綾部喜八郎は、城下町に住んでいた。お城から町の端っこまで大通りが真っ直ぐに続いていて、町のどこにいてもお城を見ることができた。道の両側にはありとあらゆるお店が揃っていて、喜八郎の両親もそのうちのひとつを営んでいた。
名前の通り綾部家の八男坊である喜八郎には、兄が7人、姉が2人いた。末っ子の喜八郎は仕事が忙しい両親や上の兄たちにはあまり構ってもらえなかった。近所に歳の近い子供はいたが、1人遊びが好きでマイペースな喜八郎はあまり馴染めなかった。だから大抵は1人で地面に絵を描いたり綺麗な葉っぱを拾ったりして過ごしていた。
喜八郎が7つになる頃、町に知らない男たちがたくさんやって来た。そんなこと滅多にないから、途端に町は活気づいた。母が「お城で大きな工事をするらしいわ」と言っていた。それから2、3日もすると、お城の堀の周りには柵が立ち、大勢の男たちがそこで働くようになった。町の雰囲気はそれだけで大きく変わった。
喜八郎がいつものように気の向くままに虫を追いかけていると、気づけばお城の近くに来ていた。工事が始まってからお城に近づいたのは初めてだった。逞しい男たちが穴を掘ったり木材を運んだりしている。男たちは、まだ春先だというのに褌一丁で全身から汗を滴らせている。何をしているのだろうと思って、柵の外からしばらく眺めていた。
せっせと穴を掘っていた男の1人が、作業の手を止めた。額に伝う汗を腕で拭い、ふうと息を吐いたところで、男が喜八郎に気がついた。
「なんだ、坊主? 危ねぇから柵の中には入るんじゃねぇぞ」
口調とは裏腹に、男はにかっと人好きのする笑顔を向けた。
「おじさんたち、何してるの?」
「これはなぁ、落とし穴掘ってるんだ」
「それ、楽しい?」
みんなで騒がしく声を掛け合いながら作業に励んでいるから、さぞや楽しいのだろうと思っての質問だった。喜八郎には何が楽しいのかわからないが、同じ年頃の子たちはいつもあんな風に騒ぎながら駆け回っている。けれど男は喜八郎の言葉を聞くと、盛大に笑い始めた。一頻り笑ってから、「そんなわけないだろう」と続けた。
「こんなの疲れるばっかりで、楽しいことなんかありゃしねぇ」
「じゃあなんでそんなことしてるの?」
「仕事だからな。飯が食いたきゃ楽しくないことでもしなきゃならねぇ。坊主も大人になればわかる」
「ふーん」
なんだか拍子抜けだった。喜八郎はもう幼子ではないので、楽しくなくてもやるのが仕事だということくらいは知っている。喜八郎の両親は喜八郎に優しくしてくれるが、毎日「仕事が大変だ」と言っている。だから大人になんてなりたくない。ずっと子供でいたいと思っていた。
男たちは両親よりずっと楽しそうに見えたから、楽しい仕事だってあるのかもしれないと期待したのだが、期待外れだったらしい。
「けどな」
男はわざとらしく言葉を切ると、悪戯を企むみたいにして喜八郎を手招きした。柵の間からまだ小さな頭を入れると、男も喜八郎の方に頭を伸ばして声を潜めた。
「曲者が見事落とし穴に落ちて一網打尽にできた時のことを思うと、楽しくてたまらねぇな」
「そういうもの?」
「ああ、そういうものだ」
男は左腕で力こぶを作ると、見せつけるように右手でばしんと叩いた。男が嘘を言っているようには見えない。
「でも穴なんか、動物でもちゃんと避けて通るよ。人間が落ちるわけないじゃない」
「なぁに、後でちゃんと見えなくするんだ。地面がいきなりなくなったら、坊主だったら泣いちまうだろうな」
「それくらいで泣かないよ」
「そうか、坊主は強いんだな」
男は莫迦にするように言った。信じていないのはすぐにわかった。大人はこういう時、何を言っても喜八郎の主張を信じてはくれないのだ。
「俺はそろそろ仕事に戻るから、坊主も遅くならねぇうちにお家に帰るんだぞ」
「うん」
その後、陽が傾いて男たちが作業を終えるまで、近くで遊んでいた。
それから、時折お城の近くで遊ぶようになった。
男たちの掘る穴はみるみる大きく、深くなっていく。それと比例するように、男たちと話をする機会が増えた。おやつを分けてもらったり、虫捕りのコツを教わったりした。お礼にお花や綺麗な葉っぱをプレゼントしたこともある。
「坊主は落とし穴に興味があるのか?」
「別に」
何度か繰り返した会話だ。ただ純粋に疑問に思っただけのようで、男たちは特に気にした風もなく笑っていた。
