ミャクミャクは本日JR西日本のマスコットキャラ“カモノハシのイコちゃん”とのコラボ広告の仕事にやってきていた。イコちゃんは20年以上前からマスコットキャラをやっている先輩だ。日本各地からたくさんの人に万博に来てもらうため、JRとのお仕事はとっても重要。失礼のないようにしなくては。
「はじめまして、ミャクミャクです! 本日はよろしくお願いします!」
「自分ミャクミャクくん? イコちゃんです〜なんかわかれへんことあったらなんでも聞いてな」
イコちゃんはニコニコと出迎えてくれた。仕事中もスタッフに言われるままあっちこっちに奔走するばかりのミャクミャクに「そこ間違う人多いねん。よう気ぃつけて説明してや」「もうちょいで人ぎょうさん来るから今のうち休んどき」と、たくさんのアドバイスをくれる。なんて素敵な先輩だ。ミャクミャクはすぐにイコちゃんのことが大好きになった。
「まだこの仕事始めたばっかりなんやろ? それでそんだけできたら上出来や。万博みたいなデカい仕事も安心して任せられる」
仕事終わりには、こんなお褒めの言葉までいただいてしまった。
「いえ、そんな」
「謙遜せんでええで。うちらにいっちゃん大事なことようわかっとる」
「大事なこと?」
「うちらはマスコットキャラやから、いっちゃん大事なんは笑顔と可愛さや。その精神がわかっとったらそれ以外の細かいことはぼちぼち覚えてったらええんや。自分センスあるで。自信持って頑張りや」
大先輩のイコちゃんに太鼓判を押されて、ミャクミャクはその日大喜びだった。喜びすぎて空中をふわふわ浮いて、たくさんのこみゃくを作り出した。翌日なかなか戻せず、うっかり仕事に遅刻しそうになったくらいだ。
♫
それから月日が流れ、とうとう万博が開幕した。マスコットキャラの仕事にはだいぶ慣れたつもりだったが、準備と当日では勝手が違うことばかりだった。連日大勢の人が詰めかけ、写真だの握手だのに駆り出される。マスコットキャラの仕事に就任したばかりの頃くらい、スタッフに言われた通りにしか動けない。しかもスタッフも状況は同じ。呼び出されて慌てて駆けて行ったのに誰が何のために呼んだのかわからず立ち尽くしたり、「何時間待たせる気だ」と身に覚えのないことで怒られたり、散々だ。そのうち慣れて上手く回るようになるまでの辛抱だと頑張って笑顔を振り撒いているが、事態は一向に改善されず、疲労は溜まる一方だ。腕の雫がどんよりと垂れ下がっていく。
1週間が経過した頃だった。毎日のJRのお仕事に到着するなり、イコちゃんに「出勤遅らせてもらうよう頼んだんや。ちょっと出よか」と無理やり外へ連れ出された。訳もわからずついていくと、イコちゃんは近くの公園の芝生にごろんと横になる。
「ミャクミャクくんも」
真似して隣に横になると、視界の先にはたくさんの雲に覆われた空が広がっている。雨が降る程ではないが、やや曇っていて少し肌寒い。
「ミャクミャクくんな、頑張り屋さんなんはええことやけど、最初から最後まで全力失踪できるほど、万博の会期は短ないで。手抜けるとこはちゃんと抜きや」
イコちゃんの優しい言葉に涙が滲む。
「人少ない時あるやろ。そういう時はぼけーっと突っ立って欠伸しとったってええねん」
「でもそんなことしてたら、お客さんがっかりするんじゃ」
「何言うてんねや。うちらマスコットキャラやで。何しとっても『可愛い』言われるんがうちらなんや。自信持ちぃ」
イコちゃんはカラカラと笑った後、豪快にゲップをした。
「すまん、今のは流石になしや」
しょぼんと項垂れるイコちゃんは、それでもマスコットキャラとして十分可愛かった。
それからイコちゃんは一緒に仕事をする度に「ここはぼけっとしとってええねん」「ここは頑張らなあかん」とアドバイスをくれるようになった。流石20年以上働いているだけあって、イコちゃんが“サボっていい”という時には手を抜いていても本当にトラブルが起こらない。
参考にして、ミャクミャクも少しずつ手を抜くようになった。適度に手を抜くことで、本当に必要な時にしっかり全力を出すことができる。イコちゃんは「これが“メリハリ”っちゅう奴や」と教えてくれた。
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万博の会期も半分を過ぎた頃、大阪メトロが停止した。開催初期の頃には大小様々なトラブルが発生していたが、ようやく落ち着いてゆったりと運営できるようになってきた矢先だった。
残った交通手段であるJRはこれまでに見たこともない大勢の人でごった返した。バスの代替輸送や各社のタクシーが集結しても捌ききれず、万博会場に多くの人が閉じ込められてしまった。どうしていいかわからず不安に右往左往する人たちを前に、ミャクミャクも笑顔を作るのがだんだんと難しくなってくる。
それでもイコちゃんは、不安と疲労で表情の抜け落ちた人たちにいつも以上にニコニコ応対している。
「こっちは動いてるからな」「順番やで」「そっち行きたいなら左や」
普段ならイコちゃんの可愛さに笑顔を向ける人々も、今日はそれどころではない。どれだけ冷たい反応を返されようと、イコちゃんは全ての客が駅を去るまで、決して笑顔を振り撒くことをやめなかった。
「イコちゃんは、すごいですね……」
ミャクミャクはイコちゃんの仕事振りに感心し、素直な賛辞を称した。今日の自分にはできなかった。これから何年もマスコットキャラとして生きていっても、できるようになるとは思えない。
「最初に言うたやろ。うちらはマスコットキャラや。可愛さ振り撒くんが仕事や。トラブルの対処は人間に任しとったらええねん。うちらはうちらにしかできひんことせなあかん」
そこで初めて、イコちゃんにも少しばかり疲労の色が浮かんでいることに気づいた。
「まだ終わってへんで。駅員さん残ってるからな。終わったら晩飯奢ったるわ」
イコちゃんがニコッと笑顔を向けてくれた。それはどう考えても空元気だった。疲れているのはイコちゃんだって同じなのだ。ミャクミャクも無理やり笑顔を作った。
その日は万博が始まってから、最も長い1日だった。
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