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g_g_i_i_e_e
2025-08-17 01:23:05
4603文字
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白峰の日々(pixiv再録済)
クラステオンリーお留守番
(クラクラステイナイト開催おめでとうございます)
外はゆだるような暑さだが、広々とした執務室はすみずみまで快適だった。向かいにソファを見る位置の椅子に、行儀よく浅い角度で腰掛け、ツェッドは小説を読んでいるところだった。
HLの登場によって、SF小説は壊滅的な打撃を被ったという
――
何せ現実がSFを凌駕してしまったのだ。サイバーパンクやミュータント、異世界ものはすっかり色あせ、宇宙や深海に逃げたとしても、そこで出会う異界生物たちは、かつて紐育と呼ばれたあの街を、当たり前に闊歩している。頭の中で作り出したはずの怪物が、HL在住の魔術師に「私の使い魔を剽窃した」と訴えられた例すらあるのだ。
それでも文学というものは案外絶滅せぬもので、ツェッドが読んでいるのも、異界の友人に勧められたSF小説だった。老朽化したスペースコロニーを閉鎖するために訪れる技術者と、そこに住み続ける最後の住人たちとの交流を描いたもので、老いて滅びゆくものたちへの、作家の優しい眼差しが感じ取れるような気がする良作であった。
住人の一人が、紙の手紙を電子化せずに処分していくという、そんなシーンを読んでいるところでふと、チャイムの音が響く。
DDDアムギーネの起動を知らせる音だ。
待ち合わせの兄弟子がようやく来たか、と本を閉じたところで、正面の扉が開く。
熱気の名残とともに入ってきたのは、二人の長身の
――
一人は長身どころではない巨躯の
――
男だった。
「いやぁ、ここは天国だな」
片手にジャケットを抱え、もう片手でぐいとネクタイをゆるめながら、歩み入るスティーブンがそう溜息をつく。みっしりとしたウェストコートで身体を締めたままのクラウスは、小さく頷きながら、眼鏡を取ってハンカチで軽く汗を拭いた。
「おかえりなさいませ」
音もなく現れたギルベルトが、盆を片手にそう腰をかがめる。お疲れ様です、と言ってツェッドは本を机の上に置いた。
そのまま、とクラウスが片手を挙げ、己のデスクに向かうスティーブンが、おや、と言いたげな顔をする。
「ザップはまだ来ていないのか」
「トラブルがあって、少し遅れるそうです」
「トラブルなぁ。香水と化粧品の匂いがするようなトラブルじゃないといいんだが」
そう言いながらもスティーブンの声音には、わずかな諦めが漂っているようだった。クラウスだけが、トラブルと聞いて少し心配そうな顔をしている。
「彼とは連絡が取れているのかね」
「七分前には返信がありました」
「ふむ
……
」
それならばザップの実力を信じようではないか、と言いたげにクラウスは頷く。結社長とその副官はそれぞれのデスクで書類をチェックして、それからまずスティーブンが、ツェッドの座る応接セットのほうへとやって来た。
「まったく、それにしてもなんでこんなに暑いんだ? 外を見ろ、今日も今日とて霧があんなに立ちこめているのに」
「湿度が高いことも、体感温度を上げてはいるのだろう」
己のデスクから背後の窓を振り返り、クラウスは外の様子をうかがう。そしてギルベルトに向かって、あちらに、と応接セットの方角を示してみせた。心得たようにギルベルトは頷き、盆をツェッドの前のローテーブルに置く。
「アイスフルーツティーを入れることができますが、いかがいたしましょうか」
「ああ、いいな。お願いします」
「私もいただこう」
「ツェッドさんもよろしければ」
「あ、いただきます」
