時は予想だにしなかった。
あれはいつだったか、ふたりの関係が転機を迎えた夜があった。時化たサラリーマンのちょっとした愚痴に付き合って、公園で酒を飲んだあの夜。素面じゃ到底会話が続くような関係でもなかったはずの男が、しかし酒が回ると途端に面倒臭いほど絡んでくるようになった。一度きりの飲み会のつもりがどういうわけか二度三度と続いて七度目の夜、ついに男は帝統をホテルへと誘った。
男はステージの上にも劣らないぎらつきをベッドの上で帝統に見せて──さすがの帝統だってじゅうぶんに興奮した──そんな男だから帝統はこいつを恋人にしたのだったし、そんな関係も案外悪くないのではと思ったのだ。ここまで餓えた感覚を互いにさらけ出せるような相手なんて、帝統には残念ながらほかに思いつかなかった。
それなのに、そんなふうに自分をひりつかせてくれるはずの男は今、自分の隣で自分なんて眼中にもなくアニメーション映画に釘付けになっている。
(あとどんくらいで終わるんだ、このかったりぃ映画)
犬とロボットが並んで歩いているスクリーンを一瞥したあと、帝統は視線を改めて隣の男へと向けた。
スクリーンの反射光が男の顔を照らしている。横顔は案外悪くない、と思う。やや長い前髪は映画を観るのに邪魔じゃないんだろうか。館内が暗いから、目の下の隈も顔色の悪さも打ち消されているみたいだ。ところでさっきから自分がこんなに近くからじっと顔を見ているのに、ぜんぜん気付いた様子がない。そんなに映画がいいのか。この俺が隣に居るのに。俺だったらこんな映画よりお前を興奮させてやれるのに──
ふと、恋人の首から提がった社員証が目に入った。帝統はそれへ手を伸ばす。完全に無意識だった。
ひょいと自分の方へ手繰って社員証を覗き込む。暗がりに慣れた視線は、カードへ印刷された恋人の顔写真ではたと止まった。小さなカードの中の、さらに小さな顔写真。じっと真正面を──自分を見据える陰気な目。
「ちょっと」
恋人が言う。大人しくしろとか、ちゃんと座っとけとか、おそらくはそんな小言を帝統へ向けたかったに違いなかった。スクリーンから帝統へと視線を移した男が捉えたのは、自分の社員証へくちづける帝統の、睨上げるような強い目線だった。
映画を観ていることを一瞬忘れた。
社員証を取り返すつもりが、意識のすべてを奪われた。衝動に任せその場で帝統にキスをしそうになって、あわやのところで我に返った。
「
……
帝統くん」
「んだよ」
観客は自分たち以外に誰もいない。ふたりの会話を咎める視線も、何もない。
「この後、ホテルでもいいかな」
「へっ」
いいともだめだとも、帝統は恋人に答えてやらなかった。けれど、どうやら導爆線への着火には成功したらしい。
いまだ熱く自分を見つめる視線に満足して、帝統はスクリーンへと目を移す。ずっと掴んだままでいた社員証を、そっけなく手放した。
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