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柚子子
2025-08-16 22:10:18
7356文字
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Dog Days of Summer
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Dog Days of Summer (7)
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苗字
どん、と打上げ花火の一発目が夜空に派手にぶちあがった。歓声に続いて、ぱらぱらと花火が散る音。周囲は静かなざわめきに満たされている。けれど俺の耳には、それらの音はほとんど届いていなかった。
花火が打ちあがる音のせいで、せっかくの告白が聞こえなかった
……
なんていうべたは、さすがに現実にはありえなかった。そもそも
苗字
の言葉は、花火が打ちあがるよりもわずかに早く俺の耳に届いている。
──私も黒尾のこと、好きです。
ふざけたところのない、だけど真面目くさってもいない、ちょっと照れたような
苗字
の言葉は、ちゃんと俺の耳に届いていて、頭のなかで何度も何度も、しつこいくらいに反響していた。
「好き、って」
「うん。黒尾のこと、私も好き」
うわ言のような俺の呟きにも、
苗字
はうなずいて返事をしてくれる。
「いや、でも今お前、」
「だからさっきの話で言うと、これ以上黒尾に幸せにしてほしいとか、そういうことは特に思ってないんだけど、でも、幸せにしてくれるというなら、それはそれで、全然やぶさかではないです
……
っていう」
「ええと、それはつまり?」
「え、もう二回言ったのに、さらにもっかい言うの? 伝わってない?」
伝わっていないはずはない。というかよほど耳が遠いか、
苗字
の言葉をそのまま受け取れないひねくれものでもないかぎり、受け取り不備になるような言葉ではなかったはずだ。だって、好きって。俺が一番聞きたかった言葉を、まさか聞きそびれるはずがない。
それでも、
「もうちゃんと聞いててよ」
内心激しくうろたえる俺に、
苗字
は呆れたような笑顔を向ける。しょうがないやつ、とでも言いたげな顔は、俺が好きな
苗字
の表情トップスリーに入る顔でもあった。
そんな最高に可愛い顔で、
苗字
はさっきの言葉を繰り返す。
「私も黒尾のことが好き。
……
さすがに、これ以上はもう言わないから」
伝わってる? と問われ、俺は勢いよく首を縦に振った。ださいことこの上ないが、そんなことを気にしていられるほどの心の余裕はない。今はとにかく、一刻も早く
苗字
との間にコンセンサスを取っておきたかった。
「そ、その好きっていうのは、あれだな? 友情的な意味とかではなく?」
「それ、最初に黒尾に告白されたとき、私も同じこと黒尾に聞いたよね?」
勢い込む俺に、
苗字
は屈託なく笑う。
「もちろん友情的な意味でも好きだけど
……
、恋愛的な意味でもちゃんと、黒尾のこと好きだったよ」
「だ、だった、というのは
……
なぜ過去形
……
」
「言ってなかったけど、高一の最初の頃に黒尾のこといいなと思ってたんだよね。恋愛的な意味で」
「は!? 聞いてないぞ!」
「だから言ってないんだってば」
衝撃の発言が飛び出すも、
苗字
は平然としていた。俺はといえば、どこからどう理解していいものやら分からず、いよいよ本格的に頭を抱えるしかなくなってくる。
周囲の夏祭り客はみんな夜空に顔を向けている。しかし俺と
苗字
だけは花火になんか目もくれず、お互いの顔ばかりを見つめていた。
もっとも、俺はうろたえて頭を抱えているのに対し、
苗字
はにこにこと機嫌よさそうにしている。まるで狼狽する俺のことを、面白い出し物とでも思っているんじゃないかという顔だ。
くそっ、好きって言われて喜ぶべき場面なのに、こんな訳分からんことになることあるか
……
!?
無力感と悔しさに打ちひしがれながら、俺はどうにか頭を回した。
要するに、あれだ。俺が二年以上も
苗字
への恋心をあたため、同時にひた隠しにしていたのと同じように、
苗字
もまた俺のことを恋愛的な意味でいいなと思ってくれていた、と? そういうこと
……
か
……
?
いや、分かるかい! そんな素振り、まったくなかっただろうが!
