Unシル
2025-08-18 00:29:37
8336文字
Public
 

恋雪の話

鬼滅の刃/狛恋/原作154話〜及び劇場版鬼滅の刃無限城編第1章猗窩座再来/花火を見た夜の後のお話がメインで私解釈の恋雪と狛治がしゃべります。
縦書推奨

 恋雪は愛を知っている。
 父の慶蔵、亡き母からあたりまえに注がれた、献身的な〝愛〟を。それは一生涯、恋雪の耳元でささやき、あたためてくれる大切なものだ。
 だのに。
 〝愛〟から、逃げ出したくなったときがある。
(また、だ)
 恋雪は半ば諦めていた。
 病が一向に良くならないのだ。ひどい時は咳が止まらず、熱も下がらない。こうなってしまうと、ひとりでやれることが何一つなく、暫く床に臥せったまま。
(私は、生きててなにができるのかな)
 ――時折。
 冷たい声が布団の中で眠る恋雪のもとまで這い寄る。
――死ねば』
 自らの死を考えて、身が震えた。
(そう、死ねば……
 これ以上、父に迷惑をかけずに済む。母も……冷たい川へ沈まずに済んだかもしれない。父や母に代わって、つきっきりで看病してくれる、歳の近い〝彼〟も。外へ遊びに行ったり、父ともっと稽古ができる。
 恋雪はいつも、恋雪自身にがっかりしていた。
「いつもごめんね。私のせいで鍛錬もできないし遊びにも行けない
 恋雪は、〝彼〟に謝ることしかできない。
「遊びたいとは思わない昔から。空いた時間にそこらで鍛錬してるので気になさらず」
 なるほど。……優しくて、頑な、だ。仏頂面の〝彼〟はいつでもそう在った。強がりには聞こえない、迷いのない言葉に、〝彼〟を理解したい恋雪は戸惑った。
(なにか、ないかな。ないのかな)
 〝彼〟には、がっかりされたくない。だって、恋雪の母は恋雪にがっかりして、――突然、永遠に、居なくなってしまった。
……花火、上がるんだった、今夜)
 これだ、と、恋雪は直感する。
(今年も……きれいだろうなあ)
 幼いときに見たきりの、おぼろげな記憶しかないけれど。とってもきれいな花火だったはず。恋雪は彼に、花火を見てほしかった。
「でも偶には気分転換に今夜は花火も上がるそうだから行ってきて……
 彼に、お願いすれば。
「そうですね。眩暈がおさまっていたら、背負って橋の手前まで行きましょうか」
 恋雪が花火を見たいとは、一言も話していない、のに。
「えっ」
 だから、びっくりする。
 熱で頭がぼうっとしていたから、恋雪は聞き間違いかと思った。確かめたくて、浮腫んで腫れぼったくなった瞼をなんとか持ち上げる。歪む視界の中、藍色――彼のトンボ玉のような目を捉えた。
「今日行けなくても、花火は来年も再来年も上がりますから。その時行けば良いですよ」
 ――久しく耳にしない、未来の物語に。
……私、と?)
 〝彼〟の中に、生きた恋雪がいる――と、知って。
 一瞬。
 ぶわりと、知らない熱が身体中を駆け巡る。
……ん?)
 恋雪は愛を知っている。
 家族が与える、あたたかな愛を。
 ――でも、これは?
 考える暇は与えられ無い。恋雪はうれしかった――涙が、止まらないくらい。
 〝彼〟は泣き出した恋雪にギョッとしたが、恋雪は安堵する。
(生きたいって、私……思っていいんだ)
 彼との他愛ない会話は冷たい声を遠ざけ、幾度となく恋雪を守る。そうした素敵なお話たちは、連歌のように、恋雪の小さな体の中に一枚一枚大切にしまわれて――

