蘇芳
2025-08-20 18:58:47
3611文字
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マリーゴールドの賛歌

軌跡の小話
創後で独占欲が高じて嫉妬深いクロウのお話でクロリンになります!

 
 タスレムで立ち上げた自由請負人の仕事も軌道に乗り、一日のルーティンも定まってきた。新しいことを自分で決め、手探り状態から始める難しさと楽しさを味わいながら日々こつこつと。道端で会えば気安い立ち話をするような顔馴染みもでき、充実した毎日をクロウは過ごしている。
 充実していることに嘘偽りはないが、ここだ、とクロウは毎回思うのだ。予定や依頼を調節してサシ飲みでもしようと、タスレムで買い求めた地酒を何本かとリィンが気に入りそうなつまみを引っ提げて来たリィンが居る空間。
 やりがいや、張りのある充実とはまた違う穏やかに満たされる感覚。ただただ、息がしやすい。それは共有できるものの多さであり、他ではちょっと見ない関係性の変化を経てなお、奇跡の重ね塗りで最期を迎えず途切れなかった縁だ。
 リィンがこれでもかと諦め悪く手を伸ばし続け、その意思の強さ、我の強さと言ったほうがいいかもしれない、に負けたクロウがリィンの手を間違いなく己の意思で取った結果。何を言われようと跳ね除けることが出来た手を選んだのがクロウだ。
 必要だ、と終わりが先延ばしになっているだけの男になんとも過分な言葉を、切実さが滲んだ必死な声音で送られたクロウは筆舌に尽くしがたい歓喜が、身の内を舐めるように駆け上がったことを覚えている。仮初めの命の、こんないい使いどころを与えられていいものか、と。憎からず思っている相手に言われたのだからなおさらに。
 ありがたいことにまた、先延ばしになって続く命の使いどころリィンは変わっていないのだけど。結局、おためごかしや建前、リィンにだって原因があるとあげつらったところで、恋に溺れた男の身勝手さの極致なのだ。
 だが、その極致に、クロウと同じ場所にリィンがおちてきたのだから二人でいられる空間が、なにより息がしやすいのは道理じゃないか。

「よお! 邪魔するぜ」
「ああ、いらっしゃい……にしてもクロウ、ノックしても返事の前に開けたら意味がないだろう」
「俺とリィンの仲じゃねぇか」
「どんな仲でも礼儀は必要だ」
「は~い、リィン教官」
「はい、は伸ばさない」
 
 クロウはリィンの部屋に素早く身を投じ、扉を閉める。気安いやりとりに二人揃って笑いを零しながらクロウは久方ぶり会うリィンに変わりがないかリィン自身と、部屋にも視線を走らせた。

「すまないんだが、急に確認しなければいけない書類ができたんだ。少し待っていてほしい」
「お~、学院ならそういうことはよくあんだろ。俺のことは気にせず教官してくれ。それを見とくからよ」
……や、やりにくくなることを言うな」
 
 くつくつ笑いながらクロウはリィンのベッドに当たり前のように腰かけた。
 側に居れば心地よく息がしやすいリィンの気配がそこかしこからする分校宿舎のリィンの部屋で、違和感のある一点が部屋に入ったクロウの目に留まった。
 肩肘を張らずに、ほっと力を抜ける、そうまるで温泉につかったような心地に、そこまで考えてクロウは苦笑した。最近では温泉好きを通り越して温泉狂なんて言われるようになったリィンだが、好きを極めていくと性質が似てくるのか、それともクロウの思考がリィンがことあるごとに温泉温泉という温泉に侵食されているのか、恐くなってきたのでクロウはそこで思考を打ち切った。
 温泉は横に置いてクロウは意味のない、リィンが気にしない程度の咳払いを小さく零して意識を切り替える。息づかいが感じられ目の内にリィンがいる空間が何よりクロウを落ち着かせ、息をしやすくさせてくれる場所、だというのに。特にリィンが作り上げている部屋は特別だ。
 あと少しだから俺を見てないで水でも飲んで待っていてくれ、と。酒を飲む前の水分補給は大事だからなと言い添えたリィンは残り枚数が少なく見える書類に目を通し始める。リィンにそう言われたのもあり、これ幸いと勝手知ったるでリィンの部屋に置かれているマグカップと水差しにクロウは近寄った。
 いつも見る無地のシンプルなマグカップに生徒が来た時に使うらしい分校の校章が描かれた物が二個。それらの横に並び、部屋に入った時からクロウの気に障った異彩を放っているポップな花が所狭しと描かれた、リィンは買わないだろうマグカップ。
 クロウは己に目を向けていないリィンに、それでも心の内を悟られないよう雑談よろしく不思議そうに尋ねる声音を意識して、以前はなかったポップな花柄のマグカップの出所を聞いてみた。すると案の定、分校で赴いた演習地の街で困っていた花屋、そこに務めていた女性に助けた礼として貰ったものだと。
 成人してそれなりの男が持つには明るくて可愛らしすぎる、って言ったら生徒たちにそんなことはないと言い返されたんだ。無地と校章の、分校の備品みたいなマグカップだけだと味気なかったですし。なかなか手厳しいことも言われたな。くすくすと笑い、捲られる紙の音にリィンの静かな過去を振り返る、本の少し間のあいた声が重なる。花屋に務めていたし、やっぱり花が好きなんだろうな──。

