横井
2025-08-20 07:06:13
2173文字
Public CONCLAVE
 

モブロレ(1)

「猊下は真紅がお似合いになる…」とかネッチョリ言いそうな仕立て屋がロレに頭踏んづけてもらう話

 男は仕立て屋であった。
 幼いころに奉公に出され、かれこれ三十年は服を作り続けている。男はなんでも作った。紳士用のスーツ、美しいドレス、子ども用の小さなシャツ。腕がいいと評判の男は、弟子もたくさん抱え、自身の工房も建てた。その中でも男が選んだのは、聖職服だった。ローマにいると、仕事に事欠かない。一番の客は、なんといってもバチカンにある教皇庁だ。
 教皇庁に納品する時は、決して弟子まかせにせず自身で行った。男には別の真の目的があるからだ。仕事をこなしたあと、使徒宮殿の廊下を目的地へ急ぎ足で向かう。とある執務室のドアをノックすると、眼鏡をかけたのっぽのモンシニョール――確か、オマリーとかいう名前だ――が、男を出迎える。機嫌の悪い犬みたいに鼻面に皺を作ってしかめ面をして男を睨みつけるが、どうってことはない。逆に、その嫉妬の目が男にとっては心地よかった。
 奥の部屋に通され、その人の姿を見た瞬間、男の心は乙女のように高鳴った。

「ローレンス枢機卿、今日も麗しく……
「お世辞はいい。さっさと用事を言ってくれないか。このあと聖下と面会の予定があるんだ」

 低いベルベットのような声がぴしゃりと言う。老眼鏡を外した冴えた青い瞳に真っ直ぐに射抜かれ、男は興奮で体が震えた。トマス・ローレンス枢機卿。三十年間淡々と仕事をしていた男が、この方のために服を仕立てたいと思わせた人。赤と黒のカソックも、ファシアも、ズケットも、白い滑らかな生地のロチェットも、弟子に任せず全て男が仕立てた。ローレンスは枢機卿がまとう真紅がよく似合った。いや、黒いカソックも禁欲的で彼の清楚さが引き立てられていい。ロチェットは優雅なレースのものを着てほしかったが、全て却下されて柄のないシンプルな白い生地を指定されたのだ。しかし男は諦めきれずに、ローレンスに似合うレースのパターンを今でも眺めている。

「はい。でしたら、今回もお身体を採寸させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「またか?ついこの間、やっただろう」
「猊下、人間の体というものは、常に変化しているんです。もし新しいカソックが必要になった時、すぐに対応できるよう採寸はいつもやっておかないと」
「わかった、わかった。好きにするといい」

 ローレンスが立ち上がり、カソックの三十三個あるボタンを外す。そのボタンも、男が一つ一つ縫い付けたものだ。シャツ姿――市販品だ!忌々しい!――になったローレンスが執務室の中央に立つ。
――はあ。はあ。
 荒くなる息を我慢して、ローレンスの体にメジャーを当てる。厚い胸板。広い背中。長い手足。贅肉のない引き締まった体つき。全て男の理想だった。初めて出会ってから、いくらか年月が過ぎていた。男も、ローレンスも歳を重ねてた。だが、ローレンスの体にどんなに老いが降り積もっても、男の魅了がとけることはなかった。

「終わりました。ありがとうございます、猊下」

 ローレンスのあらゆるサイズを丁寧にメモした手帳を、カバンにしまう。カバンの中に入れておいた布の包みが、手に当たる。男は、首にかけた十字架のネックレスを無意識に触りながら頭を下げた。

「今日は、猊下にお願いがあってやってまいりました」
「言ってみなさい」

 カバンから布の包みを取り出した。震える手で包みを開くと、ツヤツヤに磨いたオックスフォードシューズを両手に乗せて恭しく差し出した。艶めいたキャメル、女性の腰のような曲線、紐で綴じられた羽根はローレンスの姿のように禁欲的で威厳がある。ローレンスにきっと似合う。

「この靴を、履いていただけますか」
「やれやれ。ついに靴まで作ったのか」

 バカなことをした子どもに呆れるように、ローレンスはため息をついた。靴を持ったままにじりよる男を、ローレンスはとめなかった。椅子に座ったローレンスの足に手を伸ばす。靴を脱がせて、持ってきたものを丁寧に履かせた。
 ああ、やっぱり。男が作ったオックスフォードシューズは、ローレンスによく似合った。足元にうずくまったまま、男は頭を深々と下げる。

「閣下、どうかお願いします。わたくしめを踏んでいただけますか。どうか、どうか……

男の懇願にも、ローレンスは返事もせず、動きもしない。痺れを切らした男が、目の前の美しい足を持ち上げて、頭に靴底を押し付けた。
――はあ。はあ。
 息が乱れる。靴底は、頭に乗っているだけだ。もっと、もっと力を込めてくれないだろうか。男を踏み潰してくれないだろうか。願いが伝わったように、ローレンスの足に力がこもり徐々に頭が押し潰される。
――ああ!ああ!なんという幸福!いつか天に召されるというのなら、今がいい!
 突然、苛立たしげに扉が叩かれた。

「トマス!聖下と面会のお時間が迫っていますよ!」

 例のモンシニョールの声だ。途端に、頭からローレンスの足が退かされ、元の位置に戻る。男は憎々しげに顔を歪めた。オックスフォードシューズは足から抜き取られ、揃えて置かれる。

「さて、もう終わりだ。帰って職務に励みなさい。神はいつでも見守っておられる」

 ローレンスは慈悲深く優しく微笑む。神がいるとして、男の目の前に現れるときはきっとローレンスの姿をしている。