ミサキの森から飛行船に戻る途中、少ない街灯の明かりの下でリコはロイの手を握った。足を止め、振り向いたロイは彼女の少し不安げな瞳を見た。
「ロイ…その、またお願いがあるの」
そう言ったリコは真っ直ぐにロイの目を捉えた。きっと大事なお願い事だと、ロイもすぐに分かった。彼は優しく微笑んで聞いた。
「なに?」
「一日彼氏の約束…もう一日…延長してもいい?」
そして、翌日の夕方。ミサキタウンには続々と人が集まってきていた。提灯やポケモンの風船が町を飾り彩る。ミサキ霊神祭。町に祀られる霊神への祈りを捧げる祭りだ。北西にある神社に向かって、町の西側に屋台が並ぶ。中心にある広場のベンチに腰かけたロイの前を浴衣姿の小さな子どもが、両親と手を繋いで通った。待ち合わせの時間まであと五分。リコも浴衣…着てくるのかなとロイは少し想像してみた。
「ロイ、お待たせ」
声を聞いて左を向いたロイは思わず固まった。若竹色を基調とした布地にナデシコの花の紋様が特徴的な浴衣。桃色の髪留めでまとめられた彼女の長い髪はなんだかいつもよりふわふわしている。唇も少し紅く、頬もいつも以上に白く綺麗だ。心臓が町の賑わい以上に騒ぎ立てている。
「準備に時間かかっちゃって…」
「大丈夫…まだ時間じゃなかったし……」
立ち上がったロイはリコの元に早足で近寄った。ぶつかりそうな勢いに、リコの足は一歩後ろに下がった。
「ロイ…?」
「リコ、綺麗だ…それに…かわいい…」
「…!あ、ありがとう…!」
「ごめん…なんかもっと色々言いたいんだけど…ちゃんとした言葉が出てこなくて…」
「ううん…!私、すっごく嬉しいよ…!頑張ってよかった…」
真っ白な頬を赤く染めてリコは笑った。かわいい。その言葉がもう一度出そうになって、ロイは口を手で塞いだ。これ以上言うと、気持ちの抑えが効かなくなりそうだったから。止めた言葉の代わりに、ロイはリコに手を出した。
「じゃあリコ、行こう。手、はぐれないようつないでさ」
「うん」
リコはロイの手をしっかり握った。一日ぶりの彼のあたたかい手。なんだか、昨日よりもあたたかい。
リコの手を握ったロイは周りを見ながらリコに視線を送って歩く。昨夜リコとした約束、一日彼氏を延長して、二人でお祭りに行く。リコが震えながら言ったその願いを、ロイはすぐに承諾した。ポケモンたちはみんな首を振ったので、完全に二人きりだ。
「まずはどこ行こっか?」
「わたあめ!ぐるみんコラボの屋台があるの!!」
「オッケー」
二人は早速その屋台に向かった。水色の屋根に大きくぐるみんの絵が印刷されていて、既にリコは大興奮していた。昨晩の肝試しから続けてこのお祭りに参加している人も多く、屋台の前にはすっかり列ができている。リコとロイも最後尾に並んだ。前に進む度、ぐるみんの形をしたわたあめを持ってその場を後にする人が見える。その度にリコの目がキラキラと輝いていた。
「わ〜…!!」
「ほんとにぐるみんそっくりだね!」
「うん!!早く買いたいな〜!」
顔の周りに花と音符が浮かんでる。リコのこういう笑顔、もっと見たい。ロイは彼女の顔をじっと見つめてほくそ笑んでいた。列は意外にもさくさく進む。あっという間に順番がきた。
「はい、ぐるみんわたあめ二つよ」
「ありがとうございます!」
リコとロイはお礼を言ってわたあめを受け取った。ぐるみんのキュートさがばっちり表現されたそれを手にとって、リコの目は光に満ち溢れている。屋台から少し歩いたところで、リコはロイの方を向いた。
「ロイ!写真撮りたい!」
「いいよ。撮ってあげる」
