千代里
2025-08-16 14:38:14
17642文字
Public リーブラ15話
 

リーブラの針は問う・15話・その20


「お前らは、一体どこまで知っている?」
 こちらを挑発するかのような、ルーシャンの物言い。
 だが、彼がこちらの無知を嘲笑うために言ったわけではないことは、ノエにも分かっていた。
 どこまでノエたちが現状を知っているのか、探るために、本心から彼は問いかけている。
 あるいは、何も知らないならば、言葉すら交わす意味はないと思っているのか。
……ここに、ルーシャンさんのお父様が遺した魔法が眠っていることを」
 怯むことなく、ノエは己の知る全てを語る。
「その魔法が、邪竜ニーズヘッグ討伐の一手になるかもしれないことも、その代償として大地のエーテルが損なわれ……魔法の使用者となる者の命が失われることも、知っています」
 一度唾を飲み、忌避していた言葉に触れる。
「それが……オデットである、ということも」
 出し惜しみなどない。これだけの手札を見せてなお、言葉を交わさないなどという選択は許さない、という意思を示すためにも。
 へえ、とルーシャンが驚き混じりの声を漏らすのが聞こえた。
「よくもまあ、この短期間でそこまで知れたものだ。後ろの兄さんからの入れ知恵か? オデットの兄同士、仲も良いってことか」
 揶揄するような言葉は、ノエの背後に控えたミラベルへのものだ。
「彼が教えてくれた部分もあります。ですが、最初に魔法の存在を聞いて、そこに代償が隠されているのではないかと疑問を抱いたのは、あなたがきっかけです。ルーシャンさん」
「あんたは、オレたちに何も言わずに、あんな形で消えただろう」
 ノエの言葉を引き取ったのはオランローだ。
「邪竜を倒せる魔法が完成していたのなら、イシュガルドの人間にとってはこの上ない朗報のはずだ。だというのに、こいつに伝えずに姿を消した時点で、何かあると思うのは当然だ」
「つまり、君の独断行動が、ノエをここまで動かしたってことでもあるんだよ」
 ヤルマルにまで立て続けに言われて、ルーシャンは肩を落とすような仕草をしてみせた。
 三人の言い分に反論が見つからない、といったところか。
「それで、お前らがぞろぞろとこんな所までやってきた理由はなんだ? 世にも珍しい大魔法が発動する瞬間を見たいって気持ちは、確かに分からんでもないが」
「申し訳ありませんが、今はあなたの軽口に乗っている時間も惜しいのです」
「なんだよ。つれないな」
 軽口で場を誤魔化す時間は、とうの昔に終わっている。
 できるならば、そのような益体もないやり取りを永劫続けていたかったが、今はそうもいかない。
「僕は、オデットの犠牲を認めません」
「意外だな。お前なら、もっと悩むかと思ったが」
 言いつつ、ルーシャンは腰に吊るした細剣の柄を握り、ゆっくりと抜く。鞘走りの音が、冷えた空気に響いて消えた。
「考えてみろ。お嬢ちゃん一人の犠牲と、この辺り一帯の大地のエーテル。たったそれだけを犠牲として差し出せば、この広いイシュガルドに生きる全員の安息が得られるんだ。どっちの天秤を傾けるべきか、お前にも分かるんじゃないか?」
「確かに、得られるものが大きい方を優先するというのが一般的な考えなのかもしれません。ですが、僕はそのようなやり方を認められない」
「それもそうか。オデットは、お前にとって一番大事な人間なんだからな」
「いいえ、ルーシャンさん。オデットが大事なことは認めますが、僕はオデットだから犠牲を否定しているわけではありません」
 言い切ると同時に、ノエは自分の後ろから小さく息を吐く音が漏れたのを聞き取っていた。
 諦め混じりのため息と苦笑。しかし、それでいて、どこか安心したようにも聞こえる吐息は、ミラベルのものだ。
 彼は、結局ノエの意見を肯定しなかった。だが、否定もしなかった。それがこの数年間悩み続け、答えを出せなかった優柔不断の自分がせめてできることだと、結論づけたのだろう。
 その苦笑いを許しとして受け止め、ノエはルーシャンへ向き直る。
「誰かを犠牲にするようなやり方を、僕は正しいと言いたくない。ただそれだけです」
 この回答は、ルーシャンを驚かせるものだったらしい。下げた剣先がぶれ、ルーシャンの瞳が驚きで一瞬瞬きを忘れていた。
 だが、教学もほんの一瞬のこと。彼の瞳には、程なく納得がゆるりと浮かぶ。
……それもそうか。確かに、若人ならそういう結論を出す、か」
「ルーシャンさん。オデットを返してください。……そして、犠牲を出して解決する以外のやり方がないか、共に探していきませんか」
 ノエは腰の剣には手をやらず、ただ真っ直ぐに、ゆっくりとルーシャンの元へと近づく。
「この魔法は、まだ未完成だと考えることはできませんか。今は大地のエーテルや魔道士の犠牲を元に、無理やり稼働させられる状態にしただけだ、と」
 すでに剣を握ったルーシャンなら、易々とノエを切り伏せられる距離。
 そこまで至ってもなお、武器を構えず、代わりにノエは手を差し伸べる。
「この魔法を、誰も犠牲にせずに発動させる。魔法そのものをヒトの手で編み出せたのなら、抱えてしまった欠点もヒトの手で改められないでしょうか」
 一瞬、ルーシャンの視線がノエへと向かう。
 ノエが差し出した手に向けられた眼差しは、奇跡が起きるのを期待しているかのように、束の間揺れていた。だが、
……そいつができれば、苦労はしなかったんだけどな」
「ルーシャンさん!」
 オデットの悲鳴があがる。彼の振るった細剣が、あわやノエの手を切り落とすかのように見えたからだ。すぐさま半身を引いたノエの手は、幸いまだ彼の手首につながっている。
「それが、あなたの答えなのですか……っ!」
