しったか
2025-08-20 19:25:32
3792文字
Public
 

Bills,Bills,Bills(マムオジ)

憎しみだけで互いの性質に振り回され振り回すだけの二人

「この前罪人と話す機会があったんだがな、お前主演でポルノを撮ったらどうかって」
 気詰まりな法廷からの去り際にかけられたのは、軽薄で醜悪なキャットコール——と呼ぶべきかもわからない代物だった。
「ランチタイムだ、聞こえなかったのか?」
「まあ聞けよ色欲の王」
「色欲の王だから耳を貸したくないんだ」
 一段下の席から見上げているであろうマモンのにやけ面と、一切目を合わせないままでオジーは吐き捨てた。
 裁判長たるサタンはとっくにランチに向かい、良識ある貴族たちは大罪同士の揉め事の気配にそそくさと逃げ出している。ベルはまだ寝こけていた。レヴィがまだ隣に残っていたならば、マモンはそもそもそんな口を利かないだろう。
「あんたいい加減にしなよこのチンコ頭ッ!」
 文字通り噛みつきそうな顔をしたビーの肩を、オジーはそっと叩いて制す。顰め面で振り向いた彼女はしかしそれ以上何も言うことはなく、気遣うようにオジーの腕を軽く撫でてから姿を消した。
——まさか彼女に言ったんじゃないだろ」
「ったりまえだろ、つまらんことを聞くな」
 答えの代わりに特大の溜め息を吐く。あからさまな侮辱に呆れ果て、もはや返す言葉が見つからない。
 誤解されがちだが、性産業に従事しているサキュバスの数は実はそれほど多くない。サキュバスの仕事は人間の精気を奪うことであって、厳密に言えば性行為ではなく捕食だ。ヘルボーンの悪魔には魅了チャームだって効かないのだから、悪魔と寝ることには一般的な意味以上のものがない。ゆえにオジーの配下のほとんどはディルド工場で働いているし、ポルノスターではなくポップスターとして輝いている。
 そんなサキュバスたちを束ねる立場としても、当事者の「色欲」が伴わない行為——衝動、と呼ぶ感情の伴わないセックスを、オジーは忌避していた。 
 支配的な暴力として、命の見返りとして、金銭と引き換えにして——それを強いる者を、軽蔑してすらいた。
「話にならん」
 それだけ言い捨てて身を翻そうとした嘴の先を、ぬらりと光る緑色の蜘蛛の巣が遮る。すんでのところで触れてはいないのに、一度絡め取れば決して離そうとしないそれが全身に粘つく錯覚に怖気が走った。
 これは単なる揶揄のための〝キャットコール〟ではない。
 そのことに気づいたオジーが一瞬——ほんの一瞬、怯んでしまったのは事実だった。マモンは阿呆だが、明確な隙を見逃す男ではない。糸を伝い、嘘のように身軽にこちらへ這い上がってきた蜘蛛は、底意地の悪い笑みをオジーの眼前に突き出す。
「マジで待てって。こいつはビジネスの話、契約の話だ」
——なんだって?」
 続けられた聞き捨てならない台詞に、オジーはついに聞き返した。
 ほんの先日、先ほど裁かれたゴエティアの彼が言っていた——大罪は、契約の力に半永久的に縛られる——その警句が頭を過ぎる。
 警戒するように腕を組んだオジーに、マモンはわざとらしく肩をすくめて溜め息をついた。躊躇なく顔をしかめて舌打ちを返す。意趣返しごときにいちいち腹を立ててはきりがないとわかってはいても、この下衆を前にすると抗えない苛立ちばかりが募ってしかたがなかった。
 睨みつけるオジーの目を覗き込むようにして、マモンの顔が近づく。
 今や法廷には誰の姿もない。面倒ごとは他所でやれと怒る同僚も、キスまではいいけどファックするならトイレ行きなよと茶化してくれる同僚もいない。
 ポップコーンの油臭さとディックキャンディの乳臭さが混ざった、最悪の匂いがする息がかかる。したたるような悪意と敵意が匂う距離で、マモンは喉を鳴らすように笑った。
「なあ、あの腐れビッチ、アー、フィズは元気か?ぼちぼちくたばったかって意味だが。うちの稼ぎ頭が寿退社してずいぶん経つような経たないような気がするが、そういや雇用契約を破棄して自己都合で退職したってことを思い出したんだ。違約金が発生して当然だろ、違うか?」
「なんだ。結局金か」
「金じゃない!いや金ももらうが事業ってのは持続性がないとダメだ。お前も経営者ならわかるはずだよな」
「強請りのネタならもっとマシな——ああ、いや、その目論見は外れたんだった。悪いね」
「挑発がヘタだなオジー、もっと股間にクるような言い方ができンだろ」
「〝股間〟由来のセックスなんかしないくせに」
「なんだ、よくわかってるな」
 回りくどいな、と思った。同時に、彼の言わんとすることを理解した。
