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景生
5020文字
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花足
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荒廃
※R-15 ※流血・暴力的表現有り
※終末ものゾンビパロ ※花村成人設定
振りかぶった金属バットは
腐敗した肉を凹ませて、その冷たい表面に痕跡を残した。乾いた脂の塊が滑り、酸化した血液が糸を引いて床に落ちるのが目に入る。もう一度大きく叩き込めば、〝それ〟は体液をぶち撒けて店内の奥にあるドリンクケースに激突した。頭部に命中。手応え有り。飛沫に備えたキャップ帽は見事に役割りを果たしてくれた。薄汚れた帽子を地面に脱ぎ捨てると、花村は体勢を構え直した。
消灯したドリンクケースはかつての面影を無くして、空っぽの中身を覗かせている。その下では花村が打ち飛ばした物体が、割れた透明板の破片の中で沈黙していた。
ぐにゃりと曲がった四肢。割れた皮膚。流れる体液。漂う腐敗臭。人の亡骸であったはずの〝それ〟は、既に腐った肉塊と成り果てて、二度と起き上がってくることはなかった。
金属越しに伝わってきた柔らかい感触が徐々に蘇る。花村は奥歯を噛み締めてバットを握り締めると、その先を降ろして地面に突き立てた。震えるような音が地響きする。花村は周囲をぐるりと見回し、荒れ果てた店内を警戒した。
少し前まで(どのくらい経ったろう)当たり前のように営業していたはずのこのコンビニエンスストアは、すっかり人の気配を無くして、今や風化を待つ残骸となっていた。
並ぶ陳列棚に商品はほとんど残っていない。使い道の少ない不要な物ばかりが小さく散在しているのを、花村は視界に入れた。店の需要を終えているのは何もここばかりではない。存在する場所は、どこも同じだった。
破壊された出入り口から風が冷たく入り込んでくる。外は季節を忘れさせるほど静かで色褪せていた。先程よりも薄暗く、そろそろ日が暮れるだろう。腕時計に表示される数字を確認しながら(本当にその時間で合っているのだろうか)、花村は靴裏の砂利を踏み込んで、店の奥へと進んだ。
ここに誰かがいるのは分かっていた。
何故なら死骸は店内と外の周囲を含めて複数転がっているのに、動き出していたのは今の一体だけだったからだ。死骸の数々はまだある程度の形を維持していることから、倒されてそう時間は経っていないのが分かる。恐らく残された一体は敢えて仕掛けとして置いていたのだろう。交戦の音は届いているはず。花村は意を決して、バックヤードへの扉を開けた。
鍵は掛かっていなかった。その代わり、扉の隙間から刃物が伸びてきた。見慣れた家庭用の三徳包丁が、錆び付きながらもその刃先を獲物に光らせていた。花村はそれを紙一重で躱していた。だが、あと数センチ近ければ、あと数秒遅れていれば、喉を掻っ切られているところだったろう。息を呑みながら、花村は自身の反射神経の良さに安堵した。身構えていても死は一瞬だ。それは向こうも同じこと。先制を逃した獲物の姿を、花村は見逃さなかった。
体当たりして、扉ごと相手を押し込んで中に侵入する。何かが倒れるような音がして視線を向ければ、土埃の匂いが鼻をかすめた。もう長い時間、充分な換気が行なわれていないのだろう。部屋の中心には、男が一人いた。尻餅をついたように腰を落とし、片手に刃物を握り締めている。彼は目元に極度の疲労を滲ませながら、ぎろりと花村を睨んだ。
生きている者の姿を見たのは久々だった。
この辺りに住んでいたはずの人々は皆、既に消えてしまった。どこか遠くへ逃げたか、運が悪ければ腐って歩き回っているからだ。花村は逃げ遅れてまだ町を彷徨っている。現状、遠くに安全な地があるとは限らないので、だから虱潰しに物資を求めて建物を訪ねていたのだが、この男もその一人だろうか。それとも他所からやって来たのだろうか。見慣れない顔だった。
「よお」花村は相手の手元を見ながら話し掛けた。「それ、無しで話せるか」指を指したのは包丁だった。
