宮森しの
2025-08-23 23:00:27
3873文字
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雑伊 月明かり(3615付き合ってるふたり)


 待ち合わせに遅くなってしまったと、伊作は急いで雑渡が待つ竹林へと駆ける。せっかくの逢瀬だというのに、相変わらず橋は崩れるわ、猪に追いかけられるわ、山賊をまく必要があるわですっかり太陽は沈みかけていた。
「おっ、おまたせ、しました! ざっ、とさん!」
「はは、これまたボロボロだね」
 必死に走り、肩で息をしながら待ち合わせ場所に辿り着くと雑渡は静かに笑いながら伊作を迎える。伊作が遅れてくる事など見越しているかのような、そんな笑みだった。
「す、いません……、かなり待ちましたよね」
「いいや。そこまで待ってないよ。ちょっと太陽がアッチからコッチに移動したくらい」
「ものすごい待ってらっしゃる!」
「はははっ! まあでも、伊作くんのことを思いながら待つのは苦ではなかったよ。息、整えてから歩こうか?」
「いえ、大丈夫です。このくらいはいつもの事ですし……早く雑渡さんのお家に行きたいです」
「急いで行っても面白いものはないんだけどね。じゃあ、行こうか」
 差し出された手を伊作は迷いなく取る。
 忍術学園が冬の長期休暇に入った今日は、数日前から予定していた雑渡の家に泊まる日だった。冬の大雪でしばらく任務が落ち着いているので、よかったら遊びに来ないか――そう素直に誘えば、伊作は目を輝かせ、元気な返事をひとつ返した。
「雑渡さんのお家楽しみです。何があるとか、ないとかではなく……雑渡さんのお家に行けるというのが楽しみで仕方ないんですよ」
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかったなぁ。卒業したらいつでも連れて行けるよ。なんならそこに住んでくれて構わないし」
「ふふ、高待遇すぎて皆さんに怒られてしまいます」
 伊作は卒業後、タソガレドキ忍軍の軍医になる事が決まっていた。と言っても決まったのはつい最近で、ぜひきて欲しいと頼み込んできたのは山本と押都なのだが。
「まさかあのお二人にお声かけされるとは……
「伊作くんの薬草の知識、医療技術は稀有なものだよ。その年でそれだけの腕前があるなんて、誰にでもできる事ではないからね」
……軍医新設で殿を説得させるために資料を一晩でまとめたのは雑渡さんとお聞きしましたが」
……
 雑渡は無言で「あいつら……」という感情を隻眼に滲ませる。
「だって、伊作くんが近くにいてくれるかもしれない機会だったから張り切っちゃうでしょ。……私としては、君を囲うつもりはなかったんだけどねぇ」
 絡め合う指の力がほんの少し強くなる。
「雑渡さんは何か勘違いしてらっしゃると思います。僕がタソガレドキに行くのは、僕のためです。嫌なら誰から言われても断りますよ、僕は」
 パッと笑うその姿は枯れることの無い花のようだ。地に根深く生息し、雨にも風にも負けることの無い、雑草のような花。
「タソガレドキには見たことの無い薬草もありますし、聞けば腕のいい医者もいらっしゃるとか。医学を学ぶ事にも繋がりますし、百人の忍びの健康状態も把握できるようになります! とっても興味深い。誰でも無い、僕が選んだ未来です。もちろん、雑渡さんと恋仲になる事だって」
 ――冬が本格的に訪れる少し前に、伊作が雑渡へ想いを告げた。
 気づけばあなたの事ばかりを考えて仕方ない。月夜はあなたが来てくれるのではないかと期待する、と。真っ直ぐな視線と言葉は、雑渡の心を曝け出すには充分すぎるものだった。
「なので! 囲うつもりがあろうがなかろうが、僕にはあまり関係ない話です」
「ホント、伊作くんって男前だよね。惚れ直しちゃう」
「ふふ、嬉しいお言葉です」
 伊作には敵わないな、と雑渡は眩く笑うその人を見つめる。
……まさか竹林以上に癒される場所があるなんて、思いもしなかったよ」
「?」
「あ、これは通じないの?」
 変なところで鈍いなあ、と思いながらもその鈍さすら愛おしい。雑渡は「伊作くんの隣だよ」と内緒話をするように伊作に伝え、微かに笑う。
「僕にそんな癒し効果があるなんて、雑渡さんは変わってますね。見てください、この泥まみれの格好」
「んふふ、そこも含めてに決まってるでしょ。家に着いたらまず湯汲みをしよう」
 手を繋いだまま静かな竹林を抜けていく。
 眩しいくらいの満月が東の空に昇り始めていた。