「時間があれば、若人の提案も考えるだけの価値はあっただろうな。だけど、邪竜を一分一秒でも早く滅ぼせるなら、多少の犠牲なんていくらでも目をつぶれるって奴がいることを、お前だって知っているだろ」
「オーバンさんを説得できるという可能性も、あるかもしれません」
「それこそ、言うだけ無駄だ。ゼロの可能性への賭けなんてものは、もはや賭けとして成立すらしないんだよ」
 ルーシャンには反論をしたものの、ノエもオーバンに納得してもらえるとは到底思っていなかった。自分の考えが、為政者にとっては許容できない楽観論であるとも理解していた。相手がオーバンではなかったとしても――例えばノエの父であったとしても、邪竜ニーズヘッグを倒せるかも知れないという希望が手の届くところにあったら、間違いなく彼らはすぐにその希望に飛びつくだろう。
 犠牲を出したくない、などという個人的な感情は、大義の前ではあっさり踏み潰されてしまう。
「どうしてもオデットを取り戻したいって言うなら、俺を殺す気で来い。もっとも、ただでは殺されてやらないけれどな」
…………
 そう言われて、ノエはあわや切り落とされかけた己の手を見やる。
 半身を引いても、あの一瞬、ノエは本当に自分の手が落ちたと思った。
 束の間の攻防はあまりに刹那的なもので、わざと避けられるようにルーシャンが剣を振るったのか、そうでないのか、答えを出すことはできなかった。
……いや、僕は信じたい)
 あの一瞬の攻防で、ルーシャンはわざとノエが避けられるように剣を振るったのだと。ゆるくかぶりを振り、ノエは言う。
「分かりました」
 殺す気で来いと挑発するルーシャンに、ノエは首肯を返す。
 オデットが小さく息を呑み、目を丸くしている。しかし、ノエは彼女を安心させるように、束の間微笑を見せ、
「ただ、最初にあなたと剣を交えるのは僕ではありません」
「へえ。古式ゆかしく一騎打ちを認めてくれるのか。それなら、誰が最初に俺の相手をしてくれるっていうんだ?」
――それは、私」
 凛と響く声。
 ゆっくりと翳る日差しに照らされ、ルーシャンへと一歩ずつ近づく影の主は。
……サルヒ」
 数日とはいえ、二人きりでルーシャンと旅をしていたオデットには、すぐ分かった。
 そのたった一言の呼びかけが、二人きりのときに聞いたどんな声よりも、彼の心の揺れをありありと示していると。
「ルーシャン。私は、あなたを知ろうとしなかった。あなたが何に絶望をしていたのか、内心で何を求めていたのか。私は、あなたの側にいることだけに満足して、あなたが抱えていたものから目を逸らした」
「別に、お前を責めるつもりはないぞ、サルヒ。別に、お前に知ってほしいとも思っていなかったからな」
 今までなら、こうして突き放されてしまったら、サルヒは黙りこくることしかできなかった。
 ルーシャンが望まないことはしてならないと、従者としての本分からはみ出すまいとしただろう。従者という既に終わりきった関係に固執して、彼の傍らにいられなくなるかもしれないと、変化することを恐れていた。
 だが、今は違う。
「あなたが私に何を望んでいるかなんて、今はもうどうでもいい。私は――私自身が、あなたの全てを知りたいと思った。知らない立場に甘んじていた過去の自分を、許せないと思った」
 背に負っていた斧の握り手を掴み、ゆっくりと構える。いつもなら立ちはだかる者の命を奪うための重みは、今は己の覚悟を示すものとなる。
――そして、私はあなたに大旦那様が遺した魔法を発動させないと決めた」
 ルーシャンの一挙一動に振り回されるのではなく、自分の中に湧き上がる感情だけを思うがままにぶつける。
 そうして出した結論に、ルーシャンは片眉を跳ね上げた。
「ノエから聞いたんだろ。俺の悲願を知った上で、お前はそんなことを言うのか。随分と不忠者に成り果てたな、サルヒ。かつての主人として悲しく思うぜ」
「進む先で後悔すると分かっている道に、自ら向かおうとする主人を止めるのが不忠だというのなら――私は不忠の従者で構わない」
 冷えていた声に、徐々に熱が点っていく。はあ、と漏れた吐息には、制御した己の中の獣の呻き声が潜む。
「あなたを止める、ルーシャン。あなたを死なせないために」
「やってみろ、サルヒ。本気の俺に、お前が勝ったことがあったか?」
「試してみなければ、分からない!!」
 裂帛の気合いと共に、砲弾のようにサルヒが飛び出す。ルーシャンがすかさず作り上げた障壁に激突し、凄まじい衝突音が周囲に響き渡り、魔力の余波が衝撃波となって周囲の木々をざわつかせた。
 オデットを背に、一歩も譲るまいとするルーシャンと、彼の意思を曲げるために斧を振るうサルヒ。かつての主従の戦いの火蓋が、切って落とされた。
 
 ***
 
 サルヒの振るう斧は、手加減にはまるで向いていない。肉厚の刃を持つそれは、魔物を一刀両断するのにはうってつけだが、ヒトの命すら容易く奪ってしまう。
 サルヒは、ルーシャンを殺したいわけではない。ただ止めたいだけだ。
 彼を傷つけすぎずに無力化するなら、武器を持ち替えるべきだとは分かっていた。
 だが、ルーシャンを相手に扱い慣れない武器で勝てるのか。答えは、間違いなく否だ。
 そして今、サルヒは己の判断が正しかったと知る。
「どうした、サルヒ! 事ここに至って、優しい従者様は手加減をしてくれているのか!?」
 挑発と共に斧へと叩きつけられる細剣の一撃は、魔力を纏っているからか、まるで鉄の塊に殴られたように重い。
 それでいて、剣に余計な負担をかけないようにするため、鎬を削りあうような場面には持ち込まない。サルヒが前に踏み出し、力で押そうとすると、彼はあっという間に得物を引く。
(武器の重さなら、私が勝っているはずなのに……!)
