意識が戻った時に初めて見たのは、普段ほどんと表情を変えない男の驚いたように見開かれた蜂蜜色の瞳と。なんだかこちらまで泣けてしまうほどに、やわらかな安堵の表情だった。
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光歴4933年。天外からやってきた開拓者によって、オンパロスはその名を銀軌に刻むこととなった。
鉄墓に統合されていた自分も、どういうわけかこうしてオクヘイマの自室に存在している。相棒いわく、この星を構成していた憶質を調和の力で調整し、天才クラブがそこに手を加えたからとかなんとか。本人も今ひとつ理解していなさそうな解説をしてもらったけれど、天外のことはさっぱりだから、そういうことか、と流しておいた。きっと、知ったところでそれが何か役に立つわけでもないだろうし。
ただ、と少し眉を下げて申し訳無さそうに何かを言いかけた開拓者は、続ける言葉を持たなかったのか、視線を僅かに逸らして口を閉じる。その言葉を継ぐように丹恒がファイノンの状態を説明してくれた。
3355万回の永劫回帰を経て億を超える火種を取り込んだ自分が、最期に壊滅の使令と戦ったことまでは記憶にある。曰く、その時に傷つけられた部位は壊滅の力によって破壊されているのだとか。データを構成する因子ごと壊されてしまっている関係で、その部位の再現だけは天才の力をもってしてもできなかったらしい。
そう告げられて初めて、自身の右腕が切り落とされていることに気がついた。たしかに、二の腕から先の感覚が一切存在しない。よく見れば左腕は真っ黒に黒ずんでいて、身体には亀裂が無数に入っている。ばっくりと割れた傷痕には薄く黄金の血が透けていた。
そもそもこうやって意識を取り戻していること自体が奇跡に等しいのだ、と。いつだったか見舞いにきてくれたアナイクス先生が呆れまじりにそんなことを言っていたのを思い出す。意識が戻ってから数日は、ずっと夢と現を彷徨っていたからなおのこと。こうして話せるようになって初めて、自身の状態を見つめることができた。
相棒たちはずっと申し訳無さそうにしていたけれど、ファイノンにとってはこうしてオンパロスが続いているのであればそれで構わなくて。むしろ、平和になったこの世界をこの目で見ることができて嬉しいくらいなのに。そう伝えれば、丹恒は少しだけ困ったように眉を寄せたけど、きっと理解はしてくれたのだろう。ゆっくりをまぶたを閉じて、「そうか」とだけ頷いた。
それからの日々は目まぐるしかった。意識を取り戻したものの、まだ身体が安定していないらしく。寝台から起き上がることはおろか、意識を保ち続けることさえも随分と難しくて。
少しでも目を閉じてしまえば、自身の意識はすぐに夢の世界へと消えてしまう。何千万回と繰り返した道程を思い出す時もあれば、まだその道に足を踏み入れる前に仲間たちと語らった甘やかな日々が再生される時もあって。
どの記憶の中でも、故郷の小麦畑を彷彿とさせる鮮やかな金髪は、僕の背中を押して声をかけてくれていた。だから、あの時君が泣きそうな顔をしたのだって。現実ではなく、自分が彼に弱さを見せてほしくて描いた夢なのだとさえ思っていたんだ。
時折、目が覚めた時に近くにいるモーディスが自身の名を呼ぶのを耳にしては、それが現実なのか記憶の再生なのか曖昧な心地のまま、腕を伸ばしてみたりもした。
その度に、自分の腕がもうないことに気づいて、ずいぶんと遠い距離ができてしまったことを痛感する。そんな自身の仕草を嗜めることなく、モーディスは優しく頬に触れてくれて。
時折、鼻先やまぶたに口づけを落とすこともあった。そういうのは意識がある時にしてほしいんだけどな、とは言えないのだけど。たぶん、それを言ったらもう二度としてくれないような気もして。でも、幸福だな、とぼんやりと感じる。世界は穏やかに動いていて、もう自分たちは火を追う旅なんてしなくて良いのだから。
