いぬみ
2025-08-21 08:32:23
10326文字
Public 黒バス
 

ひとりよがりでも

2025/10/09、アツシの誕生日ネタの紫氷。
成立前、CP要素は紫←氷がほんのり。
紫原の誕生日が今日だと知り急いでケーキを買いに行く氷室の話です。
氷室の衝動性と紫原の包容力が上手く噛み合うの、好き。

 元来、思い立ったら動かずにはいられない性分だった。
 氷室が走る度にちゃりちゃりと素肌に擦れる金属音──指輪がチェーンにぶつかる音──の激しさが、彼の急ぎ足を暗に示している。往来の人にぶつからないようにだけ気をつけながら、ひた走っていた。
 早くしないと閉まってしまう。あの店は何時までだっただろうか。寮に戻る時間も考えると、急いで損はない。
 部活終わりでくたびれたはずの体も、内なる衝動に従えば、疲れなんて気にならなかった。十月の秋田、ほんのすこし冷え込みがあっても、その目的を思い出せば、何度でも心に火がついた。目的地のケーキ屋へ、氷室の足は一直線に向かっていく。



 発端は、紫原の何気ない発言からである。
「この時期になるとケーキ食べたくなんだよね〜」
 部活終わりにコンビニに寄るのは、もはや紫原と氷室の習慣となっていた。夕飯前の腹ごしらえと、夕飯後のお菓子の調達が目的だ。
 紫原はバスケが嫌いだと公言しておきながらも、練習には真面目に取りくんでいる。体力はあるとはいっても、ウインターカップに向けて厳しくなっていく練習に疲れるのとは別の話だ。
 そんな紫原を労る意図もあって、氷室が彼に、ひとつふたつのお菓子を買ってやることも珍しくないルーティーンである。今回もそうだ。
 月初めだから仕送りにも余裕がある、とはいっても計画性もなく買い込めばすぐ無くなってしまう。紫原は案外計算高く、こういった場では、よく買うものを吟味する。毎日のように通っているけれど、店内は定期的に品揃えや発売情報なんかが変わるので、それを見落とさないようにしながら。
 十月に入って、コンビニ内には、二ヶ月後に迫るクリスマスケーキの宣伝ポップが飾られていた。
「もうクリスマスケーキの予約の宣伝なんてしてるんだな」
 というかコンビニでも、こういうホールケーキを注文できるんだなあ、と感心するような気持ちでいた。久々に帰ってきた日本のサービスの行き届き様に、氷室は、驚くばかりである。
「あー、あと今日が誕生日だからかも〜」
 ……そして、紫原の発言にも。
……え」
 チラシに向けていた目を、すぐに紫原に戻す。
 彼の発言を反芻して、確かめて、やっぱり衝撃を受ける。
「なんだアツシ、今日、誕生日なのか」
「ん〜」
 そんな素振りはなかった……けれど。
 言われてみれば、今日の彼は、普段以上に周りからお菓子を貰っていたように思う。大きな身体に反して、日常ではゆるく、そして甘え上手でもある彼は、クラスメイトにもお菓子をねだっているようだけれど。今日は朝から夕まで、レジ袋にお菓子を持ち歩いていた。あれはたぶん、周りからの誕生日プレゼントを入れていたんだろう。中身は大袋のチョコ数個だとか、大きくてコンビニ限定サイズの中くらいのポテチで、部活が終わる頃には食べ尽くしてしまったようだ。
 ここ数日、昼休みには生徒会の仕事が入っていて、氷室はあまり紫原の様子を見ることができていなかった。放課後にお菓子を抱えた紫原からは、「貰った」としか言われていなかったから、気づかなかった。
「参ったな。何も用意してない」
 ちょっと焦って、顎に手を当て、考える。今から、何を贈ることができるのか。……日は暮れてしまったが、まだ夜は更けてはいない。少し足を伸ばせばデパートだってある。走ってしまえば閉店時間までには余裕で間に合うだろう、氷室は足の速さには自信がある。それにしたって、何をあげればいいだろう。今本人に訊くのはズルになるだろうか、いやしかしそのほうが効率がいい。
「でもお菓子奢ってくれんでしょ?」
 そんなふうに思考を巡らせる氷室を前に、紫原はあっさりとした言葉を吐き出す。
