真っ二つになった機械兵が床に転がっている。その切断面から時折上がる火花がカーペットをチリチリと焦がすのを、レザラはぼんやりとした目で見ていた。
ほんの数分前まではここは一般的な居住殻の一室で、レザラの自室だったはずだ。
それが今や、床には壊れた機械兵が転がり、その機械兵がエアスピナーごと飛び込んできた窓ガラスは砕けて破片を散らかしている。機械兵が激突した壁にはヒビが入っていて、ひっくり返ったソファテーブルとエアスピナーが通路を妨げているという惨憺たる有様だった。
レザラは手に持っていた大剣を背中に担ぎ直す。
自室で休息を取っていたところに、突然機械兵が乱入してきたものだから、咄嗟に切り捨ててしまった。
数秒で半壊した我が家に溜息を吐く。風通しの良くなった窓からは、人々の悲鳴と応戦する銃声が聞こえてきていた。
機械兵の暴走か。そう悟ったレザラの耳に、端末から流れる軽快な音楽が届いた。
着信画面を表示させれば、映っているのはヤーナの名前。応答ボタンを押すと同時に、彼女の慌てた声が飛び込んできた。
『レザラ! 無事か!?』
「無事だよ、何かあったかい?」
『さっきあいつから連絡があったんだ! 機械兵が暴走してて、レギュレーターを着けてない奴を狙ってるって! レザラが狙われるかもしれないから伝えてくれって頼まれたんだけど……その様子だとまだ大丈夫そうだね』
ヤーナがあいつと呼ぶ人物とは生身の挑戦者のことだ。驚異的な人脈を持つその人物は、どういう訳か今回の事件の詳細を既に掴んでいるらしい。ターゲットとなり得るレザラに警告するために、わざわざジム・トライテールにまで足を運んだのだと言う。
レザラはジムにいることも多かったが、休息は自室で取るようにしていた。数少ない休憩のタイミングが、よりによって機械兵の暴走と重なってしまったらしい。
「あぁ、それで機械兵がボクの部屋に飛び込んできたのか」
『部屋に……って全然無事じゃないのに何で落ち着いてるんだ!! と、とにかく今暴走してるのは居住殻の機械兵だけみたいだから、一旦ジムの方まで来なよ!』
「わかった。そうするよ」
他人事のように呑気な返答を返して、通信を切る。
機械兵は駆除人の頃から飽きるほど相手をしてきた。避難せずとも脅威にはならないが、いつ次の襲撃が来るか分からない自室に残る理由もない。
部屋の片付けは後回しにして、自動扉から居住殻の廊下へと出ることにした。
廊下を歩き、階段へ向かう。
その道を塞ぐかのように、一体の機械兵が遠くからこちらへ歩み寄っていた。
レザラもまた、歩みを止めずに大剣を引き抜く。身の丈もある大剣を片手で持ちながら、悠々とした足取りは崩さない。
少しずつ、距離を詰めていく。互いの顔に表情はないが、その視線が逸らされることはない。
そうやって向かい合っていると、否応なしに記憶が蘇る。
以前にも、同じように街中で暴走した機械兵を討伐したことがあった。あの時は街を駆け巡り、襲われている人々を助け、何人もの命を救った。
そして何より、隣には親友がいた。
互いに背を預けて、競うように機械兵を壊し、一人でも多く助けようと使命感に胸を燃やしていた。
薄暗い居住殻の廊下を歩く今、この場にはないものばかりだった。
親友との共闘に輝いていたレザラの目は、どんよりと濁って無感情に敵を捕捉する。外から聞こえた人々の悲鳴が、レザラの正義感に火をつけることもない。
喪失の痛みはレザラから熱意と安らぎを奪った。そして、運命とやらは身体を休めることすら許さないらしい。それもまたレザラに与えられた罰だとでもと言うかのように。
表情のないレザラの顔が、僅かに険しくなった。不快さを示し、剣の柄を握り締めるその姿に、戦闘の始まりを認識した機械兵が走り出す。
大剣を構えたレザラが、善玉闘士の仮面を脱ぎ捨てた低い声で呟いた。
「あいにく今は機嫌が悪いんだ……邪魔をするなら斬り捨てるぞ」
吹き抜けとなっている居住殻の廊下に、一度だけ、斬撃音が響いた。
次いで、再び歩き始めた足音。
その足音が去った後の廊下には、一太刀を浴びた機械兵の残骸しか残らなかった。
機械兵が暴走させられているということは、エレベーターもまたハッキングを受ける可能性が高い。
