紫よか
2025-08-22 10:22:21
4213文字
Public 刀剣乱舞
 

薔薇と命煌々と

加州清光×花 銀河鉄道の夜オマージュ

 座っているこの人を見たのは、久しぶりな気がする。このところずっとずっと、ベッドから起き上がることができなかったから。
 だから、あ、夢だ。と分かった。本当は俺の目の前の席に座って、手にした苹果を食べずにころころと手でいじるこの人が、開いた俺のまなこを見て嬉しそうに微笑む姿に、微笑み返すべきなのに。

……明晰夢じゃん」

 なんて、俺は言ってしまうのだ。


「そうみたい」

 今にも夢から覚めてしまいそうなことを言う加州清光に、審神者の少年はそう言った。ふたりはいつからいたのか(夢にいつも何もないが)、古風な列車の向かい合わせの席に座っていた。窓の外は闇が広がっていて──いや、闇ではない、そこはくらいけれどあかるかった。星々が幼子がビーズをとびきりの力で散らしたようにキラキラと広がっていた。

「加州さんが私の膝の上で突っ伏して寝てたから、私も寝たのよ。お話できないのは……寂しいから」
「え。それは……ごめん」
「ふふ。いいのよ。……ロマンチックな夢ね、銀河鉄道の夜みたい」
「俺あの話いや……
「まあ、そうなの?」
「だって報われない話だし」
「未完だからかしら。完結していたらジョバンニは報われたかもしれないわ」
「未完でもさ、ジョバンニとカムパネルラが離れ離れなのは確定でしょ?」
「お別れは嫌い?」
「好きな人はいないと思うけど」
「それはそうね」

 とりとめのない話をしながら、加州清光は立ち上がる。そして、少年の隣に腰を下ろした。苹果を弄んでいたかれの手にその手をそっと触れる。それに応えるように少年は加州清光と手をつないだ。苹果から薔薇のような不思議な香りがするのを、ふたりは黙ったまま感じていた。

「お向かい、座ってもいいかしら?」

 細い声がふたりにかけられた。ふ、とふたりが横を見れば、上品に白い髪を結った着物の老女がいた。彼女と手を繋いでいるのは、やわらかな瞳の秋田藤四郎であった。老女もまた、苹果を持っていた。

「どーぞ」
「ええ、どうぞ」

 ずいぶんと不思議な夢だ。夢とは記憶の整理のはず。でも彼女のことは、知らない。知らない老女は優雅に微笑むと、曲がった背でゆっくりとふたりの向かいの席に腰掛けた。秋田藤四郎は老女の背中を支え、そして自身も座った。

「おばあちゃま、私たち会ったことあるかしら」
「いいえ? ないわ。でも今会ったから、わたしたちは知り合いね」
「まあ。ふふっ、そうね」
「ええ。加州清光さん、青い瞳の審神者さん。あなたたちはどこまで?」

 どこまで? と聞かれて、加州清光は固まった。乗り続けていたら、本当にこの少年とお別れになってしまう気がしたからだ。あの物語のように。

……すぐ降りるつもり」
「加州さんったら」
「夢だし、いつでも覚めるでしょ」
「あらあら、うふふ。わたしはね、この子と星の湖へ白鳥を見に行くの。ね、秋田」
「はい。主君は鳥がお好きでしたから。僕、一緒に行けて幸せです」

 よく覚えているのね。と老女が嬉しそうに言った。

「わたしと秋田の話、しても良いかしら。青い瞳さん」
「ええ、聞かせてくださいな。あなた方が駅につくまで」

 少年が楽しそうに言えば、老女はうふうふとはにかむように口を開いた。

「秋田はわたしが初めて鍛刀した子なの。わたしはね、おばあちゃんになってから審神者になったから、この子との時間はとっても短かった。戦争が始まって、娘も孫も夫も歴史から消されて、ひとりぼっちのわたしに、秋田はいつだってそばにいてくれた。この子がいなかったら、わたしは首を吊っていたかもしれないわ。結局、家族を取り戻すことはわたしの生きているうちには叶わなかったけれど……でも、わたし、幸せだった。……秋田が修行に行ってしまった時、寂しかったのよ? 青い瞳さんも、加州清光さんがいない時は寂しかったでしょう、きっと」
……ええ、寂しかったわ。でも帰ってきてくれたから、全部許したの」
「ふふっ、そうね。ずうっとずうっと、大好きね」

 話している間、きゅっと少年が加州清光の手を握る力を強めたことに、加州清光はすぐに気づいた。よわい、やわい、力。それが精一杯の力。かれとの別れの日は近いことも、加州清光は分かっていた。自分みたいな刀の主は、長生きしてくれなくては迷惑なのに、この少年は流星のように消えてしまうのだ。ずうっとなんて無いよばあさん。なんて言いかけて、飲み込む。老女の隣に座る秋田藤四郎の瞳に、それこそ流星のようにつうと涙がこぼれたからだ。

……秋田? まあまあ、泣いているの?」
「はい、泣いちゃいました。主君が僕のこと、ずうっと大好きでいてくれるのが、うれしくてうれしくて。僕、主君にお花をあげたでしょう。それを全部、押し花にしてくれましたね。大好きを感じられました」
「まあ。四葉のクローバーもくれたでしょう。とっても嬉しかったの。大好きよ、秋田。至らない審神者だったけれど、あなたに会えてよかった」