 今のままでいいよと暗に言ってくれている、実際それで彼は満足なんだろう、なんせ他の相手にも安上がりなお菓子一個二個で満足気にしているのだから。本心だ、それをバカ正直に受け取ったって、紫原は文句も言わない、幻滅だってしない。バスケに対してはともかく、紫原は案外まっすぐな物言いと、素直な性格をしている。それくらい、氷室にはわかったけれど。
 ──でも、オレはそんなの、いつものことだと思ってやったことで。誕生日なんて関係なくって。
 それじゃ、何も変わらないじゃないか。
 何となく、釈然としない。
 わかっていたら、もう少しちゃんとしたお祝いの気持ちと一緒に捧げていたのに。こんなふうに誤魔化すみたいな態度で終わるのは、嫌だった。もう、その場しのぎでは収まらない。
 悩んでいても仕方ない。……動けば、まだ、間に合う。
 そう思った瞬間、氷室はいてもたってもいられなくなった。
 元々、諦めるのも妥協するのも許せない性質である。
「アツシ、先に帰っててくれ、用事ができた」
「は?」
「お菓子はこれで払っておいて。お釣りはアツシにあげるよ」
 財布から取り出した千円札を押し付けて、自動ドアをくぐる。コンビニから出て、左側の通路に向かって、走る。この前の休日、紫原とケーキ屋に行った記憶を頼りにして、走る。カバンが邪魔に思えるが、置いていくわけにもいかない。
 ──そして、冒頭に戻る。
 息も上がってきた頃合に、清潔な印象のある光源が見えた。ああ、着いた。ようやくスピードを緩めて、ゆっくりと息を落ち着かせながら、店前に来る。営業時間を見る。店内の時計と照らし合わせる。まだあと三十分ほどは営業しているようだ。ほっとしながら、店内へ入る。自分でボタンを押して開けるタイプの自動ドアだった。
 煌びやかな照明と潔白な床が氷室を迎えた。あちこちに、クッキーや大福といった、和洋折衷の甘味が並び、季節のフルーツだとか、期間限定だとかいう宣伝文句が踊る。閉店時間に近いからだろうか、ところどころでケーキは売り切れているし、氷室以外の客は今のところいないらしい。
 お目当てはホールケーキだ。ショーウィンドウに近づいて、一番大きいサイズを見漁る。月初めなので、手持ちのお金には余裕がある。バスケ用品、バスケ関連ぐらいでしか氷室はお金を使わないので、ここで使ってちょうどいいぐらいだ。そういう理由で、今までに紫原にも奢ってきている。
「なにか、お探しですか」
 話しかけられて、氷室は目線をその方向に向ける。女性店員だった。
「ああ、すみません、真剣な眼差しでしたので、つい。お力になれるなら、と」
 店員は物腰柔らかく、にこりと笑った。カウンター越し、入ってきた時点から、氷室に注目していた。閉店も近づいて、客足も遠のいて、あくびを噛み殺す彼女の眠気を吹っ飛ばしたのは、急いだ様子で入ってきて、真剣にケーキを選ぶ美形の姿だった。邪魔をしたくないけれど、力になりたい、その一心での声がけである。
「後輩のバースデーケーキなんです」
 店員の好意に甘えて、氷室も語る。
「お菓子が大好きなヤツで。サイズは最大のものを、とは決めてるんですが。甘いのもしょっぱいのも、果物も好きみたいだから……。キャロットケーキだけは嫌がってたかな。だから、それ以外で……どういうケーキにしようかな……。こういう店には行き慣れてないから、アドバイスもらえると、助かります」
 氷室が微笑みかけると、店員は息を飲み、すぐにおすすめを伝授する。──秋ですから、旬の果物も多くっていいですよね。やっぱり今の時期は栗とかさつまいもとか。ですが、誕生日ケーキなら、そうですね、ぶどうとりんごが美味しくなる時期ですから、それを使ったケーキはいかがでしょう。
 そして、これは、とショーウィンドウ越しに指を差されるたびに、そのケーキの紹介もする。そちらはチョコレートを使ったもので、クリームやスポンジにも、ココアやショコラを練り込んであるんですよ。ああ、そちらは少し小さめのサイズになるのですが、高級感にこだわりがありまして……
 勤務時間も終わりがけで、かなり疲れが滲んでくる頃合なのに、そんなことも気にならなかった。かなり遅い時間に来店して、部活のものらしいカバンをかけたままの彼も、同じように疲れているだろうに、自分と同じように、どうも気にならないらしい──と、店員は察する。