◆ ◆ ◆

「あの、雑渡さん」
「なぁに」
「髪、そんな丁寧にしなくても……
「私がやりたいんだもん」
「うっ」
 夕餉も済ませ、湯汲みから出てきた二人は寝巻きに身を包み、ひと組の布団の上に座っていた。伊作の後ろに雑渡が座り、その手には櫛が握られ、伊作のふんわりとした髪に通されている。時折、花の油を髪に浸透させるように手で揉み込んでは、ゆっくりゆっくりと髪を梳いていく。
……私ねぇ、伊作くんの髪を梳かすの好きなんだ」
「僕の髪を、ですか? 癖っ毛で暴れ馬みたいになっている時もあるような髪ですが……
「はは、そこがいいんだよ。髪の細さも、柔らかさも、癖も。なんだか、どうしようもないくらいに愛おしい。たまらなくなるんだ」
 そんな事を聞いたのは初めてだったが、伊作は(なら悪い事をしたな)と心の中で思う。秋の軍事騒動の際、伊作は髪をバッサリ切られてしまった。その後、タカ丸に整えてもらったものの、長さはまだまだ戻らない。
「伊作くん、髪は伸ばすんだよね」
「はい、そのつもりです。軍医ですが、やっぱり髪は長い方が何かと便利がいいので。冬は暖かいですしね」
 冗談めいた口調で言うも、雑渡はただ穏やかに「そうだねぇ」と言うばかり。
「ざ、雑渡さん、もういいですよ」
「まだ、あと少し」
 雑渡の手が、あまりにも優しくてこそばゆい気持ちになる。
 蝋の灯りが要らないほどに、今日の月明かりは眩い。夜空に雲はほとんどなく、大きすぎる月がそこにはあった。
……伊作くんはさ月明かりみたいだね」
 背中越しに聞こえてくる心地よい低音が、鼓膜を揺らす。
「月明かり?」
「あぁ。月明かりみたいに傷ついた人を優しく抱え込んでしまうんだ。……きっとこれからも」
 その声音は何とも言えない感情を含んでいた。簡単に喜怒哀楽に割り振れない、そんな声。
「でも、それでこそ善法寺伊作なんだろうね」
……そうですね。月明かりみたいかは分かりませんが、怪我をしている人がいるのなら、僕はきっと手当してしまいます」
「うん。分かってる。それが嫌ってわけじゃなあないんだ。そんな君だからこそ、私は出会えたのだからね」
「雑渡さん……
 櫛が髪から離れ、そろそろと伊作はようやく雑渡の顔を見ることができた。
 やはり、読み解けない感情がそこにはあり、伊作はどうしたものかと悩む。
「忍びにとって、月明かりはたまったものじゃないのに。何度でも手を伸ばしたくなる。永遠に太陽など昇らなければいいとすら思ってしまうよ」
「それは、困りますね。太陽が来ないとあなたと過ごす日々を重ねる事ができない」
……ズルいね」
 伊作は雑渡の大きな体を抱きしめる。寝巻き同士が擦れ合い、小さな音を立てた。
「僕が月明かりだとしても、抱え込める人はたかが知れてます。全てを救う事はできませんから。……僕が月なら、雑渡さんが雲になってください」
「雲?」
「はい。月明かりを隠せる唯一のもの。あなただけの僕にしてください、雑渡さん」
 手入れされた髪に雑渡の鼻先が埋まる。
「ずいぶん分厚い雲になって、一生月を隠しちゃうかもよ」
「あはは、それはそれは。ふたりで夜を続けすぎて、朝に怒られてしまうかも。……太陽が昇っても、月は消えたりしませんから。僕だって消えません」
……消えないでね、本当に」
 ちう、と雑渡が伊作の首に吸い付く。そこは天鬼から間一髪で避けた動線。避けられなければ首はとうに体から離れていた事だろう。
 ……もしかして、不安を覚えたのだろうか。そう思った伊作は雑渡の頬を両手で挟み、口付けを交わす。
「消えません。僕は雑渡さんの長生きを見届けるつもりですよ」
「伊作くん……
 拙いながら伊作なりに雑渡を安心させたいと、小鳥のような口吸いを続ける。小さなリップ音が夜更けの部屋に響く。
「不安があるのは生きて、心が動いている証拠です。他の誰にも見せたりしませんし、見せたくないので、僕の前ではどうか動かし続けてください」
「求婚みたい」
「おや、ダメですか?」
「ん〜、だめ。それは私からしたいんだ」
 溶けた雪のように口元を緩めた雑渡を見て、伊作も釣られるように笑う。
「それなら、その日を心から楽しみにしてます」
「うん、楽しみにしててね。……伊作くん」
 今度は雑渡から伊作へ唇を重ねる。伊作がしたより深みのある、呼吸を忘れるようなそれ。伊作の唇を割って入った分厚い舌は、上顎をなぞり出ていく。
「タソガレドキに来たら一緒の部屋で寝ようよ」
「それは……公私混合になりませんか?」
「私室だし、ならないよ。言っただろう? 私にとっての癒しは伊作くんなんだ。同じ部屋、同じ場所に帰ってくるのだと思うだけで元気が出る」
「ふふ、それなら仕方ありません。コーちゃん置かせてくれるならいいですよ」
「コーちゃんの方が先輩だからねぇ。こっちのコーちゃんもこうやって構ってね」
「あははっ、雑渡さんは愛らしいお方です」
 そぉっと影はひとつになる。
 その姿を、柔らかな月明かりとその明かりに寄り添うように訪れた雲だけが見ていたのだった。