男たちの掘った穴は落ちたら確かに痛そうだったが、とてもじゃないがそんな穴に人間が落ちるとは思えない。だからどうなるのか気になっただけだ。
穴が随分大きくなってきて、どこまで掘るのだろうと思い始めた頃、喜八郎は風邪を引いた。穴は大きく深くなっていて、季節は夏から秋に変わろうとしていた。母に「遊びに行かずに寝てなさい」と言われ、布団の中でごろごろと退屈に過ごした。1人で寝ていたって全然楽しくない。けれど身体が重くていつものように遊びに行く気にはなれなかった。
ようやく母から遊びに行っても良いと許可が出て、穴はどうなったのだろうと数日振りにお城へ向かうと、前回あったはずの大穴が綺麗さっぱりなくなっていた。地面は真っ平で、とてもそこに穴があったとは思えない。少し土の質が違うところはあったが、よーく見てようやく気づくくらいの違いだ。びっくりして目をぱちくりしていると、何かの作業をしていた顔馴染みの男が喜八郎に気がついた。
「おう、坊主が来ねぇうちに全部埋めちまったぜ」
「埋めちゃったの? 何ヶ月もかけてずっと掘ってたのに?」
「落とし穴ってぇのはそういうもんだからな」
信じられなかったが、目の前に広がる光景は男の言う通りだった。
仕事を終えた男たちは、冬が来る前にこの町を去った。
喜八郎は気になってあの後も何度かお城を見に行ったが、日が経つに連れて穴の場所はどんどんわからなくなっていった。終いには本当に穴が空いていたのか、自分の記憶を疑ってしまうくらいだ。
母には「危ないからお城の柵の中に入っちゃダメよ」と言われた。同い年くらいの子供たちは度胸試しと称して探検に行って怒られていたが、喜八郎はそこまでしようとは思わなかった。
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ある日の朝、喜八郎は外がやたらと騒々しいことで目を覚ました。本格的な冬が来てから布団の外に出るのが億劫で、目を覚ましてからも母や兄が起こしに来るまで二度寝を繰り返すのが常だったが、その日はそれさえ儘ならない程だった。寝直すのを諦めて布団から這い出すと、布団の中で温まった空気はすぐに逃げてしまう。布団に逆戻りしたくなったが、家の中がしんと静まり返っていることに気がついた。外がいつもより騒々しいのとは対照的だ。喜八郎が起きる頃にはもう働き始めている両親や上の兄だけでなく、すぐ上の兄や姉さえいない。
不思議に思って外を覗くと、家の前に人集りができていた。何かあったんだなと思っていると、人集りの中に兄たちを見つけた。近づくと、苦い顔をされる。
「なにかあったの?」
「ああ。明け方、城に曲者が忍び込んだらしい」
「ふーん」
みんなが熱心に視線を向けている“なにか”を一緒になって見てみるが、何をしているのかまではわからない。そもそも小さな喜八郎には人集りの向こうがちっとも見えないのだ。このまま見ていてもつまらないな、それよりお腹が空いたから朝ごはんが食べたいな、と思っていると、布が掛けられた2本の棒を2人組がどこかへ運び出していった。
まだ幼い喜八郎にも、その布の下にあるものの正体くらいはわかる。死体だ。近くで戦があった時には、この町にもたくさん運び込まれてくるから知っている。
「門番がやっつけたの?」
「城の警備に追いかけられて、落とし穴に落ちたんだと」
死体が運び出されると、集まっていた町の人たちも1人2人と家に戻り始めた。人集りが少なくなったので柵の近くに行ってみると、昨日まではただの地面にしか見えなかったそこに、ぱっくりと大穴が空いていた。尖った竹がたくさん立っていて、中には赤い液体が飛び散っている。血だ。
あの男の言っていたことは本当だったようだ。感心してまじまじと覗き込んでいると、隣にいた兄に肩を引かれた。
「あんまり近づくな。落ちたらさっきの奴と同じ目に遭うぞ。痛いのは嫌だろ」
家に帰ると、朝ごはんができていた。さっきの人集りの中には見つからなかったが、いつの間にか母も戻っていたようだ。
「昨日まで、お城の周りに穴なんてなかったよね」
「ん? 掘ってるところ、お前も見てただろう」
「そうだけど、なくなってた」
「落とし穴ってのは、見えたら意味がないからな」