 季節が三度、生まれ変わった。

 恋雪は。
 病で臥せることはめっきりなくなり、体も丈夫になって齢十六を迎える。
  ――とっくの昔から。
 とうとう忘れなかった大切なものを、分け与えたいと思える人がいたので、ひっそりと慶蔵に打ち開けた。
「狛治さんと、一緒になりたいの」
 狛犬の狛に治めると書いて狛治。
 〝彼〟は、江戸生まれの――罪人だった。所払いの刑を受け流れ着いたこの町で、大人を素手で殴り倒したところを慶蔵が拾い、慶蔵の教える武術、『素流』のたった一人の門下生になる。
 愛娘が好いた男を、慶蔵は本当の息子のように可愛がっていた。
 それは、罪人であっても変わらない。
 少しの間の後。
――いいんじゃあないか?アイツも、今年で十八になる」
 慶蔵は、顎をかきながら了承した。――満足の仕草だ。
「今の恋雪なら、狛治を支えてやれるだろう」
 恋雪は強く頷く。
「ありがとう、ございます。お父さん……っ」
 嬉しくて泣き出した恋雪の背を慶蔵はさする。……何か動いていないと、つられて泣きそうになるからだ。
「うし、……落ち着いたら、狛治を呼んで話そう」
 夫婦になりたいと。
 聞いた狛治は、どんな顔をするのだろう。
(わからない、でも)
 やさいしいひとの、あたりまえの幸せを、一番近くで願えるならば――
(私は、幸せ)

 恋雪は狛治を愛している。
(教えてくれたのは、あなた)
 
 ――熱は、かけがえのない贈り物だった。








 素流道場屋敷内
 土間――
   
 
「あっ」
 ――懐かしいものが。転がった、音がした。
 慌てて追いかける。しゃがみ、柱にぶつかったソレの土埃を払って。
 恋雪は胸を撫で下ろした。
……ここにあったのね)
 お目当てのソレとは使い古された水桶。
 熱病で床に臥せることがなくり、お役御免となったもの。
 見つかればやることがいっぱいある。そしてそれは、こっそりなさねばならない。
(洗って、天日干しにして、それから……) 
 ――恋雪は、ささやかなたくらみごとを内に秘めていた。
 さっそく。
 立ち上がって、水瓶へ向かおうとしたとき……
「恋雪さん、どうかしましたか」
 たくらみごとを明かしたくなってしまうような、愛おしい声が後方から聞こえて。
「ひゃい!」
 びっくり、する。
 驚いた拍子に、手元の桶は頭上を通り越した。
「恋雪さん!?」
(落ちちゃう!)
 間に合わない。
 ぎゅっと目を瞑って、痛みを覚悟する……間もなく。目にも留まらぬ身のこなしで駆けつけた狛治が、水桶を空中で受け止めてみせた。
「大丈夫ですか?」
……助かり、ました……ありがとう、狛治さん」
「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが」
 尻餅をついた恋雪を狛治は迷いなく抱き起こし、顔を覗き込む。
(ちかい!)
 長いまつ毛が恋雪の頬をかすめそうなくらい。
 立ち眩みの類と思われたのか、恋雪を心配した表情を浮かべている、のに。
……あつい)
 十八歳。桑の実色の短髪は無造作に切られている。藍に染まったような大きな目と淡い桃色の長いまつ毛が、端正な顔立ちを一層際立たせる。よく食べよく動くので、背格好もがっしりしており、……町へ出歩けば、すれ違いざま、年頃の町娘たちが思わずうっとり見惚れてしまうのだ、狛治は。
(いつも素敵)
 恋雪も町娘と同じく思う。