「なんで言ってくれないんだよ
……
」
さすがに恨み言のひとつも、口から飛び出そうというものだ。だって、
苗字
が早々に好きだと言ってくれていたら、こんなに回りくどいことにはなっていたかったはずだ。相手のことが好きな人間同士、さっさと付き合うのに何の問題もない。
「二年間、何も言ってこなかった黒尾に言われたくないんだけど
……
」
「ぐっ、それを言われると反論できない
……
!」
「ていうか、しょうがないじゃん。だって好きだなって気付いたはいいものの、黒尾からの私への態度とか見てると、どう考えても脈ナシっぽかったし。一年のときからずっと、黒尾は私のこと一切意識してなさそうだったよね?」
それはそう、そうだろう。むしろ俺は、徹底して俺には下心なんかないですよーというムーブを取り続けていた。それこそが
苗字
の隣を陣取る上での最適解、最良の振る舞いだと信じていたからだ。
苗字
はさらに続ける。
「それでガンガンいけるほど、どうしても付き合いたいわけじゃなかったし」
「くっ
……
!」
「でも黒尾のこといいやつだなとは思ってたよ。それに黒尾、恋愛対象としては私のこと見てなさそうだったけど、ふつうに私と仲良くするつもりはありそうだったし
……
。だったら友達として仲良くするのでもいいかなって」
「俺なんか
苗字
に脈アリアリのアリに決まってんだろ
……
!」
「言われなきゃ分かんなかったよ。友達としてはかなり良い線行ってるなと思ってたけど」
「じゃあ何か!? 俺の『下心なんかないですよムーブ』は」
「完全に裏目に出てたっていうか、悪手オブ悪手だった」
「
……
もう俺は東京湾に沈み、そこで物言わぬサンゴ礁となります。サヨナラ」
「東京湾にサンゴ礁ないよ」
「それがあるらしいぞ。近年、温暖化の影響で」
「へえ」
「どうでもよさげな反応どうも」
「いや、この会話の流れで私がサンゴ礁に食いついちゃったら、話がどんどん脱線しちゃうけどいい?」
「だめだな。食いつかないでくれてありがとう」
「どういたしましてね」
どちらともなく、そこで深く息を吐きだした。いつものような会話を挟んだことが、はからずも興奮しきっていた心に平静をもたらしてくれたらしい。ようやくちょっと落ち着いて、現状を理解できるようになりつつあった。
つまるところ、俺と
苗字
はこの二年間、お互いの本心も知らずに両片思いをしあっていたということだ。おまけに、お互い相手にアプローチする気もまったくなく、ただただ最良の友達として、楽しい楽しい高校生活を謳歌してきた。
それはそれでもちろん、かなり最高の高校生活ではあった。ありはした。が、この際それは置いておくこととした。不毛なことと分かっていても、手に入らなかった方の高校生活に思いを馳せてしまうのをやめられはしない。
「はぁ、うわ、まじか
……
」
溜息を吐く俺。しかし、そんな俺とは対照的に、
「うん。そう、まじ。だからこの夏休み、私はすっごく楽しかった」
苗字
はあまりにもいい笑顔だった。
苗字
からこの笑顔を引き出しているのが俺だと思えば、まあけして悪い気はしないはずなのだが、如何せん
苗字
を笑わせたというよりは、
苗字
に笑われているという方が正しそうなのが悲しい。
「黒尾には悪いと思ってるんだけど、何せこっちは両思いって分かってるからさぁ。黒尾が一生懸命アピール? してるのとか、そういうのも全部めちゃくちゃ嬉しかったし、楽しかった」
「お前
……
いや、俺も楽しかったけども
……
」
俺は思わず肩を落とし、両手で顔を覆った。頭上で派手に花火が咲き乱れているにもかかわらず、顔をうつむけ打ちひしがれているのなんか、多分この場で俺くらいだろう。
しかし、ここで悄然とするのはあまりにも情けない。というかどうあれ俺の気持ちが実を結んだのは事実なのだから、本来ならばそこまで落ち込む必要すらない。
よし、切り替えよう。心を決め、俺は勢いよく顔を上げた。
「いや、いい。分かった。ここまでのことは、大体理解したし納得した」
「どう見ても項垂れてる人だったけど」
「いや、そんなことはない。なぜなら俺は切り替えと前向きが取り柄の男なので」
「そんな感じの自己評価なんだ」
やや困惑気味の
苗字
にかまわず、俺は言う。
「だがしかし! 納得はしても、これだけは言わせてほしい。それならそうと、もっと早く言ってくれたらよくないか!? 終業式の日に告白したときとか、その場で返事してくれてもよかったのでは!? と、俺は思う!」
「もちろん言おうと思ったよ?」
「じゃあなんで、」
「ていうか、夏休み明けまで返事は保留にしてって言ったの黒尾じゃん」
