てま
2025-08-23 23:11:18
1238文字
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「土砂降り」

5/31お題(タグ無し参戦分)



 なぜ今なのか。
 ろくに回らない頭で独歩は思う。アスファルトの上、差し掛けて傾けたビニル傘の先。文字通りの激しい通り雨に降られた真夜中のシブヤ、その路地裏の暗がりで濡れ鼠になっている顔見知りが、雨に煙る景色のなか鬱陶しそうに顔を上げこちらを見た。
――――――
 何かを言ったのだろうがしかし独歩まで声は届かなかった。傘を打つ雨音ばかりが痛いほどに耳を穿つ。対して、目の前で瀧のような雨に打たれ地面に座り込んでいる男はいっそ悠然と構えていて、まるで無声映画のようだなと、そんなことを考えた。
 古今東西、恋とはどうやら嵌まるのではなく落ちるものらしいと聞いた。そんな感覚など一生掛かったって自分が体験するような機会などないのだろうと、そう信じて疑わなかった。多感な時期などとうに過ぎた、くたびれきった自分にはそもそもそんなもの不似合いすぎてお笑いだ――そう思っていたはずだった。
 なのになぜ、今なのか。
 ――否、と独歩は思考を切る。これがそれである保証などどこにもない。もしかしたら単なる自分の勘違いかも知れない。傘を握る手が震えて、独歩は無意識に唾を飲む。目の前では依然、アスファルトに座り込んだ顔見知りが自分を睨むように見上げていた。
 こんな時刻にこんな場所を、しかもこんな天気の日に徒歩で通ろうと思い至った自分こそがそもそもおかしかった。いまだ止む気配のない大雨は時々思いつきのように吹く横殴りの風に煽られ、差した傘はすでに役に立たなくなっている。
 もしも今夜が晴れていたのなら――空を照らす暢気な月をぼんやり眺めながら自分は帰路に就いたろう。どこかのだれかが雨に降られて寝る場所もないんじゃないだろうかとか、そんなことを考えるようなこともなく、敢えて寄り道しようなんて思うこともなく。
 そうしたらきっと、こんな気持ちに気付くことなんて一生無かった。こんな、まるで今取り繕って出来た嘘みたいな、苛烈な劣情なんかに。
 今夜が雨だったから。こいつが今ここに居たから。俺に気付いて顔を上げて、不遜な視線を向けるから。――だから。
「デッドオアアライブ」
 敢えて、そう呼んだ。死ぬか生きるか。口にして、不意に胸が震えた。もしかしたら今、何物かに生死を握られているのは俺かも知れない――そんな思考が過って独歩はちいさく息を吐く。上等だ、乗ってやる。これが恋かまやかしか、それとももっと別の衝動なのか今はまだ何も分からないが、ここに何かがあるのは確かだから。
 傘を閉じる。大粒の雨が降る。髪を肩を、またたく間に独歩の全てを激しく濡らしていく。閉じた傘を地面へ放り出して、独歩は顔見知りと目の高さを合わすようにその場へ屈み込む。そんな独歩の様子をじっと見ていた顔見知りが、呆気にとられたように目を見開いた。
「俺はお前を――
 呟く声は雨に掻き消され、独歩自身にすら聞こえなかった。
 ただいたずらにかさねた唇の熱だけが、そこにあった。



おわり