そう言うとロイは自分の手にあったわたあめをリコに渡してスマホロトムを構えた。両手に花ならぬ両手にぐるみんとなり、リコは満面の笑みをカメラに向けた。とてもかわいいリコをスマホに残せてロイも満足げだ。
「撮れたよ。後で送るね」
「ありがとう。じゃあロイ、今度は一緒に撮ろう!」
「僕も?」
「うん。ロイと撮りたい」
リコはロイにわたあめを差し出した。頷いて受け取ったロイはリコの隣に来て、スマホロトムをインカメにして掲げた。画面越しに見えるリコの顔を見て、ロイは少し驚いた。さっき以上に、かわいい笑顔だった。
食べるのがもったいないと、中々口をつけられないリコがやっと食べ始めたのを見て、ロイもわたあめを食べ始めた。甘いわたをかじりながら歩いていると、ロイはある屋台に目をつけて足を止めた。空いている手でリコの肩をちょんちょんとつついた。
「リコ、あれ行かない?」
「串焼きくじ?」
「一等出たら十本だって!」
「いいね。じゃあこれ食べ終わったら行こう」
しばらくして食べ終えた二人は棒を近場のゴミ箱に入れて串焼きくじの屋台に向かった。くじは一等から四等。一等は十本、二等は七本、三等は三本、四等は一本串焼きがもらえる。
「一回ずつやってみよっか」
「うん。せっかくだしいっぱい食べたいね」
屋台のおじさんにお代を払ってまずはロイが挑戦だ。くじは数字が割り振られたルーレットを回してボールを落とすタイプだ。一等が割り当てられた部分は少なく、三等が一番当たりやすいようだ。ロイは中心のハンドルを掴んで勢いよく回した。ルーレットに沿ってボールはぐるぐると動き、徐々にスピードが落ちていく。どこに落ちるか、わずかな緊張を生む。そしてついにボールは数字の元に落ちた。
「二等!七本ね!」
「やったー!」
「やったねロイ。じゃあ私も…」
リコは隣のルーレットを回した。ロイほどではないが勢いよく回り、ゆっくりとボールが落ちた。すると、「あ」と声が漏れると共にリコとロイの表情は固まった。
「あ〜四等。一本ね」
おじさんは紙コップに串焼きを入れて二人に渡した。七本たっぷり詰まったロイのコップと一本だけの寂しいリコのコップ。二人は屋台から少し離れたところにあるベンチに並んで座った。
「リコ、合わせて八本あるから四本ずつ食べよ」
「いいの?ありがとう、ロイ」
「はい。あーん」
ロイは串焼きを一本取り出してリコの顔に向けた。突然のことにリコは体を後ろに引いて、間抜けな声が出てしまった。あーん…あーん…考えてると段々と頭がくらくらしてきた。顔が熱いままリコは手のひらを前に突き出して、どうにか言葉を絞り出した。
「ロ、ロイ!なな、なんであーん…なの…!?」
「うーん…なんとなくしてみたくなったんだ!ダメ?」
「ダメ…じゃ…ないです」
「じゃあもう一回。あーん」
差し出された串焼きをリコはぱくっと咥えた。タレがしっかり効いた肉は一口で口全体に旨みが広がる。しかし、味よりもロイにあーんしてもらったという事実がリコの脳内をめぐる。口の中見られたかな汚いとか思われてないかなそもそもなんとなくってなに!?と、忙しない。まだ串に残っている肉も食べるよう促され、言われるがままリコは串の横から口に取り込んだ。その動きにロイはなにかドキッとした。
「お、おいしいね…ロイ…」
「ああ…」
「ゴミ、こっちのコップに入れて。あと…あーんはやっぱり恥ずかしいからもうしない…」
「そっか…ごめんね、無理させて」
「ううん…嫌だったわけじゃないから…ほんとに…恥ずかしいだけ」
口元を押さえるリコの左手から漏れた赤い頬と、赤い耳がロイの目に焼きついた。
次に二人が向かったのは射的場だ。棚にはいくつも景品が並んでいる。