男は返事をしない。無言のまま花村を警戒し続けている。それもそうだろう。この状況でおいそれと他人を信用出来るはずがなかった。護身用に武器を持っているのは自分も同じだったので、花村はまず先に金属バットを床に転がした。両手を上げて、何も持っていないことを主張する。丸腰になれば危険が伴うが、敵意が無いことを伝えるには一番手っ取り早い行為だった。背負っていたリュックも降ろしてやれば、重い荷物が肩から解放された。身が軽くなった。
「どうだ、話すだけだ。それとも俺が怖いか」
たった一人きりで武器も持たない俺が怖いのかと、花村は慎重にしつつも、小さく揺さ振りながら相手の様子を窺ってみる。僅かながら効果があったのか、相手の男はそっと目元を細めた。こちらが気に食わないといった顔だ。首を傾げて微笑を向ければ、彼の眉がぴくりと動くのが見えた。どうやら生意気なのが好みらしい。花村は続けた。
「あんたが話の通じる人間なら、嬉しいんだけど」
「
……
話をして何になるのさ」
ようやく口を開いた彼の言葉は、酷く枯れていた。何日も叫び続けたような使い果たした声だった。ひび割れた唇は引き攣って裂けそうなほど荒れている。喉はヒューヒュー鳴って、その青白い顔は具合が悪いからなのだと気付いた。
「辛そうだな。身体でも壊したか」
「うるさい」そう言って彼は咳き込んだ。
花村は彼の姿から死骸への変異を訝しんだが、歩く死体に成り果てるにはどこか様子が違って見えた。以前に人が変貌するまでの経過を目にしたことがあるが、あれは徐々に死へと向かう寒々とした衰退だった。
——
立ち上がろうとした足元が砂のように崩れていく絶望感。取り返しの付かない現実に、もう二度と元には戻れないのだと確信する恐怖。自我の崩壊と喪失に苦しむ最期の瞬間であり、あれはそういう怖気立つような不条理さだった。ところが花村の目の前に居る彼は、不思議とそれとは異なっているように感じた。
花村は確かめるように、ゆっくりと彼に近付く。彼が再び包丁をきつく握り締めるのが分かったが、花村は構わずに進んだ。無謀な行為だったが、花村はどういう訳か彼が気になった。久し振りに他人と会話が出来て嬉しかったのかもしれない。今にも倒れてしまいそうな様子が心配だったのかもしれない。あるいは何か邪なものが背中を突き動かしていたのかもしれないが、とにかく花村は彼へ手を伸ばした。
顔に触れようとした瞬間、男は反射的にびくりと目を瞑った。怯んだその姿は一瞬の幼さを垣間見せたが、すぐに反抗的な意思を瞳に取り戻した。その視線と交差して、花村は宥めるように「大丈夫だ」と呟いた。
「
……
熱いな」
男の額に触れると、その肌はかっかと燃えていた。手の平に彼の高熱が伝わってくると、自分の皮膚も火照ってくるように錯覚する。それくらいに熱くて、かなり苦しんでいるのが分かった。もう座っているのも辛いのだろう。持っていた刃物が花村に向けられないのは、そうして床に手を付いていなければ、身体を支えられないからかもしれない。
花村が間近で彼を観察していると、彼はやめろと顔を背けた。そんな些細な動作でさえ、億劫そうに息を乱していた。
既に限界だったのだろう。次の瞬間、彼は気を失うように後ろへ倒れた。花村はその身体を腕で受け止めてやった。
それからして、見知らぬ男のために
花村は寝床を拵えてやった。男を抱き上げて、広げた簡易寝袋に彼をそっと寝かせてやる。彼の意識は朦朧としていて、瞼の裏に忍び寄る悪夢に苛まれていた。魘されて目覚める様子は無かったが、起きた所で悪夢から解放されることはないのだから、その繰り返される苦しみに同情せざるを得なかった。
——
まだ若くて健康であるからこの変わり果てた世界に順応出来る。その限りない自由の視線を花村は自覚していた。現実は否応無く無慈悲だ。ここで死骸となって動き出しているのは、年老いた顔触れが多かった。
花村はリュックから小袋を取り出し、常備しておいた薬を取り出した。ペットボトルに入った自分の水も用意して、どちらも男のために差し出してやる。貴重なものだが、花村は死に掛けた者を目の前にして物質を出し惜しみするほど、人を切り捨てられる性分ではなかった。この死人だらけの世界でまだ人であろうとする自尊心もあったのかもしれない。そんな甘さが命取りになることは重々承知しているが、しかし気付けば身体は進んで彼を介抱していた。