 この男は——強欲の王は、嫌がらせをするのにも、儲けにならないことには指先ひとつ動かせない。
「それで——ポルノ、か?」
 理解した途端——ある種の憐憫が——〝情動〟が、心の深淵で生まれるのをオジーは確かに感じた。
 ——わからない。お前の言うことなど、これっぽっちもわかりたくないとも。そう言って子どもの意地のように突き放した方が楽だと、わかっているのに。この不毛なやり取りを終わらせて、さっさとかわいい恋人をランチに誘うことを最優先にすべきなのに。
 ぐっと顎を引き仁王立ちしていた姿勢から、オジーは姿勢を崩した。腕は組んだまま、長い脚を交差して片足に重心を寄せ、陪審員席の上段にゆるりともたれかかる。突然態度を悪化させたオジーに、マモンは意表を突かれたように瞬きをした。
「仮に、私が出演するとして。相手役は?」
 マモンが見せた動揺はほんの一瞬だった。風向きが己に向いたと察した男がにんまりと剥き出す歯の隙間からちろちろと、緑色の炎が漏れ出している。あまりの正直ぶりに、オジーは釣られるように笑った。
「おい、それこそ俺のオフィスで話そうぜ。お前なら絶対に稼げる、そこは信用してるし当然俺たちにはプランがある、あの罪人なかなかいいセンスをしてやがるんだ!だがセルフプロデュースって響きも売り文句としては悪くない、だよな?」
 道化師らしい大げさな身振り手振りは、どうしたってオジーの目には美しいものとは映らない。自らステージに立つ者として、ヒトの欲を刺激し誘い、虜にする振舞いのひとつも満足にできない男は、いっそ哀れだった。
 他者を搾取し燃やし尽くす強欲の火は、何一つ生み出すことはない。
 ショービズの根幹たるヒトの情動はどこから訪れるのかを、見せて——魅せて、やりたかった。
 体ごと揺するようにして首を横に振り、オジーはくふくふと笑う。いっそ無邪気にも見えるそのしぐさに、マモンが酷くたじろぐのを感じながら。
「なあ、マモン。マぁム?セクシーなおなかの、かわいいまんまるおでぶちゃん」
 自身の頬に指を添え、たっぷりと、息を絡ませた猫撫で声で——たったの一度も呼んだことのない愛称を口にする。
 果たして一拍の沈黙を置いて、マモンは目を剥いて絶叫した。
——やめろ気色悪ィ!」
「私をドル箱役者にしたいんだろう。一体何を見て、そこまで信用してくれたんだい」
 囁きは挑発だが、事実でもあった。ただ豹変に驚いていただけのマモンの目が、計算を伴って苛立たしくこちらを睨む。当然だ。彼だって、オーディションもコンペティションもなしにパフォーマーを選べはしない。
 ——見下ろす。
 一歩踏み出したオジーは吐息のように笑い、ちいさな火の粉を蜘蛛の巣へ吹きつけた。悪魔アスモディアスが吐く炎は本来激しい怒りの象徴だが、それらがわざとらしいハート型をしているのも、ぷつぷつとマモンの耳元で糸を焼き切る音を立てるのも、オジーはなんだって演出できる作り出せる
 マモンの表情は変わらない。自身の編んだ糸が燃える匂いに鼻を震わせることすらなく、執念深く、らしくもなく注意深く、オジーの一挙手一投足を睨んでいた。その視線こそ焼き付くようで——焦げてしまいそうで——そんなことを考えている。
——お前は、見るべきだ」
 唾液交じりのバターとミルクの匂いはもはや甘く蕩けるようだった。嘴がかたかた鳴るような心地を味わいながら、オジーはショーの直前にするように、自身の喉にそっと指をあてがう。
「お前も、見せるべきだ」
 低く囁けば、爪の先が喉仏の上でじんと震えた。マモンが顎を引いた分に少し足りないだけ、静かに顔を寄せる。
「お前が生み出すアートに、お前自身が触れるべきだ」
 胸の羽毛をくしゃりと搔き乱し、撫でつける。ふくれた胸の下、くびれた下腹をくるりと撫でた指先は滑空する。
——〝ヤる〟べきだ。違うか?」
 がらんどうの法廷に音楽はない。
 だからオジーは踊らない。背中をしならせ腰を振り足を絡めて誘うことはない。
 ただ、からだの線を泳がせた指先があった。それがそのまま目の前の男の丸い顎を摘まんでも、彼はそれを振り払わなかった。
 マモンの眼の、牙の奥で燃える炎がぎらぎらと光っている。煮えたぎる怒りが彼の頭の回転を加速させ、ねじを緩ませるさまを、平衡感覚を失い巣から落ちる惨めな蜘蛛を、オジーは微笑みながら見つめる。
 ややあって——お前のオフィスにしろ、と歯軋りめいた唸り声が、やけに大きく響いた。
「いやだよ」
 うちには、蜘蛛アレルギーのカエルちゃんがいるから。
 たっぷりと乗せた皮肉にこめかみを引き攣らせているのを見て溜飲を下したのは——それはそれとして別腹だった。