レザラは階段を降り、時には廊下を渡りながら居住殻を移動する。
道中何度か機械兵に遭遇したが、その度に一撃で斬り伏せていった。無表情のまま正確に急所を破壊するその斬り方は、機械兵よりも機械のような姿だった。
二階にまで降りたレザラが、廊下と廊下を結ぶ架け橋を渡る。
その時、誰かが大声で喚く声が聞こえた。
橋から身を乗り出して下を覗き込む。一階にいた一人の男が、機械兵に追い詰められて後退りをしていた。機械兵の数は二体。出口を塞ぎながら、壁際へと追い込んでいく。
積極的に人助けをする気力はないが、目の前で襲われている人間を見捨てるほど、今のレザラは腐りきってはいない。
レザラは橋の欄干に足を乗せると、大剣を構えて一息に飛び降りた。
落下の勢いのままに機械兵の一体を叩き斬る。轟音を上げて砕けたそれには目もくれず、もう一体もまた剣を振り上げてその頭部を刎ね飛ばした。
瞬く間に二体の機械兵を制圧したレザラを、追い詰められていた男が呆然と見上げる。
男はへなへなと座り込んで、壁に背を預けることしかできなくなっていた。
「あ、ありがとう……ございます……?」
命の危機が去った事をまだ実感できていないのか……それとも圧倒的な武力を持つ目の前の男が、本当に自分の味方なのか判別できていないのか、混乱する男は覚束ない謝礼の言葉を述べる。
そんな男を安心させるかのように、レザラは表面的な笑みを浮かべて話しかけた。
「無事なようだね。今のうちに逃げた方がいい。立てるかい?」
「あっ、す、すみません……腰が抜けちゃって……」
突如晒された死の恐怖に、身体が上手く動かないらしい。大剣を納めたレザラが手を差し伸べると、男はそれに掴まり支えにして立ち上がる。
再度礼を伝えた男はようやく思考がはっきりしたのか、レザラの顔を見て大袈裟に驚いてみせた。
「……えっ!? もしかしてハウリングブレード!? うわやべぇ! 本当に生身でも強いんだ!」
「……まぁ、一応元駆除人だからね」
著名人に予期せず会えた喜びを体現するかのように、男は両手に握ったレザラの手をぶんぶんと上下に振る。
青褪めていた顔が血色を取り戻していく男とは対照的に、レザラの微笑みには影が差していた。
ハウリングブレード。その名もまた、今のレザラからは失われたものだった。
自身の全てを賭けて勝負し、そして敗れたレザラには、もはやその名を掲げることはできない。
自身からハウリングブレードとしての生き方を奪ったのは、魔物の魂を入れない生身の挑戦者だった。
レザラにも戦闘の心得はあり、剣の腕には自信があった。だがそれでも、壁の外からの挑戦者には敵わなかった。
そんな自分に生身でも強いと言われても、むず痒いだけだ、と苦笑する。
満面の笑みで感謝と喜びを伝える男から目を逸らしたくて、レザラは顔を俯かせた。
未だ激しく揺れる二人の手元に視線を落とす。その眼差しが男の手首を捉えた途端、レザラの目が大きく見開かれた。
身体が硬直し、腕の動きを止める。
助けた男の手首にはリストバンドが巻かれていた。レザラはそれに、見覚えがあった。
黒地に、赤いボムの刺繍。レザラの親友であるヘクトールの……ブルートボンバーの、応援グッズだった。
彼が闘士として活躍する中で、かなり初期に作られたものだ。当時まだ貴重だったグッズを喜び、見せつけてきた親友の笑顔は、今でもはっきりと思い出せる。
不意に蘇った記憶が、レザラの心に久方ぶりの火を灯した。心臓の鼓動は、呼吸音は、こんなにも喧しいものだっただろうか。見開いた目が戸惑うように揺れて、今にも留め難い感情が溢れ出ようとしていた。
突然びくともせず手首を凝視し続けるレザラを訝しむように、男が首をかしげる。
わなわなと震えるレザラの唇が、ようやく言葉を紡いだ。
「…………それ、は」
「あっ、これですか? 俺、実はブルートボンバーの大ファンで……引退したって分かっててもグッズが手放せなくて……」
照れたような、困ったような顔をして、男が笑う。レザラはその手を握り締めたまま動けずにいた。
彼をまだ覚えていて、想ってくれる存在がいること。
そんな存在が、ほんの少し遅かったら命を奪われていたこと。