男の持っていた包丁を借りて
、花村はバックヤードから出た。それから店内に寝転ぶ死骸の数々の脳を、次々に刺して回った。こうして確実にとどめを刺しておかないと、この肉塊達がまたいつ起き上がるか分からないからだ。頭は骨まで脆くなっているので大した疲れにはならなかった(身体の方だけは)。夜はもう近い。病人も居るので、花村は今夜ここに留まることにした。
着実に事を済ませてからバックヤードに戻った。男は変わらずに寝ていた。花村がごそごそと音を立てて内側の扉を塞いでいる間も、目を開けることはなかった。
充分な窓が無いので、室内の明かりは花村が持っていた懐中電灯だった。半透明のポリ袋を被せて簡易のランタンに施したそれを、男の眩しくない距離に置いた。花村はその淡い明かりの中で病人の様子をじっと窺っていた。
そうしてどのくらいの時間が経ったろう。具合が悪化してしまったらどうすべきかと心配していたが、心無しか男の顔色が会った時よりも落ち着いているように見えた。薬が効いているのかもしれない。万が一、臓器に異常でもあれば手の施しようがなかった。彼に吐き気が無いのも幸いだった。
やはりただの体調不良だったのだと安堵する。花村が最初に直感したものはきっと間違いではなかったのだ。
彼は彷徨う亡骸とは違う
、底から湧き出る生命力のようなものに満ち溢れていた。生き残るために身体が必死に抵抗しているような、しぶとい力強さがあった。そういうものは喪失の絶望とは異なる、目を惹かれるような不思議な輝きがある。花村の瞳は、その一端を映していた。
(
……
どこに居たんだろうな、あんた)
花村は汗で冷えないように彼の身体を拭きながら、彼の身体に刻まれた痛々しい傷の数々を目に入れた。それが人から受けた痕であることは一目瞭然だったが、どれも既に時間が経って治りかけていた。痩せているので碌に食事も摂れていないのだろう。花村は男の平たく浮き沈みする身体を隠して新しい服に着替えさせると、自分も就寝の準備をした。
準備と言っても、大したことではない。自分の縄張りから離れた場所で一晩過ごすのだから、警戒を怠らず仮眠程度に済ますか、ずっと起きている必要があった。一応の安全策は取った。しかし何が起こるかなんて当然分からないので、そういう心構えは常に必要だった。この病人の男に寝首を掻かれることだって、充分に有り得るのだから。
花村は持っていた食事を済ますと、旅行用の小さな歯ブラシを持って、歯を磨いてから部屋の隅で水を吐いた。こんな所にまでこうして歯に気を遣っているのは(花村が不潔を嫌うのもあったが)、身体を清潔にすることは生き残ることに直結しているからだった。今は病院なんてどこも機能していないし、医者も居ない。勿論、歯医者だって居ない。虫歯で死にたくなければ、毎日欠かさず磨くべきだった。
ふと、花村は気になって、寝ている男の唇に触れた。
(
……
あ。意外と綺麗にしてる)
そこから綺麗な白い歯が覗いたので、
彼もまた必要な衛生観念を持ち合わせていたのが分かった。他人と共に行動するのに価値観の一致は大事なことだ。彼ならば死骸が徘徊するドラッグストアを、歯磨き粉のために一緒に侵入してくれるかもしれない。花村はそういう親近感を少し抱いた。
一体、何を期待しているのだろうか
——
花村は自分の感情が分からなくなってきた。一先ず、目が覚めたら彼と何を話そう。彼は冷静に話を聞いてくれるだろうか。また刃物を向けようとしてくるだろうか。どうなるか予想は出来なかったが、無駄に悩むのは脳の浪費に他ならないので、今はただこうして無事に夜を過ごすことに集中すべきだと思った。
花村は見知らぬ男の横にそっと座ると、懐中電灯の明かりを消した。男の寝息を耳にしながら目を閉じて、闇の中、どこからともなく聞こえてくる遠いざわめきを感じた。
今夜はいつもと違って騒々しかった。
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