 ――見た目以上に。
 狛治が特別だということは、恋雪だけが知っている。
……好きの気持ち今はおさまって)
 首から迫り上がってくる熱は、――恋雪を掻き乱すようなものと、痴態を晒した羞恥心をあおるもの。二人のどちらかが、たんこぶをこさえたかもしれない失態……に、がっかりする暇はない。
 混ざった熱を振り払うように、恋雪は狛治へ謝った。
「ごめんなさい、狛治さんこそ!お怪我はないですか?」
 そう、振る舞うのはいつものことで。
 だから狛治も、普段通りに恋雪を案じる。
「はい。……まあ、俺は、こいつが頭に落っこちてもへっちゃらですから」
 それより、と。
「土間の片付け、手伝います」
……あ)
 恋雪は……こっそり成し遂げねばならないことがある、ので、このまま土間の整理をして、水桶のことを曖昧にしてもいいかもしれないとひらめくが。
(呆れられてしまう、かも)
 それは、そう。
 力仕事が伴う用事は恋雪を心配した父と狛治どちらかが伴って行う決まりだった。毎朝、朝餉を片す前に各々の用事などを話す習慣がある。今朝、恋雪は土間の整理の話をしていない。
(きちんと話さなくちゃ)
 恋雪は観念した。
「いえ、いいんです。……そ、それを探していたの」
 狛治の優しさを、蔑ろにしないために。
……水桶を?」
 恋雪が指差す、手に収まった水桶に何用かと狛治は眉をひそめる。
「はい。……狛治さんを、驚かせたくって」
 つい、先ほどまでは。
「十分驚きましたが」
「もう!そうじゃなくて……近所の大工さんが、〝婿入り道具〟をこさえてくれると話が」
「は?」
 素っ頓狂な声が土間に響く。狛治はすかさず咳払いをした。
――俺の、ですか」
 恋雪はうなずく。
「古い水桶は、ばらして表面を削れば、裁縫箱に仕立てられると教えられたんです」
 狛治は目を丸くする。
「これが裁縫箱に……でも、なぜ裁縫箱なんです?」
 大工に、二人で使えるものなら何が良いかと問われたとき。
 恋雪は真っ先に裁縫箱だと答えた。
「私も狛治さんも、よく縫い物をするでしょう」
 狛治が道場へ来てまもない頃。
 恋雪の看病の合間、手持ち無沙汰になると縁側と恋雪の部屋の境目で、狛治は障子に寄りかかりお手玉をしていた。
 はじめのうちは、一つだけ。
 今は三つ、またはそれ以上を器用に回す。
……頼られたことが、嬉しかったなあ)
 増えたきっかけは。
 鍛錬のため、利き手の逆を鍛えるために手持ちのお手玉を増やしたい、お手玉を作りたいと遠慮気味に相談されて、恋雪は調子が良いときに、お手玉の作り方を教えたこと。
 それからは今でも、恋雪と狛治で黙々と縫い物をするときがある。
――狛治さんと一緒に、私も使えるようなものだとお裁縫箱がいいかなあって……だ、だめだったでしょうか」
 狛治は首を振る。
「ありがとうございます。俺は、果報者だ……
 狛治の口元はふにゃりと波打って、笑みが綻んだ。
 つられて、恋雪もとろけるような気持ちになる。
「喜んでくれて、よかった」
 恋雪はほっとして、狛治から水桶を受け取る。
「楽しみにしていてくださいね」
 狛治はうなずいた。
「ええ。――とびきりのものを、あつらえてもらいましょうよ。恋雪さん」
 ……そうだ。
(狛犬と、雪の結晶)
 名の一部を、裁縫箱に彫ってもらおうと思いついた。
 それは恋雪の内に秘めて、――想像する。
 きっと狛治(あなた)は、笑ってくれる。