父によると、落とし穴とは穴の上に土を被せて隠しておくものらしい。喜八郎が風邪で寝込んでいる間にすっかりなくなってしまったと思っていたが、穴はずっとそこにあったのだ。
家の裏には、小さな空き地がある。普段は洗濯物や干物を干すのに使っていて、今日も視界の端で洗濯物がひらひらと舞っている。
その隅っこに、穴を掘ることにした。手近な枝を拾い、地面をガリガリと削り始める。けれど、枝はすぐに折れてしまった。もっとしっかりした枝はないものかと辺りをきょろきょろと探し回ってみるが、なかなかいいものは見つからない。あちこち探し回った末に細長い石を見つけ、それで掘ることにした。
地面は硬くて手に石が食い込むし、腕は疲れてすぐに動かしづらくなった。それでも喜八郎は、掘って、掘って、掘り続けた。
陽が落ちるまで掘ったが、出来上がった穴は小さかった。どれくらい小さいかというと、小さな喜八郎が膝を抱えて穴の中に座っても、足首とお尻がようやく隠れるくらいだった。それでも、夕食に呼びに来た母がびっくりするくらいには、喜八郎の手はぼろぼろになってしまった。
翌日、穴掘りの続きをしようとする喜八郎に、父が小さな熊手をくれた。
「穴を掘りたいならこれを使うといい」
本当は鋤や鍬があれば良かったのだろうが、売られているのは大人用ばかりだ。とてもじゃないが喜八郎に扱えるような大きさではない。それでも、もらった熊手は昨日の石より持ちやすく、穴掘りはずっとやりやすくなった。
3日程かけ、喜八郎が膝を抱えてギリギリ収まるくらいの大きさの穴を掘った。
さて、ここからが大事だ。他の人が見てもわからないように、土で覆って上手く隠さなくてはいけない。けれど土を被せようとして、はたと気づいた。そのまま土をかけたところで、せっかく掘った穴が小さくなっていくばかりだ。泥団子みたいに予め固めた土を被せればいいのではと試してみたが、あまり大きくすると崩れてしまうため上手くいかない。
しばらく考えて、おそらく何かで覆った上に土を被せるのだろうと気がついた。早速枯葉を集めて穴に被せてみたが、穴にこんもりと枯葉が入っただけだ。足を載せるとずぶずぶと枯葉の中に入っていく感覚はあるが、これは落とし穴と呼んでよいものだろうか? 少なくとも、あの男たちが作った落とし穴とは程遠い。うんうん唸ってみても、これ以上の妙案は思い浮かびそうになかった。
「なにしてんだ、坊主?」
通りがかった男に話しかけられた。あんまり見ない顔だった。穴を掘っている間、色んな人に声を掛けられたが、それらはほとんど近所の顔馴染みだ。知らない大人は珍しいなと思いながら、いつもと同じ返事をした。
「落とし穴作ってる」
大人はしょっちゅう話しかけてくる割に、喜八郎の返事にあまり興味がない。「そうかい」「良かったね」「上手だね」などと適当なことを言って去っていく。忙しいなら無理して話しかけて来なくていいのにと思っている。
けれどその男は喜八郎の返事を聞くと「なるほど」と嬉しそうに破顔した。
「落とし穴か。ならもっと上手く隠さないとな」
「やり方わかるの?」
「おう、いつもそれで兎や狐を獲ってるからな」
話しかけてきた男は、猟師だった。たまたまこの町に立ち寄ったそうだが、「これも何かの縁だ」と笑って喜八郎に落とし穴の基本を教えてくれた。
男の言う通りに穴の上に枝を敷き詰め、枯葉を載せ、その上から土を被せると、穴は見た目ではほとんどわからなくなった。周りに比べてこんもりと土が盛り上がっているように見えるが、そんな凸凹はあちこちにあるから目立つという程でもない。穴なんてなかったみたいに見えるから、本当にあるのだろうかと恐る恐る片足を載せてみると、細い枝は簡単に折れて足は穴の中へと吸い込まれていった。
「初めてなら上出来だ。けど危ないからな。今度から穴を掘るならもっと人の来ないところにしろ」
男は満足そうに笑うと去っていった。
男に褒められて、嬉しかった。こんなに上手くできたのだから、母にも自慢したい。
穴に落ちた枯葉や枝を取り除き、再び綺麗に蓋をする。男に手伝ってもらったさっきのものより少しばかり不恰好な気がするが、それでもそこに穴があるようには見えなかった。
