紫輝
2025-08-23 09:00:10
4296文字
Public リとヌと御仔の話
 

背伸び事変

リとヌと御仔とお説教の話です。良い仔の御仔もたまには勢いで「きらい!」って言っちゃうしお部屋に籠城したりもするけれど、籠城先がいつも寝室(一番パパととうさまの匂いで満ちている)なの果てしなく可愛いね(時々籠城先でそのまま寝落ちしている)(可愛い)

「レヴィ! 何してる!!」
 自分の怒鳴り声を、まるで映影でも見ているかに聞いた。耳の奥でキィンと金属の鳴き声じみた音が響き、頭の芯が沸騰したように熱い。
 びく、と震えて棚へ伸ばしていた手を胸の前で握り込んだレヴィに、すぐさまかけるべき「驚かせて悪かった」が、咄嗟に口から出てこなかった。
 自分は人より冷静なタイプの人間だと思っていたが、どうもそれは愛する息子に対しては効力を発揮しないらしい。驚きと心配のあまり声を荒げるなど久しく無い経験だった。
 む、とレヴィが眉を寄せ。
「パパきらい!」
 ぷくりと頬を膨らませ、くるりと小さな背を向けられる。てててと足音が遠ざかり、ばたんと響くドアの音。方向的に寝室だろう。
 手にしたままだった皿に目を落とす。そこに写った自分の顔には「参ったな」と書いてあった。
 先のような場面に出遭ったとき、常の自分ならまず「待った」が言えたはずだった。そのあとそんな行動に出た理由を、落ち着いて問いかけられるはずだった。頭ごなしの怒声はそれを受けた者を萎縮させ頑なにするとよく心得ていたのに。
 不安定なつま先立ちで、ガラスや陶器も並んでいる棚に揺れる指先を伸ばすレヴィの姿を目にした瞬間、『常の自分』なんてどこかに吹き飛んでいた。転んで頭を打つかもしれない。前に倒れれば顔を打つかも。食器を巻き込んだら切り傷を作る可能性だってある。一瞬で脳内を巡ったそれらの想像は、恐れを骨に、心配を筋に形を得て、リオセスリが制する間もなく怒声の形で出てしまった。
「間違ったなぁ……
 がりがりと頭を掻く。寝室に籠城してしまったレヴィは泣いてはいないだろうか。胸騒ぎはしないから、きっと大丈夫だとは思うけれども。
 今あとを追っても、重ねて叱りにきたのだと思われてしまうだろう。あとでヌヴィレットさんに迎えに行ってもらおう――そんな事を考えつつ、リオセスリは鏡になっていた皿に盛り付けられる予定の本日のおやつの準備を再開するのだった。