 その夜。
 夕餉を終えた狛治と恋雪は庭を散歩していた。
 園路沿いにある、石造りの灯籠に火を灯してのんびり歩む。裏庭に造られた丸池へ辿り着くと、池に住まう錦鯉へ与える餌を取り出す。餌は乾燥させた葉物や根菜の皮だ。
 池に掛かった小橋の中腹に立ち、餌を撒く。
 すると、蓮の葉や水草に隠れていた錦鯉たちがわらわら集まり、水面を縫うように押し寄せてくる。
「食べっぷりがすごいですね。いつ見ても思います」
「鯉、胃がないんですよね」
 慶蔵が日雇い仕事の礼にと鯉を貰って捌いたことがあるから知っていると、狛治に教わった。
「だから……腹いっぱい、たらふく食べたと思わないんだそうです」
「そうだったんだ……
「焦らずとも餌は逃げないんですが。……必死だ、鯉らは」
 波打つ水面にはまん丸いお月さまが爛々と輝いて、周りに散りばまれた星々は瞬く。
 恋雪は深呼吸をする。
 湧き水と草木のあおい匂いが肺一杯に広がって、生き物のかおりで満たされるのを感じた。
 同時に、恋雪の命も脈打つのがわかる。
(生きてる)
 たくさんの読本は、恋雪を見ず知らずの世界に連れて行き、あまたの人生を体験させてくれたが、それらは恋雪の生きたい世界ではない。
 ――目の前に、真隣に広がる世界だ。
 家、庭、町、河原、山。
 障子の外側の世界は――果てしなく広かった。
 匂い、景色、音。
 意識しても、意識しきれないものを肌身に感じて。
 恋雪は考える。
(私が、できること)
 自分のことを自分でできるようになった。
 慶蔵や狛治に変わって、家のことや買い物だってする。大切な人たちのために、働ける。
 ……未来を、生きている。
(狛治さんと夫婦になって。その後は?)
 急いてはない、が――いのちの、としかたについて。
 母と同じく、自ら命を絶つことを考えたことがある恋雪は、人一倍敏感になっていた。
 穏やかなひとときに研ぎ澄まされた思考を委ねていると。
……昼間の話で、気になることがあって」
 餌やりの手を止め、狛治は恋雪にたずねる。
「今使っている裁縫箱の持ち主は、どなただったんです?」
……母のもの、です」
 狛治の視線を感じたが、餌を食べる鯉を見つめたまま恋雪は話す。
「お母さんがまだ生きていたころ、私が大きくなったら、裁縫箱は新しものにしてお母さんのものは櫛や箸になさいと――言い聞かせられていました」
 この話をする母は楽しげだった。
(〝大きくなったら〟って、私の嫁入りの姿を想像していたのかもしれない)
 母の裁縫箱。――形見は、恋雪の曽祖母の代から受け継いだものだと話されたことを覚えている。塗装は所々剥げて木材が剥き出しになるほど使い込まれていた。
「水桶と同じく、大工さんにお願いするつもりです。色々、思い入れがあるから……なくなることはさびしいけれど」
 母の願いは、叶えたい。
 ――ささやかな弔いの意思を込めて。
「櫛になれば、母を近くで感じられる……いつまでも思い出せます」
 狛治は恋雪の横顔を見ていた。橋下に群がった錦鯉が餌をもらえないと気付き散りはじめるまで。
 一呼吸し、遠い日を宿した目で狛治は言った。
……ほんとうにお強いんですね、あなたは」
 思いがけない言葉に恋雪の頬が熱くなる。
「俺には考えのつかないことです。形見のかたちを変えて、弔い続けるなど」
「そ、そんなことは」
「お母様、喜んでくれますよ……きっと」
 今までも、これからもと言葉が続けられた。
 白無垢姿と、夫となる人を見せてあげたかった帰らぬ人に想いを馳せて――目元が熱くなる。
 泣きそうになるのを堪えて、恋雪は声を振り絞った。
……水桶にも、思い入れがあります」
 水桶は手ぬぐいを濡らすためだけに使ったわけではなかった。
「狛治さん、憶えてます?あの桶でいろんなものを見せてくれたこと。錦鯉を掬ってきたときありましたよね」
 もちろん、鯉はその日のうちに池に戻した。慶蔵は知らない二人だけの秘密だった。
 恋雪を見つめた狛治は、一つ瞬き。
……ちょうどいい、大きさのヤツがいたもんで。つい」
 いたずらっぽく、笑ってみせた。
 ほおうら、アイツですよ。三年であんなにでかくなったと、赤と黒の模様が入った錦鯉を狛治は指刺す。周りの鯉と比べてひとまわり小さいが、もう桶は入らないおおきさだった。
(たくさんみたの。四季や絵空事を切り取ったちいさな世界を)
 病に臥せった恋雪のために。
 狛治は絵を描くし、猫を捕まえて見せにきたこともあって。
 水桶に水を張って縁側に置くことは、外に出られない恋雪が退屈しないようにと、水面に映る四季折々の空を見せてやりたいと狛治が思案したもの。あるときは桜の花が、またあるときは紅葉の葉が水桶に浮かんだ。
 恋雪はちいさく笑う。
「夏空が水面にうつって、鯉が空を飛んでるみたいで。絵巻物にでてきそうって、はしゃいでいました。あと、とてもきれいで――
「ええ――きれい、でした」