 氷室が選んだのは、フルーツのものだった。サイズは、前々から言っていたとおりに、十号、最大サイズである。
「チョコレートのメッセージプレートを、無料でつけることができます。相手のお名前と、年齢。テンプレート以外でのメッセージも書けますが」
 一瞬戸惑って、納得する。アメリカに行く前、日本で暮らしていたころ、氷室にも覚えがある。メッセージが書かれた板のチョコレート。アメリカでは、ケーキのクリームに直に書くものがほとんどなので、なんだか久しぶりだ。
「年齢は十六歳で、名前は……アツシで。メッセージは……Happy Birthdayを、アルファベットで。お願いします」
「了解です。ロウソクも、入れておきますね」
「Thanks」
 大きいぶん、少々値段が張ったが、かまわなかった。支払って、ケーキの完成を待って、一息つく。ああ、間に合った。良かった。
 あとは受け取って、崩れないように持ち帰るだけだ。時計を見てみる。歩いたとしても、門限には間に合うだろう。
 帰った時、彼は、どんな顔をするだろう。そんなことを思えば、帰り道にも、疲れなんて感じないでいられた。



 行きは全力で走ったが、帰りは穏やかなものだった。だって崩してしまってはいけない。寮に着いてすぐ、紫原の部屋に直行する。ノックすると、いつもどおりのゆるい返事。その返答のまま、ドアを開ける。
「おかえり」
「ただいま」
 なんでもないみたいに紫原は氷室を出迎える。
「アツシ、買ってきたぞ」
 ケーキの入った箱をつきつけて、満足気に言い放ってやる。ケーキを決める時間も含めると、かなりギリギリだった。
「まさかとは思ったけど、ほんとに買ってきてるし……
 紫原は呆れている。
 何の〝用事〟だったのか、種明かしする前にもうわかっていたらしい。なんだバレてたのかと拍子抜けしながら、なら話は早いかと、氷室は構わずに話を続ける。案外頭の回転が早い男だというのは、これまでの付き合いからわかっている。
「フルーツのやつと、モンブランと、チョコレートのやつがあって。店員さんのおすすめだったから、フルーツにしたんだけど、モンブランも美味しそうだったな。……ごめんな。お前に聞きもせずに」
 アメリカにもケーキはあるが、日本のものとはずいぶん違う。あっちはバタークリームが主流で、日本の真っ白くてふわふわとした生クリームのものは珍しい。逆に、アイシングや着色料をふんだんに使い、カラフルに、かつスウィートフルに仕上げている、目にも舌にも眩しいアメリカンなケーキは、少なくとも氷室は日本に来てから一回も見ていない。
 選んでいるあいだ、店員の厚意で、クリームを少し試食させてもらったのだった。その中でも氷室は、モンブランが気に入った。控えめな栗の甘さとなめらかなクリームの食感が好みだった。ほんのすこし塩味がきいているのがまた、いい。しかしながら、選んでいたのは紫原のバースデーケーキである。紫原もモンブランは好むだろうが、〝誕生日〟には合わないかな、と思ったのである。それに、モンブランは八号サイズが最大らしかったので、それよりも大きく、そして栗も入っているというフルーツケーキの十号にしたのだ。
 でもよく考えたら、選ぶも選ばないも全て氷室の主観であった。プレゼントだからそれでいいのだけれど、携帯は持っていたのだし、メールなり電話なり、すればよかったのかもしれない。
 けれどもそんな思いも杞憂であったらしい。箱を覗き込んだ紫原の目の輝きを氷室は見逃さなかった。喜んでくれた様子だ。デカいやつじゃ〜ん、やった〜。ありがとね〜。間延びしたいつもの口調も、ほんの少しの高揚が見て取れる。
「そのモンブランもさぁ、室ちんが気に入ったんなら、それ、室ちんの誕生日にすればいいんじゃない」
 テーブルのものをどかして、ケーキの入った箱を置いて、食器を取りに行こうとする流れの中、紫原はなんとはなしに話を振る。氷室が気に入った様子のケーキは、後日、氷室自身の誕生日に食べればいいのでは、という提案を持ちかける。
 氷室は、ちょっとだけ目を見開いた。
 ……そういえば、あと三週間で、自分の誕生日である。