「レヴィ、入るぞ」
 閉ざされたドアにノックを二回。ゆっくりと足を踏み入れた寝室は昼の光に明るく照らされている。親子三人がゆったりと並んで休めるキングサイズのベッドの上で、小さな布の塊がもぞもぞと動いて。
とうさま?」
 顔を覗かせたレヴィは、ヌヴィレットの隣や背後を見つめる。
 ぱちん、とアメジストとアイオライトが合った――
……ぼく、」
 瞬間、大きな瞳は涙を湛える。ぽろりとこぼれ落ちたそれに、ヌヴィレットは慌てて手を伸ばした。
「ぼく、パパにきらわれちゃった」
 どうしよう、と震える背中をそっと撫でてやりながら、白い頬を濡らす涙を拭う。
「どうしてそう思ったのだ? パパがそう言ったのか?」
 小さな身体を抱き上げ膝の上に乗せて問いかければ、レヴィはぐすんとしゃくりあげながら事情を話してくれた。
 『危ないこと』をしてしまったこと。
 リオセスリにそれを叱られてしまったこと。
 つい「きらい」と言い返してこの部屋に籠ってしまったこと。
「パパがきたらごめんなちゃいしようとおもったの。でも、パパ、きてくれなかった」
 ほろほろ、ほろほろ、流れ落ちる涙には息子の悲しみと後悔と不安がこれでもかと溶けていて、ヌヴィレットの胸もズキズキと痛んだ。けれど。
「ぼくがパパのおはなしちゃんときかなかったから」
いいや」
 萎れてしまった、どころか枯れてしまいそうなほど落ち込む息子の頭をゆっくりと撫で、両の頬をそっと包んで、揺れるアイオライトをまっすぐ覗き込み、確信を持ってヌヴィレットは微笑む。
「パパがおまえを嫌いになることはない。絶対に」
 ヌヴィレットがどれほどこの仔を愛しているのかを一番よく知るのがリオセスリであるように、リオセスリがどれほどこの仔を愛しているか、一番よく知るのはヌヴィレットだ。叱った仔に「嫌い」と言われた程度でその仔を厭うなどあり得ない。
 ぱち、とまたたいた瞳の端から、ころんと一粒涙が落ちて。
「ぜったい?」
「ああ、絶対、だ」
……そっかぁ」
 くしゃりと顔をゆがめたレヴィのそれは、笑顔と呼ぶにはまだ難がある。やはりここはリオセスリ本人の口から疑惑を否定してもらわねばなるまい。
「レヴィはパパに「ごめんなさい」をするつもりで待っていたのだろう? 『危ないこと』をしてしまった事に自分で気づいて、反省できた。素晴らしい事だ。ここでパパを待っているより、気づいた「ごめんなさい」をパパに伝えに行くべきだととうさまは思うのだが」
 頬を水元素で拭ってやりながらどうだろうと首を傾げれば、たっぷりの躊躇いのあとレヴィの頭がこくりと縦に動く。ちいさな両手でヌヴィレットの手を取り、息子は眉を下げてぽそりと言った。
「あのね、もし、もしパパがぼくのこときらいになっちゃったら、とうさまもいっしょにきらいにならないでっておねがいしてくれる?」
「ああ、もちろん。私もおまえがパパに嫌われてしまったら悲しいからな。もしそんな事になったら、必ずパパを説得してみせるとも」
 そんなことにはならない、は口に出さない。先にも言ったが、なんて尚更だ。ヌヴィレットも学習している。学びの成果に安心してくれたらしいレヴィと寝室を出ると、紅茶の香りが鼻をくすぐった。おやつの時間に無事間に合いそうだ。