 バキッ

 唐突に部屋の中で響いた破壊音にリィンは身体ごとクロウに向き直り、破壊音の正確な位置、クロウの手元でどうしてそうなったのか真っ二つに割れたマグカップを左右の手それぞれに持っているのを見て慌てて立ち上がり、クロウの元に駆け寄った。

「あー、すまねぇ……割れちまった」
「そんなことより怪我はしてないか!?」
……ああ、怪我はしてねぇから平気だ」
「そうか、良かった。……それにしても何で突然、ひびが入っていたのか?……そうだ、それを包める古紙を持ってくるから念のため、そのまま持っていてくれないか?」
「りょーかい」
 
 テーブルに置いた衝撃でまた割れて砕け散られると大変だしな、と苦笑したリィンが足早に部屋を出ていくのをクロウは静かに見送った。
 そんなことより。
 真っ二つに割れたポップな花柄のマグカップを見たリィンの第一声に、クロウはうっそりと笑いそうになるのを堪えるのが大変だった。リィンの気配が完全に遠いたのを確認できた瞬間、独占欲に濡れた笑いがクロウの口の端からもれる。咄嗟に手で口を覆い隠そうとしたが両手を塞いでいるマグカップを揺らして終わり、歪で満足そうな形状を隠すに至らなかった。
 割れ物があれば、怪我の有無を確認するのは当然として、その前。気にするなとか、しょうがない、ではなくリィンの口から出た言葉がそんなこと。そんな咄嗟の言葉の違いがクロウの、どろりとした仄暗い欲を満たして喜ばせた。
 ついうっかり、と誰にだかわからない誰かに前置きして、リィンの貰い物のマグカップを力任せに割ったのは己だとクロウは自白する。
 案外容易く割れるものだなと、手に持ったままのマグカップをしげしげと眺め、もう用をなさない物で捨てる去る物を、ここにきて物には罪がなかったなすまねぇ、と。だが、駄目だな、と。
 このマグカップをリィンに渡した人物がどんな思いで渡したのか、クロウに正確なところは当然にわからないし知らないが、マグカップという物がリィンの手元にあることがいただけない。
 物を見れば渡してきた人物を思い出し、きっと忘れないだろう。先程の会話に紛れた花屋に務めて、なんて最たるものだ。そんな物がリィンの部屋に置いてあるのをクロウは許せない。
 更にいえば物も悪い。日常使いできる、気持ち悪いという謗りも甘んじて受けるが、口をつける物が余計に駄目だ。
 ほとほと己の狭量さに笑いが込み上げてきて仕方がない。ことリィンに関しては狭量も狭量のうえ、嫉妬深いこともクロウは自覚している。
 自覚しているだけマシな部類だとクロウは思っているが、その辺りの考え方は人それぞれであるからして他の意見を聞くだけは聞く。と嘯けば処置なし、と仲間内で生温い目と合わせて首を横に振られたのはクロウの記憶にも新しい。
 さて、古紙を取りに出たリィンの気配が部屋に近づいてきて、もうそろそろ到着するだろう。ぐにぐにと手にマグカップを持ったままのクロウは割れた部分に気をつけながら器用に指で頬を揉んで、ちょっと人様には見せられない表情を整える。
 誠実なリィンのことだ。改めて貰い物のマグカップが割れ、割ったのはクロウでしかも故意に、どこかでひびを入れてしまったのか、せっかくの貰い物なのに申し訳ない、などクロウにとって愉快ではないことを思っているだろうと想像に難くない。だから、クロウが次にすることは上塗りだ。

「こいつは割れちまったし、新しいやつを一緒に買いに行かねぇか? そうだな、無地じゃねぇのがいいなら……明るすぎず暗すぎねぇし派手でもねぇ、海辺の絵柄なんかおすすめだな!」
 
 これが初犯でないことは、完全な余談である。