自分の手で、その存在を助け出せたこと。
それらの一つ一つがレザラの胸を締めつけて、身動き一つ取ることができない。
灰色の日々をただ生き延びてしまったレザラにとって、そのリストバンドの赤は、あまりにも鮮やかすぎるものだった。
硬直したきり動かないレザラに困惑する男は、落ち着きなく視線を動かす。
その視線の先で、居住殻の大扉が音を立てて開かれた。外から駆け寄ってきたのは二人組の男女。揃いの制服を着て銃火器を携えた彼らは、真っ直ぐにレザラと男の元へと向かった。
「大丈夫ですか!? 怪我は……なさそうですね」
カーキ色の制服に身を包んだ女性が、二人を見て安堵の息を漏らす。もう片方の男性は斬り伏せられた機械兵の隣にしゃがみ込み、動かないことを確認していた。
ようやく手を離したレザラが、二人の姿を見る。二人の頭にはレギュレーターがなく、武装して経緯を理解していることから、恐らくオブリビオンという組織の者ではないかと思い至った。
安全を確認した二人組が状況を話し出す。
予想通り二人はオブリビオンの人間で、居住殻の人間を保護するためにやってきたらしい。
「ご無事で何よりです。後は我々にお任せください、安全な場所へご案内いたします。貴方も……戦えるとはいえここは危険です。一緒に移動した方が……」
オブリビオンの女性が、ちらりとレザラの大剣を見ながら避難に誘ってくる。元々、ここを離れるつもりだったレザラには、その誘いを断る必要はない。
それでも、しばらく考えた後、レザラは静かに首を横に振った。このまま何もしなかったら、もう何も出来なくなってしまう気がした。
「…………いや、ボクも協力するよ。居住殻の機械兵を引きつけて倒しておくから、その間にキミたちは救助に向かってほしい」
当初の目的とは真逆の提案がレザラの口から出ていた。勝手に決めたりしてヤーナに怒られるな、という予想を今は見ないことにする。
命知らずとも言える内容に、オブリビオンの二人と助けられた男が揃って顔を見合わせた。
決めあぐねる彼らはしばらく沈黙を続けていたが、オブリビオンの男が機械兵の残骸を検めて、片割れの女に一つ頷いてみせる。それを受け取った女は溜息を吐いて、レザラに真剣な眼差しを向けた。
「……分かりました。我々はこの方を避難場所へ案内でき次第、他の方の救助に向かいます。貴方も、くれぐれも無理はなさらず……」
武装しているとはいえ、オブリビオンの彼ら自身もまた標的であることに変わりはない。機械兵の対処に慣れた強力な戦闘員は一人でも多く欲しいというのが、彼らの正直な内情だった。
頷いたレザラを一人残し、オブリビオンの二人は出口の大扉へ歩き出す。その二人に、少しだけ、と声をかけて、救助された男性はレザラの元へ駆け寄った。
「あの、本当にありがとうございました! 貴方は俺の恩人です! 助けられた事は絶対忘れません!」
深々と頭を下げて、男がにこやかに笑う。それからくるりと背を向けて、オブリビオンと共に避難するべく出口へ向かった。
去り際にもう一度振り返り、レザラに向けて大きく手を振る。彼らが大扉の向こうに消えるまで、レザラはその場を動けなかった。
笑みを返すことも、手を振り返すこともなく、ただ一人立ち尽くす。刺されたような胸の痛みに、浅い呼吸を繰り返すことしかできなかった。
居住殻の通路に、不規則な足音が響いた。
ふらふらとした足取りのレザラが、何処へ向かうでもなくただ彷徨っている。
彼の背後には点々と機械兵の残骸が落ちていた。心此処にあらずといった様相でも、機械兵ごときにレザラが遅れを取ることはない。
だとしても、もし居住殻の住民が彼の姿を見たのなら、その心に抱くのは安堵ではなく恐怖だろう。大剣を手に、次々と敵を屠りながら彷徨い歩くその様は、死に場所を求める哀れな戦鬼に近いからだ。
「……恩人。恩人だって。ボクが…………」
ぽつりと、レザラの口から掠れた声が零れる。
彼は別れてからもずっと、自らが助けた男性の言葉を繰り返し思い返していた。
本人にとっては純粋な善意で、心からの感謝の言葉だったのだろう。それでもその言葉は針のような鋭さを持ち、レザラの身体を突き刺したまま抜けることがない。
