2025-08-18 03:19:03
2628文字
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X i7プラス観覧車夢企画

万理さんゆめ

 観覧車なんて乗ったのはいつぶりだろう。
 小さいと思っていたゴンドラのなかは好きな人を前にしてみると思ったより広くて、座って早々に後悔していた。これなら確実に隣に座れるジェットコースターや手を繋いでいられるお化け屋敷のほうがよほど距離が近い。
 なにも考えることなく対面に腰掛けた数分前の自分を呪うことしかできないまま、馬鹿みたいに煌びやかな遊園地を一望する。
 高い位置へと上がっていくにつれてその光が遠くなり、電飾のひとつひとつがなんの乗り物のものなのか詳細がわからなくなっていく。非現実的な眩さはついさっきまで指を絡ませていた現実すらも幻だったかのように、緩やかにわたしの意識をかき混ぜた。
「やっぱり最後にして正解だったね、すごい夜景」
 空中にぽっかりと作られた場所で、彼の声だけがやたらと楽しげに響く。それに曖昧に頷いたわたしのちょっとした息遣いや震えさえ、ここでは大袈裟に輪郭を持ってしまうのが厄介だった。
……大丈夫? 疲れちゃった?」
「あ、や、大丈夫です。ほんとに……足はくたくたなんですけど、たのしかったなーって」
「そうだね。俺もこんなに一日遊んだの久しぶりだったなぁ」
 万理さんが眉を下げて柔らかく笑う。
 それが、こちらを安心させるための微笑みだとわかってしまった。そういうところが好きだ、という衝動的で無条件な喜びと、最後の最後に気を遣わせてしまった自分自身の愚かしさからくる罪悪感が両立して体内をかけ巡る。その不快で仕方ない感覚も地上の光たちがまとめて呑み込んでくれればいいのにと、目を背けるようにして願う。
 今からでも隣に座ってしまおうか。そう考えるだけで身動ぎのひとつさえ躊躇われるのは、重力をかけることでこの均衡を崩したくないからだ。
「でも万理さん、昨日も帰るの遅かったんですよね。朝から来るのは大変だったかもって、なんか、申し訳なかったなって」
「なんだ、そんなこと気にしてたの?」
 万理さんがちょっとだけ首を傾げる。こちらを伺うような仕草に、長く伸ばされた前髪が甘く垂れた目元で揺れる。
 頷くと、万理さんが外の景色に目を向けながら口を開いた。
「遊園地って、撮影とかで付き添うことが多いんだけど」
「たしかに、番組とかでよく見る気がします」
「結構定番だよね。MVでも使ってたりするし」
 じゃあ、慣れてて、退屈だったんじゃないですか。まだ言葉にしていない私のそんな考えを否定するみたいに、言葉が続く。
「でも、俺たちはあくまで仕事中だからね。いつも見てるだけのものだから、今日は色々乗れて楽しかったよ。だから嬉しかった……じゃ、満足しない?」
「そう……、そっか。ならよかった、のかな?」
「うん。誘ってくれてありがとう」
 ここでこちらこそと感謝を返せば、円満に一日が終わる。それがわかっているのにできなかった。
 だって、なんだか全てが表面的だ。涙の溢れる嫌な熱が目元に集まり、視界が歪む。開きかけた唇を強く噛んで万理さんと同じように外を見ると、わたしたちの乗るゴンドラはちょうど頂上を過ぎていた。あとはゆっくりと、それでいて確実に、地上に向かっていくだけだ。
 ちゃんと楽しかったのに、と思う。
 なんとなく良い感じのデートをして、なんとなく手を握って、なんとなく充実していた。どうしてその延長でなんとなく良い雰囲気のまま終われないのだろうかと、自分で自分に疑問を抱く。
 わたしは別にそれだけで良かった。そのはずだ。この人がわたしのことをどう思っていようがどうだってよかった。そう言い切れるはずだった。
 わたしが泣きそうになっているどころかほとんどもう泣いていることを聡い万理さんが気付いていないわけがない。その上で、どうしようかな、という持て余し気味の感触がわたしにまで伝わってくるのが悔しかった。
 ――ああ、もう、全部ぶち壊してやりたいな。 
「っ、と」
 乱暴に立ち上がる。その拍子にゴンドラが大きく揺れるのも、万理さんが驚いたような声を出したのも構わずに隣に座って、その腕にしがみつく。
 汗ばんだ肌の感触も、肩や背中についた筋肉の硬さも、わたしが求めてやまないものだ。ようやく欲しいものを掴めた気がして、わたしは星が瞬き始めた夜空にもぴかぴか輝く地上にも目を向けることなく、少し汚れた床を見つめながら万理さんの存在を全身で味わった。
 この観覧車が一周するのにかかる時間は大体十五分程度だろうか。その半分がもう無意味に過ぎ去っていると考えると、わたしにはもう、うじうじと悩んで迷う暇すらない。
……せっかく綺麗な景色なのに、見なくていいの?」
「いいです。何度も乗れるなら一回くらい見てもいいけど、もうこれ降りたら閉園しちゃう」
「うん。だから」
「だから景色なんて見なくていいんです」
 やんわりとたしなめるような響きを、もしくはどこか試すような色を持っていた万理さんの言葉を遮って、勝手に続けた。
「観覧車なんて、好きな人とようやく二人っきりになれて人目を憚らずにくっついてキスばっかりして、ねえぜんぜん景色見てないね、なんて頭の悪い話をしながら降りる場所でしょう? だから、これが正しい乗り方なんですよ。万理さんだって、それくらい、ほんとは知ってるくせに」
 本当に、最初からバランスなんて気にせずに隣に座ってしまえばよかった。そうしたら倍の時間こうしていられたのに、と皺ひとつなかったシャツをぐしゃぐしゃに掴みながら思う。
「その言い方は、ちょっと、ムードも何もなさすぎると思うけど……
「それは、はい……
……でも、うん。そういうものかも」
 そうでしょう、と返事をする前にしっかりと腰が抱かれて、顔が近付く。
 万理さんの顔にはもう、誰にでも向けている人当たりの良い穏やかな笑みはない。浮かんでいるのは子供の駄々に音をあげて降参するみたいな、少しだけ面倒そうな苦い笑いだ。初めて見るその生身の表情にわたしは満足し、どうしてか安心までして、身体からは自然と力が抜けていた。
 今ならきっと、万理さんと同じ笑顔で夜景を満喫できるだろう。けれど、それは今日じゃなくていい。
 前髪が顔にかかるこそばゆさや、背中に回された手の熱だけが瞼の裏で瞬いていた。ゴンドラが下降しきるまでのあいだ、わたしはそのまま暗闇のなかにある最も美しい景色だけを眺め続ける。