……言ってたっけ?」
「あー、この前さあ、誕生日ハロウィンに近いっつってたじゃん、だからまだ過ぎてないのかな〜って思ってんだけど」
「うん、十月三十日かな」
「じゃあ決まりね〜」
 覚えてたのか、とか、当たり前みたいに一緒にいる前提を話すんだな、とか、思うことはあったけれど、形にする前に、紫原は切り分ける道具と食器を取りに行ってしまった。思うところといっても文句でも反論でもなく、むしろ、つまりあのモンブランを紫原にも食べさせることができるのだということが喜ばしいという気持ちなのである。
「あーあと、夕ごはん、これね」
 戻ってきた紫原に、部屋に無造作に置いていたレジ袋を手渡される。夕ごはん? 唐突な話題に、氷室は首を傾けて。中身を見ると、コンビニのおにぎりが一個二個入っている。梅干しとツナマヨだった。
……What?」
「夕食時間もうすぎてるし。ていうかさ〜、ほんと、ケーキ屋閉まる前に買いに行ったはいいけど、室ちん、夕ごはんどうするつもりだったわけ」
「あ」
 寮内は基本的に時間厳守だ。しかもここは男子寮、食欲旺盛な高校生が集まっている。電話なり口頭なりで遅れる旨の連絡をしているならまだしも、無断で遅刻すれば、自分のぶんは遠慮も容赦もなく食べ尽くされる。その暗黙のルールを、知らないわけじゃない。
……言われてみれば……
 けれども、氷室の脳内では、そもそも夕食の時間がすっぽ抜けていた。
 はは、と困り顔で笑う氷室に、紫原はためいきをつく。本当にこの人は突拍子のない人だ、大人しそうな外見をしているくせに、聡明そうなふるまいをしているくせに、たまに、後先を何も考えずに、ひた走ることがある。
 それが他人のため──彼の自認では、他人に尽くしたい自分のため──のことなのだから、どうしようもない。だから、目が離せないし、放っておけない。
「室ちんがくれたお金で買ったやつだから気にしないでいーよ。ちゃんとオレのぶんも買ったし、夕ごはん室ちんのぶんもオレが食べたんだし」
 氷室がお金のことについて気に病む前に言ってやる。渡された千円からおにぎり代二百円を差し引いても、八百円ぶんは色々買える。その残りでポテチやらなんやらを払って、ありがたくお釣りも受け取った。
 夕飯の時間に戻ってこなかったことで残った氷室のぶんを、誕生日だからの一言で周りから献上され、じゅうぶんなほどの腹ごしらえもした。ここで遠慮するような性格ではないし、そうしたところで氷室のためになるどころか、最悪、神経を逆撫でする結果になることを、紫原は密かに悟っている。
 飛び出していった氷室を前に、夕ごはんどうするつもりなんだろ、とまず紫原は考えた。話の流れからして氷室はプレゼント、おそらくケーキを買いに行ったのだろう。そうすると、寮の夕飯時間に間に合わない可能性が高い。
 言ってしまえば自分勝手な自業自得である。紫原が関わっているとはいえ責任は氷室にあるし、氷室自身も承知の上だろう。かといって、彼のあの熱心な練習量(と、店に間に合うために勝手に全力疾走したぶん)で夕飯抜きなんて無茶にも程があるし、最悪明日にも響く。そうなったらきっと色々と面倒なことになる。回避には、彼が買ってくるだろうケーキを分けるか、今ここで買っておいてやるか。それだったら、前者よりかは後者の方がいい。
 そういう策略の元、紫原は千円を崩し、コンビニで氷室のぶんの食料を買った。寮のごはんよりも量は少ないし栄養バランスもよくないだろうが、ないよりはマシである。
「明日もなんか奢ってくれたらそれでいーし」
「うん、ありがとう」
 そうして、八百円で、自費でとなるとちょっと躊躇するお高めのアイスを、いい機会に紫原は購入した。自分では、もしかしたら当たる可能性のある棒アイスや、手頃な値段で当然においしいカップアイスを選びがちなので、ちょうどよかった。
 食べたアイスは非常に美味しかった。少し肌寒い季節になってきたが、そんなことがどうでもよくなるぐらい、ミルクが濃厚で甘みが上品なアイスだった。他にも味があったので、検討してみたいところである、早速明日あたり。