 自分の得物でルーシャンの剣を叩き折ってしまえば、それで終わりだと、どこかで楽観視していたのかもしれない。
 しかし、ルーシャンとて、サルヒの闘い方は熟知している。サルヒが何を得意としていて、何を不得手としているか、彼には手に取るように分かっているのだろう。
「あなたこそ、いつもみたいに逃げ回ればいいものを……! 動かずに、私と武器をぶつけ合うなんて、あなたらしくもない!」
「逃げられない理由があるってことくらい、お前も分かってるだろ。若人は、一対一の決闘に水を差すようなやつじゃないだろうが――
 言いながら、サルヒの目の前でざわりと不自然な空気の流れが渦巻く。咄嗟に体を逸らすと同時に、目の前で風が爆発した。
(魔法を詠唱させる隙なんて、与えたつもりはなかったのに……
 近接戦に高速詠唱を挟み込むのは、ルーシャンの得意技だ。分かっていたはずなのに、改めて敵にすると、その規格外ぶりに戦慄する。
「あちらの連中は、隙あらば何をしてくるかわからないからな。早々逃げてもいられないんだよ」
 言いながらも、今度はサルヒの眼前に石柱が突き上がる。すぐに崩れ落ちたものの、一歩踏み出す方向を間違えていたら、サルヒの半身は串刺しにされていただろう。
 体勢を立て直しているうちに、再び細剣が迫る。しかし、サルヒとて、やられっぱなしではない。警戒をしつつ、彼の連撃を斧の一閃で乱暴に薙ぎ払う。
 纏っていた魔力は、先ほどよりも少ない。流石に魔法を使った直後は、剣に回すほどの魔力はないようだ。だが、続く攻撃は風の魔法に妨害されてルーシャンには届かなかった。
 攻防一体。
 サルヒが指摘したように、あたかも礼拝堂の門番のように立ち塞がるルーシャンは、戦いが始まってからほとんどその場を動いていない。なのに、既にこんなにも押されている。
「俺に比べてお前は好きに動いていいっていうのに、何てざまだ。そんなへっぴり腰で、俺を止めるだなんてよく言えたものだな」
……!」
 サルヒの眦が吊り上がったのを、無言の非難として受け止め、ルーシャンは挑発的な笑みを口角にのせる。
「さっきも言ったはずだ。お前が俺のことで、何か負い目を感じる必要はない。お前に、何か知ってほしいなどと、俺は最初から期待しちゃいない」
 彼は、こちらに揺さぶりかけようとしている。分かっていても、一瞬、サルヒの胸が鈍く痛む。
「だから、お前がここにいる理由に俺は関わっちゃいない。お前が俺を止めたいって言い出したのも、お前が勝手に考えてだした結論だ。そして、俺がその勝手に付き合う義理もない」
……あなたが手を抜かないことぐらい、分かってる」
 ルーシャンは全力で抗い続けるだろう。サルヒのために、手加減などしてくれない。
「むしろ、手を抜かないでいてくれて――よかった」
 話しながらも、沸々と心が湧き立つのがわかる。一瞬気押された心が、ルーシャンの挑発を受けて逆に喝を入れられたようだ。
「それは、あなたにとって、私は全力で抵抗するだけの価値はある相手だっていうことだから」
 いつまでも、無力な子供扱いされていたのならば、それこそ我慢できなかっただろう。だが、ルーシャンはサルヒを一人の敵として相対し、全力で攻撃してくれている。
 彼に刃が届かないのは、それだけ彼が本気の証拠だ。
「私は、あなたの選択を受け入れない。あなたが一人で抱え込んで、勝手に絶望したことも許さない」
 腰を落とし、斧を構える、
 一歩踏み出す力は、先ほどよりもなお重く、心を湧き立たせる。
「私は――あなたの選ぶ道を、拒絶する」
「それが本気なら、俺の首を飛ばしてでも止めて見せたらどうだ」
「あなたを殺すために、ここに来たわけじゃない。私は、あなたを止めるために来た」
……はっ。それを、舐めているって言うんだよ!」
 瞬きの間に、ルーシャンの背後に光でできた杭が数本生み出される。魔力で作られた杭は、弾丸のようにサルヒへと撃ちだされる。まとめて払われぬように、時間差を置いてやってきたそれらを、サルヒは冷静に一つずつ斧で叩き落とす。
 そして、急激に自分の元へ急接近する気配への対処も忘れない。
……っ! 流石に読まれたか」
「あなたがそういう戦い方をする人だって、私が知らないとでも?」
 魔法を目眩しに、近接戦を仕掛ける。両方の技を得意とするルーシャンならではの戦法だ。
(大丈夫。私は、この人を止められる)
 いつも、サルヒはルーシャンに止められる側だった。己の中に眠る獣が暴走したとき、サルヒを正気に戻すために彼は戦い続けてくれた。だからこそ、サルヒは彼を信頼して斧を振るうことができた。
 けれども、それは、今まで、サルヒがルーシャンに甘えていたということでもあった。
 彼なら、自分が囚われ続けた恐怖から救ってくれる。そう信じて、彼に身を委ね続けていたのだ。
(でも、今回は逆。私が、この人を止める)
 サルヒのように、理性を失って暴れているわけではない。むしろ、ルーシャンは冷静に考え抜いた末に、この道を選んだのだろう。
 しかし、それはサルヒがルーシャンを受け入れる理由にはならない。
……ありがとう、ルーシャン」
