俺が海外出張を終えて久しぶりにポートマフィアに戻ってくると、何やら組織全体がどうにも騒々しかった。おそらく何かしら大きなトラブルが起きて皆が奔走しているのだろう。稀にだが経験がある。これなら出張報告どころではないかもしれないと思っていたが、謁見申請はすんなりと通った。
不思議に思いつつ訪れた首領室で、原因はあっさりと判明した。
「4日程前から太宰くんが行方不明でね。念のために聞くけど、なにか知っているかい?」
血の気が引いた。これまでに何度も修羅場を潜ってきた。「殺すぞ」と脅され、死の危険を感じ、時には死を覚悟して実際に死にかけ、それでも生き残ってきた。そのどれよりも、身体が恐怖に竦んだ。
「いえ……」
歯の根が鳴りそうになるのをどうにか堪え、深呼吸して震えそうになる声を押し留めて答えた。
「そうかい。なら下がっていいよ」
「はい、失礼します」
首領室を出て、エレベーターに乗り込んだところでようやっとまともに息が吸えた。返答次第では俺もどうなっていたかわからない。暴力なら首領相手でも引けを取らない自信がある。けれど知略でとなれば勝ち筋は全く見えない。
あの太宰であっても、後手に回れば絶望的だろう。随分と呆気ない最期だった。あれだけ「死にたい」「死なせて」「自殺したい」と騒いで危険に身を投じ、それでも毎度生還していたというのに、結局は自分より格上の相手にはあっさり負けるということか。多少の油断はあったろうが、それでも俺以外の相手に負けるとは。
各員が奔走している太宰の穴埋めは出張から帰ったばかりのために免除された。することもなく、自宅に帰ってベッドに倒れ込む。
ぼんやりとしていると、先程の首領とのやり取りが夢か妄想か、現実ではない何かのような気さえしてくる。だって相手はあの太宰だ。あれだけ自殺を繰り返して全て失敗していた奴がそう簡単に死ぬだろうか。何度「いくら太宰でも今回は死んだか」と思っただろう。何度死んだ振りに付き合わされ、何度騙されただろう。
端末で太宰の連絡先を呼び出して通話ボタンを押すと、「電源が入っていないか電波の届かないところにいる」という音声ガイダンスが流れた。全てを聞かずに反射的に終話ボタンを押した。首領まで巻きこんだ大々的な嫌がらせの可能性を考えたが、よく考えれば太宰に電話が通じないのは別に珍しいことでもなかった。無意味な自分の行動に舌打ちをしたが、着信履歴に残った数日前の不在着信の表示に目を留めた。
たった1秒の呼び出し。どうせ間違い電話か何かだろうと気にもしていなかったが、着信があったのは太宰の最後の目撃証言よりも後の時間だ。おそらく、死ぬ前の最期の発信。理解すると同時に何故か太宰の死が急激に現実のものだと思えた。言いようのない悔しさに襲われて、端末を放り投げる。壁にぶつかってめり込み、やがて重力に従って落下した。
俺がこれに出ていれば、何か変わったのか。遠く海を隔てた地にいた自分には何もできなかっただろうが、最期の言葉くらいは聞けたかもしれない。聞いていたら太宰の最期の言葉なんて聞きたくなかったと思うに決まっているのに、変えることのできないもしもが頭を過ぎる。
乾いた笑いが漏れた。何故笑っているのかも自分ではわからない。起き上がると、太宰が読み終えて放置していった新聞が視界の隅に入った。ゴミ箱にぶち込んで、断ち切るように寝室を後にする。冷たい水でも飲もうと冷蔵庫を開けると、目に付く位置に缶コーヒーがあった。太宰しか飲まない砂糖もミルクもたっぷり入ったものだ。それも中身が入ったままゴミ箱に放り込む。シャワーでも浴びようと脱衣所に行くと、俺が出掛ける直前に太宰が脱ぎ捨てていったシャツが洗濯かごに入っていた。それもゴミ箱に入れようとして手に取ったが、吸い付いたように離すことができない。ぐしゃぐしゃに握りしめると、この時のやり取りが思い出される。
いつものようにこちらの都合を考えずにふらりと泊まりにきた太宰は、数日家を離れるつもりでゴミをまとめ冷蔵庫を整理し洗濯物を減らしている俺を莫迦にするみたいにあっちこっちを引っ掻き回した。俺が怒るのを楽しんでいるのだ。わあわあ言い合いをして、結局折れたのはいつも通り俺で。「洗濯は帰ってきたらするから好きにしろ」と吐き捨てたのがたぶん最期の会話だ。もう1度やり直せたところで優しくしてやる気なんか毛頭ないが、もっとマシなやり取りはなかったものか。本当に最期の最後までムカつく男だ。死んで清々する。
せっかく死んだのだから、全部燃やすか。
家の中から、ありとあらゆる太宰の痕跡を掻き集めた。シャツに下着に歯ブラシ、ジャム瓶に角砂糖にマグカップ、充電ケーブルに客用布団。家中ひっくり返すみたいにして集めたそれに空き地の隅で火を点けた。残った灰を海にでも撒けば終わりだ。
そう思っていたが、布類や食べ物はともかく瓶やマグカップまで全部一緒くたにして火を点けた所為でほとんど燃え残ってしまった。わざわざ分別してゴミに出す気にもなれなくて、その場に穴を掘ってまとめて埋めることにした。
穴を掘りながら、あいつは失踪扱いだから墓がないのだと気がついた。その辺に転がっていた石の中からなるべく大きいものを探して埋めた穴の上に置く。これで墓標代わりにはなるだろう。
墓石に座って煙草に火を点ける。ゆっくりと煙を吸い込んでから吐き出す。煙は真っ直ぐに天へと昇っていく。死体も念仏も涙も線香もない。あのろくでなしにはお似合いの葬式だった。
太宰が何食わぬ顔で嫌がらせを携えて俺の前に現れるのは、それから4年後のことである。
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