そう言うと、手元に置かれていた紅茶のカップが盆へと静かに持ち去られていく。
「猛暑の原因については、気象局も引き続き調査中とのことですが」
言いながらギルベルトは、小さく肩をすくめてみせる。望み薄ですな、ということなのだろう。
「第二十六呪い橋で、魃に生贄を捧げている集団がいたというのは
……
」
「この暑さに便乗しただけだろうな。HLPDが退去させたが、見ての通り何も変わっちゃいない」
ツェッドの向かいのソファに、スティーブンとクラウスが着席する。二人の前には、氷で満たされたグラスの中に、赤ワインのような液体が注がれた。
同じものがツェッドの前にも提供される。口をつけてみると、幾種類かのベリーと、南国の花のような華やかさが舌から鼻を抜けていった。
ぐっと勢い良く飲んで、はぁ、とスティーブンが大きく息をつく。
「ああ、生き返る」
同じように飲んだクラウスはグラスを持ち上げて、色の美しさに感嘆したようなそぶりを見せている。傍らでずるずると姿勢を崩しながら、それにしても、とスティーブンは言った。
「こうも蒸し暑いとモンブランが食べたくなるよ」
「モンブラン、ですか」
そのような名のケーキが欧州にあることは、ツェッドも聞き及んでいる。だがあれは栗を使った秋向けのスイーツで、暑い時に食べたくなるようなものではなかったはずだ。
「HLでも、有名店にはあるのでは
……
」
控えめにツェッドは尋ねてみる。すると「うん?」とこちらを見たスティーブンが、我に返ったように目をまたたいてから笑った。
「ああ、違う、いや語源としては同じなんだが」
「語源というと、フランスの」
「『白い山』を意味する、文字通り白く冠雪した山のことだ」
クラウスがやわらかい声で答える。その声のやわらかさが、過去の良い思い出から来ることを、すでにツェッドは知っていた。
「昔クラウスと一緒に、日本の京都で仕事をしたことがあってな」
「八月の、日本の宗教行事
――
君なら知っているだろうか、ボンという一連の行事を執り行う時期だ」
「ああ、聞いたことがあります。暑い時期ですね」
「そうなんだよ、その時期の京都はまったく、鍋で茹でてるのかってぐらいに蒸し暑くって
……
街を歩くだけで滝の汗さ」
京都の陰陽師と連携しての任務だったが、休日がなかったわけではないんだ、とスティーブンは言った。
「で、そうやって街を歩いてるときに、シェイブアイスの店を見つけたんだ。そう、氷を削ってシロップをかけるアレだよ。でもせっかくだから日本らしいものを食べたくてな。僕は練乳と抹茶をかけるやつにしたんだ」
「わらび餅も添えられていた」
「そうそう! グレーの四角い
……
それがまた岩みたいに見えてなぁ」
「ああ
……
」
できあがりを想像して、ツェッドは軽く膝を打った。
「それで『モンブラン』ですか」
「緑と白に染まった山に、灰色の岩。彼はそれを見て、『白い山』のようだと喜んだのだ」
「味もなかなかのものだった。それで京都の仕事の間は、『モンブランを食いに行こう』ってのが休日の合言葉になったってわけさ」
今日があんまり蒸し暑くって
……
と、やや照れくさそうにスティーブンが笑う。京都での日々を無意識のうちに懐かしんで、ああいった言葉が出た、ということなのだろう。
「私もあの味が懐かしい」
助け船を出すようにクラウスが言う。上司二人の、積み重ねてきた日々を垣間見たようで、ツェッドは小さく微笑んだ。
返り血まみれのザップがやって来て、やかましく文句を言い合いながら、ツェッドは彼と出ていった。お互いのデスクに戻って仕事を再開してもよいが、何となくソファに並んだまま、二人は外のうだるような暑さのことを、ぽつりぽつりと言い合った。
「
……
しかし、モンブランとは」
軽く眼鏡を掛け直しながら、ふふ、とクラウスが喉の奥で笑声を立てる。言わないでくれよ、とスティーブンは苦笑した。