「礼を言われるようなことを、今の俺がしているようには見えないんだがな」
 咄嗟に魔力を纏わせたからか、斧と細剣が激突して、鈍い衝突音が響く。
 だが、サルヒの人並外れた腕力による一撃は、確かにルーシャンに届いたのだろう。一瞬とはいえ、彼の顔に焦りが浮かぶ。
「これは、あなたが、これまで私を止めるために奮戦してくれたことへの感謝。人間一人の本気を止めるのがどれほど難しいか、私はようやく分かった」
「そいつはどうも。礼を言うくらいなら、退いてもらいたいものだがな。俺だって、ガキの頃から面倒見てたやつを怪我させたいわけじゃない」
「でも、その発言は少し嫌」
 意識して、サルヒは口角を釣り上げる。笑顔を見せるのは、自分を鼓舞するためだ。
 だが、それはルーシャンの目には、獣が獲物を前にして舌なめずりしているように見えたのか。彼の顔に残っていた余裕が、ゆっくりと薄れていく。
「私は、もう――あなたに守られている子供じゃ、ない!!」
 地を踏み破るように弾みをつけ、一息で相手に飛び掛かる。
 ルーシャンが組み上げた魔法の障壁を打ち破り、彼が避けようとしていた鍔迫り合いに持ちこまんと、サルヒは斧を振り抜く。
「私は、サルヒ・ケレル。あなたに助けられ、あなたに従い――今は、あなたを止めるために、ここにいる!!」
 ***
 
 サルヒとルーシャンの攻防は、時が経つにつれ、間に入る隙がないほどに激しさを増していった。
 最初こそ、サルヒの攻撃でルーシャンが負傷するのではとハラハラしていたノエだったが、一進一退を続ける彼らに、どちらが勝つか読めなくなってきたと感じるようになっていた。
 それでいて、ルーシャンは依然としてオデットを背にしたまま戦っている。
 彼の立ち位置は、戦いを開始した頃から大きく動いておらず、もしノエたちがオデットの元に駆け寄ろうとしたら、すぐさま妨害に入るつもりなのだろう。
 もっとも、そのようなことをしたら、勢い余ったサルヒが、ルーシャンに致命的な一撃をうっかり与えてしまうかもしれない。そして、それはノエたちにとっても避けたいことである。
(あるいは、ルーシャンさんはそれすらも織り込み済みなのかもしれない)
 ノエたちは――少なくともノエとサルヒは、自分を殺せない。体を損なうような、大きな傷も与えられない。それが分かっているからこそ、一騎打ちを受けたのかもしれない。
 自身の命すら賭けの天秤に乗せる。ルーシャンらしい駆け引きのやり方だ。
「今のうちにオデットだけを連れて、ここを去る……というは、やはり難しいのでしょうね」
「僕も隙を窺っているのですが、迂闊に動けば魔法の余波で怪我をしかねません。それが分かっているから、オデットもあの場所から動いていないのだと思います」
 わかりきったことを敢えてミラベルが尋ねたのは、同じ意見を持っているか確かめるためだろう。
 ノエの言う通り、オデットはちらちらとルーシャンとサルヒの一騎打ちを見守っているものの、その隙に逃げ出そうとまでは考えてないようだった。
……あの子は、どう思っているのでしょうか」
 ルーシャンたちの間に割って入れないと結論を出したからか、ミラベルはオデットへと視線を向けていた。
「ミラベルさん?」
「あなたは、彼女の犠牲は認められないと言い切りました。私も、できることなら避けたいと思っています。ならば、彼女は何と思っているのでしょう」
 ルーシャンたちを見つめるオデットの表情は、距離もあってはっきりとわからない。
「自分が死んだら、イシュガルドの民は救われると知った。そのような選択肢を突きつけられて、あの子は何と思ったのでしょうか」
 ミラベルに促され、ノエもオデットを見やる。
 彼女は、怪我をしている様子もなければ、ルーシャンに怯える様子もない。むしろ、今はルーシャンが怪我をしないかを危ぶんでいるようだ。
「まさか、自分が犠牲になるという意味を、理解できていないのでしょうか」
「いえ、そんなことはないと思います。僕が話をしているとき、オデットはじっとこちらを見ていましたが、目を逸らしたり動揺しているようには見えませんでした。彼女もまた、正確に己の立場を把握しているのだと思います」
 そして今は、遮二無二逃げるのではなく、ルーシャンたちの様子を伺い続けている。
 オデットの冷静な対応からは、死の恐怖に怯える様子は到底見当たらない。
「もし、オデットが『自分は死んでもいい』と言ったら、あなたはどうするのですか」
 ミラベルの質問は、ノエが予想していた未来の一つでもあった。
 すでにその可能性は考え、ノエは一つの結論を出している。
「オデットがたとえ望んだとしても、僕は認めません。たとえ、それで、オデットに拒まれたとしても」
……そうですか」
 ミラベルの視線が、再びルーシャンたちの戦いに向けられる。
 もはや、二人にはオデットのことすら眼中にないように見えた。あるのは、互いに譲れない一線を守ろうと決めた、二人の人間の衝突だけだ。
「あなたは、途方もないほどに清らかな心を持った善人なのかと思っていましたが……存外、勝手なところもあるのですね」