 恋雪さん、と。呼ばれた――どこまでもやさしい声色で。
 月明かりを背にした男へ向き直る。
「今だから、わかるんですけど」
 なつかしむような眼差しで――狛治は、恋雪をじっと見つめていた。心音が早まって、身体の中心から波紋のように……特別な熱が広がる。
「あの頃の俺は……あなたと同じ気持ちになったら、嬉しかったんだと思います」
 恋雪が想いを告げてから、控えめな狛治はゆっくり気持ちを教えてくれる。普段通りの会話に狛治自身の感情を話す場面が増えた。
 恋雪は聞き逃さないよう狛治に集中する。
「同じものを見たとき。きれいなひとの、きれいな心とおんなじなら……安心できた。――俺は、罪人なので」
 狛治は腕を抑えると着流しの袖が捲られて、腕に彫られた罪人の印が見え隠れする。
 両の腕に、三本の輪。
 それは一生消えることのない……スリの罪の証。
 月光と灯火の光でうすら明るい中でも、くっきりと見える。
 父親の病気を一刻も早く治したくて重ねた罪は、父親を殺してしまった――狛治を想い自ら命を絶ったと、聞いている。
「今でも思う。だから、一緒に花火を見に行ったときに……つい、聞いちまった」
 本当に俺でいいのか、と。
 狛治はうなだれる。
「情けねえ――俺はずっと、貧乏人だの罪人だのと言い訳して、流されて。自分の将来のことなんか考えてこなかったんだ。死んだ親父に真っ当に生きろと、遺言をもらったのに……!」
 叫び。
 ――痛み、だった。
(私も痛くなる)
 目を逸らし俯いてしまった狛治の両の手を、そっと握る。
 狛治の手はびくりと跳ねるが、離さない。
 そうすべきだとわかるから。
(似てるのね……私たち)
 ――恋雪は、病は治らないと諦めて将来を考えられなかった。
 でも、大丈夫。
(花火をみたとき知ってくれたもの……私の、心を)
 誰しも、心のうちを口にするのは勇気がいる。――ましてや、一番に理解して欲しいと思う人に話すときは、尚更。
 恋雪が狛治をのぞきこむと、躊躇いがちに、藍で染めたような目に恋雪を写す。
「狛治さん」
 見て欲しいと、促すように名を呼べば。
 ゆれる瞳はぴたりとやみ、握り返された恋雪の手に、狛治の熱がじんわり広がる。
「恋雪さんの言葉は心に沁みた……
 長いまつ毛の奥から覗いたのは、決意の意思を込めた眼差し。
――何故あなたと夫婦になりたいか。強くなって、守りたいでは言葉が足りない気がして、俺、考えました」
「えっ」
「恋雪さんが笑ってくれるなら、そう在れる自分を誇りたい。師範の素流を継ぎたい。……きっと、それが、俺にとってまっとうな生き方なんだと」
 願い。
 ――希望、だった。
「大好きです。――恋雪さんの、笑った顔」
 ほろり、と。
 恋雪は涙をこぼす。
――きれいな顔で泣かれると、困っちまう……
 狛治は恋雪を抱きしめる。
……私も、あなたが好きです)
 狛治の熱いくらいの体温と早まった心音が伝わる……たまらなく、心地よかった。恋雪もおんなじ気持ちなことを伝えるために抱きしめ返す。
「嬉しくて涙が出るんだから……許してください」
 狛治は嬉し泣きをつい最近知ったばかりだ。恋雪の涙が悲しみの涙でないことをわかったうえで、抱きしめてくれた。
(神さま……ありがとう、この人と会わせてくれて)
 狛治のおかげで恋雪は心から笑える。
 狛治の熱が、恋雪をあたためる。
(私が、あなたにできることは……
 この気持ち、なんて言えば伝わるのだろう。
……私ね、丈夫になったの」
 恋雪は背筋を伸ばす。胸に埋めていた顔をあげて、目の前の愛おしいひとへ、想いを告げるために。
「狛治さん、お父さんとお母さんのおかげです。――狛治さんに、うんと良く尽くしていただきました。でも……
 二年前、近所の剣術道場の師範の息子が恋雪を誘拐した。患っていた喘息のこともあるが、抵抗しても女の細腕ではびくともしなかった恐怖を思い出す。
――狛治さんやお父さんのように、強くなれません」
 狛治はハッとする。
「それは」
「私は、強くなれなくても一緒にいたいんです」
 狛治の手を、恋雪は自らの頬に当てる。わがままな私を許してほしいと、願うように。
――狛治さんとなら、怖くありません」
 罪人の入墨が入った腕のなかにたしかな熱を感じて。
 花火を見たあの夜が、夢ではなかったことを噛み締める。
 狛治は、何度だって誓う。
「俺の、心の太刀は――素流は。あなた方のために振るいます。俺は誰よりも強くなって、恋雪さんを、一生守ります」
 ――それはきっと、死んでも忘れない〝約束〟になる。
 そう、狛治が確信した瞬間だった。
「どうか俺に。俺に……守らせてください」

――守られる私が、できること)
 恋雪は心に刻む。
 手を握ろう――狛治が一人ぼっちじゃないと教えるために。
 抱きしめよう――狛治はやさしいひとだと教えるために。
(私が私でいるかぎり、あなたは忘れない)

 この、ぬくもりも。
 ――愛、も。