 そういうことをかいつまんで話せば、氷室はほっとした様子で「良かったな」と相槌を打つ。
 満を持して蓋を開ける。秋の味覚と定番のフルーツを乗せた、生クリームのケーキが顔を出した。ふどうの外の紫と中の黄緑、いちごの赤、りんごの赤と黄色、白いクリームが絢爛に飾り付けられている。
そのままホールケーキを貪ろうとする紫原を見て、ふと思い出して、制する。
「あ! アツシ、ろうそくあるぞ」
「え〜……火ぃつけるものないじゃん、探すのもめんどくさいし」
「大丈夫だよ、オレライター持ってるから、ほら」
「うわ、なんでそんなの持ってんの、不良?」
「安直だなあ。……オレ、タバコは昔も今も先もやらないって決めてるけど、ライターは持ちたくてさ。便利だろ。それだったら今でも持てるし。いざってとき使えるだろうし」
「はぁ〜? 何に使えるわけ」
 出鼻をくじかれて顔を顰めて難癖をつけると、氷室は平然と、
「実際今、役立ってるだろ?」
 なんて気丈に返してくる。
「うざ〜……
 そもそも持ちたいって思うのがなんなのとか、たまたまじゃんとか、そういった意見を全部飲み込んで、ただひとつ、素直な感想をこぼす。
 本当に、行動原理がわかったと思いきや、わからないところがまた顔を出してくる人である。
 手際よくロウソクを並べて、手早く火をつけると、氷室はいそいそと電気を消す。ハッピーバースデーのうたを口ずさまれる。高一、しかも寮暮らしになっても、こんな状況に陥るなんて思わなかった。嬉しいんだか面倒なんだか分からない心地である。
 そんな中、ぼんやりロウソクで照らされた横顔が、じっとこちらを見て、明らかにとあるアクションを催促していて譲らなさそうだったので、仕方なく紫原はロウソクを吹き消す。一回で全てのロウソクが消えた。
「Happy Birthday、アツシ」
 電気をつけてすぐ、氷室は祝福の言を贈る。ロウソクを取り除く。
「ん〜。食べていい?」
「もちろん」
 情緒も全て投げ出して、食い気に走れば、氷室もさっきの融通の聞かなさを投げ出して、ケーキを差し出す。オレも食べようかな、今になってお腹が空いてきたよと笑って、おにぎりの包装を開ける。
 氷室は塩味と酸味のある食べ物が好みだ。アメリカにいたときは好んでピクルスを食べていたし、日本に帰ってきてから気に入ったものは主にたくあんやさくら大根と、漬物類である。
 紫原が買ってきてくれた梅干しとツナマヨのチョイスには、少なからず、その好みが組み込まれているのだろう。
「別に明日以降でも良かったんじゃないの」
 さっそく梅干しを頬張っている氷室に、さっそくフォークで直接切り分けたケーキを咀嚼した紫原は問いかける。ぶどうはみずみずしく、りんごは甘酸っぱく、いちごは彩り豊かで酸味があり、甘いクリームとよく合った。ふんわりとしたスポンジ生地がそれらを全部包み込み、相性の良さをより深めている。だから次から次へと口に放り込んでしまう。けれども。
 たしかに美味しいし嬉しいけれど、別に焦って買いに行く必要はなかったんじゃないのか。
「ほら、バースデーケーキは、当日に食べたいものだろ」
「コンビニにもケーキぐらいあるのに」
……せっかくだし、ホールケーキにしようと思って。多い方が嬉しいだろうし」
「まあね〜」
 そういえばそうだ、と思いながら、それでも結局その場で買うことは無かっただろうと、氷室は思う。あのときの氷室は、紫原が食べたがったケーキをそのまま渡したいがために動いていた。
 仮に買うとしたら、ケーキ屋の営業時間に間に合わなかったときだろう。コンビニは二十四時間営業だけれど、大抵のケーキ屋には閉店時間というものがある。
 二個目のおにぎりに手を伸ばして、かぶりつく。海苔と米のやわらかさにほっとする度に、氷室は、自身が日本人であることを痛感した。日本のコンビニの商品は質がいいと常々思う。
 アメリカにも、日本人向けにごはんやおにぎりが売っていたりするが、高いくせにどこかパサついている。米が食べたくなったら、生米を仕入れて自分で炊くのが結局一番安全である。火神の家はそうしていたようだ。氷室の家にも炊飯器はあったが、火神の家よりかは使用頻度は低かった。生米も生米で入手が限られる。