「リコ、なにか欲しいのある?」
「うーん…あ!あのニャオハのぬいぐるみかわいい…」
「よし、任せて。絶対取るよ」
お金を払ったロイはコルクを押し込んで銃を構える。一番高い列の右端から二番目に置かれた手のひらに乗るくらいのニャオハのぬいぐるみに銃口を向け、角度を調整する。真剣な表情でぬいぐるみを狙うロイ。それを見たリコは胸を熱くしていた。カッコいい…リコは両手を握りしめて応援した。一発目。打ち出されたコルクは真っ直ぐにぬいぐるみに飛んでいく。コルクはぬいぐるみのおでこに弾かれて下に落ちた。
「うーん…動かないね」
「下からおでこじゃダメだね。次は体に当ててみよう」
「ロイ、がんばって」
残る弾は四発。再び構えたロイは角度をさっきよりやや左下に向けた。ニャオハぬいぐるみの身体を捉えた。引き金を引き、コルクはぬいぐるみの身体を少し押した。手応えあり。ロイは振り向いてリコと笑顔で頷き合う。もう一発。ロイはすぐに弾を込めて打った。これまた少しぬいぐるみを後ろに押した。残り二発。今度は少し角度を変えて、足の付け根を打った。ぬいぐるみはもう後少しで落ちる感じだ。
「ロイ…!」
「任せて…!」
最後の一発。ぬいぐるみの後ろ足は既に棚からわずかにはみ出ている。ロイは銃口をぬいぐるみの頭に向けた。そして、腰を低くして下からぬいぐるみを狙う。
「…ここだ!」
ロイがそう言って放った弾はぬいぐるみの頭を下から打ち上げた。するとその勢いに押されたぬいぐるみはひっくり返って棚の後ろに落下した。
「よし!!」
「おめでとさん。はいこれ」
「ありがとうございます。リコ、どうぞ」
「わあ…!ほんとにありがとう、ロイ」
リコはぬいぐるみを大事に持って明るく笑った。こんな素敵な笑顔が見られるなら、何個だって取ってあげたいと、ロイは思った。二人が笑い合っていると、射的屋のおじさんが小さな紙袋をくれた。お礼を言ってニャオハのぬいぐるみを入れ、リコとロイはその場を後にした。
二人はその後もお祭りを回る。飲み物の屋台に来て、リコがラムネを二つ買った。冷たいはずなのに、二人で飲むと体があたたまるような感じもした。歩き出した二人はまた手を繋いだ。どの屋台に入るでもなく、ただゆっくり歩いて互いの顔を見ながら、二人の時間を過ごすだけ。密集した人々の熱気、夏の日差しが地面に残した温度、屋台から噴き出る煙に湯気、お祭り会場はとても暑い。しかしそのどれよりも、リコとロイが手を通して受け取り合う体温と、そしてまた別の温度が、一番熱く、今の二人にとって心地よいものだった。いつの間にか空の色は真っ黒で、小さな星がいくつか浮かんでいる。すると、お祭り会場全体にアナウンスが響いた。
『これより、花火の打ち上げを開始します』
「ロイ、行こう」
「うん…浜辺だよね」
「あ、待って。いいところがあるらしいの」
同じように花火を観るため歩く人々の流れに逆らって、リコは海から離れた神社側にロイを引っ張っていく。前から来る人やポケモンをかわしかわし、途中で脇道に逸れて坂道を進む。コンクリートではなく石がでこぼことした道は少し歩きづらい。それでもリコは笑顔でロイの手を引く。進んでいくと、今度は緩やかな坂が弧を描いている。その道を歩いていくと、海が見渡せる小さなスペースに出た。海側には腕を置けるくらいの高さの柵が置かれている。
「おー…!ここならばっちり見れそうだね!」
「昨日ドットが教えてくれたんだ。町の公民館の人から聞いたんだって」
「じゃあ後でお礼言わないとだね」
潮風に髪を吹かれたロイの落ち着いた笑顔に、リコはポッと頬を赤くした。すると、
ひゅううぅぅ…ドーン!