「清らかな心などというのは、僕には過ぎた評価です。僕はただ、僕が大事に思う人に笑っていてほしいだけです」
 かつてノエが言葉を交わした英雄は、エオルゼア中の人を笑顔にしてみせるほど偉業を為した。
 ノエには、そのような大層な真似はできない。だが、この先続く未来に、愛する人に笑顔を浮かべてもらうためにならば、自分が嫌われるぐらいの覚悟は決めている。
「ノエ、ちょっといいかい」
 ミラベルとの会話が区切れるのを待っていたかのように、後ろから声がかけられる。
 そこには、ルーシャンたちの様子を窺っていたのか、弓を片手に構えたヤルマルが佇んでいた。
「どうかしましたか、ヤルマルさん」
「こんな時に言うのも何だけれど……少し、周りを見てきてもいいかな」
 たしかに、ここでルーシャンたちの決闘を雁首揃えて眺めていても、時間の無駄とも言える。だが、それは仲間思いのヤルマルにしては随分と冷めた提案に思えた。
 ならば、彼女がこのような案を出してきた理由は別にある。
「何か、あったのですか」
「ちょっと、物音が聞こえた気がしてね。それに、ここまで派手に戦っていたら、漏れ出た魔力を嗅ぎつけて、魔物が寄ってくるかもしれない。偵察も兼ねて、様子を見てきた方がいいだろう」
 言いつつ、彼女はヴィエラ族が持つ兎に似た耳を引くつかせた。わざわざこの場面で言うということは、おそらく相応に確証のあっての発言に違いない。
「わかりました。何かあったら、すぐに知らせてください」
「もちろんさ。君たちこそ、二人の様子を見ておいてくれないか。気が昂って本当に殺し合いになりそうなら、何としてでも彼らを止めてもらいたい」
 ヤルマルがチラリと見やった先では、戦いを続けている二人の姿があった。サルヒもルーシャンも、今は目の前にいる互いのことしか目に入っていないようだ。
「では、少し行ってくるよ。オランロー、フォローをお願い」
「ああ。ノエ、あいつらが馬鹿をやりそうになったら、殴ってでも止めておいてくれ」
 それだけ言い残して、二人は夕闇に沈みつつある木立へと消えていった。
 この黄昏時の薄闇に隠れて大型の魔物が迫ろうものなら、たしかにひとたまりもないだろう。ノエがそう思った矢先、
――――!」
 ガン、と耳をつんざく激しい衝突音と共に、ぶわりと強烈な風がノエの全身を打った。
 両足に力を込めていなければ、勢いに押されて吹き飛ばされていただろう。
 咄嗟に手を伸ばし、姿勢が崩れたミラベルを支える。吹き荒ぶ風に乱された髪の毛が、漸く収まり始めた頃、
……サルヒさん!」
 斧を杖のように持ち、どうにか体を支えるようにしながらルーシャンを睨むサルヒ。
 その鎧の一部は割れ、汗とは異なる紅い液体が、雪の上に垂れ落ちていた。
 
 ***
 
 息が荒い。体の芯が冷えたような感覚は、体内のエーテルを消耗していることの証拠だ。
 とはいえ、立てるだけの気力なら、まだ残している。エーテルだって全てを使い果たしたわけではない。出し惜しみしながら戦うのならば、もう数時間は十分に戦える。
 けれども、ルーシャンはサルヒと対峙してから、出し惜しみなどしていなかった。
 最初は手を抜いて、適当にいなしてやればいいとたかを括っていた。どこかでサルヒを侮ってもいたのだろう。いつも暴走状態に陥った彼女を抑えていたのは自分だ。だから、今度もうまくやれると思っていた。
(油断していたのは……俺の方だったな)
 ただ油断していたわけではない。従者としてルーシャンのそばにいたサルヒには、自分を本気で攻撃するなど土台無理な話だと思っていたのだろう。
 自分なりに真剣に向き合っていたつもりだが、やはりどこかで甘えが残っていた。この甘えはサルヒの覚悟に対する侮辱でもある。その代償を、今、ルーシャンは消耗という形で受けていた。
 そうこうしている間にも、彼女が振るう斧の連続攻撃を風の魔法でいなし、魔法で作り上げた光の杭で牽制する。
「これで分かっただろ、サルヒ。俺を力づくでも止めるっていうなら、もっと本気で俺の首を狙ってこい」
 双方の凌ぎ合いがひと段落した隙間を縫い、ルーシャンは彼女へと呼びかける。
「俺が何を考えてるのか、もう全部分かっているんだろう。それなら、いいかげん、俺に執着するのはやめたらどうだ」
 挑発ではない。これは、子供の駄々のようなものだ。
 自分の思い通りにサルヒが動いてくれないから、何とかして望む方向に動いてくれと懇願しているようなものだ。
「お前ももう限界のはずだ。そんな風にずたぼろになってまで引き止めるほど、俺が価値のある人間に見えるか」
 ルーシャンの言う通り、斧こそ構えているものの、サルヒの鎧にはすでに無数の傷が刻まれ、ところどころ不自然な凹みを見せている。
 鎧の隙間から流れ落ちた血は、装備が受け止めきれなかった魔法が彼女を切り裂いたからだ。血を流さない傷――打撲や打ち身は、それ以上に彼女の体に刻まれているだろう。
「私は……諦めない。だって、私が諦めたら、あなたはいなくなってしまう」
 別に、それでいいじゃないか。