呆れたように言われて、俺も思い出した。そういえば、たしかにそうだった。俺が勢いあまって告白したとき、
苗字
はたしかに何か言おうとしていたのだ。あれは間違いなく、俺の告白に対する返事だった。
しかし、それを先延ばしにしたのは俺だ。なぜか? それはもちろん、どう考えてもお断りされそうな雰囲気だったからだ。振られたくなかった、その一心から出た苦肉の策に他ならない。
誰だって胸躍る夏休み前、それも高校生活最後の大会を目前に控えた夏休み前に、告白をお断りされたくはない。振られるならせめて、夏休み明けの方がいい。そんな弱気が、俺にあんなことを言わせた。もっとも、振られるのに適した時期が夏休み前か夏休み明けかについては、人によって意見が割れるところではあるのだろうが
……
ともかく。
「あんなもん、お断りするなら夏休み明けにしてってことでしょーが! 承諾のお返事ならその場で即答大歓迎だ!」
「そんなの知らないよ! だって私は『返事は』って言われたもん、『お断りするなら』なんて言われてないもん」
「もんじゃないんだよ、可愛い顔しやがって」
「可愛いと思ってるんだ」
「めちゃくちゃ思ってますけどね!」
はーぁ、と、ふたたび溜息を吐き出した。今度は顔こそ俯けていないものの、やはりどうしたって視線は遠くを見つめてしまう。
そんな俺を心配してるのか、それともさすがに言い過ぎたとでも思ったのか、隣の
苗字
が不安げに俺の顔を覗き込んだ。
首を少しだけ巡らせ、俺を見つめる
苗字
と視線を合わせる。ちょっとだけ顔を傾けた
苗字
は、
「黒尾、怒った? 小賢しいことしやがってとか思ってる?」
やや声をひそめて、そんなふうに俺に尋ねた。
「いや、そこまでのことは思ってないけど
……
つーか小賢しいって何? 今の話で
苗字
に小賢しい要素あった?」
「俺の純情を弄びやがって的な」
「あ、それはちょっと思ってるな」
「思ってるんだ」
「思ってる」
純情とまでは言わずとも、おちょくられたなとは思っている。大体、告白の返事は夏休み明けに、という俺の言葉に「お断りの返事なら」がつくことくらい、
苗字
でなくても容易に想像できるだろう。
苗字
は俺の言葉に従ったと言い張っているが、そこにまったく悪戯心がなかったなんて、とてもじゃないが信じられない。
苗字
本人も分かっていて、それで若干のうしろめたさを感じているのだろう。だからこそ、小賢しいなんて言葉が出てくる。
そこまで考えて、俺はちょっと笑った。
苗字
がうかがうように俺を見る。その視線を受け止めて、俺は答えた。
「でもまあ、嬉しいからいいよ」
「
……
嬉しいの? 何が?」
「
苗字
が俺のこと好きだってことが」
「あ、そのこと」
苗字
が少し拍子抜けしたように言った。
「でも、ふうん
……
、そっか。そっか、黒尾、嬉しいんだね、よかったね」
「よかったねって。お前はどの立場から物を言って
……
? まあ、いいか。とにかく、だ。そういうわけなんでね、今の俺は大概のことは許せるし、だいたい何でも受け止められる」
「よかった、助かる」
「つーかそもそも、
苗字
になら多少小賢しいことされてもね、俺は絶対許しますよ」
「え? いや
……
うーん
……
、それはちょっと、よくないかも」
「よくないのかよ」
「よくないでしょ。さすがに絶対許してもらえるって分かっててやる小賢しさは、悪徳がすぎる気がする」
「あ、つぼ売るときは正直に『詐欺だよ』って言っといてね」
「詐欺って言って買ってくれるんだ」
「のっぴきならない事情があるんだなぁ、と思いながら通報する」
「ちょっと。買ってよ、つぼを」
「通報は市民の義務だぞ。当然、泣く泣く通報させていただく」
「だから泣いてないでつぼを買ってって」
「バカ野郎、つぼなんか金欠の俺に買えるわけないだろ」
「急にマジレスしないでよ」
「俺の金欠をなめるな、言っとくけど冗談じゃないからな。俺がカラオケのときクーポン出してもらうのに、どれほどの痛みを感じたと思ってやがる」
「そんなに? 別によくない?」
「普通にめちゃくちゃありがたくはあったけどな。しかれどもその恩恵に浴するにあたり、俺に忸怩たる思いがなかったと思うか?」
「黒尾、現代文の課題やった?」
「昨日やった。そこで覚えた言葉使ったんだけど、バレたか」
「なんか最近どっかで見たか聞いたかしたような語彙だなぁと思った」
「とにかく! 俺にも一応プライドっつーもんがあるんだよ。クーポンは使わせてもらったけど!」
「そんな話してたっけ?」
「違うけど、これも言っておきたかったことだから、ここぞとばかりに言った」
「なるほど」