ちゃんと目が覚めたら、彼に感謝と愛を伝えよう。モーディスがどれほど記憶を持っていて、どこまで知っているのかは分からないけど。でも、どの輪廻の僕たちも深い絆で結ばれていたと感じているから。だから、せめて自分の想いだけは、後悔のないよう彼に伝えたかった。
地平線にうっすらと黎明が差し込んでいる。
黎明のミハニではなく、本物の暁光が差すようになったオクヘイマでは、遮光のカーテンが少し薄くなったらしい。いつだったかに聞いたそんな言葉を思い出しながら、ぼんやりとした意識の中、ファイノンは隣に立つ男を見つめた。
彼はいつも、隠匿の刻から門の刻の間にこの部屋へやってくる。ヒアンシーが巡回に来る時間になるといつの間にかいなくなっていて、一応許可は取っているみたいだけど、本当に大丈夫なんだろうかと心配になる時がある。意識が戻ってからほぼ毎日来ているような気がしているのは、そうであってほしいと思っているからかもしれない。
「……救世主」
低く、心地の良い声が鼓膜を打つ。少し掠れていて、記憶にあるよりも弱々しい響きを伴っているのがなんだか不思議だった。そういえば彼はずっと、自分のことを「救世主」と呼び続けていた。永劫回帰の次に繋げた火種は相棒であって、その名を冠するにふさわしいのは僕ではないというのに。
「僕は救世主じゃないよ」
自分でも驚くほど、感情がない声だった。長らく声帯を動かしていなかったからか、喘鳴に近い音が混ざってひどく嗄れた声になっている。返事が返ってくるとは思っていなかったのか、隣に立つ男――モーディスが身体を強張らせる気配がした。
「では、なんと呼べばいい」
「そうだな……ふつうに、名前を呼んでくれよ。僕にはちゃんと名前があるんだ。お前、とか、貴様、とかじゃなくてさ」
「……エリュシオンの、カスライナ」
「……聞いたんだ」
「ああ。あまり、呼び慣れないがな」
だが、悪い響きではない。やわらかく目元を緩めたモーディスは、そう続けながらファイノンの頬に手を添える。そのまま額を合わせて、鼻先同士を擦り合わせた。
「よく、戻った」
絞り出すような声だった。きっと、彼の中でも葛藤が大きい言葉でもあったのだということは想像に難くない。
頬に温かな熱が落ちてくる。紛争を信仰するクレムノスにおいて、戦場で死することは誉だ。それを誰よりも理解しているのは、モーディスだというのに。あまりにも情感の込められた言葉に、僅かに目を見開いた。
「君たちにとっては、名誉ある帰還とはいえないんじゃないか?」
「憎まれ口を叩く程度の元気はあるようだな……紛争を続ける理由はもうない」
「そうだね……馬鹿なことを言った。すまない、メデイモス。愛しているよ、心から」
そっと左腕を回して、彼の頭を抱える。びく、と肩が一瞬震えたけれど、何も言わずにされるがままでいてくれた。そっとあやすように髪を撫でれば、モーディスの腕が自身の背に回って痛いくらいに抱きしめられる。
俺達がこうして生きているというのに、お前が欠けることは許さん、と。素直なのかそうじゃないのか分からない言葉が落ちてきて、思わず笑ってしまう。君、そんなに僕のこと好きだったんだ、とからかってしまいたくなるほどに。でも本当に、自分は愛されているのだろう。眼の前にいる彼は、どれほどの記憶を持っているのかはわからないけれど。
髪を撫でる手をそのままそっと下ろしていって、何千万回と貫いた彼の背中に触れる。鍛え上げられたそこに、今は傷一つないことを認めてまぶたを緩めれば、モーディスはやや不機嫌そうに眉を顰めて、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
そうしてまた意識が緩やかに落ちていく寸前、唇に落ちてきたやわらかな感触と共に。
たぶんあれは、古代クレムノス語だと思うんだけど。最上級の愛を囁く言葉を彼がこぼしたのを、ファイノンは聞き逃すことはなかった。
たとえその盾が朽ちようとも――我が腕は汝のために在り続けよう。
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