 喉の奥まで出かかった言葉は、どうにか飲み込めたものの、顔には出てしまったらしい。サルヒの顔に浮かび上がった険しさは、これまでの比ではなかった。
「私は、私だけは、あなたが選んだ道を認めない! 大旦那様があなたに与えた夢は、ここで終わりにさせる!!」
……ったく、分からず屋だな、お前も!」
 何度目になるかわからないサルヒの突進。同時に振られた斧は、その見た目に反してずっと早く、鋭さを帯びている。
 これまでなら、攻撃を避けるために魔法を交え、剣の硬度をあげ、致命的な一撃にならぬように受け流していた。
 だが、敢えてルーシャンはそれらの小細工を切り捨てる。
――!」
 サルヒの眼前で、赤い筋がぱっと閃く。
 致命傷にならないように調整はしていたものの、ルーシャンの脇腹を浅く切り裂いた感触は、彼女にも伝わったはずだ。
 これまでのように、攻撃の余波でついた傷ではない。予想外の一撃を『与えてしまい』、サルヒの横顔に動揺が走る。
……やっぱり、お前は甘いな)
 束の間ではあれど、サルヒの動きが急速に精彩を無くす。こんなにも激しく戦っているのに、彼女は自分が目の前の男を傷つけるのを心の内では忌避していたのだ。
 それすらも、敵の罠だと分かりながらも、動けなくなるほどに。
「戦闘中に敵の只中で固まっていていいなんて、俺は教えたか?」
 挑発混じりの一言と共に、これまで守備のために割り振っていたエーテルを、一転して攻勢へと転じさせる。
 サルヒへと向けられた細剣は、血風を纏うかのような紅い魔力を宿ししていた。複雑な軌道を描くそれらは、これまでの攻撃に比べるとずっと速い。まるで無数の矢衾のごとき突きを受けきれず、サルヒの甲冑からいくつもの紅い花が咲いては散る。
「くっ……!」
「お前は本気だっていうがな。悪いが、こっちも本気なんだ」
 突きを終えると同時に、ルーシャンはくるりと掌を返し、剣の柄にクリスタルをはめ込む。宙に浮かべていたそれが剣と組み合わさった瞬間、これまでとは比べ物にならない熱と光がサルヒの目の前で膨れ上がる。
「サルヒさん!!」
 外野にいたノエの警告。しかし、その声も遅すぎる。
 破裂した熱――ヴァルフレアの一撃は、サルヒのいた場所をあっという間に炎で埋め尽くした。
 魔法の余波を受けまいと後方に下がったルーシャンは、残心を解かずに、それどころか杖と化した剣を再び剣とクリスタルへと分け、腰だめに構えて炎の中心地へと狙いを定める。
「ルーシャンさん、それ以上は!」
 後方から、オデットがこちらへと駆けだすも、すでに魔法は成った後だ。
 虚空へと打ち出した突きは、単なる空振りではない。高濃度に圧縮された魔力が、空中にいくつもの魔紋を閃かせながら、光の一閃となって打ち出される。余波で飛び散った赤い魔力は、まるで赤い薔薇の花びらのように宙に舞っては消えていく。
 息を吐く間もないほどの連続魔法はそこで、終わらなかった。
 複数の魔法の光が重なり合った地点に、赤の光が渦巻く。魔力の本流で何も見えない爆心地から、不意にキンと澄んだ音が響き、透明な結晶が生えた。
 おそらくその中には、サルヒが閉じ込められている。
……これだけやれば、いくらお前でも立ってはいられないだろ」
 殺すつもりはない。だが、少なくとも数ヶ月は手当が必要な怪我となるのは違いない。
 結晶の周囲に浮かび上がった、同様に結晶で作り上げた杭。それらが次々に地面から生えた結晶へと放たれる。
 結晶同士がぶつかり合い、砕け散る。澄んだ音は、魔法が生み出した破壊の結果によるものとは思えないほどだ。破壊の瞬間すら美しいそれは、まるで一つの芸術品のようだった。
 見るものすら圧倒する、息もつかせぬ連続魔法。重なり合ったそれらは、防御の瞬間すら相手から奪う。数多ある魔法の中でも高度な技術の結晶なのだと、言葉を使わずに表していた。
「安心しろ。殺さない程度には魔力は抑えた。優秀な外野もいるからな。怪我した分は、すぐに治してもらえれば」
――あなたは、私が甘いといったけれど」
 ルーシャンの言葉を遮る、冷ややかな声。
「あなただって、十分私に甘い」
 バラバラと崩れ落ちた結晶のかけらの中から出てきたのは、魔法を滝のように浴びせられて半死半生のサルヒ――ではない。
……あれは、一体」
 ノエが唖然として見つめた先にあったもの。それは、地面から聳り立つ岩塊だった。
 まるで彼女の周囲の地面が捲れ上がったかのように、岩塊が突き出て、彼女の周囲を取り巻いていたのだ。
「サルヒさんの魔法……でしょうか」
「いえ、あれはもっと違うもののように見えます」
 口にした推測は、ミラベルに否定されるまでもなく、ノエ自身も否定していたものだ。
 サルヒはエーテル操作が不得手だ。だから、彼女は魔法を扱えない。だが、目の前に聳え立つ岩塊は、物理現象ではあり得ないものである。
 しかし、そのような瑣末なことにこだわっていたのは外野だけだ。
「私を子供扱いするのはやめてと言ったはず。ルーシャン」
 彼女が斧を一振りすると、ばらばらと岩のかけらが崩れ落ちていく。
 物理現象ではなかった証拠に、エーテルから作られた岩たちは、地面に落ちるとともにゆっくりと姿を薄れさせていく。