言いたいことを思うままに並べ立て、いつも通りの中身のない会話を一通り交わしたところで。
「
苗字
」
俺は改めて、
苗字
の方へと向き直った。呼ばれた
苗字
が「ん、なぁに」と気の抜けた返事をする。
苗字
の顔をまっすぐに見つめた。暗がりのなか、少しだけ汗ばんだ
苗字
に向け、俺は尋ねた。
「あのさ、好きって言っていい?」
「言って、じゃなくて? 黒尾が言うの? 私じゃなく?」
「そう。俺に言わせて」
俺が真面目にうなずくと、
苗字
はなぜか眉を下げて苦笑した。
「おい、なにを笑ってんだ」
「いやいや。なんか、別にいいんだけど、今更だなぁと」
「うるせー、好きって言うぞ」
「あはは。うん、言ってよ」
笑いながら、
苗字
が俺にねだる。
「もう一回、黒尾の気持ち教えて」
ぐうっ、と漏れかけた声を、俺はすんでのところでどうにか堪えた、
それは世界で一番、破壊的に可愛いおねがいだった。
呼吸を整えるべく、二度三度と深呼吸を繰り返す。それからようやく、俺は
苗字
に向き直った。
うっすら笑って、
苗字
は俺の言葉を待っている。悩んだ末、俺はもっとも飾り気のない言葉で、気持ちを伝えることにした。
「
苗字
名前
さん、好きです」
「はい、私もです」
「俺と付き合ってくれませんか」
「え、付き合うの? いや、それとこれとは」
「え、待て。おい。うそだろ」
「うん、うそ。こちらこそ、お付き合いのほどよろしくお願いします」
そこまで言うと恥ずかしくなったのか、
苗字
は「えい」と俺の腕を軽くこづいた。だからそのキュートすぎる暴力をやめてくれ。うそ、やめないでほしい。一生俺を可愛く小突いてくれ。
ふと、視線を夜空に転じる。いつのまにやら花火も終盤にさしかかったらしい。次から次へ、出し惜しみなしの一挙放出の乱れうちといった様相で、派手な花火が夜空を明るく染め上げていた。
「なんか、花火どころじゃなかったね。かき氷も結局食べなかったし」
不満じみたことを言いつつも、
苗字
の顔は花火と同じくらい明るい。
「つーかさぁ、もしかして俺ってこの夏休み、ずっとピエロだったのか? それはさすがに俺が可哀相すぎないか?」
「うーん、まあピエロではあったかもしれないけど」
「おーい、頼むから否定してくれい」
「んふふ。でも、黒尾って本当に私のこと好きでいてくれてるんだなって分かったから。さっきも言ったけど、私はこの夏休みずっと嬉しかったよ」
苗字
が夜空から俺へと視線を移した。きらきらと輝く
苗字
の瞳に、俺の目はくぎ付けになる。
「夏休み前に告白された時点で、当たり前に『OK』の返事は決まってたんだけど
……
、でも、なんていうか、
……
うん。黒尾のこと好きになった私の目に狂いはなかったなって、そう思ったかな」
その言葉に、胸のなかがぐっと狭くなったような、そんな心地におそわれた。
苗字
にそんなふうに見直してもらえたというのなら、ピエロになっていたのも悪くなかったのだろうと思える。この一か月、ひとりで浮かれたり頭を抱えたり、情けないくらいてんてこまいになっていた俺も成仏できるというものだ。
「ねえ、夏休みが明けたらさ、ときどきは一緒に帰ろうよ。私、図書室で勉強して、黒尾の部活が終わるの待ってるから」
「えっ、この期に及んでそんな、俺に都合よすぎることがあっていいのか?」
「あっていいらしいね、どうやら」
「まじか。これが付き合うってことなのか
……
!」
「そうらしい。付き合うっていうのが世間では良いこととされているらしいのも、こうなってくると頷けるね」
「そりゃあ、良いこととされないはずがないな、こんなもん」
「たしかに。この良さは後世に語り継がれてしかるべき」
「しかり、しかり」
「ら、り、る、る、れ、れ」
「ラ行変格活用」
「あり、をり、はべり、いまそかり」
受験生っぽい雑談に流れかけたところで。
「付き合っても多分、俺らそんなに変わんないんだろうと思うけど」
俺は強引に話題を引き戻した。
「というか、あんま変わらないままでいたい気もするしね」
「それでも、彼女になってもらったからには、俺もちゃんと彼氏として、できることしていくつもりなんで」
「うん。はい」
「なので
……
末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
高校生活最後の夏、ずっと好きだった女の子が俺の彼女になった。
彼女になった
苗字
は、「かき氷買いにいこっか。黄色いやつと、レインボーのやつ!」と俺の手を引き、嬉しそうに言って笑った。
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