「はは……はははは……」
気がつけばレザラは嗤っていた。虚ろな目は微塵も変わらないまま、口だけで発する空虚な笑い声だった。
あのファンの男は今でもブルートボンバーを応援して、いつか復帰する日を待っているのだろうか。あの場外戦で彼が息絶えたことも知らずに、リストバンドを大切に身に着けながら。
もしあの男が真実を知ってしまったら、一体どうなってしまうのだろう。
自身の命を助けた相手が、本当は親友の死を止めずにいたと知ったら。
自分の応援していた闘士が、そのように殺されていったと知ったら。
……そんな相手に、心からの感謝を伝えていたと知ったら。
突き刺さった言葉の傷口から、どくどくと真っ黒な血が流れ出るような心地だった。
再び心が動かされたが故に、麻酔が切れてしまった胸を罪悪感が抉る。心臓が動く度に、鮮烈な痛苦が何度も刻み込まれていた。
そんなレザラの痛みなどお構いなしに、機械兵は次々と現れてはその命を奪おうとする。
また一体、廊下で鉢合わせた機械兵をレザラは一薙ぎで倒す。転がりながら末期の痙攣のように藻掻く機体に向けて、真っ直ぐ大剣を突き刺した。鈍い音を立てて刃が床まで貫く。
切断された機体は火花を数度散らして、止まった。機械兵を見下ろすレザラの顔は陰になっていて、表情すらも窺い知ることはできない。
「……恩人だなんて……ボクにそんな資格はないよ……」
俯いたまま、レザラは弱々しく呟く。
居住殻を歩き出してから、既に数多の機械兵たちを討ち倒していた。その貢献によって何人もの住民やオブリビオンのメンバーが助けられたことだろう。
だが、誰をどれだけ救っても、レザラの心が晴れることはない。償うべき相手がいない罪は、代わりをどれだけ救ったところで軽くなることはないからだ。
レザラは床へ突き刺した剣に、もたれ掛かるように体重を預けた。柄を両手で握り締め項垂れるその姿は、祈るようにも、許しを乞う様にも似ている。
静かな廊下でレザラはただ一人、じっと動けずにいた。周囲に散らばる機械兵たちもまた、もう動くことはなかった。
どれほどの間そうしていたのか。やがてレザラはおもむろに、床から大剣を引き抜いた。
残骸の横を通り過ぎ、再び前へ歩き出す。
胸の痛みが癒えたのではない。進むべき道も未だ見つかっていない。
ただ、立ち止まるわけにはいかなかった。
あのリストバンドが灯した炎は、レザラの身を焼くと同時に、身体を突き動かす熱だった。もう二度と、消してはならぬ灯火だった。
歩き出したレザラの目が、薄暗い廊下の先に新たな機械兵の姿を捉える。
機械兵のフェイスモニターには七色の光が不規則に点滅していた。そのセンサーがレザラを探り当てると、首を軋ませながら動かして、襲撃対象として狙いを定める。
かつては、この機械兵たちも住民のトラブルに対応し、時には良き相談相手となっていた。よく整備された銃を手に規則正しく動き、人々に慕われていたはずだった。
それが今では、身体の前後も分からなくなったかのような有様で、自壊前提の戦闘を強いられている。
思考を奪われ、身体が壊れようとも、主人の望むように戦うことしかできなくなっていた。
その醜態がかつての自分と友の姿に重なって、レザラの顔が嫌悪に歪む。
鋭い侮蔑を示したその目が、やがてふっと細められた。己も含め、この場にいる全てを嘲るかのような、力の無い笑みだった。
「お互い、無様になったものだね」
壊れきれない男が、壊れかけの機械に向かって呼びかける。返事など期待していない。語り合えたところで、元に戻るものでもない。
絡まったマリオネットのような動きで、機械兵がレザラに迫る。
レザラは迎え討つべく、剣を構えた。その表情に、もう自嘲の影は無かった。
死に損なったガラクタのようなこの身でも、それでも救わねばならない命がある。
彼が愛した存在が、彼の仇に脅かされる命が、まだこの世界には残っている。
だから今は動いてくれ、この身体よ。
いつかアルカディアの闇を払い、罪がこの命を刈り取るその日まで。
振り上げた大剣が虚空に煌めいて、また一体、機械兵が壊れた。
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