 しかし、それを確認することなく、サルヒは斧を振りかぶり、ルーシャンへと跳躍した。
――!!」
 回転による弾みをつけた一撃が、ルーシャンの足元で爆発する。地面が抉れ、捲れた大地の破片が飛び散り、ルーシャンの体を掠めていく。
「そんな力任せが通用しないってのは、今までので分かっただろう!」
 すぐさま魔法の障壁を自分に纏わせ、硬度を上げた剣がサルヒの攻撃を受け止めたように見えた。
「いい加減、諦めろって言ってるんだよ!!」
「諦めない。私は、絶対に、諦めない――――!!」
 押し込められる斧の刃に力が篭る。
――――――――っ!!」
 咆哮が響く。
 言葉にならない己自身への激励を、音となした時。
――――
 ルーシャンが纏っていた障壁が、その眼前で砕け散った。
 
 *
 
 ルーシャンの猛攻を受けきれないと思った時。
 やはり、自分は負けるのではないかと心が揺れた。
 だが、その瞬間にサルヒは己を引っ叩いた。
(だって、私が負けたら、今度こそあなたは行ってしまう)
 ノエにも他の皆にも、誰にも理解されなくてもいいと嘯いて、ルーシャンは彼らに背を向けるだろう。
 仲間であった者をたくさん傷つけて、そのことを笑いながらも心のどこかで悔いるだろう。
 その末に、そんな自分ならもう終わりにしてもいいかと、あっさりと結論を出してしまう。
 だから、引くわけにはいかない。
 自分に向かって一直線に向かってきた光の一閃を、渾身の力を込めて、斧で薙ぎ払った。
「引く、ものか――――……っ!!」
 その瞬間。沸々と湧き上がった感情に呼応するように、己の中の獣が吼えた。
 今までは、サルヒの理性を奪い、己を狂戦士へと変貌させるばかりだった獣。
 けれども、今は違う。この力は、目の前に対峙する彼のための『力』とすると決めた。
 怯えが無くなった彼女の中で湧き上がる咆哮を形とするため、衝動の赴くままに斧を振るう。
 勢いよく宙を薙いだ一撃は、彼女の意思に呼応するかのように、あり得ない現象を生み出した。
 魔力で作られたと思しき岩塊の盾。突如隆起したそれらが、サルヒを包もうとした結晶の魔法から彼女を守った。その後に続く攻撃も防ぎきり、驚く面々を視界の外に追いやって、彼女は走る。
「そんな力任せが通用しないってのは、今までので分かっただろう!」
 振り下ろした斧が彼の足元に刺さり、大地を抉り、岩塊が弾け飛ぶ。
 すぐさま、ルーシャンが魔法の壁を作るのが見えた。続くサルヒの攻撃も、魔力を纏った剣で受け止められる。
「いい加減、諦めろって言ってるんだよ!!」
 苛立ちが顕になった言葉にも屈さず、サルヒは斧を握る手に力を込める。
「諦めない。私は、絶対に、諦めない――――!!」
 内に眠る獣が、再び吼える。
――――――――っ!!」
 声にならない声が音の波として周囲に響いた、その刹那。
――――!!」
 ルーシャンの纏っていた魔法の障壁が、その効力を失い、剥がれ落ちていく。
 理屈の上ではあり得ない現象。驚いたのは両者であったが、その驚きから先に脱却したのは、サルヒが先だった。
(今、この瞬間なら……!)
 普段の何倍もの集中力を使い、サルヒは、斧を彼の武器へと下から上へとぶつける。
 ルーシャンの持つ剣の刀身――その中ほどの部分めがけて勢いよく振り抜かれた一撃は、立て続けの魔法で気力も体力も消耗していた男から、武器を弾き飛ばした。
「サルヒ、お前――
「と、ど、けえええええええええ――――――!!」
 この気持ちも、この声も、あなたに出会ってから得た全ての感情も。
 全てを託したサルヒの一撃が、今度こそ、ルーシャンへと直撃した。
 
 *
 
 暗い。
 何も見えない真っ暗闇。
 視界だけではない。己の何もかもが真っ暗になった。
 思考という思考が、全て暗転した。寝ても覚めても付き纏っていた焦燥が、己をせきたてる声が、まるで炎が吹き消されたかのように消し飛んでいた。
 破城槌で殴られたような、強烈な一撃。以前、土石流によって薙ぎ倒された家々を見たことがあったが、今の自分はそれに近いだろう。
 それでも、体を切り裂く刃の冷たさもなければ、皮膚を裂かれた痛みもないのは、彼女が刃の方ではなく、斧の峰で自分を殴りつけたからだ。
「ちっとは、加減しろよ……
 月並みの悪態をついた後、甘えを捨てろと言ったのは自分の方だった、と苦笑する。
 殴打された衝撃で、暗転した視界にはいくつか星が瞬くように光が飛び散っていた。けれども、それもやがて少しずつ消え、代わりに、今日最後の日差しが瞼の裏を撫でられ、薄く瞼を開いた。
……まだ、戦いますか」
 息が乱れているのは、サルヒも同じのようだ。だが、斧の峰で全力で殴られ、一瞬意識を失って地面に転がった己と比べれば、彼女はまだ立っている。武器だって、その手にある。
「俺を止めたければ……もっと徹底したらどうだ。だから、お前は……甘いって言うんだよ」
 言いながらも、自分の魔力を集め、即席の武器を作り上げてる。だが、それが見掛け倒しのハリボテであることは、ルーシャン自身が一番よく知っていた。