 紫原の様子を見れば、もう半分食べきっているところだった。一旦、口元についたクリームを舌で舐め取りながら、紫原はしみじみという。
「ウチ家族多いからさ〜、でっかいケーキ独り占めって新鮮かも〜」
 兄三人に姉ひとりの五人兄弟、両親も健在。全員紫原ほどではないが体格が良く、そのぶん食べる量も多い。当然、誕生日ケーキは誕生日当人のぶんを大きく切り分けるのだが、それでも、七等分されることになるケーキは小さくなった。
 ホールケーキの独占を夢見たものだった。スイーツバイキングでは、合わせればホールケーキ以上のそれを食べてはいるのだろうが、それとこれとは全然違う話なのだ。
 そしてまた、フォークを動かす。プレゼントしておいてなんだけれど、よく飽きずに食べられるなあ──そう思いながら、氷室は完食する。黙々とたんたんと、それでいて作業的でなく、無邪気な喜びを秘めながら口に運び続ける彼は、見ていて微笑ましい。氷室は、最後の一口を飲み込みながら、ぼうっと観察して──見とれていた。
 だから、与えたくなるのだった。普段も、特別も。
「ごちそうさま。……ありがとな、アツシ」
「室ちんもけっこう食べるの早いよねぇ」
「運動してるからな」
「そーいう話〜?」
 かたや食べ終わってできたゴミを片付けながら、かたやフォークについたクリームを舐め取りながら、どうでもいい雑談をこぼす。会話が挟まろうが食べる手が衰えないのはお互い様であった。
 いつのまにかケーキは綺麗に食べ尽くされて、あとはプレートが残った。ところどころにクリームが付着して、チョコかなにかで書いてある文字が掠れているそれを紫原は大きな指でつまんで、口の中に放り込む。
 喉仏を動かして、全てを腹に収めて、紫原は満足気に口元を緩めた。食べ終わった時、彼は満足気で、嬉しげで、幼げな顔をする。少なくとも氷室にはそれがわかって、見ていると、なんだかこっちまでこそばゆい気持ちになるのだった。
 この顔が見れたのなら、走ったことも、夕飯を食べそびれたことも、安いものだと思えるのだった。
 弟分──今や、倒すべき敵となっている火神大我──が、好物のチーズバーガーを大量に食べる姿にも圧倒されたし、美味しそうに頬張る姿にも微笑ましさを感じたものだけれど。それと同じようで、違うような感覚が氷室を襲うのだった。具体例をあげれば、火神とは隣で彼が食べるのを見るだけでも良かったけれど、紫原には、自らも捧げたくなる。──そうすれば、何度でもあの顔を見ることができるから。
 試合とも日常とも違う顔を見せてくれるからだろうか。
 切り詰めた試合中とも、気だるげな日常とも違う、わかりやすく嬉しそうな顔をするから。
 しかもそれが、自分が与えたものに対してときた。
 ──だから走ってまで、買ってきてしまった。この顔を見るために。
「甘いの食べたらしょっぱいの食べたくなるよね〜」
「まだ食べるのか?」
「別腹だし」
 バリ、とポテチを開ける音がして、相変わらずの姿に思わず笑いがこぼれた。
 なんで駆けてまで祝ったのか。……突き詰めれば、それは、結局本質はひとりよがりである。自分の満足いく結果で、相手に喜んでほしいなんていうのは、相手のためを思ったふうに見せた傲慢だ。
 そんなことを自覚しておきながら、氷室はやっぱり、走っていくのを止められなかった。そういう性分であった。思い立ったら動かずにはいられない。自分の欲に正直な性質であると。
 たぶん、それは、紫原も同じなのだった。
 氷室の身勝手な奔走を止めず、自分にも相手にもメリットしか残さないように動く。食べ終わってもまた次へと手が伸びていく。我慢をしない。我慢をさせない。向かい方は違っても、向かう先はきっと一緒だった。
 だから、打算があろうと身勝手だろうと、好き勝手に喜べる。喜ぶ姿を見ていられる。
 ──Happy sixteenth Birthday.……あまりにもいつもどおりに振る舞う紫原に、昨日よりもひとつ歳を取っている彼に、氷室は言う、何度でも。
 それを軽く、うん、と、ポテチを片手に紫原は好きに受け入れる、何度でも。
 だから氷室は、何の曇りもなく心から、お祝いが言えた。