来羅
2025-08-16 23:07:12
1945文字
Public トワウォ
 

日焼け(風信)

ワンドロライ第5回。




 焼けつくような日差しを避けて、ゴールデンシャワーの木陰に駆け込む。途端に吹き出す汗は、蒸発することもなく肌を伝った。暑い。熱い。口を開けばその言葉しか出ないくらいに暑い。ため息交じりに見上げれば、現地の言葉ではラーチャプルックと呼ばれる黄色い花をたわわに咲かせる並木はタイの暑期空に映えて美しかった。なんでも家を明るく見せ名誉をもたらすと信じられている縁起の良い木らしいが、今の信一にとっては黄色って余計に暑くなる色だとしか浮かばないのだから、まだまだこの土地に馴染めていないのだと思う。
「あー……大佬に怒られる」
 ちょっとだけ、だったのだ。
 早朝、まだ日が明けきらないうちのほんのちょっとだけ。
 昔一度だけ食べたチャニー種のドリアン。匂いがきつくて初心者には向かないけれども、ケーキを食べたときみたいな甘さと濃厚さが病みつきになる、なんてことを昨日話していたせいだ。
 匂いがどうもな、と渋い顔をする龍捲風に、それでもカスタードみたいに美味いんだって、と力説していたら急に食べたくなった。
 たいていの市場は九時にならないと開かないが、顔馴染みの果物屋には融通が利く。
 だから日が昇る前に行って帰ってくるのは簡単だったはずだったのだ。
 まだ寝ている龍捲風の隣からそっと抜け出て、ドリアンの匂いで起こしてやろうかなんて悪戯を思いついては密かに笑う。
 けれどもこんな時間に買いに来たのかと呆れる果物屋に、荷出しを手伝ってくれたらこれもやる、と色とりどりのマンゴーを指差されて欲を出したのが、間違いだった。
 午前中だというのに、タイの日差しは伊達じゃない。
 香港もまた暑い土地だったが、湿度の高さはどちらが上か。
 息をするのも辛くて、大きく暑い空気を吸い込んで汗を拭う。
 ここに来てから、ネクタイもシャツも捨ててしまった。タンクトップと綿のトラウザーズといった通気性だけを求めた格好が普通になって、あの頃より髪も少しだけ短い。
 それは龍捲風もまた同じで、最初のうちは腕に残る引き攣れた傷跡を信一に見せるのを嫌がっていたものの、最近では半袖のシャツを羽織るだけになっていた。
 信一は、そんな剥き出しの素肌に腕を絡めて歩くのがたまらなく嬉しい。
 あの頃と比べて日に焼けた肌は龍捲風によく似合っていて、本人は港育ちだからなと笑っていたけれども、たぶん、張少祖の気質に合っているのだろう。
 対して、信一といえば。
…………痛い」
「まったく、朝からいないと思えば」
「大佬が起きる前に帰って来るはずだったんだよ」
「それが日焼け止めを塗らないで出かける理由にはならないな」
「いたい! 大佬、そこ痛いって!」
 真っ赤になった腕を、龍捲風が丁寧に保湿クリームを塗っていく。
 城砦育ちでろくに外に出なかったせいなのか、信一の肌は日に焼けると小麦色になることもなく痛みと赤みだけが残る。今や日焼け止めは信一の必需品だ。
「子供の頃はこんなことなかったのに」
 ぶすくれる顔を、龍捲風の手が優しくすくい、視線を合わせた。そうして、目を細めて真一文字に走る傷にキスを落とし、クリームを鼻先につける。
「ちょっ、大佬!」
「はは、そうしていると今も昔も変わらんな」
 龍捲風はよく笑うようになった、と思う。
 口角を少しあげるだけじゃない、愛おしくてたまらないといった眼差しで、声をあげて。
 なにより愛していると、隠さなくなった。
「大佬は格好良くなりすぎだよ」
「可愛い恋人に遜色ないようにしようとジジイは必死なんだ」
「っ、そういう、とこ!」
「ん? どうした? ああ、まだ赤みが消えないか?」
「も~~~~! そういうとこ!!」
 意地の悪い笑み、は、昔からだけれども。
 あの頃背負っていた何もかもを置いてきた今、腕を曝して、心を解放した龍捲風は信一にだって眩しい。離れるつもりは全くなかったけれど、この人のこんな顔を見られるなんて思いもしなかった。この人とこんな風に生きていけるなんて思いもしなかった。
「信一」
 うん?と目をぱちりと瞬く信一に、龍捲風がまた笑って髪をくしゃりと掻き混ぜる。もう薬剤を扱うこともない指先はこの暑さでしっとりと熱を持っていた。あの頃知らなかった、けれども今はもうひとり占めできる龍捲風がまたひとつ増えていく。
「塗り終わったら、そのお勧めのチャニー種とやらを食べさせてくれ」
「俺の手で?」
 照れくさくなって嬉しくなって、そう茶化して言えば、肩眉を上げた龍捲風がすうっと目を細めた。
「こっちでもいいが?」
 にたりと弧を描いた唇が合わさる。含み笑いと共に滑り込んできた舌先は熱い。火照る肌がちりちりとした。