 骨は折れていないだろうが、先ほどの一撃はヒビを入れるに十分すぎる。腕と足に力を込めて立とうにも、体はなかなか言うことを聞かない。
「もし、まだ戦うつもりなら、今度は意識を奪います。そうまでして、あなたは……エヴラールの領地を犠牲にして、オデットの命を奪ってまで、大旦那様の魔法を発動させたいのですか」
 肩で息をしながらも、サルヒは斧をルーシャンに向け続けている。ここで刃を下ろさないのは、ルーシャンが再三指摘した甘さを取り除いた結果だろうか。
「あなたにとって、大旦那様の遺したものは、それだけの価値があることなのですか」
……当たり前、だ」
 言いながら、ルーシャンはどうにか腕だけで体を起こす。呼吸をするだけで、胸がひどく痛んだ。これはきっと、肋骨に罅が入っている。
 だが、その痛みすら、今はどうでもよかった。
「俺が……俺こそが、親父の後継者だ。親父の夢は、俺が受け継ぐ。親父の願いは、俺の願いでもあった。あの人に託された時から、俺はそのために生きていようって、そう……決めたんだ」
 なのに、どこかで歯車が狂った。
 その原因は一体どこにあるのか。愛人であったオディールにあったのか、父親を殺したオーバンのせいなのか。あるいは、自分自身にあったのかすらも、自分でも、もう分からなくなってきてはいると自覚はしているのだけれど。
……証明ぐらい、させてくれよ」
 それでも、動き出さずにはいられなかったのだ。なぜなら。
「俺が、あの人の夢を継ぐにふさわしかったんだって、その証明ぐらいは、させてくれたっていいだろう――!!」
 己の全てを振り絞るような叫びに、彼の目の前にいたサルヒですら、一瞬圧倒される。
 もはや体を起こすのもやっとで、かつての従者に見下ろされている、情けない敗北者の、血を吐くような叫び。
 その咆哮を正面から受け止めたサルヒが、彼へと唇を開きかけたときだった。
……え? 今、なんて」
 ルーシャンに聞き返したのではない。サルヒは自身の角に手を当て、まるで何かを探すように急に振り返った。
 彼女の突然の行動に釣られるようにして、ルーシャンもまた顔を上げる。
 傾きかけた日差しの眩しさに、一瞬目が眩んだ。その刹那。
 
 ――パァン、と。
 
 音高く、空気を割る音。
 同時に、視界が再び闇にとざされた。
 いや、違う。起き上がりかけていた自分に、何かがのしかかっている。何かではない。甲冑の冷たさと、少し硬い角の質感。その正体は。
「サルヒ……?」
 間違いない、彼女だ。サルヒが、どういうわけか、自分に覆い被さっている。
 どうして。足でももつれさせたか。それよりも、さっきの音はなんだ。あの音は、まるで。
(何、だ)
 数秒遅れて、体をじわじわと濡らすものに気がつく。
 かふっ、と咳き込むような音が耳の奥に響いた。彼女の声だ。それと、鉄錆びた匂い。かぎ慣れたそれは――血の匂いだ。
(何が、起きている……?)
 思考が動いてくれない。先ほどまで感情の荒波に揉まれたせいで、体が凍りついたままだ。わかるのは、自分を庇うように覆い被さっているサルヒの重みだけ。
 そう――まるで庇うような。
(そういえば、あの音は――まるで、あの音に似ていなかったか)
 急速に懐かしい記憶が蘇る。
 まだイシュガルドが氷に覆われる前、父と共に狩りに赴いたときに渡された、一つの武器。魔法に比べると音も臭いも大きくて、品のないものだと父と共に笑ったそれの『引き金を引く音』は、ちょうど先ほどの音に似ていた。
――――!!」
――――――
 誰かが、何かを叫んでいる。あの声は、ノエか、ヤルマルか。後ろの甲高い少女の声は、オデットの悲鳴か。
 それら全ての音を、外野の雑音として外へと追いやる。代わりに、頭の中でパズルが組み上げられるように、一つの答えが弾き出される。
……サルヒ、おい。サルヒ……!」
 ルーシャンを庇うために、サルヒは銃弾に斃れた。
 その事実を漸く理解すると同時に、ルーシャンは痛む体で崩れ落ちかけたサルヒを抱える。だが、自分も彼女との戦闘で消耗した身だ。辛うじて手をつき、再び地面に倒れ伏す無様は回避するのが精々だった。
 だが、その刹那、彼女の肩越しに見えたのは。
「面倒なことになったな。そのまま、相打ちでくたばっていればよかったものを。そうすれば、目の前で父親の成果を掠め取られる様を見ずに済んだだろうに」
「てめえか、オーバン――――……!!」
 斜面の上から立ち、こちらを見下ろしている影。沈みかけた夕陽が照らすのは、忘れたくても忘れられない、父の仇である男。
 そして、その傍に控えている兵が持つ銃は、真っ直ぐにこちらを向いていた。
 薄く立ち上る煙が、彼がサルヒを撃ったものだと示していた。急速に失われていく彼女の熱を留めようと、男はなけなしの魔力を癒しの光へと変えて、彼女に注ぐ。
 その最中、彼の思考の一端は焦げ付くような怒りに襲われていた。
(なんて、最悪なんだ――
 サルヒは言った。
 このまま進めば、あなたは後悔するだろうと。
 その中でも最も望まぬ形の後悔が、今この瞬間、ルーシャンに突きつけられていた。