母の手を引いて、落とし穴の場所まで連れてきた。母は喜八郎がここで穴を掘っていたことを知っていたが、それでも落とし穴に見事に落っこちた。母の悲鳴を聞いて、喜八郎はきゃらきゃらと笑い声を上げた。落とし穴は大成功だ。大喜びで周囲を駆け回っていると、母も小さく笑い始める。てっきり母に褒められると思ってわくわくと待っていたが、母は一頻り笑った後穴から出ると、喜八郎にきつく言い含めた。
「今度から掘るなら山の中にしなさい。人が落ちると危ないわ」
予想外の反応にしゅんと落ち込んでいると、母は喜八郎の頭を優しく撫でた。
「こんなに上手に隠したら、みんな簡単に落ちてしまうわ。父上や兄上が落ちて怪我をしたら嫌でしょう?」
その通りだったので、喜八郎はこくりと頷いた。
次の落とし穴は、山の中に作ることにした。うっかり人が落ちないように山道から外れたところに掘った。何度か作るうちにだんだんコツを掴んで早く掘れるようになったので、ますますたくさんの穴を掘った。
せっかくなら何か獣でも捕まえたいところだが、作った罠を毎日見回っても獣が落ちているのは見たことがない。落とし穴は上手く隠せているはずだ。人の匂いに敏感になっているのだろうか。もっと獣が通るところに作るべきだろうか。誘き寄せるための餌を仕掛けておくべきだろうか。色々と試行錯誤を繰り返すうちに、遂に喜八郎の罠に兎が捕まった。
季節は春になろうとしていた。
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喜八郎は、毎日せっせと穴掘りに励んでいた。両親は初め、「子供なんてどうせすぐに飽きるだろう」と思っていたが、喜八郎が来る日も来る日も穴掘りに励む姿を見て、喜八郎でも扱える小さな踏鋤を作ってくれた。大喜びで踏子と名付けたら家族みんなに笑われたが、気にしなかった。
喜八郎が9つになった頃だった。いつものように穴掘りに行こうとしたところで、お城の柵の前で話をしている男がいた。あまり見かけない顔だが、なんとなく見覚えもある気がする。誰だったろうかと考えながら前を通りすぎようとすると、男がこちらに気がついた。
「ん? お前、よく遊びに来てた坊主か?」
思い出せずに喜八郎が首を傾げると、男は忘れられたことを気にした風もなく、「もう忘れちまったか。そりゃそうだよな」と盛大に笑い飛ばした。
「俺が城の周りに落とし穴掘ってた時、傍で遊んでただろう」
特徴的で豪快な笑い方と、落とし穴という言葉で喜八郎も思い出した。
「ああ、穴掘りおじさん!」
「穴掘りおじさんか! そうだな、その通りだ!」
作業中はいつも褌一丁だったから、服を着ているだけでも印象は随分違って見えた。
「僕も最近落とし穴作るようになったんです」
「おっそうか。坊主も落とし穴の良さがわかったか。せっかくだ、見せてくれよ」
「いいですよ」
それから罠を仕掛けた山へ案内する。見せるのは当然、1番最近作った自信作だ。残念ながらそう都合良く獣が掛かっているということはなかったが、男は罠をひと目見て目の色を変えた。
「坊主、これ、1人で作ったのか?」
「そうですよ」
男はまじまじと喜八郎の作った罠を検分しながら、何やらぶつぶつと呟いていたかと思うと、やがて感嘆のため息を吐いた。
「坊主の歳からは考えられない出来だ。独学か?」
「最初だけ猟師のおじさんに教えてもらいました」
「坊主は猟師になりたいのか?」
「いえ、どうせならおじさんみたいに人が落ちる穴を掘りたいんですけど、危ないからダメだって」
喜八郎が唇を尖らせると、男はにんまりと笑った。
「そうか、なら忍術学園に行くといい」
「忍術学園?」
名前くらいは聞いたことがあったが、何をしているのかもどこにあるのかもよく知らなかった。兄も姉も学校には通っていない。当然喜八郎も、自分が学校に行くだなんて考えたこともなかった。
「ああ、あそこならそれが許される。親御さんにはおじさんから話をしようじゃないか」
言われるまま来た道を戻る。なんだかわからないが、そこなら落とし穴が掘り放題らしい。走り出したくなるのをどうにか我慢して、母のところへ案内した。母は突然息子の連れてきた男を不審がっていたが、男は堂々と言った。
「この子には才能があります。是非、忍術学園への入学を御検討を」
喜八郎が忍術学園に入学するのは、この翌年の話である。
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