 パパ、と怖々レヴィがかけた声に、リオセスリが振り返る。レヴィ、と名を呼ぶ穏やかな声とやさしい光を湛えるフロスティブルーを見上げた息子は、ひく、と喉をひきつらせて彼の胸に飛び込んでいった。
「ごめんなちゃい。きらいにならないで」
「なんだなんだ。パパにはレヴィを嫌いになる理由がないんだが」
 レヴィを受け止め、しっかりと抱きしめてやりながらその頭を撫でるリオセスリのテノールが紡ぐ困惑に、涙交じりのアルトが答える。『危ないこと』をしてしまった。パパのおはなしをちゃんと聞かなかった。反省はしたが嫌いと言ってしまったのでパパにも嫌われてしまったかもしれない、だから「ごめんなさい」をしに来た――辿々しくも一生懸命に語る息子の話を相槌を打ちながら聞き終えたリオセスリは、深いため息に「そうかぁ」の四文字を乗せてぎゅうとレヴィを強く抱きしめると頬を擦り寄せる。
「パパがレヴィを嫌いになることは絶対にないよ。だから泣かなくていい」
ん」
「自分がしたのが『危ないこと』だったって、自分で気づけて偉かったな。ちゃんと「ごめんなさい」も言いに来てくれた。これで解決だ。これからはさっきみたいなことはしないでくれよ?」
「あい」
 こっくりとうなずく息子の頭を撫でたリオセスリが、よしと浮かべた笑顔を少々萎れさせて。
「パパもごめんな。レヴィが怪我をするかもしれないと思ったら、つい大声が出ちまった。なんで『危ないこと』をしようと思ったのか聞かせてくれるかい?」
 怖かったよな、と肩を落としたリオセスリの問いにまずううんと、びっくりしたけど怖くなかったと首を振ったレヴィは、「このまえ、」と続けて口を開く。
「しぐいんちゃんが「ちょっぴりおおきくなった」っておしえてくれたの。だからふみだいいらないとおもったの」
 パパびっくりするかなって。
 息子らしからぬ危険な行動の根底は『成長を驚かせたい』だったようだ。確かにシグウィンからの定期検診結果報告には順調な成長曲線を描いている旨の記載があった。数値にして二センチほどではあるけれども、この仔にとってはそれはもう大きな喜びだったに違いない。自分も彼もレヴィの成長を目にすると「驚いた」「すごいな」と手放しで喜んでしまうから、常日頃「パパととうさまがにこにこだとぼくもうれしい」と愛らしく笑ってくれる我が仔がリオセスリを、そしてヌヴィレットをびっくりさせよう喜ばせようと件の行動に出たのだとしたら今回の騒動の原因は自分達にもあると言える。とは言え愛する我が仔の健やかな成長を前に喜びを抑えるのは不可能だと断言できるので(そうしたくもないし)現状できる対策はこれまで以上にレヴィを気にかけることくらいしかなさそうだ。
 そうだったのか、と瞳を細めて笑ったリオセスリが、胸の前で拳を作っているちいさな両手をそっと握る。
「もし初めて何かに挑戦しようと思ったときはちゃんと教えてくれ。レヴィが昨日できなかったことが急にできるようになったらパパはびっくりして心臓が止まっちまうかもしれない」
「だ、だめ!!」
「じゃあ、約束してくれるかい?」
「あい!!」
 レヴィがアイオライトを見開いてぶんぶんと首を振り、真剣な表情でうなずくまでを見届けて思わず感嘆のため息をついてしまった。やはりリオセスリは言葉の使い方が上手い。約束だ、とその頭を撫でて立ち上がったリオセスリがああそうだ、と調理台に置かれていたレヴィのカップを手に取る。
「せっかくだから、本当に踏み台がいらないくらい大きくなったのか確かめてみようか」
 楽しげに笑った伴侶は、カップの底を包むように持って腹の前辺りに持っていく。どうぞ、と促されたレヴィが、伴侶の手のひらを支えに――棚の縁の代わりと思われる――精一杯伸ばした手はカップには届かなかった。うんうんと掛け声(?)を口にしながら果敢に手を伸ばしていたレヴィがむうと膨れる。
「パパ、ずるっこしてない?」
「してないさ。なぁ、ヌヴィレットさん」
 届かないよ、と不満を紡ぐレヴィにくつくつと笑ったリオセスリに水を向けられて、棚を見、家族を見。
「そうだな。勿論目視による誤差はあるだろうが、私には概ね同じ高さに見える」
「ほらな? 『最高審判官』様が言うんだ。パパはズルしてないさ」
 伴侶の言を肯定すれば、楽しげなテノールと不服そうなアルトが空気を揺らす。
「えいっ!」
「おっと。頼むから棚にはやるなよ?」
 最後の手段とばかり、ぴょんと自身に飛びついてきたレヴィを片手で受け止め、抱き上げて、リオセスリは眉を寄せた。ちなみにカップに手は届いていない。
おっきくなったとおもったのになぁ」
 やっと諦めがついたのだろう。頭に手を乗せたレヴィがおかしいなぁと呟くのに二人、息子のそれを撫でて笑う。
「これからの目標ができたじゃないか」
「ああ。また『大きくなった』と思った時に教えておくれ。今日のようにパパに確かめてもらおう」
……ん!」
 その時が楽しみだと伝えれば、息子はアイオライトを煌めかせてうなずいた。