「空気の匂いは違うが、蒸し暑さは本当に似てるだろ? ゆだった空気に俺の冷気がぶつかり合って、おあつらえ向きに霧も出てた」
「確かに、あのときの空気によく似ている」
古都の由緒正しき寺院、遠くでがなる蝉の群れ、うだるような熱の中に、召喚された屍喰いども
――
ただよう空気のキナ臭さは、湿度の高い蒸し暑さをいっそう際立たせて、そこも今のHLによく似ていた。
「
――
『モンブラン』を初めて食べたあの日」
溶けていく氷を見つめながら、眼鏡の奥でクラウスは目を細める。
「私がアンミツを食べているところを、君は笑ったね」
「そうだったかな?」
「こんなときまでお行儀がいいなんてと」
「ああ、そうだった、そうだった
……
君が大きな手に小さな木のスプーンを持って、ちまちま食べているのが可愛かったんだ」
クラウスはグラスの氷から視線を外し、うつむき加減のその角度のまま、斜めにスティーブンをチロリと見た。威嚇的に覗く牙とあいまって、それは実に恐ろしい形相に見えたが、スティーブンにはクラウスのその目つきが、年下らしい甘えの仕草であることがよくわかった。
「あのとき、君は『旅の恥はかき捨て』と言って
……
」
膝の上で、鬼をも殴り殺す両手がいじいじ、と動く。
「
……
自分のスプーンに氷を大きく盛って、私の方に差し出したね」
「あー
……
」
スティーブンは曖昧に笑いながら、背後でひそやかに立ち働くギルベルトをチラリと見た。
あのとき、若いスティーブンは兄貴風を吹かせて、深窓の貴公子に行儀の悪い振る舞いを教え込むのが大好きだった。匙を差し出されたときのクラウスはうぶな少年のように顔を赤らめ、あの巨体で左右をうかがいながら、牙の生えた口をおずおずと開けて、遠慮がちにあむりと氷を含んだ。そのときの仕草があんまり愛らしくて、らしくもなく胸がきゅんとしたのをスティーブンは覚えている。
まだ二人がキスの一つもしたことのない、そんな頃のやたらに甘酸っぱい思い出だ。
「坊ちゃまが楽しまれたのであれば、それが一番でございます」
主にはしたない行いを教えたことに対して、今のところ、口を出すつもりはないらしい。「あはは」とスティーブンは視線をそらして笑い、クラウスはほこほこした顔で「とても楽しかった」と何のてらいもなく言ってのけた。
それはようございました、と温顔を向けて
――
ギルベルトは新たな銀の盆を携えて、こちらへと歩み寄ってくる。
「よろしければ、甘味などはいかがでしょう」
「えっ
……
」
目の前に差し出されたものを見て、これは、とスティーブンは息をのむ。
クリスタルガラスの器、そこに上品に盛り上げられたのは、ふわふわと削り落とされた氷と、鮮やかな緑のシロップと
――
「
……
練乳?」
「以前より坊ちゃまから、このすばらしい思い出について度々お話しいただきましてな
……
」
「あまりに素敵な思い出だったので」
早くも器を受け取って、クラウスはしみじみとそれを眺めやる。
「もちろん完全な再現とは参りませんが。蒸し暑い日々が続きましたので、一度皆様にお持ちしようかと思っておりました」
しかしまずはお二方に
――
そうつけ加えたのは、主であるクラウスがいかに、二人きりのこの思い出を大切にしているかという、その表われであったに違いない。
「ギルベルトさんにはかなわないなぁ」
こちらも器を受け取って、愛らしい木のスプーンを、スティーブンはさくりと氷に差し入れる。
そして口に運んで、ひやりと広がる苦みと甘みを楽しんだ。
「こいつはすてきな
――
」
「これはすばらしい
――
」
「「モン・ブラン」」
奇しくも重なったその一言に、匙を持ったまま二人は顔を見合わせて、ふふ、と笑った。
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