 老女と秋田藤四郎のやり取りを見て、少年はにこにこと加州清光の肩に頭を預けた。加州清光は空いている手で審神者の頬を撫でる。このふたりは今しあわせなのだと、少年と加州清光は思っていた。
 なら自分たちは? もうすぐお別れする自分たちは? そう思っていると、「白鳥の湖、白鳥の湖。降り口は右側です」と柔らかなアナウンス。

「あ、主君。降りる準備しないと!」
「ええ、そうね。お二人とも、お話聞いてくれてありがとう」
「こちらこそありがとう、おばあちゃま」
……ねえ、秋田」
「はい? なんですか? 加州清光さん」
「白鳥、見られるといいね」
……! はい!」

 ゆっくりと停車し、扉が開かれる。老女と秋田藤四郎はふわふわひらひらと笑い合いながら降りていった。他に降りる者はいないのだろうか。……俺たちもここで降りるべきだろうか。加州清光はそう思っていた。夢なら覚めれば良い。でもいつ覚めれば良いのだろう。この、薔薇の香りのする夢から。

「宇宙はベリーの香りがするってどこかで見たけれど、このりんごは不思議な香りね」
「終点まで行けば、するかもよ。ベリーのにおい」
「うふふ、行ってみる?」
「行かない。適当なところで降りる」
「ふふ、そうね。これは……夢、だものね」

 ふたりが話していると、ひとりの物吉貞宗が白鳥の湖へ降りようと車内を歩いていた。だが、それは叶わなかった。ばんと列車を繋ぐ扉が開き、青年が息を切らせて物吉貞宗の腕を掴んだからだ。

「待ってくれ……!」
……! 主様……?」
「ああ、いた、いた! 物吉……!」

 青年は物吉貞宗をぎゅうと抱きしめた後に、はっとして慌てて離れた。扉が閉まる。物吉貞宗は驚いた顔をして閉まる扉と青年を交互に見やる。青年は、そのまま崩れ落ちるように座り込む。

「ごめんな……物吉……本当に、ごめん……ごめんなさい……

 青年が持っていたのは、苹果ではなくお守りであった。それを見た物吉貞宗は青年に視線を合わせるようにしゃがむと、彼のひたいにこつんとひたいを当てた。

「俺、ずっと謝りたかった……お前を折ったこと……大馬鹿だよな……、そんで長生きもできなくて、成果も上げられなくて、本当、お前の思いに応えられなかった。怒ってるよな、恨んでるよな。……ごめんなさい……
……主様、ボク、怒ってなんていませんよ」
「何でだよ……何で……怒ってくれよ……!」
「たった今あなたとまた会えました。だから、それでじゅうぶんなんです。こんなに走って汗まみれになって……お腹すいたでしょう? どうぞ。一緒に食べましょう」

 物吉貞宗が取り出したのは、ひとつの苹果だった。彼らのやり取りを座ったまま見ていた少年と加州清光は、何も声をかけられなかった。だが、少年がはっとした顔をしていることに、加州清光は気づいていた。
 
 皆が持っているこの苹果に何の意味があるのか、加州清光は、分かっていた。

 青年は震えた指で、苹果を受け取ると、涙に濡れた顔で物吉貞宗に微笑んだ。

「ボクは、あなたと出会えて幸運でした。幸福でした。主様は?
……うん、俺も、しあわせだったよ」
「主様、蠍の火を見に行きましょう。命の炎です、あなたが精一杯燃やした、命も、そこにありますよ」
「お前の命もそこに、きっとあるな」
「はい」

 青年と物吉貞宗は、次の駅で降りていった。窓の外から見えるのは、赤い炎。刀は炎から生まれる。ならばあれはきっと、命の象徴なのだろうと、少年は思ったが、それよりも加州清光に言いたいことがあると彼の服の裾をくいくいと引っ張った。

……なに?」
「加州さん、私たちはあらかじめ何も持ってない状態で生まれてくるんだわ」
……何も?」
「ええ、だからりんごがあるの。りんごは、愛を知ったひとへのご褒美なの、自分で食べても良いし、他のひとに分け与えても良いのよ」
……そのりんごも?」
「そう。だから加州さん、このりんご、一緒に食べましょう。私たちは、愛を知っているわ」
「ん……しあわせも、知ってる」
「ほんとうのさいわいってやつよ」
「だから、俺あの話いやだってば」
「うふふ、嫌いではなさそうだけど?」

 空には変わらず星粒の川、少年は苹果を加州清光の口元へ持っていくと、自信も背伸びをしてそれに唇で触れた。

「さあ、加州さん」
……うん」

 そして、ふたりは苹果を──


…………
……

 目が覚めた頃には夕方であった。暮れの空に僅かに星が浮かんでいる。

「良いところで……
「加州さん、もしかして夢でりんごを食べようとした?」
「うん、あんたと。食べようとしたら目が覚めた」
「ふふ」

 相変わらず弱々しい病人の顔で、少年は微笑む。そして机を指差せば、そこには見舞い品のりんごがあった。

「これで我慢しましょう。薔薇の香りはしないけれど」
「しょうがないな、切ってあげる。……今食べて夕食入る?」
「入るわ。今日は元気なの。良い夢見たからかしら」
「良い夢かな……
「もう、良い夢よ」

 加州清光はくすりと笑って果物ナイフを手に取る。弱い星の光の下で、愛の果実を互いに分け合って。