夜空に鮮やかで真っ赤な花が咲いた。さらに青い花、緑の花、黄の花、次々と色とりどりの花が咲いて真っ暗闇を明るく照らす。
「リコ、あそこ座って観よ」
「うん」
一つだけ置かれていたベンチは、二人で座るとあまり隙間がない。背もたれが内側に向かって丸みを帯び、シンメトリー構造になるように中心でさらに上にカーブしている。リコとロイは繋いでいた手を離して、代わりにベンチの上で重ねた。花火の心臓の音を隠すくらい大きい音が、今の二人にはちょうどよかった。花火はどんどん打ち上げられて、空を華やかに染める。
「きれいだね」
「ほんと…すぐ消えちゃうのがもったいないくらい」
空の花は火の粉となって散り、次の花が咲く。ロイはふとリコの顔を見た。儚げな、美しい横顔。自然と惹きつけられて、目が離せなくなりそうで、でもそのままにはしたくなくてロイは顔をまた空に向けて言った。
「でも、すぐに次のが打ち上がるよ」
「そうだけど…いつかは終わっちゃう」
リコの言葉と共に、大きな花火が空に広がった。追うように小さな花火が連続して空を照らした。どれもこれも、また消えていく。二人の会話も一度終わって、次に打ち上げられたポケモンの花火にリコは大きく反応した。さっきの儚い横顔が嘘のように、リコの笑顔は花火のように煌めいていた。その後も、花火を見ながら色々話した。あっという間に、花火は終わった。火の粉も見えなくなった夜空の下で、まだ、リコの手はロイの手に重なっていた。ロイは手を裏返してリコの手を握り、そして立ち上がった。
「リコ、帰ろっか」
「…」
「リコ?」
「待って…もう少し…ここにいたい。隣に…座ってて」
ロイは言われた通り、元の場所に座った。さっきまで座っていたベンチは生暖かい。すると、リコはロイの手を強く握って、ロイの肩に頭を乗せた。
「ロイ…」
「…どうしたの?」
「一日彼氏…また…延長していいかな」
「いいよ。明日まで?」
「…それじゃ…やだ」
明日までじゃ、結局終わってしまう。次の日、その次の日と伸ばしても、いつかは。だから、終わらないようにしたい。たとえ醜くてずるい願いだと分かっていても。リコはそれを口にした。
「ずっと…ずっとロイに…彼氏でいてほしい…!」
そう言ったリコの身は少し震えた。自分勝手で、最低な願い事だ。嫌われるかもしれない。でもそう思っても、手を放せない。放したくない。リコは理性と想いの間で揺らぎ、震えていたのだ。しばらくして、ロイが返事をした。
「リコ…それはできないよ」
「…そう…だよね…ごめんなさい」
当たり前だ。こんな我儘、いくらロイでも許してくれない。分かっていたのに、頬に雫が伝った。ダメなのに。ロイに泣くとこ見せるなんて…絶対に…。この手も、放さないと。
リコが手を緩めると、ロイはその手をさっきまでのリコ以上に強く握った。
「だって…いつかは結婚して、彼氏じゃなくて夫にならないと…でしょ?」
「え…?」
リコは顔を上げた。ロイは穏やかに微笑んでいる。暗くてはっきりとは見えないけど、頬が赤くなっているような。それはリコも同じだ。『いつかは結婚』というロイの言葉を受けて、ちゃんと分かりきらないまま全身が熱い。何も言えず固まっていると、まぶたに浮かんだ雫をロイはそっと指で取って話を続けた。
「リコ、好きだよ。ごめんね、リコの気持ちだって…なんとなく分かってた。…なのに、リコのお願いに甘えてた…でも、もうやめる。これ以上リコに辛い思いさせたくない。ちゃんとリコの恋人になって、いつか結婚して、リコのことを幸せにしたいんだ。だからリコ…いい?」
首を傾げて優しい表情で、ロイはリコの手を上に向けて握った。自分からして言っておきながら、心臓が鳴り止まない。音をかき消してくれる花火はもう無くて、二人きりだから他の人の声もしない。だからこそ、リコの目をちゃんと見て言った。
一分くらいして、リコはもう片方の手を左手を握るロイの右手に重ねて口を開いた。
「ロイ…ありがとう。私、ロイに一日彼氏になってもらって、二人で過ごす時間が楽しかった…でも、不安もあって…自分のこともちょっと嫌になってた。でも、ロイが今、私に好きって言ってくれて…私が本当に言いたかったこと…全部言ってくれて…すごく…すごく幸せだよ。ロイ…大好き」
リコは涙をまぶたいっぱいに溜めながら笑った。ロイはそんな彼女をそっと抱き寄せた。
「リコ、ずっといっしょだよ。すぐに消えたり、終わったりしない。僕たちは」
「…!うん…いつまでも、幸せに過ごそう、ロイ」
花火の後の煙も風に流れて、夜空にはいくつかの星が光っていた。長く途切れず輝く星は、リコとロイの想いのごとき存在だ。しばし抱き合った二人は、もう一度気持ちを口にした。確かめ合った二人は幸せいっぱいに笑った。帰路に人はほとんどいない。屋台も片付けが進んでいる。そんな祭りの終わりを、二人は手を繋ぎ、お互いを想う途切れることのない愛を交わして通り過ぎた。
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